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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第七章
79/127

※この世界の飲酒可能年齢は十八歳からです

そして、人界霊獣は下戸かお酒に弱く、天界霊獣はザル並びワクだというどうでもいい裏設定があります(本当にどうでもいい設定だな)


 テスが買ってきたビールとオツマミは、食後にちょびちょびと二人で平らげることにした。テスはそんなにアルコールが得意じゃないけど、わたしは結構いけるほうだ。酒豪と称される人間以上には飲める。本性時の毒や弱点さえ除けば、なんでも食べられるしなんでも飲めるのが、霊獣が人型に転じた際の利点でもある。獣形体だと酒精は体内に取り込めないけど、人型だとわたしの場合ほぼ際限が無い。二日酔いにさえ、あんまりならない。従って果実酒以外のお酒を飲むときは大抵、わたしひとりで空にするのが常だったのだが。

 今回は、テスのほうが酔いたい気分だったらしい。さっきから、慣れないビールばかり口に運んでる。飲みすぎないように丁度いいところでストップかけないとな、と注意しつつ、わたしもそこそこに付き合った。



 ビールを飲みつつ、クラッカーを自家製ディップやサワーチーズに浸けて齧りつつ。ほろ酔いなテスの唇から出てくるのは、やっぱりアルセイドさんの話題だ。

「あのルギリア建国史に伝わるエルフの偉人『瑞獣と征くもの』のたった一人の孫、か。そりゃ『只の』人間じゃないわよね」

「妖精の純粋種に近い人間ってのが驚きだけど、そんなことあり得るの?」

「純エルフは寿命がとにかく永いし生殖能力も低い分、古代は特殊な慣習が多々あったらしいし。きっと、あたし達の常識じゃ計れない経路も含まれるんでしょうね」

「ふ~~ん……」

「ワカバ、頷きながらあんまりわかってないでしょ」

「えへ、バレた?」

「バレバレよ、ワカバの『わかってる』振り見続けて何年になると思ってるの」

 アルセイドさんは自分の家柄だとかを詳しく語らなかったけど、家族名――イヴァニシオンという名称は早々無い――から、テスはその正体に勘付き、わたしにこっそりと予想を話してくれていた。精霊学を学ぶ現役の大学生として、人界に伝わる伝承の類には敏感なのだ。「本人から語ってくれるまで、指摘するのはやめよう」と二人で取り決めもした。だってテスの予想が本当なら、アルセイドさんはとんでもない有名人の縁者ということになる。個人的なことだし、勝手に詮索されるのはきっと心外だろう。

 何より。

「アルは見かけより、優しいひとだから。これ以上、気を煩わせたくないの」

 一口二口飲んだ缶ビールをテーブルに置き、テスは少しだけ俯く。瞳の潤んだ表面が、酔いでないものに揺れてさざめいた。

「だって、あたしが確実に出来るのって凡人らしく場の空気読むことくらい、だもんね。『きじゅうじゅつ』やらは勿論持ってないし、知識だってまんま学生の勉強レベル。アルと話して、つくづく思い知ったわ」

「テス、歴史上の偉人のお孫さん相手にあんまり後ろ向きにならないで」

「あらそうだったわね」

 軽口めいた風にそう促せば、濃褐色は柔らかく微笑んだ。そして、小さな唇からふうと溜息が洩れる。

「ネガティブには、なりたくないけど。あたし、ワカバがいなくなってからずっとアルとリョクさんにお世話になりっぱなしで」

「……」

「そんな恩人相手に満足にお礼が出来て無いことが、ちょっと気になってるのよね」

 テスの言う通り、事件が形ばかり収束してもどうしても拭えないもどかしさがある。「これは我が一族の大事でもあるゆえ気にすることではない」とリョクは言い、アルセイドさんも「俺ら個人的にやりたいことやってるだけだからお礼とか感謝とか要らないよ」と続けていたが、真に受けるにしてはもらったものが大きすぎた。

