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『悪役公爵令息レオンハルト』  作者: 覇王が好き
第一章 運命を覆す者

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第9話 銀髪の侍女が捧げた忠誠と、暴君の逆鱗

王国暦八百二十一年、春月十九日。


 王都ヴァルディス公爵家別邸。


 朝の柔らかな陽光が、庭園の花々を照らしていた。


 俺は、屋敷の裏庭で剣を振っていた。


 相手は、専属侍女であり護衛騎士でもあるエレノア・シルヴェイン。


 銀色の髪を一つにまとめ、普段の侍女服ではなく軽装の訓練着を身にまとっている。


 その姿は、いつもの優雅な侍女とはまるで違っていた。


「……行きます、レオンハルト様」


「ああ。遠慮するな」


 次の瞬間。


 エレノアの姿が、視界から消えた。


 いや。


 消えたように見えるほど、速かったのだ。


 鋭い踏み込み。


 無駄のない剣筋。


 そして、急所を的確に狙う連続攻撃。


 キィン!


 俺は、その一撃を軽く受け流した。


「……いい動きだな」


「ありがとうございます」


 エレノアは、すぐさま距離を取る。


 そして、再び踏み込んできた。


 右からの斬撃。


 続いて、左への切り返し。


 さらに、足元を狙った低い一撃。


 ……なるほど。


 以前より、確実に強くなっている。


 俺は、少しだけ笑った。


「……じゃあ、少し本気で行くぞ」


「……っ!」


 エレノアの瞳が、鋭く光った。


 次の瞬間。


 俺は、わずかに踏み込んだ。


 剣を振る。


 ただ、それだけ。


 だが。


 キィィン!


