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明末の麒麟児  作者: sawami
第3章
26/50

命懸けの交渉 前編

 ※内容を少し追加しました。

 朱慈煥は言った。

 「単刀直入に申し上げます、しばらくの間この福建に匿っていただきたい」

 鄭芝龍の表情は動かなかった。ただ、指先が卓の上でわずかに止まった。

「理由を聞こうか」

 低く、短い。試しているのか、それとも単に興味がないのか。

「鄭公の勇名は、南京にいたころより耳に届いておりました」

 朱慈煥は静かに続けた。

「海を制する者、と人は申します。清軍が南下してなお、この福建が揺らいでいないのは、ひとえにお方あってのことと承知しております」

 鄭芝龍は何も言わなかった。お世辞を聞き慣れた男の沈黙だった。

「それだけか」

 一言で切り返された。朱慈煥は一瞬だけ間を置いた。ここで取り繕っても見抜かれる、と直感した。

「……今の南京では、どうしようもないと判断いたしました」

 室内の空気がわずかに変わった気がした。

「弘光帝の御治世が乱れているのは、鄭公もご存知のはずです。側近たちは私利に奔り、軍は統率を欠いている。清軍に対するにも、内輪の争いに明け暮れている。私は皇子の身でありながら、あの場所に留まることに意味を見出せなかった」

 言い終えて、朱慈煥は自分が口にした言葉の重さをあらためて感じた。今上帝の治世を、同じ皇族が否定した。不忠と取られても言い訳できない。

 だが鄭芝龍は怒らなかった。ただ、初めて僅かに口の端を動かした。

「正直な御仁だ」

 褒めているのか、嘲っているのか分からなかった。

「鄭公、とおっしゃった。つまり私を明の人間だと思っておられる」

 朱慈煥は答えに詰まった。鄭芝龍が明に対して心から忠誠を誓っているわかではないことは、歴史の知識として知っていた。だがそれを今ここで出すわけにはいかない。

「……少なくとも、清ではないと信じております」

 男はしばらく朱慈煥を値踏みするような目で見つめた。

「もちろん、ただでとは申しません」

 朱慈煥は鄭芝龍の目を真っ直ぐに見て言った。

「鄭公に有用な情報を提供できます」

 鄭芝龍の表情がわずかに動いた。

「ほう」

「一つは、揚州のことです」

 朱慈煥は静かに続けた。

「清軍が揚州を包囲したとき、史可法の元に降伏を勧める書が届いたことはご存知でしょうか。」

 鄭芝龍の目がわずかに動いた。知っているのか、知らないのか、判じかねる反応だった。

「史可法は拒絶した——少なくとも、表向きはそうなっております。ですが包囲が長引く中で、清軍の動きには妙な緩さがありました。焦る様子がない。まるで、待っているかのように」

 朱慈煥は一拍置いた。

「私の見解に過ぎませんが——水面下でやり取りがあった可能性を、否定しきれずにおります」

 鄭芝龍の表情がわずかに動いた。興味、というより——値踏みの目が一段階鋭くなった、とでも言うべきか。

 短い相槌だった。続きを促しているのか、それとも単に待っているのか判じかねたが、朱慈煥は構わず続けた。

「南京にいたころ、城に出入りする者たちの言葉を私はよく耳にしておりました。幼少の皇子という立場は、時として奇妙なほど周りは人の口を軽くさせます。武官も、文官も、商人——自分が子どもだと油断し気にもせずに話した」

 鄭芝龍は何も言わない。ただ聞いている。

「その断片を、私なりに繋ぎ合わせておりました。南京に移ってから、ずっと」

 一呼吸置いた。

「さらに、清に帰順した漢人の将のうち呉三桂、耿仲明、尚可喜ら三人は魏の孟達、南朝梁の候景ような存在となるでしょう」

 その三つの名を口にした瞬間、室内の空気が変わった気がした。鄭芝龍の指が、卓の上でわずかに止まった。

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