 テスもわたしも、わかってる。アルセイドさんもリョクも、わたし達に対し未だ視えない遠慮を持ってることを。あのひと達がふと向ける視線には、こちらが把握しきれない正体不明の熱がある。きっと、何かを欲しがっているのに遠慮して切り出せないでいるんだ。

 遠慮する必要なんて、無いのに。

「受けた恩を少しでも返したい、なんでもしたいのに。だってそれだけのことをしてくれた――してくれてるんだから」

「……うん」

 濃褐色の瞳には、居間の柔らかい灯りが反射して光っている。いつもよりアルコール度数が高めのものを飲んだせいか、酔いの速度が早い様子だ。焼けた頬が赤く染まっている。外は暗がりで、真夏の夜特有の蛙の鳴き声と涼風が木立を吹き抜ける音だけが響く。鼻に感じるお酒の匂いと、家の中の匂い。すぐ近くの、温かな息遣い。

 今こうして何事も無かったかのように浸っている、家族との穏やかな時間。一度は失いかけたそれを取り戻し、今もそのために立ち働いてくれているひと達がいる。彼らの苦労を、手間をかけた行動を、わたし達は甘受しているだけでいいのか。気持ちだけは際限なく膨れ上がる。実際の状況は到底追いついていないのに。

「でも、あのひと達は云わないのよね。廃荷のお野菜あげたくらいじゃ、到底足りないのに」

「……そうだね」

「どうしてあたしは無力なのかしら。お礼も手助けも、満足に出来てない。こうして今も、帰りを待つだけ。下手に動くと足手まといになっちゃうから我儘も通せない。彼から……あたしに望んでくれない限り、何も出来ない」

 くい、と白い喉がお酒を呷った。酒気の混じった熱い吐息。


「あのひとにだったら。あたし、なんでもあげる、のに」


 同時に零される、泣きそうな恋の音色。

 わたしはそのことばに何も返さず、黙ってクラッカーを口に運んだ。

 テスの瞳に映るのは、黒髪と緑の瞳持つあの青年。そして胸の中を広がるのは苦しみながらも熱く激しく、甘くも優しいきれいな想いだろう。

 なら、わたしの瞳に映るのはどうしてあのひとなのか。そして、快いばかりでなく、ひどい痛みと薄暗い染みが胸中に広がっていくのはどうして。


 どうして、わたしの恋はこんなに醜いのか。


◆ ◆ ◆


『我輩は人界に降り立ってより四十余年、人型に「慣れる」期間を必要とした。騎者どのと離れても人間の界隈にて最低限の単独行動が可能まで、おのれを「慣らす」ため人界にて通常生活の殆どをこなした』

 わたしよりも身体の大きな、脚力も霊力も高い成獣たる雄。深い森を思い起こさせる髪が、人型の造形に見事に似合っている。本性のすがたでも、真っ先に目に付いた豊かな鬣。

 ずっと眺めていたい。

『鍛錬や捜索行動を重ねるうち、身体的にも精神的にも我輩は人界に慣れていった。生き易いよう、変容していったともとれる』

 深いふかいみどりいろ。それはわたしの持つ色と似ているのに、まったく似ていない。まるで過ごしてきた歳月の長さ濃さと比例するかのように。深緑の隙間から覗く湖面のような瞳も、わたしの及びもつかないような思慮と深遠、そして優しさを湛えて光っていて。

 ずっと見つめられたい。

『その間、様々な出逢いがあった――多くの別れもあった。幾多のいのちが通り過ぎた。その余波は我輩に様々な影響を与えた。しかれど芯に在るものは終ぞ変わらなかったゆえ、大事を及ぼすことは無かった。生まれ育った天の界においても、ここ人の界においても変わらずにいたもの、それは我が目的たる望み。如何な時間を置こうと、一族の失踪事件を必ずや解決に導くという決意』

