第81話 追放された者たち――退学者の後日談と勇者への憎悪
第81話 追放された者たち――退学者の後日談と勇者への憎悪
王国暦八二一年、秋月七日。
王都の朝は、いつも通りの賑わいに包まれていた。
商人たちが店を開き、馬車が石畳を走る。
人々は、昨日と変わらぬ日常を過ごしている。
だが。
その街の片隅で、人生を大きく変えられた少年たちがいた。
ダリオ・ベルクス。
ノエル・クレイン。
王立アストレア学園を退学になった二人である。
◇
王都南区。
小さな職人街の一角。
ダリオは、古びた木造の家の前に立っていた。
その手には、学園から返却された荷物。
そして、退学処分通知書。
「……くそっ」
低い声が漏れる。
扉を開けると、奥から父親の声がした。
「……帰ったのか」
「……ああ」
父親は、鍛冶職人だった。
日に焼けた肌。
傷だらけの手。
無口で、頑固な男。
その父親が、ダリオの手にある書類を見た。
「……それが、処分通知か」
「……そうだよ」
父親は、しばらく黙っていた。
そして。
「……何をした」
低い声で尋ねた。
ダリオは、顔を逸らした。
「……ちょっと、噂を広めただけだ」
――バンッ!
父親の拳が、机を叩いた。
「……ふざけるな!」
ダリオが、びくりと肩を震わせた。
「……何だよ!」
「噂を広めただけで、王立学園を退学になると思うか!」
父親の声が、怒りに震えていた。
「お前が、どれだけ恵まれた機会をもらっていたか、分かっているのか!」
ダリオは、拳を握り締めた。
「……分かってるよ!」
「分かっているなら、何故こんなことをした!」
沈黙。
ダリオは、何も答えられなかった。
王立アストレア学園。
平民にとって、そこへ入学することは大きな名誉だった。
卒業すれば、騎士団。
宮廷魔導師。
王国の官僚。
さまざまな道が開かれる。
だが。
その未来は、すべて失われた。
「……お前の学費のために」
父親が、静かに呟いた。
「母さんが、どれだけ働いたと思っている」
ダリオの胸が、締め付けられた。
「……っ」
「俺たちは、お前に偉くなってほしかったわけじゃない」
父親は、ゆっくりと続けた。
「……自分の力で、胸を張って生きてほしかっただけだ」
その言葉に、ダリオは俯いた。
だが。
謝ることはできなかった。
代わりに。
「……俺だけじゃない」
低い声が漏れる。
「……俺だけが悪いんじゃない」
父親が、眉をひそめた。
「……何?」
「……アルベルトだよ」
ダリオは、拳を握り締めた。
「……あいつが、全部考えたんだ」
その瞳に、怒りが宿る。
「……なのに」
声が震えた。
「……あいつだけ、一週間の停学だと?」
ダリオは、唇を噛んだ。
「……ふざけるなよ」
父親は、静かに息を吐いた。
「……たとえ、そいつに利用されたとしても」
ダリオが、顔を上げる。
「お前がやったことは、お前の責任だ」
その言葉が、胸に突き刺さった。
「……っ」
「人のせいにする前に、自分のしたことを考えろ」
ダリオは、何も言い返せなかった。
◇
数日後。
ダリオは、職人街で仕事を探していた。
だが。
王立学園を退学になったという噂は、すでに広まっていた。
「……悪いが、うちでは雇えない」
「……問題を起こした学生だろ?」
「……他を当たってくれ」
何度も断られた。
最初は、怒りを覚えた。
次に、悔しさ。
そして。
最後には、情けなさだけが残った。
夕暮れ。
ダリオは、街の噴水前に座っていた。
「……何やってんだ、俺」
小さく呟く。
思い出すのは、学園での日々。
平民の仲間たち。
貴族への反発。
アルベルトの言葉。
『僕たちが、学園を変えるんだ』
……あの時。
その言葉を、本気で信じていた。
だが。
結局、学園から追い出されたのは自分だった。
「……アルベルト」
ダリオは、ゆっくりと顔を上げた。
「……絶対に、忘れねえからな」
その瞳に、暗い光が宿った。
ただし。
彼は、まだ知らなかった。
自分の人生を立て直す機会が、すぐ近くに残されていることを。
◇
一方。
王都東区。
小さな貸家の一室。
ノエル・クレインは、机に向かっていた。
目の前には、退学処分通知書。
そして、何冊もの魔導書。
「……終わったんだな」
静かに呟く。
王立アストレア学園。
そこへ入学した時、自分は未来を信じていた。
平民でも、努力すれば認められる。
知識と才能があれば、貴族に負けない。
そんな世界を夢見ていた。
だが。
