城の塔
「うわぁぁああぁっぁああ!!!!」
絶叫しながら、私は衝立の後ろに隠れた。
心臓が飛び出しそうなほど高鳴っていた。
「うぅぅ〜〜〜、うえっうぇっ、ううぉぉおおん!!」
バアルは火がついたように泣き出す。
どうしようもなくて、おろおろしていると、ビッビーッと布を裂く音がする。すると、衝立の上から、見覚えのある紺碧のビロードの布が垂れ下がってきた。
「湯浴みの途中とは……」
気まずそうな声に、驚く。
あの恐ろしい悪魔が、こんなことで動揺するなんて思わなかった。
「こ、これ……」
手に取った布を見て、思わず噴き出してしまう。
「ふ、ふふふ、カーテンじゃない……! あは、あはははは」
「な、なにを笑っておる、小娘め! 無礼だぞ!」
「や、だって、カーテンって……あははは」
私が笑い出すと、バアルも釣られて笑い出す。さっきまで泣いていたのに、もうご機嫌だ。
「バアル、びっくりさせてごめんね。すぐに服を着なきゃね、風邪をひいちゃうね」
笑いながら、光沢のあるカーテンを纏って、衝立の外に出る。
「悪いけど、ナアマを呼んでちょうだい」
私を見て、ルシファーは軽く息を呑んだ。そして、小さく頷き、踵を返す。
「ああ、待って。着替えが済んだら、私がそちらに行きます」
「……わかった」
魔王がわざわざ訪ねてきて、何を言うつもりだったのか、すこし考えてみたけれど何も思いつかなかった。
だけど、引きちぎられたカーテンを見て、思っていたような悪魔ではないのかもしれないと、ほんのすこし期待している自分がいる。
思っていたよりも、ひどい悪魔ではなさそうだった。
「バアル、あれがあんたのお父さん、らしいよ」
話しかけるとバアルは私の頬をペチペチとたたく。そのちいさな手のひらに唇をつけた。ぶっと吹くとバアルは笑う。
この穏やかな時間が、ずっと続いてほしいだけなのに、血なまぐさいこの世界のあれこれが、そうはさせてくれない。
床に散った黒々とした血を思い出して、身震いする。
「マリア様、失礼致しました。私、お着替えをお渡ししそびれてたみたいで……どうか、しました、マリア様」
ナアマの気遣う声に、我に返る。
「……なんでも、ない」
ふと鏡を見ると、バアルを抱いた私は、青い布に包まれている。その姿はいつか見た宗教画の聖母マリアのようだった。
私に、そんな力があれば、不要な戦いをしないですむのに、そう思うと不甲斐ない。ただ偶然召喚された。
別に、人間の女は、私じゃなきゃいけないわけじゃなかった。
だけど、いま、私はここにいて、バアルの母親になった。
なんの関係もないこの世界だったけれど、この子の命がある限り、私はここで、この子のためにできるだけのことがしたい。
この子に残す世界が、いまよりもいいものであってほしい。
それは、保育士をやっていた頃からずっと感じていたことだ。
私の顔を不思議そうに覗き込むナアマから、着替えを受け取る。すぐに身につけて、身支度を整えた。
「魔王のところに案内して、話があるから」
「……ルシファー様のところにですか!?」
「うん」
驚くナアマに、ちょっとした思いつきを耳打ちする。ナアマは嫌そうな顔をしたけれど、命令だと言い直すとしぶしぶ引き受けた。
薄暗い回廊を抜けて、城の一番高い塔の上へと進む。
ナアマが驚いた理由が分かった。どこまでも続くような長い階段を上っていくと、じっとりと嫌な汗がにじむ。抱くのは諦めて、途中からバアルを背負っている。ちなみに、重くはない。
「バアル〜〜〜なんで私、自分で行くなんて言っちゃったんだろ〜〜」
ぜーぜーといいながら、湯浴みした意味を問い直す。
どうしてこんなに遠い場所を、自室にしているのか。もっと大きくて、快適な場所があるはずだ。
ルシファーの孤独を感じる。
あの悪魔の表情を思い出すと、決まって哀しい顔をしているように見えた。
「もぉ〜、だめ、絶対上れない」
途中の階段で投げ出して、石段に座り込む。
これでも結構上ってきたと思う。正直、行くのも地獄、ここまでくれば帰るのだって地獄なんだ。
もう、一歩たりとも歩けない。歩かない。
段々腹が立ってきて、ぐぅっと怒りが込み上げてくる。どうしようもなくなって、真っ暗な階段の頂上めがけて大声で叫んでやる。
「魔王〜〜〜〜!!! いるんでしょーーー!! 出てきなさいよ〜〜〜!!! こんなとこ、人間が上がってけるわけないでしょうが!! アンタ、馬鹿なの!? 迎えにきなさいよ!!!」
絶叫が、階段で木霊する。けれど、音の終わりが確認できない。まだまだ上があるようだった。八つ当たりだけど、どうしようもない。
ここまできただけで、ほめてほしいくらいだ。
すると、ちかちかと、暗い階段を照らすランタンが点滅する。気分が悪い。
これ、ポリゴンショックじゃない?
次の瞬間、突風が吹いて、暗闇が訪れる。風にあおられ、私は階段から足を踏み外した。
「わっ!」
トンと何かに当たったと思うと、身体が中に浮き上がった。そして、凄い勢いで上昇をはじめる。
怖くて、何かにしがみつく。
ぎゅっと、その何かに捕まると、ぎゅっと抱きしめられた。
「そうだった、お前は人間だった。その態度、まったく人間らしくないが」
深い声が耳許の近くで響く。
「ーーーーそもそも、この私にそんな態度をとるのは、お前しかいない」
気づけば、塔の最上階にいて、その部屋には美しいシャンデリアがあった。光の下で自分の状態を改めて確認する。
私は何を思ったか魔王の首にしがみついていて、魔王は私の腰をしっかりと抱き寄せている。
「は、はなしてよっ!!!」
こんな体勢で抱き寄せられて、身体を密着させるなんて、今まで生きてきて、一度だってない!
混乱した私は、ーーーー思い切り魔王の頬を平手打ちした。




