第82話 最強の血族、集結――黒狼と白銀の女帝
第82話 最強の血族、集結――黒狼と白銀の女帝
王国暦八二一年、秋月十二日。
王都の朝は、いつもと変わらず穏やかだった。
少なくとも、俺――レオンハルト・ヴァルディスは、そう思っていた。
「レオン様。本日は午前中に剣術の自主鍛錬、午後には学園の課題がございます」
「分かってるよ、セバスティアン」
「それと、急遽ご来客の予定が入りました」
「客?」
紅茶を口に運びかけた俺は、首を傾げた。
最近、公爵家には来客が多い。
王国教育評議会の関係者、学園の教師、王宮からの使者。
先日の不当な疑惑に関する後始末が、まだ完全には終わっていないからだ。
俺自身は、もう学園で普通に授業を受けられる。
リゼットへの疑惑も晴れた。
けれど、父上と母上は、あの一件を決して終わったことにはしていなかった。
「今度は誰が来るんだ?」
「それが……」
珍しく、完璧な執事であるセバスティアンが言い淀む。
「二組のご一行が、ほぼ同時に王都へ到着されたとのことです」
「二組?」
「はい。レオナード・ヴァルディス侯爵閣下。そして、イザベラ・シルヴェイン辺境伯閣下でございます」
「…………え?」
俺は紅茶のカップを持ったまま固まった。
いや、待て。
今、何と言った?
「叔父上と……伯母上?」
「左様でございます」
「二人とも!?」
「はい」
……これは大変なことになった。
レオナード・ヴァルディス。
父上アルフォンスの実弟にして、ヴァルディス侯爵家の当主。
異名は《黒狼》。
黒獅子と呼ばれる父上に唯一、剣で互角に渡り合えるとまで言われる男だ。
そして、イザベラ・シルヴェイン。
母上エレオノーラの実姉であり、北方辺境を治める女辺境伯。
異名は《白銀の女帝》。
銀月の魔女である母上と同格の魔導師。
二人とも、俺にとっては幼い頃から優しくしてくれた大切な親戚だ。
ただし。
一つだけ、共通する問題がある。
「……俺、何かやらかしたかな」
「レオン様が何かをなさったわけではございません」
セバスティアンは穏やかに微笑んだ。
「お二方とも、最近の学園での出来事をお耳にされたようです」
「…………」
嫌な予感しかしない。
◇
昼前。
公爵邸の正門前に、二台の豪華な馬車が停まった。
一台には、漆黒の狼を象った紋章。
もう一台には、銀の月桂樹と白銀の翼を組み合わせた紋章。
門衛たちが、背筋を伸ばす。
それも当然だ。
どちらも、王国の重鎮が乗る馬車なのだから。
先に降りてきたのは、黒髪に鋭い金色の瞳を持つ長身の男だった。
整った顔立ちには、どこか父上に似た面影がある。
しかし、父上が威厳に満ちた獅子なら、この男は獲物を見定める狼だ。
「やあ、久しぶりだね。兄上」
「……レオナード」
玄関前で待っていた父上が、低い声で答える。
「事前に連絡くらい寄越せ」
「送ったさ。到着する一時間前にね」
「それは事前連絡とは言わん」
「相変わらず堅いなあ、兄上は」
レオナード叔父上は軽く笑った。
だが、その笑顔が一瞬で消える。
「それで?」
声の温度が下がった。
「俺の可愛い甥を、学園が犯罪者扱いしたって話は本当か?」
空気が、ぴんと張り詰めた。
父上の表情も険しくなる。
「……事実だ。すでに訂正と処分は行わせた」
「処分?」
「ああ」
「それで、関わった者は全員責任を取ったのか?」
父上は答えなかった。
その沈黙だけで、叔父上には十分だったらしい。
「なるほどね」
叔父上が、静かに笑った。
「なら、まだ終わっていないわけだ」
そのとき。
もう一台の馬車の扉が開いた。
「レオナード。玄関先で殺気を漏らすのはおやめなさい」
涼やかな声が響く。
降りてきたのは、銀色の長い髪を背中に流した美しい女性だった。
紫水晶のような瞳。
凛とした佇まい。
身にまとった濃紫のドレスには、北方辺境伯家の紋章が刺繍されている。
イザベラ伯母上。
彼女が地面に足を下ろした瞬間、庭を吹き抜けていた風が、ぴたりと止まった。
……いや。
止まったように感じただけかもしれない。
それほどの魔力が、静かに周囲を満たしていた。
「姉様……」
母上が、一歩前に出る。
「久しぶりね、エレオノーラ」
「はい。ですが、どうして急に……」
「どうして?」
伯母上は微笑んだ。
とても美しい笑顔だった。
ただし、母上の顔から血の気が引いた。
「私の可愛い甥が、身に覚えのない罪を着せられたと聞いたのよ」