 エレノアの剣が、大きく弾かれた。


「……っ!」


 彼女は咄嗟に体勢を立て直す。


 だが、その首元には、すでに俺の剣先が届いていた。


「……そこまで」


 俺は、静かに告げた。


 エレノアは、一瞬目を見開いた。


 そして、ゆっくりと微笑む。


「……参りました」


 俺は剣を下ろした。


「……強くなったな」


「……ありがとうございます」


 エレノアは、少しだけ頬を赤らめた。


「ですが、まだレオンハルト様には遠く及びません」


「……そんなことはないさ」


 俺は肩をすくめた。


「お前の剣は、十分に一流だ」


 その言葉に、彼女は嬉しそうに目を細めた。


「……光栄です」


 ◇◆◇


 訓練を終えた後。


 俺たちは、庭園のベンチに腰を下ろしていた。


 エレノアが、冷たい飲み物を差し出す。


「……どうぞ、レオンハルト様」


「ありがとう」


 俺はグラスを受け取った。


 そして、ふと思い出した。


「……そういえば、エレノア」


「はい?」


「お前が初めて屋敷に来たのって、何歳の頃だったっけ?」


 エレノアは、少し驚いたように目を瞬かせた。


「……私が、九歳の頃でございます」


「……そうだったな」


 俺は、記憶を辿った。


 六年前。


 レオンハルトが九歳だった頃。


 ヴァルディス領の辺境で、小さな事件が起きた。


 盗賊団による村の襲撃。


 その事件で、一人の少女が命を落としかけた。


 ……それが、エレノアだった。


「……覚えておられたのですね」


 彼女が、小さく呟いた。


「……もちろん」


 俺は頷いた。


「忘れるわけないだろ」


 その言葉に、エレノアの表情が柔らかくなった。


 ◇◆◇


 六年前。


 ヴァルディス領北部。


 小さな村が、盗賊団に襲われていた。


 燃え上がる家屋。


 逃げ惑う人々。


 そして、悲鳴。


「……助けて……!」


 九歳の少女エレノアは、崩れた家の下敷きになっていた。


 銀色の髪は煤で汚れ、頬には血が流れている。


 足は瓦礫に挟まれ、動かすことができなかった。


 ……怖い。


 少女は、必死に涙を堪えていた。


 周囲には、誰もいない。


 家族も。


 村人たちも。


 みんな、逃げてしまった。


「……誰か……!」


 そのとき。


 足音が聞こえた。


 ゆっくりと顔を上げる。


 そこに立っていたのは、黒髪の少年だった。


 年齢は、自分と同じくらい。


 だが、その瞳は驚くほど落ち着いていた。


「……大丈夫か?」


 少年が、静かに尋ねた。


「……た、助けて……!」


 エレノアは、震える声で答えた。


 少年は、瓦礫へ視線を向けた。


 そして、迷うことなく手を伸ばした。


「……少し、我慢してくれ」


 次の瞬間。


 巨大な木材が、持ち上がった。


 九歳の少年とは思えないほどの力だった。


「……え……?」


 エレノアは、目を見開いた。


 少年は、彼女の足を確認した。


「……骨は折れてないみたいだな」


 そして、優しく微笑んだ。


「……もう大丈夫だ」


 その言葉を聞いた瞬間。


 エレノアの瞳から、涙が溢れた。


「……ありがとう……!」


 少年は、少し照れくさそうに笑った。


「……礼なんていらない」


 そして、彼女を抱き上げた。


「……俺が、守るから」


 その言葉が。


 少女の心に、深く刻まれた。


 ◇◆◇


 現在。


 庭園のベンチ。


 エレノアは、静かに微笑んでいた。


「……あの日のことは、今でも鮮明に覚えております」


「……そうか」


「はい」


 彼女は、ゆっくりと俺を見つめた。


「……私にとって、レオンハルト様は命の恩人です」


 その瞳には、強い光が宿っていた。


「……そして、私の人生を変えてくださった方でもあります」


 俺は、少しだけ目を細めた。


 ……人生を変えた、か。


 確かに。


 あの日、エレノアを救った後。


 レオンハルトは、彼女を公爵家へ連れて帰った。


 身寄りを失った少女に、住む場所を与えた。


 そして、彼女が望むままに剣術と礼儀作法を学ばせた。


 その結果。


 彼女は、今では公爵家でも屈指の実力を持つ護衛騎士となった。


「……でもな、エレノア」


「……はい?」


「お前が強くなったのは、お前自身が努力したからだ」


 彼女は、少し驚いたように目を見開いた。


「……俺がしたのは、きっかけを作っただけだよ」


 その言葉に、エレノアはしばらく黙っていた。


 そして。


 ゆっくりと微笑んだ。


「……本当に、レオンハルト様はお優しいですね」


「……そうか?」


「はい」


 彼女は、静かに頷いた。


「……昔から、ずっと」


 その笑顔は、どこか切なげだった。


 ◇◆◇


 同じ頃。


 王都の地下。


 薄暗い部屋で、黒い外套をまとった男が報告を受けていた。


「……エレノア・シルヴェイン」


 男は、机の上に置かれた書類を眺めた。


「……なるほど」


 そこには、彼女の経歴が詳しく記されていた。


 六年前、盗賊団の襲撃からレオンハルトに救われた少女。


 現在は、専属侍女兼護衛騎士。


 レオンハルトから絶大な信頼を得ている。


 そして。


 彼女自身も、主君へ強い忠誠を誓っている。


「……これは、使えるな」


 男は、静かに笑った。


 隣に控える部下が、口を開く。


「……いかがいたしますか?」


「……簡単なことだ」


 男は、ゆっくりと立ち上がった。


「……彼女を利用して、レオンハルトを誘い出す」


「……誘い出す?」


「ああ」


 男は、冷たく微笑んだ。


「……大切なものを守ろうとする人間は、必ず隙を見せる」


 その言葉に、部下が頷いた。


「……承知いたしました」


 そして。


 黒い外套の男は、静かに命じた。


「……まずは、彼女の過去を調べろ」


 その瞳には、冷たい光が宿っていた。


「……使える人間が、まだ残っているかもしれん」


 ◇◆◇


 午後。


 王都の商業区。


 エレノアは、買い物のために街を歩いていた。


 今日は、屋敷の備品と食材を購入する予定だった。


 普段なら、使用人に任せてもよい仕事。


 だが、彼女は時折、自分で市場へ足を運ぶことを好んでいた。


 理由は単純。


 街の様子を知ることが、主君を守るためにも役立つからだ。


「……今日は、少し人が多いですね」


 エレノアは、小さく呟いた。


 王都の市場は、いつも活気に満ちている。


 商人たちの呼び声。


 子供たちの笑い声。


 焼きたてのパンの香り。


 そんな平和な光景を眺めながら、彼女は静かに微笑んだ。


 ……レオンハルト様が守ろうとしているもの。


 それは、こういう日常なのだろう。


 そのとき。


「……エレノア?」


 背後から、聞き覚えのない声が響いた。


 彼女は、ゆっくりと振り返った。


 そこに立っていたのは、一人の男だった。


 三十代半ば。


 痩せた身体。


 粗末な服装。


 そして、どこか疲れたような表情。


「……どちら様でしょうか?」


 エレノアが尋ねると、男は少しだけ笑った。


「……覚えてないか」


「……?」


「……六年前、北部の村で一緒だっただろう」


 その瞬間。


 エレノアの表情が、わずかに変わった。


「……まさか……」


 男は、ゆっくりと頷いた。


「……久しぶりだな」


 そして、静かに告げた。


「……お前の叔父だよ」


 ◇◆◇


 エレノアは、言葉を失った。


 ……叔父?


