第93話 勇者の焦燥――白鷹の命令と破られる約束
第93話 勇者の焦燥――白鷹の命令と破られる約束
王国暦八二一年、秋月二十三日。
王立アストレア学園。
「……アルベルトの様子がおかしい?」
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、カイルの言葉に首を傾げた。
朝の教室。
まだ授業が始まる前の時間だ。
「そうなんだよ」
カイルは、腕を組んだ。
「昨日から、妙にピリピリしてる」
「……いつものことじゃないか?」
「いや、今回はちょっと違う」
カイルは、声を落とした。
「何か、焦ってるように見えるんだ」
……焦り。
俺は、少し考えた。
アルベルトは、元々プライドが高い。
勇者候補としての自負も強い。
だが、最近は思うような結果を出せていない。
しかも。
俺たちとの演習では、何度も助けられている。
……それが、気に入らないのかもしれない。
「……少し、様子を見よう」
俺は、静かに答えた。
◇
昼休み。
高等部三年生談話室。
「……次の演習で、僕に重要な役割を?」
アルベルト・レイフォードが、眉をひそめた。
目の前には、ユリウス・ファルケンハイン。
その隣には、グレゴール・ハインツ。
そして、クラリッサ・ベルモンドが立っている。
「そうだよ」
ユリウスは、穏やかに微笑んだ。
「君には、レオンハルトと別行動を取ってもらいたい」
「……別行動?」
「うん」
ユリウスは、資料を広げた。
『特別交流演習・追加課題』
『複数班による合同救助任務』
『班員の判断力と独立行動を評価』
「……なるほど」
アルベルトが、資料を見つめた。
「僕が、単独で救助任務を達成すればいいのか?」
「その通り」
ユリウスは、頷いた。
「レオンハルトに頼らず、君自身の力を示すんだ」
アルベルトの瞳が、輝いた。
「……それなら」
「ただし」
ユリウスの声が、少し低くなった。
「勝手な行動はしないこと」
「……何?」
「競技会では、規則がすべてだ」
ユリウスは、真っ直ぐにアルベルトを見つめた。
「君が感情に任せて動けば、計画そのものが崩れる」
アルベルトは、唇を噛んだ。
「……分かっている」
「本当に?」
「……ああ」
ユリウスは、しばらく彼を見つめた。
そして。
「なら、期待しているよ」
静かに微笑んだ。
◇
午後。
第四訓練場。
「……今日は、少し変わった訓練をするぞ!」
担当教師が、声を上げた。
今回の課題は、複数の魔導標的を制圧する模擬戦。
第七班の四人が、同時に参加する。
「……さて」
俺は、剣を抜いた。
「今日は、連携を意識しよう」
カイルが、にやりと笑う。
「任せろ!」
リゼットも、頷いた。
「解析は私が担当するわ」
アルベルトは、何も言わなかった。
ただ。
剣を握る手に、強い力が込められていた。
「……始め!」
教師の声が響く。
次の瞬間。
四体の模擬魔獣が、訓練場に現れた。
「グオオオオッ!」
「……来るぞ!」
俺が叫ぶ。
カイルが、地面を蹴った。
「《雷燕》!」
青い雷を纏った剣が、最初の魔獣へ迫る。
リゼットが、解析魔法を展開する。
「《魔力残響解析》!」
「弱点は、胸部の術式核!」
「了解!」
俺は、右手を上げた。
「《紫電迅雷》!」
紫色の雷が、魔獣の足元を駆け抜ける。
動きを止める。
そして。
「《天嵐刃》!」
風の刃が、術式核を切り裂いた。
バキィン!
一体目が、光の粒となって消える。
「……よし!」
俺は、次の標的へ視線を向けた。
だが。
その瞬間。
「……僕に任せろ!」
アルベルトが、突然前へ飛び出した。
「アルベルト!?」
俺が叫ぶ。
しかし、彼は止まらない。
「《勇者剣・光閃》!」
黄金の斬撃が、二体目の魔獣へ放たれた。
ドォン!
魔獣が、後方へ吹き飛ぶ。
「……見たか!」
アルベルトが、叫んだ。
「僕だって、できるんだ!」
……なるほど。
今日は、かなり気合いが入っているな。
だが。
その瞬間。
三体目の魔獣が、アルベルトの背後へ回り込んだ。
「……っ!?」
「アルベルト! 後ろ!」
俺が叫ぶ。
しかし。
彼は、振り向くのが遅れた。
巨大な爪が、迫る。
……まずい!
俺は、右手を上げた。
「《神地・不滅城塞》!」
茶色の魔法陣が、黄金に輝いた。
次の瞬間。
巨大な岩の壁が、アルベルトの背後に立ち上がる。
ドゴォン!
魔獣の爪が、岩壁へ激突した。
「……っ!?」
アルベルトが、目を見開いた。
俺は、すぐに剣を構えた。
「《黒狼神速剣》!」
一歩。
踏み込む。
次の瞬間。
俺の身体が、風のように加速した。
叔父上から学んだ神速の剣。
無駄な動きを削ぎ落とし、最短距離で標的へ迫る。
「……そこだ!」
シュンッ!
剣が、術式核を正確に切り裂いた。
バキィン!