 澄み渡った湖を縁取るのは、褐色の肌。なめらかで艶やかで、人型のどこか野生的な雰囲気持つ容貌にしっくりと合っている。知っている、本性のすがたでも体表の一部にその気配があった。光によって色彩を変えるのはわたしのものと一緒なのに、造形はどこまでも違う。しなやかで、強靭で、逞しくて。

 触れたい。触れて欲しい。

『そして、我が深遠たる心』

 生気溢れる立ち姿から響いてくるのは、からだの芯に静かに届くような低い声。決して声量が大きめというわけではないのに、喋り方も居丈高とは正反対なのに、わたしの耳は彼のどんな囁きも拾ってしまう。

 その声で、呼ばれたい。

『しかし今はその双璧たるひとつが崩れてしまった。――我輩の心は、変わってしまった』

 緑の髪が、湖面の双眸が、褐色の肌が。呼びかける、声が。


『理由は、つがいに出逢ったからだ。……ワカバ』


 わたしのすべてを、虜にする。


◆ ◆ ◆


 あれから案の定、お酒に弱いテスはあっという間に酔いつぶれた。


「テス、テス、起きて。こんなとこで寝たら風邪引くよ」

「うん、ねてないわよ。おきて、る。……」

「言った端から寝ないでよ~」

 ぐったりとうつ伏せた小柄な身体を抱き上げ、部屋まで運ぶ。人型の膂力が並みの人間以上にあって助かったと思うのはこんなときだ。ベッドに下ろして布団をかけてから、目を覚ました時用に水差しをそっと置く。明日の講義は午後からだって聞いたし、ちょっとくらいお寝坊してもいいだろう。

 すやすやと眠る家族を見下ろす。酒気でほんのり頬が染まりつつ、健やかに穏やかに夢の世界に旅立っているようだ。起きてるときはどことなく気が張っているように見える釣った目も、こうして瞼を閉じている状態だと目立たない。こんな完全無防備な顔はやっぱり、昔から変わらない。それこそ、生まれたときから。

(今まで、テスのこういった表情はとうさまとわたしだけのものだったけど)

 もうすぐ、その独占状態も終わりを告げる。――そう、テスはつがいを――人生の伴侶となり得る、大切なひとと出逢ったから。

「ちょっと寂しいけど、仕方ないね」

 小さく呟いて、部屋の電気を消しその場をあとにした。それ以上、テスの無防備な顔を眺めているわけにはいかなかった。


 そのまま留まっていたら、すべてを壊したくなってしまうだろうから。




「……」

 廊下を歩きながら、ひどくなる胸の痛みに耐える。乾いた紙に雨粒のように広がっていく真っ黒な染み。

(どうして、どうして)

 痛い。身体の奥から突き刺していくような痛みが、すべてを苛んでいく。

(いやだ、いや)

 苦しい。どうしてこんなに、わたしの恋は薄汚いの。

 自分の部屋に駆け込んで、扉を閉めてから顔を覆った。俯けば、馴染みの若草色が壁のように視界を覆う。ちっとも気分は晴れない。それどころか、自分のからだすべてが別物になってしまったかのよう。

