第91話 消えた術式記録――白鷹の影と蒼風の怒り
第91話 消えた術式記録――白鷹の影と蒼風の怒り
王国暦八二一年、秋月二十一日。
王立アストレア学園。
「……記録が、消えている?」
俺――レオンハルト・ヴァルディスは、思わず聞き返した。
目の前には、リゼット・クローディア。
その隣には、生徒会長フィオナ・エルグランデが立っている。
二人の表情は、いつになく真剣だった。
「ええ」
リゼットが、頷いた。
「昨日の特別交流演習で使われた、第三課題の術式記録よ」
「……全部?」
「いいえ」
彼女は、資料を広げた。
「異常反応が発生した直前の数分間だけ」
……なるほど。
それは、随分と都合がいい。
「原因は?」
俺が尋ねると、フィオナが静かに答えた。
「運営側の説明では、魔導記録装置の不具合だそうよ」
「……不具合」
「ええ。でも、他の時間帯の記録は正常なの」
俺は、眉をひそめた。
「……怪しいな」
「私も、そう思うわ」
リゼットが、頷いた。
「しかも、記録が消える直前に、術式の一部が書き換えられた痕跡があるの」
「……書き換え?」
「ええ」
彼女は、静かに続けた。
「誰かが、意図的に安全制御を弱めた可能性がある」
……。
俺は、しばらく黙っていた。
昨日の演習。
ルシウスが障壁を解除しようとした瞬間、異常反応が発生した。
もし、俺が《神銀・絶対領域》を展開していなければ。
……いや。
考えるだけで、嫌な気分になる。
「……分かった」
俺は、静かに答えた。
「俺も調べる」
フィオナが、頷いた。
「ただし、慎重にね」
「……はい」
「証拠がない段階で誰かを疑えば、また同じことが起きるわ」
……その通りだ。
俺は、深く息を吐いた。
「分かっています」
◇
昼休み。
中等部の中庭。
「レオン兄様!」
ルシウスが、元気よく駆け寄ってきた。
「ルシウス」
俺は、笑った。
「昨日は、よく頑張ったな」
「ありがとうございます!」
少年は、嬉しそうに笑った。
だが。
すぐに、その表情が曇った。
「……兄様」
「ん?」
「昨日の障壁、やっぱりおかしかったですよね?」
……気づいていたか。
俺は、頷いた。
「ああ」
「……僕の魔法が、原因だったんでしょうか?」
「違う」
俺は、即座に答えた。
「お前の《風水結界》は、正常に発動していた」
「……本当ですか?」
「ああ」
俺は、少年の頭を撫でた。
「むしろ、あの魔法があったから異常に気づけた」
ルシウスは、少しだけ安心したように笑った。
「……よかった」
そのとき。
「レオン!」
聞き慣れた声が響いた。
振り向くと、シャルロットが駆け寄ってきた。
「シャル姉?」
彼女の表情は、険しかった。
「……聞いたわ」
「何を?」
「昨日の術式記録が、消えているって」
……もう、そこまで広まっているのか。
「……ああ」
俺は、頷いた。
「今、リゼットたちが調べてくれてる」
シャルロットは、唇を噛んだ。
「……許せないわ」
「……シャル姉?」
「もし、誰かが意図的にあの障壁を改変したのなら……」
彼女は、ルシウスを見つめた。
「……ルシウスが、危険な目に遭ったのよ」
その声には、怒りが込められていた。
ルシウスが、慌てて手を振る。
「シャルロット姉様! 僕は大丈夫です!」
「……分かってるわ」
シャルロットは、少年の頭を撫でた。
「でも、だからって許せることじゃないの」
……そうだな。
俺も、同じ気持ちだ。
だが。
「シャル姉」
俺は、静かに声をかけた。
「今は、証拠を集めよう」
「……レオン」
「誰がやったのか、まだ分からない」
俺は、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「だからこそ、間違えたくない」
シャルロットは、しばらく黙っていた。
そして。
「……そうね」
小さく頷いた。
「あなたの言う通りだわ」
◇
午後。
魔導研究棟。
リゼットは、術式の残留魔力を解析していた。
その隣には、フィオナ。
そして、セレスティアが立っている。
「……どう?」
セレスティアが尋ねる。
「もう少しよ」
リゼットは、集中した表情で答えた。
「《魔力残響解析》」
紫色の魔法陣が、机の上に浮かび上がった。
そこには、昨日の障壁から回収された魔導結晶が置かれている。
「……あった」
リゼットが、呟いた。
「何が?」
フィオナが、身を乗り出す。
「記録装置に残っていた、術式の断片よ」
「……復元できる?」
「完全には無理。でも……」
リゼットは、魔法陣を拡大した。
「異常反応が発生した直前に、外部から干渉された痕跡がある」
セレスティアの表情が、険しくなる。
「……やっぱり」
「ええ」
