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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第三章
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挿入閑話・ある妖精の恋心

新婚当初のじいさんと嫁さん

 華花梨はなかりん、と称される植物がある。

 天界全域及び人界の一部に生える植物で、見た目は薄紅色の花梨そのものだ。花の芳香が非常に強く、開花時期になると遠くにまでそれとわかるほどの匂いが漂うため、天界や自然区域において一種の待ち合わせ場所や目印ともなっている。

 そして妖精は、これを用いて香料を作ったりする。


「華花梨の石鹸を、箱詰めで十二……ですか」

 手元の台帳を眺めながら驚いたように声をあげる少年エルフ。

「……なんだ、不都合でもあるか」

「あ、いえ」

 オレアードが無表情でぎろり、と見下ろすと少年は肩を竦めた。少しノリが軽い箇所はあるがすこぶる物分りが良く、害意の無いエルフなのである。問題は石鹸の購入を新しく申し込むだけなのに無駄に威圧感を放っているオレアード自身にある。

「いつもの食料品と日用品。それに香料石鹸ですね。了解です。明々後日お届けに伺います。あと、石鹸はダースでお買い上げなので特典としてソープディッシュが付きます」

「ああ」

 控えをとってからぱたん、と分厚い台帳を閉じた少年は、早速帰り支度を始める。しかしちらっとその視線が背後に向かうのを感じ、遮るように身をずらせた。この小僧は害の無いエルフではあるが、如何せん小僧である。案の定、がっくりと項垂れたようだ。

「そ、それでは」

「ああ」

(エルフならエルフらしく里で女をひっかけろ)

 そう思う。ちなみに自分自身のことは見事に棚に上げているオレアードでもある。



 定期便配送の少年が集落へ戻っていった直後。

「あ、の」

 か細い声が、二階へ上がろうとしたオレアードの背後からかかった。少女の高くて小さな声。それが鼓膜に入った瞬間、武人エルフの屈強な全身が強張る。

「――」

(声を、かけられた)

 その事実だけで動けなくなってしまう。

 動けないオレアードに近寄る、背後の息遣い。軽い体重を乗せる足音。

(ちかよって、)

 動けない。だって、心臓が破裂しそうだから。顔が熱いから。

「先ほどのかた……落し物を、されたようなのです、が」

 近く聞こえる声。芳しい気配。あのひとが、近くにいる。

「これ……」

 そっと視界に入り込む、小さな手。細い手首。腕。そして、肩。

「あのう……?」

 覗きこまれる、そのひとの、顔。さらりとした黒髪と――潤んだような緑色の瞳。


 苦しい。


「――ッ」

 ばっとその小さな手から、ちっぽけな布を奪い取った。刹那触れ合った指先に、どうしようもない熱。

「!」

 驚いたような緑の瞳と視線を合わすことなく、オレアードは逃げるように歩く。背後に感じる戸惑った雰囲気。それはそうだろう、落し物を差し出しただけなのにこんな振る舞い。けれど何も言えない。心の中で、そっと謝るしかない。

(すまない)

 そのまま玄関を通り抜け、走る。涙が出そうなのは、きっと乾いた空気の中瞬きもせずに疾走しているせいだ。そうだ、そのせい。

 あっという間に自転車の少年に追いつき、その籠に布を叩き入れる。姑息な手段を使いやがって、の意で睨みつける。そうやって少年を青くさせてからすぐさま家に取って返した。

 走りながら、どんどん心臓の音が大きくなる。

(はじめてだった)

 喉が痛い。これはきっと、全力で走っているせいだ。

(はじめて、あれからわたしに、はなしかけ、)

 胸が苦しい。これもきっと急激な運動で身体が負荷を訴えるからなのだ。

(――)