「……姉様」
「それなのに、誰も私に知らせてくれなかった」
「レオンなら、自分で解決できると思って……」
「エレオノーラ」
伯母上が、妹の名を呼んだ。
「強い子だから、傷つかないとでも?」
母上は言葉を失った。
「レオンハルトがどれほど強くなっても、あの子は私たちの大切な家族でしょう?」
「……はい」
「だったら、頼ってもらえる大人でいなければいけないわ」
その言葉を聞いて、俺は思わず足を止めた。
いつの間にか玄関まで出てきていたのだ。
そして。
「……叔父上? 伯母上?」
二人が同時に振り返った。
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「レオン!!」
「レオンちゃん!!」
「うわっ!?」
二人がものすごい勢いで駆け寄ってきた。
叔父上に肩を抱かれ、伯母上には反対側から抱き締められる。
「大きくなったなあ! いやあ、最後に会ったときよりずっと男前だ!」
「まあまあまあ! お顔を見せてちょうだい! ああ、なんて可愛いの!」
「ちょ、ちょっと、二人とも!」
「兄上! こんなに立派になった甥を独り占めしていたのか!」
「レオンちゃん、北方へ遊びにいらっしゃい。お城を一つ空けて待っているわ」
「城を一つ!?」
「当然でしょう?」
……うん。
思い出した。
この二人、俺のことになると、いろいろおかしくなるんだった。
「姉様! レオンちゃんは私の息子です!」
母上まで参戦してきた。
「分かっているわ。でも、私の甥でもあるのよ?」
「それとこれとは別です!」
「ふふ。昔から独占欲が強い子ね」
「姉様こそ!」
……助けて、父上。
俺が視線を向けると、父上は苦笑していた。
「諦めろ、レオン。あの二人を止めるのは、俺にも難しい」
「父上!?」
「何なら、俺も加わろうか?」
「余計に大変になるからやめてください!」
久しぶりに、公爵邸の玄関が笑い声に包まれた。
◇
「レオン兄様ぁぁぁっ!!」
今度は、聞き覚えのある少年の声が響いた。
振り向いた瞬間、銀髪の少年が飛び込んでくる。
「おっと!」
俺は反射的に受け止めた。
「ルシウス!?」
「はいっ! ルシウスです!」
銀髪に紫色の瞳。
十三歳になった俺の従弟、ルシウス・シルヴェイン。
イザベラ伯母上の長男だ。
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
「もちろんです! 兄様にお会いできる日を、ずっと楽しみにしていました!」
「ははっ。相変わらずだな」
頭を撫でると、ルシウスは満面の笑みを浮かべた。
「兄様! 聞いてください! 僕、火、水、風、土、雷の五属性を全部使えるようになったんです!」
「おお! すごいじゃないか!」
「それだけじゃありません! 三属性の同時展開も成功しました!」
「十三歳で!?」
思わず声が大きくなる。
五属性。
それは、この世界ではとんでもない才能だ。
一般的な魔導師は一属性、多くても二属性。
三属性を扱えれば天才と呼ばれる。
五属性ともなれば、王国全体を見渡しても数えるほどしかいないだろう。
「さすがルシウスだな!」
「えへへ……!」
少年は嬉しそうに目を細めた。
「でも、まだレオン兄様には遠く及びません!」
「いや、俺と比べなくてもいいんだぞ?」
「嫌です! 僕はいつか兄様の隣に立つんです!」
真っ直ぐな瞳。
その言葉には、少しも迷いがなかった。
……本当に、いい弟分だ。
「楽しみにしてるよ」
そう言って拳を差し出すと、ルシウスは嬉しそうに自分の拳を合わせた。
「はいっ!」
「……ちょっと、ルシウス?」
そのとき。
背後から、鈴のような声がした。
「お姉様への挨拶を忘れていないかしら?」
振り返る。
そこには、長い金髪を風に揺らす少女が立っていた。
澄んだ青い瞳。
白と淡い緑を基調とした上品な装い。
腰には、細身の美しい剣。
十六歳の侯爵令嬢。
レオナード叔父上の長女。
「……シャル姉?」
俺が名前を呼ぶと、少女の瞳が大きく見開かれた。
「レオン……?」
「久しぶり!」
「…………」
「どうしたの?」
「……本当に、レオンなの?」
「他に誰がいるんだよ」
するとシャルロットは、ゆっくりと近づいてきた。
俺の顔を見上げる。
そして。
「……大きくなったのね」
その声は、少しだけ震えていた。
「シャル姉も、すごく綺麗になったね」
「――っ!?」