 六年前。


 盗賊団の襲撃で、村は壊滅した。


 家族も、親戚も、ほとんどが行方不明になった。


 その中に、確かに叔父がいた。


 だが。


 目の前の男は、記憶の中の叔父とは少し違っていた。


「……本当に、叔父様なのですか?」


 男は、寂しそうに笑った。


「……疑うのも無理はない」


 そして、懐から小さな木製の飾りを取り出した。


 それは。


 エレノアが幼い頃、母親からもらったものと同じ形だった。


「……これを覚えているか?」


 エレノアの瞳が、大きく見開かれた。


「……それは……!」


「……お前の母さんが、俺に預けたものだ」


 男は、静かに告げた。


「……ずっと、渡したかった」


 エレノアは、震える手で飾りを受け取った。


 ……懐かしい。


 幼い頃の記憶。


 母の笑顔。


 温かな家。


 そして、失われた日常。


「……叔父様……」


 彼女の声が、わずかに震えた。


 男は、優しく微笑んだ。


「……少し、話せるか?」


 エレノアは、しばらく迷った。


 だが。


 ゆっくりと頷いた。


「……はい」


 その瞬間。


 男の瞳に、ほんの一瞬だけ冷たい光が宿った。


 ◇◆◇


 同じ頃。


 ヴァルディス公爵家別邸。


 俺は、セバスティアンから報告を受けていた。


「……エレノアの親族が?」


「はい」


 老執事は、静かに頷いた。


「先ほど、商業区で接触したとの情報が入りました」


「……そうか」


 俺は、少しだけ目を細めた。


 エレノアの過去。


 六年前の盗賊団襲撃。


 その事件で、彼女は家族を失った。


 だが、親族が全員亡くなったとは確認されていない。


 ……生き残りがいても、不思議ではない。


「……何か問題が?」


 俺が尋ねると、セバスティアンは少しだけ表情を曇らせた。


「……それが」


「……?」


「その男について、調べたところ……」


 老執事は、静かに書類を差し出した。


「……六年前の事件後、死亡したと記録されております」


 俺は、目を細めた。


「……死亡?」


「はい」


「……では、今エレノアと会っている男は?」


 セバスティアンは、静かに答えた。


「……偽者の可能性がございます」


 その瞬間。


 俺の中で、何かが冷たく動いた。


 ……なるほど。


 やってくれたな。


 俺は、ゆっくりと立ち上がった。


「……セバスティアン」


「はい」


「エレノアの現在地は?」


「……商業区の南側でございます」


「……わかった」


 俺は、静かに歩き出した。


 その背後から、セバスティアンの声が響く。


「……レオンハルト様」


「……何だ?」


「……どうか、お気をつけください」


 俺は、少しだけ笑った。


「……心配するな」


 そして、静かに告げた。


「……俺の大切な家族に、手を出させるつもりはない」


 ◇◆◇


 王都商業区。


 エレノアは、男と共に細い路地を歩いていた。


「……叔父様」


「……何だ?」


「……少し、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 男は、ゆっくりと振り返った。


「……何だ?」


 エレノアは、静かに微笑んだ。


「……私の母の名前を、覚えていらっしゃいますか?」


 その瞬間。


 男の表情が、わずかに固まった。


「……もちろんだ」


「……では、教えてください」


 男は、しばらく黙っていた。


 そして、適当な名前を口にした。


「……マリア、だったな」


 エレノアは、静かに目を閉じた。


 ……やはり。


 違う。


 母の名前は、マリアではない。


 そして。


 本当の叔父なら、絶対に間違えるはずがない。


「……残念です」


 エレノアは、静かに呟いた。


「……何?」


「……あなたは、叔父様ではありません」


 男の表情が、変わった。


「……なぜ、そう思う?」


「……母の名前を、間違えました」


 エレノアは、ゆっくりと一歩下がった。


 そして、静かに続けた。


「……それに」


 その瞳が、鋭く光る。


「……本物の叔父様は、私をエレノアとは呼びません」


 男の顔から、笑みが消えた。


「……ほう?」


「……幼い頃の愛称で、呼んでくださっていましたから」


 次の瞬間。


 男が、懐から短剣を抜いた。


「……ちっ!」


 だが。


 エレノアは、すでに動いていた。


 鋭い踏み込み。


 手首を狙った一撃。


 ガキィン!


