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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第三章
27/127


「いや、やっぱアレだよ、女のコって言ったらおっぱいでしょ。あのふわふわ感。むちむち感。大きさはどうでもいいなんてキレイごと言うヤツぁ、俺は信用しねえことにしてるから、うん。ある程度のボリュームは必要だよな。……あ、でも形か感度がイイならちっぱいでも構わんかも」

「雌として重要なのは仔を生むことだ。従って乳房よりも臀部が我輩としては目がいく。やはりある程度の骨の丈夫さ、肉付きが求められる。安産型であることこそ肝要。……しかれど未発達且つ前途有望か、良い筋力を宿すなら多少小振りでも構わない」

「いや、おっぱいだろ」

「臀部を支持する」

「断固として胸派を強調」

「尻党を生涯掲げる」

「爆乳、巨乳、美乳、貧乳、微乳、こんなに呼び名たくさんのおっぱいってサイコー!」

「桃尻という最高唯一の言語を知らぬのか」


「きみら俺の家で猥談繰り広げるのやめてくんない!?」


 茶葉を蒸らしながら泣きそうな声をあげるのは、天使の我が友である。馴染みの良い香りが、小さな家屋いっぱいに広がっている。

「お茶しに来てくれるのは本当に嬉しいんだよ? 我が親友が騎者を見つけたことも、連れて来て紹介してくれたこともとっても嬉しい。けど、なんでわざわざ猥談なの」

 色と香りの染み出した液体を温めた器に注ぎ、げっそりとした面持ちで溜息をつく友。白い翼がへにょんと垂れている。どうやら彼はこういう話が心底苦手のようだ。我輩らとしては心底真面目な話題のつもりだったのだが。

「天使にとって繁殖がための生殖行為は不要ゆえ、わからなくもないが……我が友は雌には興味が無いのか。尻には興奮しないのか」

「きりっとした顔で言ってること卑猥だよね?」

「そのくれー卑猥レベルにもなんねえって。それにイマドキそういう潔癖具合、流行らねえよ、エルさん」

 友の手から茶器を受け取り、違う種類の溜息をつくのは人間の青年――我が騎者どのである。緑色の瞳にはいつも茶目っ気とかたち無い覇気がある。

「エルさんって……なんなのその呼び方」

「だってエルヴィンって言いにくいし」

「それだけ?」

「うん」

「……人間もしばらく逢わないうちに変わったなあ」

 だはあ、とまた友は溜息をついた。ずずっと美味そうに茶を啜ってから、騎者どのは軽い口調で彼に言う。

「エルさんよう、草食系男子のつもりならやめときな。『自分草食系ですからァ硬派なんでェ』とか自称する腑抜けが昨今の少子化問題及び年寄りの『近頃の若いもんは覇気が足らん云々』を生み出してやがんだ。野郎なら陽気なスケベを目指せ。そりゃ当の女の子の前でそゆこと言ったりすんのはセクハラだし性的趣向無視したKY押し付け談義すんのは野暮だけどよ、なんとなくわかるぜ、エルさんぶっちゃけそういうの嫌いじゃねえだろ」

