挿入話・ある獣の恋 前
わたしが無事テスの元に戻ってから、二日と半分。その間リョクとアルセイドさんはテキパキと行動し、万端に「準備」を整え、微塵も未練を残さず、この家を去っていった。
「出かけ……たんだ」
「うん」
テスの手にした荷物が心なしか、垂れ下がったように思えた。大振りの缶ビールが数本。アルセイドさんはお酒が好きだって訊いたから、大学の帰りに買ってきたらしい。クラッカーやチーズだとかのおツマミも。普段ビールは飲まないし、自家製の甘い果実酒以外はそういったものを好まないテスが、馴れない酒屋で右往左往する様が思い浮かぶようだった。
「どこに行ったの?」
「ごめん、教えられない」
和んでいないときはとことん迫力のある濃褐色の瞳が、睨むように見上げてくる。
「どうして」
声も眦同様、釣り上がった。怒ってるテスは中々怖いけど、ここは譲れない。
「昨日も言ったけど、只の人間には介入出来ないことだよ」
「アルだって只の人間でしょ」
その呼び名を口にするとき、表情がほんのちょっと高揚してること、きっと無意識なんだろうな。そして、微妙にわたしにつっかかってくる態度が嫉妬含みなんてことも、ちゃんとわかってる。
「なのに、どうしてあたしだけ部外者なの」
「アルセイドさんは、『騎者』だから」
「あたしだって『騎者』よ」
「でも、テスは武器を扱えるわけじゃないし、『騎獣術』だってもってない」
「きじゅう……、なに、それ」
「わたし達『騎獣』に跨って、その手綱を取る技のことだって。アルセイドさんはそれが得意だし、本性のリョクに騎乗してれば百人力なんだって。今は家宝の剣が修復済みだから、相応の剣術も使えるし。でも、テスはそうじゃないでしょ? 騎者は騎者でも、戦うすべを識らない普通の女の子だよね」
「……」
憤っていた目元が、徐々に解けていく。テスは我が強そうに見えて、結構引き際がいい。厳しめの言葉でも理詰めでいくと、すんなり了承してくれることが多い。
それに引き換え。
「騎獣自身だって、力不足。リョクと違って身体が小さいから長期の騎乗は無理だし、脚力も霊力だってリョクに全然敵わない。実戦経験が無いから、流血や争いごとの対応だって下手。自分の身すら護れない者が一緒についてったって、足手まといにしかならない」
テスとは逆に引き際が悪いのは、わたしだ。こうして再三自分自身に言い含めないと、今も納得出来てない。
「――」
「悔しいのは、わたしも一緒だよ。……本当のところは、すぐリョク達を追いかけたい。けど、我慢しなきゃいけないってことはわかってるから」
「――ワカバ、」
テスの声音は、いつしかいつもの高さに戻っていた。そしてこちらに影が差す。小さな手の平が伸ばされ、心持ち俯いていたわたしの頭をぽんぽんと優しく撫でてくれたからだ。その感触だけで、喉奥と目頭に溜まりかけていた熱が薄れる気がした。
「……何しに行ったのとかも、どうせあたしには教えてくれないんでしょ」
「……うん」
「いつ戻ってくるのとかは?」
「それは、はっきりわからないって」
「そう」
頭に載せられていた暖かな感触が離れる。とす、と力無く台所の台の上に置かれる缶とお菓子の入った袋。伏せられた濃褐色の双眸に、うっすらと浮かぶのは淡い微笑み。そして。
「あーあ。またあたし、待つ側なのね」
どうしようもない、寂しさだった。
◆ ◆ ◆
『周囲に結界を張っておいた』
つい、数時間前。食べ終えたばかりのお茶菓子のお皿と器を台所に運びながら、リョクは言った。まるで、なんてことのない事象のように。
『ワカバと周辺精霊の霊力を元に、この木造家屋を中心として半里ほど囲んである。この近辺に棲まう精霊でないものが近寄った際はすぐに反応し、この家屋を隠す作用がある』
あの日落としたわたしの髪の毛一本。それだけでリョクは、雑多な人間界隈の中、いとも簡単に霊気を辿ることが出来た。そればかりか、わたしが作れないほどの大規模で高性能な結界をあっという間に作ってしまえる。
『ワカバが結界外に出ない限り、解けぬ仕様ゆえ。ほとぼりが冷めるまで、生活用品の仕入れは伴侶どの……いやテスどのに任せるがいい』
わたしとリョクとでは、霊力容量から行使能力から何から全部、格が違うってことなんだろう。それは仕方ない。
けど。
『わかった。――、』
頷きながら、拳を握り締める。胸の奥に食い込む歯痒さをまた、感じたから。これってやっぱり、あのときと一緒。また護られてるかたち。蒼色のあのひとにも三日間、ずっと護られていたのに。
(おなじ、一族なのに。どうしてここまで違うの)
聞けば、わたしの年齢は同種の基準からすると仔どもそのままらしい。やっと幼生を抜け出すかどうかといった辺り、丁度見かけと同様の年端もいかない年代なので、成獣との差は仕方ないとあのひともリョクも慰めてくれはしたけど。
(場所が違っても、無力感は変わらないなんて)