三体目が、消える。
……よし。
俺は、剣を下ろした。
「アルベルト、大丈夫か?」
「……っ!」
アルベルトは、拳を握った。
「……また、お前か」
「……え?」
「また、僕を助けたのか!」
その声には、怒りが込められていた。
俺は、少し驚いた。
「……いや、危なかったから」
「……黙れ!」
アルベルトが、叫んだ。
「僕は、お前に助けられたいわけじゃない!」
訓練場が、静まり返った。
カイルが、眉をひそめる。
「……おい」
だが。
俺は、片手を上げて制した。
「……分かった」
俺は、静かに答えた。
「でも、仲間が危険なら、俺は助けるよ」
「……っ!」
アルベルトの顔が、歪んだ。
「……それが、気に入らないんだ!」
彼は、剣を強く握り締めた。
「お前は、いつもそうだ!」
「……?」
「何でもできて! 誰からも好かれて! 家族にも恵まれて!」
アルベルトの声が、震えていた。
「……僕には、何もないのに!」
……。
俺は、しばらく黙っていた。
そして。
静かに答えた。
「……アルベルト」
「……何だ!」
「お前にも、あるだろ」
「……何?」
「勇者候補としての力も、努力してきた時間も」
俺は、真っ直ぐに彼を見つめた。
「それまで、全部否定する必要はないと思う」
アルベルトの瞳が、揺れた。
だが。
次の瞬間。
「……綺麗事を言うな!」
彼は、背を向けた。
そして。
訓練場から、去っていった。
……。
俺は、静かに息を吐いた。
……難しいな。
人の心っていうのは。
◇
夕方。
学園の裏庭。
アルベルトは、一人で剣を振っていた。
「……くそっ!」
シュンッ!
「……くそっ!」
何度も。
何度も。
剣を振る。
だが。
頭から離れない。
レオンハルトの言葉。
『お前にも、あるだろ』
……何が分かる。
アルベルトは、歯を食いしばった。
生まれながらの公爵家。
最強の父。
最強の母。
強大な一族。
そして、七属性の魔法。
……全部、持っているじゃないか。
僕とは、違う。
そう思った瞬間。
背後から、声が響いた。
「……随分と荒れているね」
振り向く。
そこには、ユリウス・ファルケンハインが立っていた。
「……先輩」
「何があったんだい?」
アルベルトは、拳を握った。
「……また、レオンハルトに助けられました」
「……そうか」
ユリウスは、静かに頷いた。
「それは、悔しいね」
「……はい」
「でも、君には君の役割がある」
ユリウスは、穏やかに微笑んだ。
「次の演習で、君の力を示せばいい」
アルベルトは、顔を上げた。
「……本当に、できますか?」
「もちろん」
ユリウスは、頷いた。
「ただし、約束を守ること」
「……約束?」
「勝手な行動をしないことだ」
アルベルトは、しばらく黙っていた。
そして。
「……分かりました」
小さく頷いた。
だが。
その瞳の奥には、消えない炎が燃えていた。
◇
夜。
白鷹館。
「……アルベルトは、危険だな」
グレゴールが、呟いた。
ユリウスは、書類を見つめていた。
「……そうだね」
「このままだと、勝手なことをするぞ」
「……可能性はある」
ユリウスは、静かに頷いた。
クラリッサが、口を開いた。
「なら、計画から外すべきです」
「……それも、一つの方法だね」
ユリウスは、少し考えた。
そして。
「だが、まだ利用価値はある」
グレゴールが、眉をひそめる。
「……本気か?」
「もちろん」
ユリウスは、薄く笑った。
「彼の嫉妬は、強い動機になる」
クラリッサの表情が、険しくなった。
「……ユリウス様」
「何だい?」
「感情を利用する計画は、制御できなくなる危険があります」
「分かっているよ」
ユリウスは、穏やかに微笑んだ。
「だからこそ、慎重に進める」
そして。
机の上に、一枚の書類を置いた。
『学園合同競技会・特別交流演習』
『追加課題・複数班合同任務』
その下には、三つの名前が記されていた。
レオンハルト・ヴァルディス。
シャルロット・ヴァルディス。
ルシウス・シルヴェイン。
「……次の演習では」
ユリウスが、静かに呟いた。
「彼らに、少し難しい選択をしてもらおう」
◇
同じ頃。
ヴァルディス公爵邸。
俺は、訓練場で一人、剣を振っていた。
《黒狼神速剣》。
叔父上の技。
速さと精密さを極めた剣術。
だが。
まだ、完全ではない。
俺は、深く息を吸った。
そして。
神力を、ほんのわずかに流し込む。
「《神狼・無影閃》」
シュンッ。
身体が、風のように消える。
次の瞬間。
標的の背後へ到達した。
……よし。
今度は、うまくいった。
俺は、剣を納めた。
だが。
心の中には、別のことが引っかかっていた。
……アルベルト。
あいつは、何をそんなに焦っているんだろう。
俺には、まだ分からない。
でも。
一つだけ、確かなことがある。
誰かを憎むだけでは、強くなれない。
俺は、夜空を見上げた。
……もっと強くなろう。
自分のためだけじゃない。
家族のために。
仲間のために。
そして。
大切な人たちの笑顔を守るために。
その決意が、間もなく試されることになるとは。
このときの俺は、まだ知らなかった。
――第93話・完――