「なんで断言するの」

「わかるんだって。俺、人界だと一応精霊学の権威だから。天使が生殖機能もたねえのに男女分かれてるわけってそういうことだろ? ちげえの?」

「……」

「はい、つうわけで素直におっぱい萌えを主張すべきだぜ、あんだーすたん?」

「意味わからないから、それ」

 騎者どのは人界暮らしの人間なので、たまに我輩らが知らない言葉を使ったりよく理解できない言い回しをおこなったりする。

「騎者どの、草食系とはどういう意味だ? 我が友は物を食べずとも良い種のはずだが」

 上述の会話も大半が我輩には飲み込めなかったが、獣の通識でも引っかかる言の葉を拾い上げてみる。訊くと、騎者どのはぽりぽりと頬を掻いた。

「あー……なんつうか、うん、性的にフノウっぽいヤツのことをぶっちゃけてそう言うんだよ」

「ふ、不能ッ?! ちょっとまって、それなんとなくだけどすっごい理不尽!!」

 騎者どのを見る晴天の瞳が引き攣っている。我輩としても援護せざるを得ない。

「そうであるぞ騎者どの。不能など、雄にとって不名誉極まりない」

「うんうん!」

「例え打たれ弱くとも年齢の割りに性質が青くとも黒き天使どのの尻に敷かれていようとも、我が友は一応雄の部類である。例え大天使どのに接する姿が母親に纏わり付くこどもそのものであっても、我が友は立派な成体の雄である。従ってかのような不名誉な言い回しはやめるべきだと、我輩は思う」

「……」

 我が友は無言で床に突っ伏した。騎者どのの緑瞳が半眼になっている。

「きりっとイイ顔でとどめ刺したな、てめえ」

「?」

 本心から擁護のつもりで言ったのだが。項垂れた天使曰く「フォローになってないよ……っ」とのこと。そうだったか。


◇ ◆ ◇


 騎者どのと邂逅し、彼と共に駆け回るようになって数ヶ月が経過している。


 あの日出逢ってから、すぐに中層にすまう天使の我が友の下へと向かった。層越えなら急げば半刻とかからず可能だし、何よりもいの一番に報告したかったからだ。

『良かった……本当に良かった、俺としても嬉しいよ、おめでとう』

 涙もろいところのある友はやはりほろほろと泣きながら喜んでくれた。そしてその傍らで自己紹介を済ませた我が騎者どのは、物珍しそうに周囲を窺っていた。

『すげえな、天界に来たのもお初だけど天使ンちに来たのもお初。これ自慢出来るわーじいさんに』

『騎者どのは祖父御がおられるのか』

『おうよ。とんでもねえクソじじい様だけど、まあすげえじじいには変わりねえから、今度逢わせてやんよ』

 にいっと白い歯を見せて騎者どのは笑んだ。二本足特有の表情筋を使った笑顔は、本心からのものだと見ていてすこぶる気持ちがいい。特に我が魂の相棒が嬉しそうだと、余計そう感じる。

『祖父御を敬愛しておられるのだな』

 途端に人間の青年は笑顔を消して高速で横に首を振った。素早い手の平返しであった。

『いやいやいや、あんなクソじじい、誰がけーあいしますかってんだッ』

 我が騎者どのは、なかなか愉快な気性の持ち主らしい。




 それから程なく、念願の人界にもゆけた。やはりというか、思った以上に人界という場所は雑多な気配に満ち溢れていた。

『超自然区域ならばまだ下層に近いが……そこから離れるとだいぶ過ごしにくいな』

 騎者どのを背に乗せ、かぽかぽと人界の自然区域を闊歩する。背中に跨る相棒無くしては、この区域でも鼻づらを顰めたくなるほど大気が雑多だ。棲んでいるものも天のものとはだいぶ違う。どれもこれも小振りで小柄、そして言語を話せるものが少ないようだった。

『正直、獣にとっては生きにくい環境だ。霊気が薄いうえに様々な匂いが混ざっている。人界の獣は如何様に生活しているのか。特に嗅覚が鋭敏なたぐいのものは』

 鼻に皺を寄せながらふと浮かんだ疑問を口にすると、背に跨る二本足の相棒は答えてくれる。

『人界の生きもんは人界に適応してるからな。天界のと一緒で、その場に合ったカラダになってんだよ。要はワザと鈍感になるのもひとつの生き方ってこと』

『そういうものか』

『そういうもんだ』

 騎者どのはまだ納得してない風の我輩に、苦笑混じりに言い含める。

『そんなんじゃ、人間さまの棲息区域に入った瞬間ぶっ倒れちまうぜ?』

 確かに。




 騎者どのの祖父どのに紹介してもらったのも、それから程なくのことである。

 身体を人界の雑多な気配に慣らすため、天下層と超自然区域、余裕があれば霊気薄いただの自然区域に出入りしていた矢先のことだ。

 不意に指笛が響いた。鼓膜の外からも内から響く、不思議な音量で。

 これも新たに識ったことだが、騎獣というものは騎者の呼ぶ音及び強い思念を、おのずと感じ取れるようになるらしい。同じ界にいるのならどこにいても瞬時に反応し、その場に向けて地を蹴れる。そしてひとけりでかの下に到達出来るのだ。つくづく騎者と騎獣というものは何物にもかえがたい絆が存在するのだと再確認する。