 短剣が、地面へ弾き飛ばされた。


「……なっ!?」


 男が驚愕する。


 エレノアは、冷たい声で告げた。


「……私を、誰だと思っているのですか?」


 その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。


「……ヴァルディス公爵家、レオンハルト様の専属護衛騎士です」


 そして。


 男の喉元へ、剣先を突きつけた。


「……あなたのような者に、遅れを取るつもりはありません」


 だが。


 そのとき。


 路地の奥から、複数の足音が響いた。


 黒い外套をまとった男たち。


 十人。


 二十人。


 そして、さらに奥にも。


 ……なるほど。


 エレノアは、静かに息を吐いた。


 最初から、罠だったのだ。


「……随分と、大人数ですね」


 彼女は、静かに微笑んだ。


 だが、その瞳には一切の怯えがなかった。


「……いいでしょう」


 そして、剣を構える。


「……レオンハルト様の名にかけて、全員捕らえて差し上げます」


 その瞬間。


 黒衣の男たちが、一斉に動き出した。


 ◇◆◇


 路地に、金属音が響いた。


 キィン!


 ガキィン!


 エレノアの剣が、次々と敵の武器を弾き飛ばす。


 ……遅い。


 彼女は、冷静に敵の動きを見極めていた。


 正面からの斬撃。


 背後からの奇襲。


 そして、左右からの同時攻撃。


 すべて、見切っている。


「……っ!」


 一人の男が、地面へ倒れた。


 続いて、二人目。


 三人目。


 四人目。


 ……弱い。


 いや。


 決して弱いわけではない。


 だが、エレノアはヴァルディス公爵家の護衛騎士。


 王国でも屈指の剣士である。


 その実力は、並の傭兵とは比較にならない。


「……くそっ!」


 黒衣の男が叫んだ。


「……囲め!」


 さらに、十人近い男たちが飛び出してきた。


 エレノアは、静かに剣を構え直した。


 ……問題ありません。


 この程度なら、十分に対処できます。


 だが。


 そのとき。


 路地の奥から、異様な魔力が漂ってきた。


「……っ!?」


 エレノアの瞳が、鋭く光る。


 ……これは。


 黒い霧。


 それが、地面を這うように広がっていく。


 魔力を乱す、特殊な結界。


 しかも。


 その中心には、見覚えのない魔導具が設置されていた。


「……なるほど」


 エレノアは、小さく呟いた。


「……最初から、これが狙いでしたか」


 敵は、彼女を倒すつもりではなかった。


 時間を稼ぎ。


 結界を完成させる。


 そして、動きを封じる。


 ……ですが。


 エレノアは、静かに微笑んだ。


「……残念でしたね」


 その瞬間。


 彼女の剣に、淡い銀色の魔力が宿った。


「……私は、魔法だけで戦うわけではありません」


 鋭い踏み込み。


 そして、一閃。


 キィィン!


 魔導具の一つが、真っ二つに切り裂かれた。


「……なっ!?」


 男たちが驚愕する。


 だが。


 そのときだった。


 別の魔導具が、突然赤く光った。


 ……っ!?