 これほど自分が無様なのは。

 彼女から声をかけられただけ、それだけだ。なのにどうして。

 たったそれだけのことでこれほど動揺して、心がかき回されているのは、どうしてなんだ。


「リ、ラ……っ、」


 きみが、すきだ。

 玄関の前で立ち竦み、扉に手をついてオレアードは静かに泣いた。家の中にいるひとを想って。


 人間の王族や、国家元首にも繋がりのある特殊な称号持つ武人エルフ。かのもとに政治的な意で嫁いできた小さな人間の少女。彼女は、無愛想な政略結婚相手の真意に気づいてはいない。

(言えやしない)

 出逢ったその日から、夫が自分に激しい恋情を抱き、ずっと焦がれ苦しんでいるなんて、そんなこと彼女は知るよしも無いのだ。だって彼女はすべてを義務だと思っているのだから。かつて人間が嫌いと公言していた男、偏見に凝り固まったエルフのすべてを打ち砕いて作り変えてしまった事実に、彼女は気づいていない。気づかなくていい。だって、おのれは彼女に愛を請えないのだから。ましてや。

(乞うことなど……)

 自嘲し、オレアードは雫を乱暴に拭って玄関を通り抜けた。



 人間社会からエルフの家に嫁いでから、二十日目である。まだ色々と慣れない箇所はあるが、生活様式の雰囲気はつかめてきた。

 リラはその感慨で浴室を見渡す。大柄なエルフの邸宅らしく、とても広い空間だ。浴槽はリラが溺れない程度に浅めだったが、とにかく幅が広い。そこから湯をくみ出して身体を洗う際、こんなに贅沢にお湯を使えていいのかしら、と余計な心配をした。

 何はともあれ、エルフの家はかしこが人間の様式とは違う。

(……あら?)

 ふと気づいた。いつもの真鍮の石鹸置きが、もうひとつ増えている。

 嫁いだ当初はひとつだけだった。そこに置かれたなめらかで使い心地の良い石鹸を使用して、身体を洗っていた。しかし。

(新しい石鹸、かしら)

 色の違うものが、増えている。形跡からして未使用とわかるほど真新しい。手にとってみるとほのかに芳香がした。何か違う用途の石鹸なのだろうか。

(けど、凄くいいかおり)

 嗅いでいると自然に笑みが零れるような。すっきり清涼なのに甘くて物柔らかで。元は何の香りなのだろうか。色も乳白色に上品な薄紅を溶かしたといった風情で、とても綺麗だ。

「……」

 ちょっと考えて、しおしおと石鹸置きに戻した。勝手に使ったら怒られるだろうし、と判断したのだ。エルフの夫は未だにちょっと言動が居丈高で不可解で、怒りっぽいのだ。

 嫁ぐ前から聞いてはいた、彼は人間が嫌いだと。だから人間である自分を厭わしく感じるのは仕方ない。態度がつっけんどんであるのも、不可抗力なのかもしれない。

(……けど)

 彼自身は、とても優しいひとだ。その事実があればこそ、リラはこの家でこうして心地よく過ごしていられる。広くて暖かくて清潔な家。ここでこうして幸せめいたものを感じ、平穏に過ごしていられるのだ。

「――」

 脳裏に夫の美しい横顔が過ぎり、ほんのちょっと切なくなった。自分は彼にとって良い妻であるのだろうか。




「なぜだ」

「え」

「なぜ使わなかった」

「あの、何を、でしょうか」

「愚図が。あの石鹸をだ」

「せっけん……あ、そのう、使ってもよろしかったのでしょうか」

「何度も言わせるな」

「は、はい。申し訳ありません」

「謝るなッ。……お、お前は黙って与えられるものを使用していればいいだけの話だッわかったか!」

「は、あ」



※華花梨の香料付き石鹸は女性への贈り物になると同時に、恋人や夫婦間においては「これを使ったあなたを抱きたい」という少々遠まわしなお誘いにもなったりする。

まあつまりどっかの誰かさんはむっつりだということです。


彼と彼女のどたばたな結婚生活は拙作「Lila」参照のこと。とにかく誰かさんの残念具合を感じてツッコミ倒していただければ、作者として嬉しい作品です(笑顔)

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