 ともあれ、騎者どのの呼び音にいざなわれて我輩はひとけりでかのもとへと向かった。自然区域に囲まれた小さな二本足用の住居。その傍らにある平らな土の上で、待ち構えていたのは騎者どのと――彼の祖父どのであった。

『紹介すんよ。――俺の、じいさんだ』

 一目見て、わかった。


 人型種としては最高峰に、永き時を越えてきた偉大な存在。


『お目にかかれて光栄だ、強き脚の一族たるものよ。私の名はオレアード=アーク=エクティス=イヴァニシオン。この出来の悪い男の、祖父だ』

 響きが爽涼であるのに低く静かな声音でそう言って頭を下げる妖精の老人。かのものにそうさせるほど、我輩は価値のある存在でも齢を経ているわけではない。恐縮に過ぎると感じたが、それでも顔を上げた悠久のひとは至極満足気であった。どうして彼は、そんな顔をするのだろう。

 下層で逢った妖精の老女よりも、上層で見た高位天使らよりも永き時を生きてきただろう長老は、我輩に心底嬉しげに伝えた。

『騎獣よ、感謝する――我が孫と出逢ってくれたことを』

 感謝するのはこちらのほうだと言うに。



「じいさんはさ、見るからにアレだろ、只人じゃないってヤツ」

「……そうだな。我輩が及びもつかぬほど悠久の年月を越え、相当の齢と経験を得てきた方であられる」

「うん。なんでも軽く三千歳は越えてるらしいぜ」

 エルフの寿命というものは、つくづく凄まじい。

「そいでもって昔は『えるふれきだいくっしのぶじん』だったんだって。今はもう死んじゃったけど、じいさんの若い頃知ってるひとがそう言ってた」

 エルフ歴代屈指の武人。武人というのは、かの種における武技に優れたものの称名なのだそうだ。

「腹立つけどそれはホントみてえなんだよな。エルフは大昔の戦乱で知ってのとーり衰退してっけど、それ以前はけっこー人界で幅利かせてたせいもあって、文献やら口伝やらいっぱい残ってんだ」

 緑眼が面白く無さそうに歪められる。

「じいさんの若い頃の通り名は『騎獣の友』、人間のあいだで知られてるのは『瑞獣と征くもの』。あのクソじじい様も騎者だったんだよ、しかも戦場でブイブイ言わせてた超有名人。激ムカつくけどエルフ全体の歴史においても有数の武人で、しかも人間さまの教科書に載るくれーの偉人」

 我輩らと同じく、かの長老どのにも騎獣が付き従っていたらしい。そして人界全体においてもかなり名を馳せているとのこと。我が騎者の縁者はかくも素晴らしい人物なのだ。

「今となっちゃ絶滅寸前の純エルフだから歴史の生き字引兼稀少生物だし、もうやっこさんの評判ときたら良いのから悪いのまで数えたらキリねえ」

 しかし祖父どのを語る騎者どのの顔は渋い。有名人の縁者というのも、楽ではないらしい。

「そんなわけだから、学校に通ってた頃は連日『じいさんのサインくれ』『じいさんに弟子入りさせろ』『じいさんと決闘させろ』ってうるさいのに付きまとわれてめっさウザかった。じいさんはじいさんで飄々としてるし。腹真っ黒なクセして猫被りやがるときもあるし。あーやっぱイケメンはこの世から滅すべし」

