旅の始まり
崇禎十七年(1644年)一月
冬の寒さが激しいなか、朱慈煥はついに北京をでる。
史実の李自成の大軍が北京に迫るまで、あと二ヶ月。その影が、妙応寺の静寂を少しずつ蝕み始めていた。
朱慈煥は、数え年十一歳。幾多の仏典を読み終え、妙応寺での「療養」に終止符を打つ時が来たと悟っていた。
王承恩との密やかな連絡を取り、脱出の計画は着々と進められていた。夜の帳が下りるのを待ち、朱慈煥は他の僧侶たちと共に寺院を後にした。
最初は、このご時世に預けられた自分にたいしてを哀れんだり、厄介者扱いした僧侶たちも、この一年間、持ち前の勤勉さと誠実さ、そして人となりに触れ、今では温かい見送りを送ってくれる者もいた。
(この一年間とても刺激的な経験だった。現代では見られるかわからない経典をあったかもしれないと考えると、なかなか転生するのも悪くないかもしれないなぁ。)
静かに合掌し、住職らに別れを告げ、妙応寺を去った。心の中では、彼らの静かな優しさに感謝の思いを込めて。 十一歳という若さで、放浪の旅に出る。
最初の目的地は、京杭大運河が通る天津。 そこは、繁栄を極めた港湾都市であり、様々な情報が集まる場所だと、朱慈煥は考えていた。
そのため、北京にある京抗大運河の一部である御河に向かった。運河沿いの風は、冷たい冬の息を運んでくるが、朱慈煥の胸には、未来への希望、そして幾ばくかの不安が、複雑に絡み合っていた。 運河の水面には、月明かりが揺らめき、行く手を照らしている。
しかし、その先には何が待ち受けているのか。それはまだ誰も知らない。