自分は、その理想を自ら壊してしまった。
「……馬鹿だな、僕は」
ノエルは、苦笑した。
その時。
――コン、コン。
扉が叩かれた。
「……はい」
扉を開くと、そこには一人の中年男性が立っていた。
茶色の髪。
丸い眼鏡。
穏やかな表情。
「……ノエル・クレイン君だね?」
「……はい」
「私は、王立魔導研究所の研究員、ハロルド・メイスだ」
ノエルは、目を見開いた。
「……王立魔導研究所?」
ハロルドは、静かに頷いた。
「君の解析能力について、話を聞いてね」
「……僕の?」
「ああ」
ハロルドは、一枚の書類を差し出した。
「今回の事件では、君は重大な過ちを犯した」
ノエルは、俯いた。
「……はい」
「だが、君が提出した証拠は、事件の解明に役立った」
ハロルドは、続けた。
「その行動を評価する者もいる」
ノエルは、顔を上げた。
「……それで?」
「研究所の外部補助員として、働いてみないか?」
ノエルは、息を呑んだ。
「……僕が?」
「もちろん、正式な研究員ではない」
ハロルドは、静かに説明した。
「機密研究には関われないし、まずは雑務からだ」
そして。
「君が信頼を取り戻せるかどうかは、これからの行動次第だ」
ノエルは、しばらく黙っていた。
そして。
「……ありがとうございます」
深く頭を下げた。
その目には、涙が浮かんでいた。
◇
数日後。
ノエルは、王立魔導研究所の外部補助員として働き始めた。
最初の仕事は、古い魔導書の整理。
破損した魔法水晶の分類。
そして、研究室の掃除。
かつての彼なら、不満を抱いていたかもしれない。
だが。
今は違った。
「……よし」
ノエルは、一冊の魔導書を棚へ戻した。
その手つきは、丁寧だった。
自分は、もう王立学園の特待生ではない。
誇れる肩書きもない。
だが。
もう一度、やり直すことはできる。
「……今度こそ」
ノエルは、静かに呟いた。
「……自分の力で、生きていこう」
その決意は、小さかった。
だが、確かなものだった。
◇
同じ頃。
ヴァルディス公爵家。
俺は、セバスティアンから報告を受けていた。
「……ダリオ・ベルクスとノエル・クレインの近況です」
「……ありがとう」
俺は、書類を受け取った。
ダリオは、職探しに苦労している。
ノエルは、王立魔導研究所で働き始めた。
……そうか。
俺は、静かに頷いた。
正直。
二人を許したわけじゃない。
リゼットを陥れたこと。
俺たちを犯罪者扱いさせたこと。
そして、舞踏会で多くの生徒を危険に晒したこと。
それらは、簡単に消えるものではない。
だが。
だからといって、二人が一生不幸であるべきだとも思わなかった。
「……セバスティアン」
「はい、レオンハルト様」
「ダリオの父親は、鍛冶職人だったな?」
「……はい」
「腕はどうなんだ?」
セバスティアンは、少しだけ微笑んだ。
「……非常に優秀だと聞いております」
俺は、少し考えた。
「……そうか」
そして。
「公爵家の工房で、人手が必要なところがあれば、紹介してやってくれ」
セバスティアンが、目を見開いた。
「……ダリオ本人に、ですか?」
「……ああ」
俺は、静かに頷いた。
「もちろん、特別扱いはしない」
そして。
「採用するかどうかは、工房の責任者に任せる」
セバスティアンは、深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
俺は、窓の外を見た。
誰かを罰すること。
誰かを許すこと。
そして、誰かにやり直す機会を与えること。
そのすべては、同じではない。
だが。
俺は、できることなら。
誰もが、もう一度立ち上がれる世界を作りたかった。
◇
その夜。
王都北区。
白鷹館。
豪華な応接室に、一人の青年が座っていた。
年齢は十八歳ほど。
整った顔立ち。
淡い金髪。
冷たい灰色の瞳。
その手には、王立アストレア学園の生徒名簿。
そして。
レオンハルト・ヴァルディスの名前が記された資料。
「……なるほど」
青年は、静かに微笑んだ。
「これが、黒獅子の息子か」
彼は、資料を閉じた。
「……面白い」
その瞳に、冷たい光が宿る。
「強さだけでは、貴族社会は渡れない」
そして。
「……教えてあげよう」
青年は、ゆっくりと立ち上がった。
「本当の権力というものを」
その背後には、銀色の鷹が描かれた旗が掲げられていた。
王立アストレア学園。
上級生たちが支配する、もう一つの世界。
その扉が、静かに開かれようとしていた。