「騎者どの、いけめんとはなんなのだ。いい加減教えてはくれぬか」

「俺の生涯における撲滅対象」

 そんなきりりとした顔で言い放つとは、よほどいけめんとやらは(彼にとって)悪い言葉なのだろう。やはり探らないでおくべきか。

「とにかく、チートって卑怯だよな。純エルフのくせにイヴァ付きなんて、相手にとっちゃこれなんて無理ゲー?って言いたくならあ」

「ちーと? むりげー?」

「あーつまりはムカつくってこと」

「?」

 未だに騎者どのの使用する言葉は不明なものが多い。

「じいさんのチートっぷりは置いといて、俺はお前に逢えて超気分イイわけ。天界に着いたしょっぱなから本物イヴァ見れたーと思ったら、それが俺の騎獣だったなんてな。今更だけどすげえ確立の幸運だよ、うん。マジ天文学的」

 出来すぎってくらいだな。そう揶揄めいた口調で言いながら、騎者どのの声音と表情は裏腹だった。深くも澄んだ色合いの緑が、きらきらと周囲の光を集めて瞬いている。我輩の鬣と同色の輝き。

「俺は、本当に運がいい。神サマなんざ信じてねえが、それでもちょっくら誰かに言いたくなるくれーだよ。あんがとって」

 そんな騎者どのの言葉を聞いたら、ふと感慨に包まれた。

「――我ら一族は天の獣ゆえ、僥倖に感謝するときは最上層におわす始祖に祈る。我輩は騎者どのに出逢えた時、すぐにかの存在へと思いを馳せるべきであった」

「……何、祈らんかったの?」

「……うむ」

 なぜであろう。あの時我輩の脳裏に浮かんだのは、始祖たる存在ではなかった。

「思ったのは、我が友を始めとするこれまで出逢った生き物らへの感謝であった。――母御、養父どの、養母どの、幼馴染ら、群れの連中、他同族。そして天で出逢った他の獣ら。友と呼べたもの、敵として相対したもの。妖精や天使ら二本足の輩も次々と思い浮かんだ。騎者どのを背に乗せ、我が友に真っ先に報せに行ったのも彼にいちばん世話になったと感じていたからだ。……我輩は、」

 我輩は、天の獣である前に。大切なものを大切に感じるだけの、ただの雄だ。これまで駆けてきた道を辿り、懐かしみ、恩恵に報いたいと感じる。感じるそのままに行動したいと願う。

 だから。

「すべてに、感謝している。勿論、騎者どのにも。騎者どのを育ててくださった祖父どのにも。その環境、すべてに」

 人間の青年の象牙色の肌が、少し赤くなった。

「お、大袈裟だっての。てめえはたまーにクサい台詞真面目に言うよな」

「そうか?」

「そうだよ」

 騎者と騎獣はそこでふと微笑みあった。


◇ ◆ ◇


 二本足の外見の区別が未だつきにくい我輩であるが、騎者どのらのお陰で人間とエルフの違い程度なら把握出来るようにもなった。どうやら、耳朶が小さく丸い形状なのが人間で、やや大きく伸びて先が尖った形状なのがエルフらしい。そしてなんとなく、抽象的な表現であるが持つ空気も違う。エルフは純粋種に近ければ近いほど独特の威容を持っているのだ。視線を合わせただけで身が引き締まるような、まるで彼らが手にしている武器霊具を思い起こさせる、迫力めいたもの。対して人間はそれが薄い。

 騎者どのは人間であるが、祖父がエルフの純粋種であるせいか特殊な人間でもあるらしい。なんでも、実年齢はまともに数えると凄まじく永いものになるそうだ。それこそ、エルフ並みに。

「アルセイドは少々特殊な性質を持つゆえ。肉体の成長速度と老朽化が遅いのだ」

 模擬刀、と称される木で作られた武具を手入れしながら、エルフの長老は我輩に説明してくれた。様々な匂いと空気が織り交ざる、妖精の邸宅。不思議な居心地ではあったが、不快ではない。内部は見かけよりも広く、でかい図体の我輩でも玄関さえ潜れば自在に闊歩出来る。