唇を噛み締め、背の高い雄を見上げる。
『……ねえ、リョク』
『うむ?』
『他に、出来ること無いかな』
『出来ること?』
『わたし、確かにリョク達からしたら仔どもだし、頼りないかもしれないけど。でも、何か出来ることがあると思うの。これでも人界の精霊族の中じゃ結構霊力高いほうだし、この家で待機している間、何もしないわけにいかないよ』
『言ったであろう、家屋にいる間は伴侶ど……テスどのを護ることだと』
それだって、おざなりの理由だ。大規模で高性能な結界に覆われたこの家に留まっている限り、わたしの役割なんて無きに等しい。
『この家から出られないんじゃ、動ける範囲も限られてる。せめて、テスと一緒に外出しちゃ駄目かな。無理しないから』
『テスどのの外出時は組織「網」の手のものが護衛しているゆえ、大丈夫だ。それにワカバが外の界隈に出ること自体、得策とはいえぬ。現に妖精らの狙い、その最たるものが幼仔で所在が判明しているワカバであること、既に判明している。まして、我らの人型形体は界隈にて目立つこと、承知しておろう』
『う、ん。だけど、』
わたしにはこの脚がある。リョクや蒼色のあのひとと同様、一族の誇りたる脚が。なのに、どうしてそれを活かせないの。あのときの決意が、今も続く仲間への思いが、無駄になってしまう。
拙い口上で、必死にそのことを説明した。けれど。
『ワカバ』
湖のような双眸が、静かにわたしを見据える。返ってきたのは、手厳しい言葉だった。
『己の立ち位置を忘れるな。一度ならず二度までも捕らえられた身ゆえ、相手方にワカバの身のこなし癖、並び能力の程度は把握されている』
『あ……、』
雌として調子が悪い周期のさなかだったということは、雄相手に言い難い。わたし自身、恥ずかしくてたまらない生理現象だし。
言い訳しそうになったものを飲み込み、言葉を濁す。
『――あの時は不意打ちだったから簡単に捕まっちゃったけど。今は準備してるし、もう同じことは繰り返さないよ』
『万端に対応出来る確信はなかろう。己の力量を見定められないようでは、到底成獣との差は埋まらぬ』
静かだけど、どこまでも厳しい声。
『わたしが仔どもだってことは自覚してる、でもやれることは……、』
なおも言い募ろうとすると、穏やかだった視線さえ厳しくなった。
『では訊くが、護りの霞を霊力結界に転換し得るすべは、いつ覚えた』
転調した話題に目を白黒させつつ、なんとか応える。
『て、テスが生まれてから、すぐ』
『してそれを行使した回数は』
『……三回、くらい』
それも、霊力が上がったとわかってからお試し程度に行使しただけで、日常的に結界を作る練習なんか、したことない。一瞬視線が所在無さげになったのを見咎めるように、リョクは湖面の瞳を眇めた。
『さほどに平穏怠惰の生活を送り、人型においても一遍通りの武術並び気配を絶つすべも識らぬか弱い雌が、如何にして戦力と成り得る?』
『っ』
同じようなことを、蒼色のあのひとにも言われた。けれど、どうしてここまで胸に突き刺さる度合いが違うんだろう。それは、状況とかことばの物言いの違いだとか、そういうことではない。
『せ、戦力になるかどうかは、試してみないと、』
『ことは大事だ。幼仔の駆け比べを試す暇は無い』
『――!』
幼仔の、駆け比べ。つまり、わたしの持ち得る能力は実戦とは程遠いお遊びだと、一蹴されたのだ。身の程を弁えろ、お前は足手まといなのだと。
(駄々をこねてると、思われたんだ)
胸が、痛い。事実のひとつでもあったから。
『……』
『ワカバ』
沈黙して俯くと、頭上の美声がやや穏やかさを取り戻した。
『己をまったくの無力だと考えるな。ワカバにはワカバしか出来ぬ役割がある』
わたしにしか出来ない役割ってなに。こうして、何も出来ず幼仔扱いでずっと護られてること、それ以外にどんなのがあるっていうんだろうか。
(いちど突き放しておいて、どうしてそんなこと言うの)
むくれた心地半分、自虐半分な気分で彼を仰ぎ見ると、深緑の隙間から澄んだ湖面が柔らかく光った。
『それは――』
イヴァ三頭のアレコレ
年代
リョク(二十代半ばから後半)>蒼の(二十代前半)>ワカバ(十代前半から半ば)
脚力
リョク(ひとけりで百里オーバー)≧蒼の(瞬発型)>>>ワカバ(成獣でないうえ、人界育ちなのであんまり長距離走ったことが無い)
霊力量
リョク(騎者を見つけたイヴァの上限レベル)>>蒼の(元は多いんだけど今現在の状況的に少し少なめ)>|超えられない壁|>ワカバ(人界生まれ・育ちなので根本的に霊力不足)
行使スキル
リョク(騎者と過ごした時間が長く、全般的に練習経験多し)>蒼の(結界張るのはリョク以上に巧いけどそれ以外は不得手)>>ワカバ(癒しの霊力は得意だけどそれ以外はあんまり使ったことない)
ワカバが他二頭に色々劣るのは仕方ないんですが、本人は納得出来てないようです。