リゼットは、頷いた。
「ただし、誰が操作したのかは分からない」
フィオナが、腕を組んだ。
「……運営委員会の管理記録と照合する必要があるわね」
「そうね」
そのとき。
扉が、ノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、クラリッサ・ベルモンドだった。
高等部三年生。
運営委員会の記録管理を担当する生徒。
彼女は、丁寧に一礼した。
「フィオナ会長。昨日の演習に関する資料をお持ちしました」
「……ありがとう」
フィオナが、書類を受け取る。
クラリッサは、少し躊躇した。
そして。
「……一つ、確認していただきたいことがあります」
「何かしら?」
「昨日の演習で使用された障壁の管理記録です」
彼女は、別の紙を差し出した。
そこには、複数の署名が記されていた。
「……これは?」
リゼットが、眉をひそめる。
「演習開始前に、術式へアクセスした人物の一覧です」
フィオナが、目を細めた。
「……ユリウス先輩の名前があるわね」
「はい」
クラリッサは、静かに頷いた。
「ただし、運営責任者としての通常確認です」
「……なるほど」
フィオナは、資料を見つめた。
「それだけでは、何も証明できないわね」
「……はい」
クラリッサは、少しだけ視線を落とした。
「ですが……」
「……?」
「通常確認の後に、別のアクセス記録が残っています」
リゼットが、身を乗り出した。
「……誰の?」
クラリッサは、静かに答えた。
「……記録上は、空欄です」
沈黙。
セレスティアが、眉をひそめた。
「……空欄?」
「はい」
クラリッサは、頷いた。
「管理権限を持つ人物でなければ、通常は不可能です」
その言葉に、フィオナの表情が険しくなった。
「……分かったわ」
彼女は、書類を閉じた。
「この件は、正式に調査を進めましょう」
◇
夕方。
高等部三年生談話室。
ユリウス・ファルケンハインは、窓の外を眺めていた。
「……調査が始まったそうだね」
グレゴールが、腕を組む。
「……ああ」
「困ったものだ」
ユリウスは、穏やかに微笑んだ。
「安全管理の不備があったなら、改善しなければならない」
グレゴールが、舌打ちする。
「……本当に、そう思ってるのか?」
「もちろん」
ユリウスは、静かに答えた。
「ただ……」
彼は、机の上に置かれた書類を見つめた。
『特別交流演習・追加課題案』
そこには、シャルロットとルシウスの名前が記されていた。
「……次は、もう少し慎重に進める必要があるね」
グレゴールが、眉をひそめた。
「……また、何かやるのか?」
ユリウスは、答えなかった。
ただ。
薄く笑った。
◇
夜。
ヴァルディス公爵邸。
俺は、父上たちに昨日の出来事を報告していた。
「……術式の改変?」
父上アルフォンスが、静かに呟いた。
「はい」
俺は、頷いた。
「まだ、誰がやったのかは分かっていません」
レオナード叔父上が、目を細めた。
「……なるほど」
母上エレオノーラの表情も、険しかった。
「レオンちゃん。ルシウスは大丈夫だったの?」
「はい。怪我はありません」
「……そう」
母上は、少しだけ安心したように息を吐いた。
だが。
イザベラ伯母上の表情は、冷たかった。
「……私の息子を、危険な目に遭わせた可能性があるのね」
「……伯母上」
「分かっているわ、レオンちゃん」
伯母上は、静かに微笑んだ。
「まだ、証拠がないのでしょう?」
「……はい」
「なら、今は待ちましょう」
その声は、穏やかだった。
だが。
どこか、恐ろしいほど冷たかった。
父上も、静かに頷いた。
「レオン」
「はい」
「お前たちは、学園でやるべきことをやれ」
「……はい」
「我らは、我らで動く」
その言葉に、俺は少し驚いた。
「……父上?」
父上は、俺を見つめた。
そして。
静かに言った。
「家族を守るのは、お前一人の役目ではない」
……。
俺は、しばらく黙っていた。
そして。
小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
そのとき。
レオナード叔父上が、にやりと笑った。
「まあ、安心しろ」
「……叔父上?」
「俺たちは、まだ怒ってないからな」
……。
いや。
その笑顔、全然安心できないんですけど。
母上も、微笑んでいた。
「そうね。まだ、よ」
伯母上も、静かに頷く。
「ええ。まだ、ね」
……怖い。
本当に、怖い。
俺は、思わず苦笑した。
だが。
同時に、心の奥が温かくなった。
……俺には、家族がいる。
守るべき人たちがいる。
そして。
俺を守ってくれる人たちもいる。
その事実が、何より心強かった。