「あやつの寿命がどの程度になるのか、私とて判断がつかぬ。何せ生まれてから数百年は立つことすら出来ぬ赤子のまま過ごした。そして幼少のみぎりは戦乱の只中。あやつの最古の記憶があるのはその終盤辺りからだ」

「薄々感じてはいたが、騎者どのは我輩より遥かに年長なのだな。本人はあまり意識してはいないようだが」

「ああ。あやつはおのれの年齢も詳しくは把握しておらん。少なめに見積もって千年以上だとはわかっているようだが」

 武具の手入れを済ませたあと、長老どのはそれを片付けて別の箇所に移動した。広い家屋は幾つかの部屋に分かれている。だいどころ、と称されるその一室に入り、幾ばくもしないうちに平たいものを抱えて戻ってきた。良い匂いが漂う。

 平たいものに載せられていたのは、我輩が好きな蜜スグリと甘い匂いのけえきであった。丁寧にも、動物の卵が入っていない食材でこの長老エルフが製作してくれたのだ。「じいさんは腹立つくれーになんでも出来るじいさんだから」という騎者どのの言葉が過ぎった。それは嘘では無いらしい。

 ちなみに今現在騎者どのは外出中である。最近知り合った雌と共にでえと、とやらをしているのだそうだ。つがいなのかと聞いたら「違うけど年頃の男ならトーゼンの付き合いだし」と言っていた。彼の祖父曰く「数週間から数ヶ月程度で別れるゆえ好きにさせておけ」とのこと。そういうものなのか。

 ともあれ、人界に来てからの楽しみのひとつはこうした加工甘味を食することだ。けえきの他にも「くっきい」や「ふるうつぱい」「ぜりい」「ばばろあ」も作っていただいた。至極美味かった。人界の甘味万歳。

「感謝する」

「ああ」

 ほくほくと好物を頬張る我輩、それを見つめる長老どのの双眸が心なしか和んでいる。彼は孫である騎者どのと違って感情をあまり表に出さない性質のようだが、それでもよく見れば青紫色の瞳に浮かぶものは豊かな気がする。孫と揃いの色の肌以外はあまり造形が似ていないと感じてはいたが、たまに血の繋がりを感じさせる空気を漂わす。共通点は性根に素直な言動であろう。

 共に一服して人心地ついた頃合い、長老どのは静かに言った。

「私の孫が――アルセイドがどの程度の寿命なのか、どのように生きてゆくのか、それは誰もわからない。色々と、前例の無い生い立ちを持つゆえ」

 至高の鉱物を想起させる青紫が、何かを堪えるようにわずかに歪む。言いたくない、思い出したくも無い事象を、それでも仕方なしに掘り起こそうとするかのような険しい表情。

「アルセイドの生い立ちをあやつ本人に話すには、相応の覚悟を必要とする。他の誰もない、この私が耐え切れるかどうか。二千年以上経つというに、まだ私自身が乗り越えていないのだ、情けないことだが」

「……?」

 どういう意味だろうか。生い立ちを話せないのは騎者どのでなく、祖父どのが辛いからだと、そう言っておられるのか。

「あやつも衝撃を受けるだろうが、恐らくは乗り越えるだろう。私の孫はそれだけの毅さを持つゆえ。――弱いのは、私だけなのだ」

 そう確信めいた口調で言う妖精の武人はほの苦く笑っていた。

「なあ、気高き獣よ。お前ならば耐え切れるか」


 自身の孫が、妻と子が関係して生まれた不義の子であるという事実に。





 古代より更に時を遡った超古代、エルフと人間は少々特殊な関わりを持っていた。

 なまじ外見及び性質が似通っていたがため、戦ばかりでなくその他諸々においても密接な繋がりがあったらしい。

 そのひとつが、政略婚姻である。

「私と妻は――リラは。そうして出逢い、結ばれた」

 リラ。彼のつがいの名だ。そして騎者どのの二つ目の名。騎者どのの祖母は生粋の人間であったらしい。

「子も生まれた。エルフの男子だ。私に、気味悪いほど似ていた」

 青紫の視線が、窓に向けられる。そこから見えるのは妖精の邸宅に備え付けられている小規模の庭である。平らにならされた部分に植えられた植物。蕾がついているようだが、花が咲く様子ではない。

