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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第二章
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挿入閑話・ある人間の独り言

「情けないなアルセイド、かのようなことも覚えられぬのか」

「はいはい俺はエルフじゃないんでね、覚えが遅くてわるうございます」

「まったくだ」

「褒めて育てる気はねえのかよッ」

「無いな」

「このクソじじいッ、いつかぐうって言わせてやるからな、覚えてろ」

「書き取り百、追加にしてやる」

「ぐうぅっ……」


 アルセイドは机に山と盛られた紙と書物と格闘していた。勉強内容は多岐に渡る。学問やら一般教養やら、はたまたちょっとした雑学やら。今朝はエルフ古語の綴りテスト。朝なので頭が働かず、さっそくペケを食らったので書き取りをさせられた。制限時間付きで。

「残り三分だ、アルセイド」

「っわかってるから黙りやがれクソじ……じいさん」

「二分」

「~~っ」

 必死になって書き取りをおこなうその傍ら、懐中時計片手に脚を組んでゆったりと監視しているのはアルセイドの祖父である。

 豊かなグレイの総髪、青紫色の形良い瞳、年輪が刻まれてはいるが端麗な容貌。すらりとした長身と伸びた背筋、年を取ってもなおしなやかにまとう筋肉、兵役世代特有の端然とした物腰。物凄くいい意味で人目を引く老人である。若い頃は歴代屈指の武人だとか貴公子だとかなんとか騒がれていたらしいが、アルセイドにとってはただの意地悪じいさんだ。

「一分」

 特に、こういうときは強く感じる。早朝なのになんでこうガリ勉しなきゃならんのか。俺は受験生じゃねえぞ。

「三十秒」

「ッだああああ、無理だっての!」

 滅茶苦茶にスパルタな意地悪じいさんは、孫に容赦なくペナルティを科した。

「――時間切れだ。外に出ろ」

 ちょうど武技鍛錬の頃合いゆえ、な。そう微笑む祖父の顔が、ふと悪鬼に見えた。そういや大昔のエルフって戦場の悪鬼とか云われてたらしい。やっぱりじいさんもそうなのか。

(クソじじい)

 心の中で罵倒するくらいなら、赦されてもいいじゃないかとアルセイドは思う。



「し……ぬ……」

「だらしがないな、アルセイド」

「やかまし……わ」

「昨今の若衆は根性が見当たらぬな」


 模擬刀をとんとんと肩に打ちつけながら、じいさんは軽く溜息をつく。こちとら地面に突っ伏して息も絶え絶えなのに、全然疲れてないのが腹立つ。

「かのようなことでは我が家名を背負って立つに早すぎる」

「……へーへー……」

「小遣いも減らすか」

「ッな、だからなんでそうなるんだよッ」

 聞き捨てならない言葉にがばっと起き上がる。見下ろす美老人の長身、薄い色の頭髪が木漏れ日の光を受けてちらちらと光っている。じじいの癖に腹立つほど長い睫毛が翻り、その下の形よい両眼がそのままに口角が釣り上がった。あ、嫌な種類の笑みだ。

「まだ体力が残っているようだな。さあ、立て」

「~~っ」

(クソじじいぃいいいいいいいッ)

 脳内でなら力一杯罵倒してもいいんじゃないか、そう改めてアルセイドは思う。



 へろへろになりつつ、じいさんに引き摺られて(そう、引き摺られて)家の中に戻る。

 ぽいぽいといつもの血止めと絆創膏と水をおざなりに手渡されるのでいつものように自分で手当て。給水して一息ついたところで台所からじいさんが二人分の食事を持って出てくる。じいさんの癖に腹立つくらいになんでも出来るじいさんなのだ。特に料理は本気で上手い。今や絶滅種ともされる純エルフという生き物はおつむもよろしければ身体能力も高く、手先も器用だ。人間さまがイラっとくるほど有能なのである。

 おまけにアルセイドがアンチ美形になるくらいには見目が良い。じいさんも例外ではない。朝陽の中、新聞片手にモノクルと言うベタなスタイルが似合いすぎるほど似合っている。まさか掛けているのが老眼鏡だなんて誰も予想がつくまい。