 エレノアは、咄嗟に距離を取った。


 だが、遅い。


 魔導具が爆発し、黒い魔力が周囲へ広がった。


「……くっ!」


 エレノアは、剣を構えたまま後退する。


 その瞬間。


 黒い魔力が、彼女の足元へ絡みついた。


 ……これは。


 拘束魔法。


 しかも、かなり強力だ。


「……なるほど」


 彼女は、静かに息を吐いた。


 ……少々、厄介ですね。


 だが。


 その瞳には、恐怖はなかった。


 なぜなら。


 彼女は、知っていたからだ。


 自分が、決して一人ではないことを。


 ◇◆◇


 その頃。


 王都の屋根の上。


 俺は、静かに街を見下ろしていた。


 ……見つけた。


 商業区南側。


 細い路地。


 そこに、複数の魔力反応が集中している。


 そして。


 その中心に、エレノアがいる。


 ……やってくれたな。


 俺は、静かに息を吐いた。


 そのとき。


 通信魔導具が、小さく震えた。


『……レオンハルト様』


 セバスティアンの声だった。


「……何だ?」


『……敵の人数が判明いたしました』


「……何人だ?」


『……およそ三十名。さらに、周囲に結界術師が数名おります』


 俺は、静かに頷いた。


「……わかった」


『……ガルディオ様にも連絡済みです。騎士団が向かっております』


「……ありがとう」


 俺は通信を切った。


 そして、ゆっくりと立ち上がった。


 ……さて。


 相手は、どうやら俺を怒らせたいらしい。


 なら。


 少しだけ、期待に応えてやろうか。


 俺は、静かに右手を上げた。


 《万有引力》。


 次の瞬間。


 身体が、ふわりと浮き上がる。


 そして。


 王都の空を、音もなく駆け抜けた。


 ◇◆◇


 路地の中央。


 エレノアは、黒い拘束魔法に足を取られていた。


 周囲には、まだ十数人の敵が残っている。


「……ふん」


 黒衣の男が、冷たく笑った。


「……さすがはヴァルディス公爵家の護衛騎士だ」


 エレノアは、静かに剣を構えた。


「……褒め言葉として、受け取っておきます」


「……だが、ここまでだ」


 男は、ゆっくりと短剣を抜いた。


「……お前には、少し眠ってもらう」


 そして。


 エレノアへ向かって、一歩踏み出した。


 その瞬間。


 ……ドンッ!!


 凄まじい衝撃が、路地を揺らした。


「……なっ!?」


 男たちが、一斉に振り返る。


 そこには。


 黒髪の少年が立っていた。


 深紅の瞳。


 冷たいほど整った顔立ち。


 そして、静かな怒りを宿した表情。


「……レオンハルト……様……!」


 エレノアが、目を見開いた。


 俺は、ゆっくりと彼女へ視線を向けた。


「……エレノア」


「……はい」


「……怪我は?」


 その声は、驚くほど穏やかだった。


「……ございません」


「……そうか」


 俺は、静かに頷いた。


 そして。


 周囲の男たちへ視線を向けた。


「……さて」


 俺は、小さく息を吐いた。


「……お前たち」


 その瞬間。


 空気が、重くなった。


 いや。


 比喩ではない。


 実際に、重力が増していた。


「……っ!?」


 男たちが、次々と膝をつく。


「……な、何だ……!?」


「……身体が……!」


 俺は、静かに歩き出した。


「……俺の大切な家族に」


 一歩。


「……よくも、手を出してくれたな」


 その声には、冷たい怒りが宿っていた。


 男たちは、恐怖に顔を歪める。


「……ひっ……!」


 俺は、ゆっくりと右手を上げた。


 《万有引力》。


 次の瞬間。


 男たちの武器が、一斉に宙へ浮かび上がった。


 そして。


 ガシャァァン!