「生まれた子は、私の妻に恋をした」

 口調も表情も静かであったのに、豪雨が吹き荒れるような声音だと感じたのはなぜであろうか。

「私が徴兵された合間、妻と長期に渡って二人きりとなり、無防備な妻相手に衝動的な慾が抑えきれなかったらしい。まだこどもであったのに身体は早熟で、知能が高かったゆえ巧妙に行動を起こしてしまい、そして……アルセイドが生まれる運びとなった」

 彼にとって赦し難く耐え難い事実。ただ、たったひとつ救いであったのは。

「リラは、私の愛するひとは。そのことに気づいていなかった。最期まで、アルセイドを私との間の二人目の子だと信じていた。彼女は人間であったゆえ、想像もつかなかったのであろう。まさか実の息子がおのれに恋情と男の欲望を抱いていたなど」

 ふ、と老人の口元に自嘲めいた笑みが零れる。

「エルフという生き物は難儀なものだ。人間と限り無く似ている癖に、限りなく相違が存在する。寿命も、肉体特徴も、それに付随する精神的感覚も。罪深きはそれを想定しておきながら何も対処せずことを赦してしまった、私自身」

 風が窓から吹き込んだ。さら、と薄い色の髪を靡かせる。ふと感じた、彼は若い頃、相当に立派な外見の雄だったのではないか。今も至極威容をまとっているが。

「ゆえに、これは罰なのであろうな。愛する存在につかざるを得なかった最大最悪の嘘。それこそ生涯私が抱く罪。仕方が無いと割り切るには、私は些かリラを愛しすぎていた」

 どれほどのものであったのだろうか。最愛たるものに、すべてを隠し通すほどの決意というものは。そして、他でもない不義をおこなった実子に対する感情というものは、いかほどのものだったのか。

「私の子は、おのれの所業を自省しすぐ家を出て行った。ゆえに、それからどうしているかは知らぬ。今生きているのかも不明だ」

 長老たるエルフは立ち上がって、窓を塞いだ。吹き込む風が強風になりかけていたからだ。

「リラは。最期まで、気にかけていた」

 何を、とは聞き返さない。窓枠に置かれた彼の手が、血管が浮き出るほどに握り締められていたからである。こちらを振り返らない二本足の長身、その肩にわずかに震え。搾り出すような、嫉妬に焼き焦がれる男の声。

「私の妻は……ッ、卑劣な手でおのれを犯した男を、最期まで大切におもっていたッ」

 悟る。身のうちに刻まれた恋というものに、歳月の磨耗などあり得ないのだと。




「――見苦しいところを見せたな、済まない」

「いや」

 しばらくのち、振り返った長老エルフの顔に激情の色は無かった。いつもの端然と静かな威容をまとわせ、ゆっくりと席につく。

「アルセイドが特殊な性質を持つのは、そういった事情によるものなのであろう。人間と純エルフの合いの子と、その実母である人間。その血を更に掛け合わせ生まれたゆえ、通識では及びもつかぬほど特異な生き物になったのだ」

 ふう、と長老どのの薄い唇から息が洩れる。茶を飲んで喉を潤してから、彼は続けた。

「事実を、すべてをアルセイドに話すべきだとは思う。あやつは好奇心旺盛で行動域も広いゆえ、遅かれ早かれ自身の真なる異様さに気づく。今はさほど気にかけていないようだが、いずれは勘付く。そして悩む運びとなろう」