ぼふっ、と音がしそうな勢いで、彼女の頬が赤くなる。
「な、何を言っているの!?」
「え? いや、久しぶりに会ったから……」
「そ、そういうことを、そんな簡単に……!」
シャルロットは口元を押さえた。
そして、小さく呟く。
「……ずるいわ」
「何が?」
「何でもない!」
……うん。
どうやら俺は、再会して早々に何かを間違えたらしい。
だが次の瞬間、彼女はふっと微笑んだ。
「お帰りなさい、レオン」
「ただいま、シャル姉」
シャルロットが、俺の手を取る。
その手は温かかった。
幼い頃、よく一緒に遊んだことを思い出す。
俺が転んだとき、真っ先に駆け寄ってくれたのは彼女だった。
剣の稽古で負けて悔しがっていたとき、次は勝てると励ましてくれたのも。
……そうだ。
俺には、こんなにもたくさんの家族がいたんだ。
◇
その夜。
公爵邸の大広間では、久しぶりに賑やかな夕食が開かれた。
ルシウスは俺の隣に座り、学園中等部での出来事を次々に話してくれた。
「それで、先生が五属性の測定器を持ってきたんですけど、途中で壊れてしまって!」
「……お前も測定器を壊したのか」
「兄様と同じですね!」
「いや、そこは喜ぶところじゃないぞ?」
反対側では、シャルロットが微笑んでいた。
「レオン。高等部では、困ったことがあったら私に言いなさいね」
「ありがとう。でも、シャル姉も授業があるだろ?」
「あなたのためなら、多少の予定は調整できるわ」
「いや、授業はちゃんと受けよう?」
「ふふ。真面目なのね」
父上と叔父上は酒杯を交わし、母上と伯母上は昔話に花を咲かせている。
ただの家族の食卓。
それなのに。
俺は、胸の奥が妙に熱くなるのを感じていた。
原作ゲームのレオンハルトは、こんな時間を過ごせただろうか。
……いや。
きっと、過ごせなかった。
自分を取り巻く愛情を信じられず、誇りと孤独の中で破滅していった。
そして、その死を知った父上と母上は、王国に復讐した。
俺はずっと、あの未来を変えようとしてきた。
だけど。
もしかしたら、俺が本当に変えなければならなかったのは――。
「レオン?」
シャルロットが、不思議そうに俺を見る。
「どうしたの? 急に黙って」
「……いや」
俺は笑った。
「こうしてみんなで食事できるのって、いいなと思って」
その瞬間。
食卓が静かになった。
そして母上が、目元を押さえた。
「レオンちゃん……!」
「えっ!? 母上!?」
「そんな嬉しいことを言うなんて……!」
「姉様、私も泣きそうだわ」
「叔父としても嬉しいねえ」
「兄様! 僕もずっと一緒に食事したいです!」
「……レオン」
父上が穏やかに笑う。
「お前がそう思ってくれるなら、それで十分だ」
……まったく。
この家族は、本当に大げさだ。
でも。
悪くない。
いや。
最高だと思った。
◇
夕食後。
俺とシャルロット、ルシウスが庭へ出た頃。
公爵邸の執務室には、四人の大人だけが残っていた。
黒獅子。
銀月の魔女。
黒狼。
白銀の女帝。
王国でも指折りの実力者たちが、同じテーブルを囲んでいる。
その空気は、先ほどの食卓とはまるで違っていた。
「……さて」
レオナードが、書類を机に置く。
「改めて聞こうか、兄上」
そこには、王立アストレア学園で発生した一連の事件の報告が記されていた。
「レオンは、証拠もないまま不正の関係者として公表された」
「ああ」
「その結果、担当者は処分され、関係した生徒の一部は退学になった」
「そうだ」
「なのに、中心人物と疑われる勇者候補は、一週間の停学だけ?」
レオナードの瞳が細くなる。
「随分と都合のいい裁定だね」
「証拠の不足と、王宮内の後ろ盾が影響したと見ている」
アルフォンスが答える。
「だからこそ、評議会の判断過程について追加の記録を要求した」
「賢明ね」
イザベラが口を開いた。
「ただし、私が気に入らないのは処分の軽さだけではないわ」
「姉様?」
「レオンハルトの名誉が、どれほど軽く扱われたかということよ」
彼女は、静かに指を組んだ。
「疑惑を公表するときには大々的に。訂正するときには形式的に。それで人の尊厳が元通りになると、本気で考えているのかしら?」
母上の周囲に、銀色の魔力が揺らめいた。
「……私も、同じことを考えていました」
「でしょうね」
レオナードが笑う。
ただし、目は笑っていなかった。
「兄上。俺は王都の政治が嫌いだ」
「知っている」