 すべて、地面へ叩き落とされた。


「……なっ!?」


 男たちは、完全に戦意を失っていた。


 俺は、静かに告げた。


「……安心しろ」


 その声は、驚くほど穏やかだった。


「……殺しはしない」


 そして。


 ゆっくりと微笑んだ。


「……ただし、全部話してもらうぞ」


 ◇◆◇


 数分後。


 路地には、三十人近い男たちが拘束されていた。


 全員、生きている。


 怪我も、命に関わるものはない。


 エレノアは、静かに俺へ近づいてきた。


「……レオンハルト様」


「……ん?」


「……申し訳ございません」


 彼女は、深々と頭を下げた。


「……私の不注意で、ご迷惑をおかけしました」


 俺は、思わず目を瞬かせた。


「……何で謝るんだ?」


「……ですが」


「……エレノア」


 俺は、静かに彼女の肩へ手を置いた。


「……お前は、何も悪くない」


 その言葉に、彼女は目を見開いた。


「……レオンハルト様……」


「……それに」


 俺は、少しだけ笑った。


「……お前が無事で、よかった」


 その瞬間。


 エレノアの瞳が、潤んだ。


「……っ……!」


 彼女は、唇を噛んだ。


 そして。


 静かに頭を下げた。


「……ありがとうございます……!」


 俺は、優しく微笑んだ。


「……帰ろう」


「……はい」


 そのとき。


 背後から、低い声が響いた。


「……レオンハルト」


 振り返る。


 そこには。


 父アルフォンスが立っていた。


 その背後には、ガルディオ率いる騎士団。


 そして。


 母エレオノーラもいた。


「……父上、母上」


 父は、周囲の男たちを一瞥した。


「……これが、今回の襲撃犯か」


「はい」


 俺は、静かに頷いた。


「……全員、生きています」


「……よくやった」


 父は、満足そうに頷いた。


 だが。


 次の瞬間。


 その瞳が、恐ろしく冷たくなった。


「……我が息子の大切な者に、手を出したのか」


 男たちが、一斉に震えた。


 母も、静かに微笑んでいた。


「……そう」


 その声は、驚くほど優しかった。


「……レオンちゃんの大切なエレノアちゃんを、傷つけようとしたのね」


 ……あ。


 まずい。


 俺は、思わず目を細めた。


 母の周囲に、淡い銀色の魔力が漂い始めている。


「……母上」


「……なあに、レオンちゃん?」


「……落ち着いてください」


 母は、にっこりと笑った。


「……お母様、落ち着いているわよ?」


 ……絶対、嘘だ。


 俺は、深くため息をついた。


 父も、静かに口を開く。


「……エレオノーラ」


「……あなた」


「……ここは、私に任せろ」


 母は、少しだけ考えた。


 そして、ゆっくりと頷いた。


「……わかったわ」


 ……よかった。


 俺は、安堵した。


 だが。


 父の次の言葉で、その安心は吹き飛んだ。


「……ガルディオ」


「……はっ!」


「……この者たちを、全員拘束しろ」


「……承知!」


 父は、静かに続けた。


「……そして、背後関係を徹底的に調べ上げろ」


 その瞳には、揺るぎない怒りが宿っていた。


「……我が家族に手を出した者が、誰なのか」


 そして。


 低い声で告げた。


「……必ず、突き止める」


 その瞬間。


 男たちは、完全に絶望した表情を浮かべた。


 ◇◆◇


 その日の夜。


 ヴァルディス公爵家別邸。


 俺は、エレノアと共に庭園を歩いていた。


 夜空には、無数の星が輝いている。


「……レオンハルト様」


「……ん?」


「……今日は、本当にありがとうございました」


 彼女は、静かに頭を下げた。


「……もう、何度も聞いたぞ」


 俺は苦笑した。


「……でも」


 エレノアは、少しだけ俯いた。


「……私は、またあなたに救われました」


 その声には、どこか切なさが宿っていた。


「……六年前も、今日も」


 俺は、静かに彼女を見つめた。


「……エレノア」


「……はい」


「……お前は、俺にとって大切な家族だ」


 その瞬間。


 彼女の瞳が、大きく見開かれた。


「……家族……」


「ああ」


 俺は、静かに頷いた。


「……だから、守るのは当たり前だろ」


 エレノアは、しばらく黙っていた。


 そして。


 ゆっくりと微笑んだ。


「……ありがとうございます」


 その笑顔は、今まで見た中でも、特に美しかった。


 だが。


 彼女の胸の奥には、別の感情が芽生えていた。


 ……家族。


 その言葉は、嬉しかった。


 けれど。


 少しだけ、胸が痛んだ。


 なぜなら。


 彼女がレオンハルトへ抱いている想いは、忠誠だけではなかったからだ。


 ……いつか。


 いつか、この想いを伝えられる日が来るのだろうか。


 エレノアは、夜空を見上げた。


 そして、静かに胸元へ手を当てた。


 ……レオンハルト様。


 私は、これからも。


 あなたの隣に、いたいです。


 ◇◆◇


 同じ頃。


 王都の地下。


 黒い外套の男が、報告を受けていた。


「……襲撃部隊が、全滅した……?」


「……はい」


 部下が、震える声で答えた。


「……全員、ヴァルディス公爵家に拘束されました」


「…………」


 男は、しばらく黙っていた。


 そして、ゆっくりと笑った。


「……なるほど」


 その声には、奇妙な愉悦が宿っていた。


「……やはり、レオンハルト・ヴァルディスは危険だ」


 部下が、恐る恐る尋ねる。


「……いかがいたしますか?」


 男は、静かに答えた。


「……計画を変更する」


「……変更?」


「ああ」


 男は、机の上に置かれた書類を手に取った。


 そこには、レオンハルトの経歴が記されている。


 そして。


 ある名前に、赤い印がつけられていた。


 ヴィオレッタ・ローゼンベルク。


 レオンハルトの元婚約者。


 彼を裏切り、王太子と関係を持った少女。


「……この娘を、使う」


 男は、冷たく笑った。


「……過去の傷は、そう簡単には消えない」


 そして。


 静かに告げた。


「……次は、心を壊してやろう」


 ――黒き暴君を巡る陰謀は、さらに深い闇へと進んでいくのだった。

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