やむを得まい
鈍い音とともに、鉤縄が舷側に引っかかった。
男たちが次々と甲板へ飛び乗ってくる。いずれも日に焼けた肌に、継ぎはぎだらけの粗末な衣を身にまとい、刀や槍を手にしていた。先頭に立った大男が、鋭い目で甲板を見回す。四十がらみ、顎には無精ひげ。左の頬に古い刀傷が走っていた。
「荷を全部出せ。抵抗すれば斬る」
低く、よく通る声だった。船頭が膝を折って額を甲板に押しつける。商人たちはすでに泣き声を上げていた。
その中で、朱慈煥だけが立っていた。
大男の目が、修行僧姿の少年へと向いた。奇妙なものを見るような顔だった。
「坊主、膝をつけ」
「お断りします」
朱慈煥は静かに答えた。
「あなたに膝をつく理由がありません」
大男の眉がひそめられた。隣の男が刀に手をかける。しかし朱慈煥は動じなかった。
(ここで怯んだら終わりだ。この男は力で押せる相手を探している。毅然としていれば、まず話を聞く)
「生意気な坊主だ」
大男が自分のもつ刀を鞘から出して朱慈煥の首に当てた。
「殺されたいか?」
「殺すのは構いません。ただ、その前に一つだけ」
朱慈煥は懐に手を入れた。周囲の海賊たちが一斉に身構える。しかし取り出したのは、布に包まれた細長いものだった。ゆっくりと広げると、金糸の刺繍が施された印綬が現れた。
甲板に沈黙が落ちた。
「私は朱慈煥。崇禎帝の第三皇子です」
「はっ、皇族がなんでこんな船に乗ってんだよ。」
「それは清軍の目を掻い潜るためです。清軍は早くとも五月(新暦六月)には南京へ到達します。危うい今、私は福建には皇族であり親戚である朱聿鍵のもとへ助けを求めに向かっています」
これは半分嘘で半分本当だ。朱聿鍵が福建にいるかどうか分からない。しかし、南京が危ういという事実は本当だ。さらに弘光帝の皇妃選定の話などは民衆には既に広まっており、船に乗っていた客たちの会話で不満をこぼしていた。
「……それが俺たちに何の関係がある」
「鄭芝龍公はご存知ですね」
一瞬、大男の目が揺れた。
(鄭芝龍は1644年には福建省全域の清朝に対する軍責を負っているはずだ。)
この男たちにとって、皇族をまで送り届けることが鄭氏への顔立てになると分かればそれで十分だった。
大男がゆっくりと口を開いた。
「……本当に皇子様なのか」
「信じるかどうかはあなた次第です」
朱慈煥は印綬をもとの布に包みながら言った。「ただ、もし本当だった場合、あなた方がここで私を手にかければ、鄭公はどうお思いになるでしょうか」
長い沈黙だった。
大男が舌打ちし、部下たちを振り返った。何事かを小声で話し合っている。朱慈煥は表情を変えずに待った。内心では、じわりと汗が滲んでいた。
やがて大男が再び向き直った。
「……福建まで、どこへ行くつもりだ」