「連中は、剣を抜かずに人を傷つける。責任を取らずに、正義を語る」
「……ああ」
「だから領地にいた。でも、今回は別だ」
レオナードは、机の上の書類を指で叩いた。
「俺の甥に手を出した」
その瞬間。
室内の燭台が、かすかに震えた。
「それだけで、俺が王都へ来る理由としては十分だよ」
イザベラも、穏やかに微笑んだ。
「北方の兵を動かすつもりはないわ。少なくとも、今は」
その一言に、母上が苦笑する。
「姉様……」
「でも、王国の中枢にいる方々には理解していただきたいの」
紫の瞳が、冷たく光る。
「私たちが沈黙していたのは、無力だからではないということを」
アルフォンスは、深く息を吐いた。
「……お前たちの気持ちは分かった」
「兄上?」
「だが、レオンの戦いを奪うつもりはない」
父上は、はっきりと言った。
「あいつは、自分の力で仲間を守り、困難を乗り越えてきた。それを誇りに思っている」
「当然ね」
「だから、我らはあいつの代わりに敵を倒すのではない」
黒獅子の瞳が、鋭く光った。
「――あいつが理不尽に踏みにじられぬよう、背後を守る」
しばらくの沈黙。
そして。
レオナードが、にやりと笑った。
「いいね。兄上らしい」
イザベラも頷く。
「それなら、異論はないわ」
エレオノーラが、そっと微笑んだ。
「レオンちゃんには、自由に生きてほしいもの」
四人の視線が、一つに重なる。
王国のためではない。
権力のためでもない。
ただ一人の少年の未来を守るために。
四つの巨大な力が、今、同じ方向を向いた。
◇
夜更け。
庭のベンチに座っていた俺のところへ、父上たちがやってきた。
「レオン」
「父上?」
叔父上も、伯母上も、母上もいる。
……何だろう。
四人が並ぶと、さすがに迫力がすごい。
「少し、話をしてもいいか?」
「もちろんです」
父上は、俺の隣に腰を下ろした。
「学園の一件についてだ」
「……はい」
「お前は、なぜ我らに助けを求めなかった?」
思わず、言葉に詰まる。
「それは……」
自分で解決できると思った。
父上たちに余計な心配をかけたくなかった。
そして何より。
俺は、最強の力を持っている。
だから、一人で何とかしなければならない。
どこかで、そう思っていた。
「……迷惑をかけたくなかったんです」
すると。
「馬鹿だなあ、お前は」
叔父上が、くしゃっと俺の頭を撫でた。
「家族を守ることが、どうして迷惑になるんだ?」
「……叔父上」
「レオン。強い人間は、誰にも頼っちゃいけないのか?」
「それは……」
「違うだろ?」
叔父上は、優しく笑った。
「強いからこそ、誰かと肩を並べられるんだ」
伯母上が、俺の手を握る。
「レオンちゃん。あなたがどれほど強くなっても、私たちにとっては大切な甥っ子よ」
母上も、そっと肩を抱いてくれた。
「お母さんたちは、いつだってあなたの味方」
そして、父上が静かに告げた。
「レオン。覚えておけ」
黒獅子の声は、驚くほど穏やかだった。
「一人で勝てることと、一人で戦わなければならないことは違う」
俺は、顔を上げた。
「お前が一人で戦えば、最強の剣が一本あるだけだ」
父上は、叔父上と伯母上、そして母上を見た。
「だが、我らが揃えば――」
その瞳に、揺るぎない誇りが宿る。
「お前を孤独にできる敵など、この世には存在しない」
胸の奥が、熱くなった。
……そうか。
原作のレオンハルトは、力が足りなかったから滅びたんじゃない。
愛されていなかったからでもない。
ただ。
差し伸べられた手を、自分から振り払ってしまったんだ。
でも、今は違う。
俺には、守りたい仲間がいる。
大切な人たちがいる。
そして。
帰る場所がある。
「……ありがとうございます」
気づけば、俺は笑っていた。
「父上。母上。叔父上。伯母上」
四人の顔を、一人ずつ見つめる。
「俺、この家族に生まれて、本当によかったです」
次の瞬間。
母上と伯母上が、同時に俺を抱き締めた。
「レオンちゃぁぁん!」
「ああ、もう! なんていい子なの!」
「ぐえっ!? ちょ、苦しいです!」
叔父上は大笑いし、父上は満足そうに頷いている。
……やれやれ。
どうやら、俺がこの家族から逃げられる日は、一生来ないらしい。
でも。
それでいい。
俺はもう、一人じゃない。
そして、その夜。
ヴァルディス公爵邸に集った最強の血族の存在が、やがて王国の勢力図を大きく揺るがすことになるとは。
このときの俺は、まだ知らなかった。