 青紫色の形よい両眼が伏せられる。髪と同色の睫毛が瞬いた。

「私が生きているうちに、あやつに話さねばならん。私が死んだら、今度こそあやつは一人で取り残されるゆえ」

 長老エルフは、悟っている。孫が抱える、複雑な感情を。そして理解している。自身の立ち位置の重要さと……残りの命数を。

「私にはもう、時間が無い」

「――」

 何も言えなかった。

「ゆえに、今宵あやつが帰宅したら話そうと思う。そこで騎獣よ、年寄りの頼みを聞いてくれぬか」

「――なんだろうか」

 今もなお亡きつがいへの激しい恋情に苦しむ雄は、泣きそうな声で言った。


「孫の傍に、いてやってくれ」



 その夜、騎者どのは祖父に呼び出されて部屋にこもった。そしてその直後、激昂して家を飛び出した。そうして数日、祖父と口を利かないほどに消沈した。

 我輩はずっと傍にいた。ただの、騎獣として。



 あとからした、我輩と騎者どのの会話である。

「俺さ。ぶっちゃけじいさんのこと、キライになれねえんだよな」

「……」

「なんでだろな。ずぅっと嘘つかれてたのに」

「……」

「こんな重てえ事実をさ、今の今まで黙ってやがったのに。しかも自分が古傷抉りたくないからって理由だけでさ。それって卑怯じゃね?」

「……」

「それでもさ、どうしたってキライになれねえんだ。なんだかんだ言って、じいさんは俺のじいさんなんだ。小せえ頃からずぅっと傍にいてくれたんだ。意地悪じじいは意地悪じじいのまんま、千年以上――いや、正しくは二千五百年以上か。それほどの年数をずぅっと俺の傍で過ごしてくれてたんだ。逃げも投げ出しもしねえで、ずっと」

「……」

「俺はそれにずっと、救われてた。だから、」

「騎者どの、」


「もう楽にしてやんなきゃな。あのクソじじいがあの世でばあさんと……母さんと心置きなくいちゃついてられるくれーには、俺も幸せになんなきゃなって思うんだ」


 泣きながら、母譲りの緑の瞳は輝く。今ここにいない大切な家族を思って。

「で、母さんに負けねえくれーイイ嫁さんもらって、じいさんに自慢してやる。どーだ俺のハニーだぜかわいーだろってな」

「……長老どのも、張り合うだろうな」

「へへ、負けねえよ」

 騎者どのは立ち上がる。長い剣を腰に差し、落ちないように備え付けの紐を帯に通す。祖父から譲り受けた家宝である。今や人界において数少なくなった武器霊具。

 それを携え我輩の背に跨る騎者の瞳に、もう涙は無かった。

「じゃあそろそろ征くか」

「うむ」

 騎者どのに授けてもらった唯一の呼び名、それを合図に我輩は地を蹴る。

「頼むぜ、リョク」

「うむ。征くぞ騎者どの」

 二身が共に在るならば、どこまでも征ける。



 妖精の長老どのが命数を終えたのは、我輩と騎者どのが出逢ってから丁度一年の周期を迎えた頃であった。


 その日、庭に咲いていた花が芳しい香りを邸宅の周囲に漂わせていたことを、今でもうっすらと思い出す。長老どのがつがいと一緒になった当初、彼女のためにみずから作ったという花壇。そこに植えられた最初の苗木から種子を採取し、一からまた栽培し直したという草花。確かその名称は「聖丁香花ひじりはしどい」と言ったか。

 騎者どのの実母の愛称が、その別称そのものであったらしい。

 花の見かけは儚くも清楚可憐で、根本には強かさも併せ持つ。そして何より芳香が良い。


 薄紫のその花の名は、リラ。



オレアード=アーク=エクティス=イヴァニシオン(じいさん)・・・享年は3059歳。純エルフとしては普通~まあまあ長生き程度。別作品『Lila』の主人公のひとりです。彼を構想していた時、「このじいさんの若い頃がツンデレだったら面白いな」と思ったのが『Lila』の始まりでした。試しに冒頭の二話を書き終えてから、なんだか楽しくなってずるずるとまた話が広がってしまったので、出来た分を公開しようと欲したわけです。いやーオレアード様様デスナー(棒読み)



彼がどういう風にリョクと自己紹介を済ませたのかは、拙作「丁香花の君」の最終エピソードに載せてあります。

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