 いや、これが本当のわたしなんだ。その自覚に消え入りたくなる。ここまで、自身が醜い雌だったなんて。

「……リョク、」

 いとしい言の葉。呼びかけるのは、慣れ親しんだ家族の名前じゃなく出逢って間もない同族の雄のそれ。

「リョク……ッ」

 それは、助けを呼ぶものでもなんでもなく、ただの雌の叫び。


「どうしてあなたのつがいは、わたしじゃないの」


 零れ落ちた恋の音色は、テスのと同じく泣きそうなのに。どこまでも自分勝手に震え、今ここにいないあのひとを責めている。


 あのひとは、言った。


『ワカバの役割とは、この場に留まっていること自体である』


 いとしい雄は、


『どうか……この場に、留まっていて欲しい。我輩の将来のつがいたる雌に、息災であって欲しい』


 愛するあのひとは、


『ワカバがこの家屋に留まっているだけで、我輩の心は救われる。そのことを、忘れずにいて欲しい。それが、つがいに出逢った我が心の在り処でもあるゆえ』


 リョクは、


『頼む』


 わたしに、他の雌を護れと言ったんだ。


◆ ◆ ◆


 リョクは、テスの名を時々言い直していた。「テスどの」じゃなく、最初は「伴侶どの」と。それはたぶん、一族のつがいへの呼び方なんだろう。

 だって、あのひとはどこまでもテスを大事に扱う。違う種族なのに、逢って間もない人間なのに、不自然なほど気を遣って接している……ように思う。そして呼び名の言いなおし。それが意味するすべてを察せないほど、わたしはリョクに無関心ではなかった。

『伴侶どの』

 あのひとが、テスをその呼び名で呼ぼうとする。その様子を見ているのが、苦しい。いや、いやなの。あなたが他の雌をそう呼ぶのが。わたし以上に、優しくするのが。もう、どうしようもないとわかってるのに。わたしが恋した唯一の相手は、もう他の雌に恋してる。滅茶苦茶に苦しくなって、今まで感じたことも無い激しい感情がいっぱいに膨れ上がる。

 お願い、こっちを見て。わたしを、好きになって。わたしにとって、つがいとなって欲しいのはあなただけなのに。どうして、あなたは他の雌をつがいに見出してしまったの。ひどい、ひどい。

 そんな理不尽で自分勝手なものが、彼を覆い尽くそうと醜く蠢いて。

 なのに。

『ワカバ』

 そう呼ばれただけで、すべてを飲み込んでしまう。

『頼む』

 その一言だけで、薄汚く醜い恋する雌は、物分りの良い雌の顔を被る。

 あなたが望むなら、わたしはなんでもしてしまう。



(認めなきゃ、いけない)

 物分りが良い振りをして、実際のところはどこまでも引き際が悪い。幼仔の分際で、成獣の真似事をしたがり駄々を捏ねる。

 でももう、我儘はやめにしなきゃ。

(リョクが見初めた相手なら……、わたしは、言われた通りにしなきゃ。テスはアルセイドさんのほうに惹かれてるみたいだけど。リョクがつがいになってもらうようこれから働きかけるつもりなら、協力しない、と)

 心はもう、引き裂かれそう。大切な家族の幸せを望むものと、愛する雄の幸せを望むものと。そして、叶わない恋に立ち竦むもの。

 苦しい。

「でも、やらなきゃ。きっと、うまくいけば、テスだって幸せになる」

 そう、思い込む。



 部屋の扉の前に座り込んで、ぐすぐす泣いていた身体を奮い立たせる。もう泣き止まなきゃ。だって、今もわたしの役割は続いてる。

(テス、ごめん。初めての恋を、応援してあげられなくて)

 今はテスのことばを黙って聞いてはいるけど、リョク達が戻ってきたらわたしは多分、変貌する。愛する雄の望むままに、テスを彼のつがいとさせるべく行動するだろう。大切な家族の幸せを願うこころは本物なのに、それを呆気なく凌駕する自身の恋心。

 なんて醜い。これが、今まで知らない振りをしてきたわたしの正体。

「ほんとうに、ひどい雌」

 すべてを飲み込んであのひとに尽くすのは、無償の愛情とかいう高尚なものではない。ただ単に、あのひとの脚運びに追いつきたいから。なのに、永久に追いつけないから。

どうしても、この恋は実らないと識っているから。


(わたしって、汚い。そうして、少しでもリョクに良く思われたいって感じてる)


 どこまで醜い雌なんだろう、わたしは。






※もちろんリョクの言いたかったことは「(騎者どのの)伴侶どの」ということです


テスもワカバも経験値がマイナスなうえに天然気味なところがあるので、アルセイド達の遠慮(笑)の正体に気づかないし、ワカバは幼い獣らしく単純な気性も持ってるので、リョクのちょっと遠まわしな言葉(照れ隠しも含む)を変に誤解しちゃったんですね。


形ばかりシリアスですが、まあ内実はそういう感じです

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