「王都城跡でまた通り魔が発生したらしいな、物騒なことだ」

「もう廃墟になってんだろ? なんでそんなトコで通り魔なんてやるんだか」

「観光にてふらふらと近寄る間抜けが多いのだろうよ」

「ふ~ん」

「青草もちゃんと食するがいい、アルセイド」

「ヤダ」

「血のめぐりが悪いくせに、よく言うわ」

「うっせ。ねえソース取って」

「ああ」

 スパルタモードでない時分のじいさんは割りと普通のじいさんだ。こちらの軽口にもノリがいいし、面倒見もいい。

「さて」

 食事を終えたら後片付けはアルセイドの仕事だ。この時間帯、じいさんには欠かすことの出来ない日課があるからだ。

 ちょっと早めに食器を洗い終えたあと、アルセイドは自室に戻る途中で廊下の途中にある窓をちらりと覗いた。そこから、庭が見えるのだ。

「……またあんな顔してやがる」

 庭にある、年季の入った花壇。そこにアルセイドのじいさんは暇さえあれば足を運んでいる。そうして植えてある植物を世話したり、時に何もせずじっと眺めていたりするのだ。花壇に咲いているのは特殊な植物だ。長い周期をかけて成長し花を咲かせるという草花。

(じいさんが結婚したときから世話してるって聞いたけど、まさかな)

 けれど、今のじいさんの顔を見ているとそれが嘘でない気がしてきてしまう。

「ったく。見ないふりしてやってる孫の身にもなれよ」

 苦笑して、アルセイドは踵を返した。意地悪じいさんが意地悪じいさんでなくなる瞬間は、割と多いのだ。

 青紫色の宝石は、アルセイドには見えない「誰か」を見つめている。いつだって。


 庭にある、花壇。そこに薄紫色の花が開く頃。


 アルセイドのじいさんは、自室に一日中こもることがある。その間アルセイドは放っておかれるのだが、特段気にはしていない、スパルタから解放される数少ない日でもあるし。

 ただ、部屋から出てきたじいさんはちょっと瞼を腫らしている。宝石のような青紫の瞳も、ちょっと赤くなっている。そしてたまに、本当にたまにだが、直後に孫をいつもと違う呼び名でよびかけることがある。

 それは、アルセイドのふたつめの名。


「リラ、……か」


 口の中でその響きを転がし、アルセイドは嘆息した。なんで見るからに女の名が自分のミドルネームなのか、不思議に思って何度聞いてもじいさんは教えてくれない。そして両親は戦乱で死んだと言い張っているけれどそれは嘘だということを薄々感じ取ってもいる。一緒に暮らしていて随分長くなるけれど、じいさんは未だにアルセイドにすべてを教えてはくれない。けれど、今はわからないままでいいかなと思う。

(多分じいさんの弱みだろうし、いざってときに聞き出しゃいい)

 そういうことにしておこう。

「ふ~あ」

 早朝から叩き起こされしごかれたので少々眠い。昔から低血圧気味なのだ。人間だったというばあさん譲りなのだろう。古代からの純粋なエルフであるじいさんと違って、アルセイドの見かけは人間そのものだ。背が平均より高いことを除けば顔も雰囲気も普通だし、耳も尖ってない。筋力だって老人であるじいさんに敵わない。

(まあ、ちょっとだけフツウじゃないけど)

 アルセイドは只の人間と呼ぶには自分でもちょっと躊躇うほど、フツウでないことは自覚している。純エルフの孫であるせいなのかどうなのか、成長がやたらと遅いのだ。詳しい年数は不明だが、どうやら生まれてから軽く千年以上経っている。だというのに、まだ外見はハタチ程度の若者なのである。

「よくわかんねーけど……、今アレコレ悩んでもしゃーないし」

 幸いなことに赤ん坊及び幼少期が長かったせいで、あまり昔の記憶は無い。先の戦乱の終わりごろがようやく物心ついた年で、それからずるずると長い時間をかけて成長してきたのである。その間、じいさんと時間の許す限り色々な場所に足を運んだし色々な学校にも通った、そして色々なひととも巡り逢った。自分が普通でないことはその中で段々と解っていったが、寂しくはなかった。だって、千年前から変わらない意地悪じいさんがずっと傍にいてくれたから。

(普通じゃないのは、俺だけじゃない。――俺はひとりじゃない)

 そんな当たり前のことを、たった一人の家族が教えてくれていたから。



 それにしたって。

「腕立て百追加」

「ぬあっ、どうしてだよッ」

「重しを誤魔化しただろう」

「ちょ、ちょっとくれーいいじゃねえか。だってホラ、俺か弱い人間だし?」

「腹筋二百追加」

「こンのクソじじいぃいいいいッ」


 意地悪じいさんの意地悪度はちょっとくらい下がってもいいんじゃないか。そうアルセイドは毎日思う。



じいさんは拙作シリーズを読んでくださった方ならよく知っておられる、そう、あやつでございます。



拙作を読んでくださる方々に、いつもながら感謝を。

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