保身ではあるけれど
1644年12月
李自成を破り北京を占領した清軍は勢いそのまま江南に押し寄せていた。朱慈煥は済寧の郷紳の家族との手紙から二、三ヶ月前に既に済寧が清軍に占領されたことがことがわかった。
幸い、済寧は孔子とゆかりがあり漢民族にとって重要な都市だったこと、済寧が抵抗せずに降伏したこと、清軍がそのまますぐに進軍したことにより街にあまり被害は無く郷紳の親子は無事だった。
朱慈煥はこの手紙を読んで揚州のことを考えていた。
(このままだと揚州で虐殺が起こるな。)
数ヶ月前に東林党の筆頭だった史可法が防衛のため揚州に出鎮してしまったのだ。一説には非東林派の筆頭馬士英が朝廷から出すために兵部尚書(今で言う国防長官)に推挙させて揚州に出鎮させたという話がある。史可法はこのままだとヌルハチの十五男ドドが率いる清軍と攻防し、敗北したことで処刑されてしまう。
それだけでなく、揚州で虐殺が行われ盛られているかもしれないが死者が約80万人にも上ったという。
(もし揚州が攻略されたら、民衆はますます明の皇族のことを見放すかもしれない。そんなことになれば今後の旅が難しくなるかもしれないな)
朱慈煥はこのとき史可法を助けられないか考えていた。もし、自身の存在が公になったとき史可法らが匿ってくれる可能性を考えたのだ。下心のある理由だが本来の朱慈煥の行動とかけはなれているので史実のように長生きできる保証がないので保険が必要だと考えたのだ。
(ただ問題は、どうやって接触するかだな。)
王承恩の場合は身分と演技でなんとか会えたが、今の自分はただの書店の従業員であり、年齢も幼い。直接会えるは難しいし、いくら印綬を持っているからといって本人に直接会う前に追い返されしまうだろう。
なので、朱慈煥は少しでも接触する機会が得やすい立場で揚州に向かうことにした。
数日後、朱慈煥は揚州に向かうため貸船の主人に会いに行った。
「すみません、ちょっと向かいたいところがあるのですが」
「あん?別に構わねえが、このご時世だ値段は高くぜい?」
「問題無いですよ仕事で少しためているので」
そう言って銭を多めで渡した。
「へぇ、気前がいいじゃねぇかどこ向かえばいいんだ?」
「揚州です。実はこれに志願して…」
朱慈煥はそう言ってある紙を見せた。
「うん?なんだこりゃ…ってこれ義勇兵の徴兵の紙じゃねぇか?!おい坊主バカなことはやめとけ」
そう言われた朱慈煥はすかさず両手を膝をつき頭をさげた。
「わかっています。ですが私の母が揚州ではぐれて私だけ南京に向かうことになりました。南京で探しても見つからず。もしや揚州にいるかもしれないと思い。仏門を捨て揚州に向かおうとしているのです。着いたらすぐに帰って構いませんのでどうか私を連れていってください!」
そう言って顔を隠しすすり泣くように言った。
「そうか...しゃあねぇなぁ。おめぇの孝行心に心打たれたぜ。俺も年取ったおかぁがいるからよ。ただし、戦おうなんざ考えずに生き残るんだぞ。」
貸し船の主人は朱慈煥に同情し涙目になりながらも許してくれた。もちろん、全て演技である。涙は市場で買った唐辛子を粉状にし、頭を下げるときに袖に隠してた唐辛子の粉末を顔に塗って嗚咽を漏らしたのだ。
それだけでなく貸し船の主人に関しても後を追って家族関係を事前に調べたりして情に絆されやすい人に絞ったのである。
こうして朱慈煥は志願兵という体で揚州に向かうことになった。




