第80話 勇者の七日間――失われた信頼と揺るがぬ絆
第80話 勇者の七日間――失われた信頼と揺るがぬ絆
王国暦八二一年、秋月六日。
王立アストレア学園。
朝の教室には、久しぶりに穏やかな空気が流れていた。
舞踏会での襲撃事件。
リゼットへの冤罪。
俺に対する不当な処分。
そして、王国教育評議会による裁定。
入学してからまだそれほど経っていないというのに、ずいぶんと濃い日々を過ごしている。
……普通の学園生活って、何だったっけ。
「おーい、レオン!」
カイルが、いつもの調子で俺の肩を叩いた。
「今日の剣術、久しぶりに通常授業らしいぞ!」
「そうか。ようやくか」
「しかも実戦形式だってよ!」
その瞳が、嬉しそうに輝いている。
「今度こそ、お前から一本取ってやる!」
「楽しみにしてるよ」
「その余裕が腹立つんだよなあ!」
俺たちは笑い合った。
そんな俺たちの前へ、エドワード・グランフェルトが歩いてくる。
「……レオンハルト」
「エドワード?」
「先日の件、処分が決まったそうだな」
「ああ」
エドワードは、少しだけ眉をひそめた。
「……アルベルトの処分は、軽すぎるように思う」
カイルが、勢いよく頷いた。
「だよな!」
エドワードは、腕を組んだ。
「証拠が足りないのなら、重い罪を断定するべきではない。それは理解できる」
そして、俺を見た。
「だが、勇者候補だからという理由で判断が甘くなったのなら、それは間違いだ」
俺は、静かに頷いた。
「……俺もそう思う」
エドワードは、少しだけ笑った。
「ならば、次は剣で勝負だ」
「……急だな」
「お前に負けたままでは、気が済まん」
カイルが、横から割り込む。
「おいおい、俺との決着が先だろ!」
「お前とは引き分けだったからな」
「だから決着つけるんだろうが!」
……元気だな、この二人。
俺は、思わず笑ってしまった。
少なくとも。
こういう騒がしさなら、大歓迎だ。
◇
同じ頃。
王都の一角にある、勇者候補用の宿舎。
アルベルト・レイフォードは、一人で窓の外を眺めていた。
停学一週間。
学園への立ち入りは禁止。
ただし、勇者候補としての資格は維持されている。
宿舎も、奨学金も、失われていない。
表向きには、比較的軽い処分だった。
だが。
「……ふざけるな」
低い声が、室内に響く。
アルベルトは、机の上の新聞を握り潰した。
そこには、舞踏会事件の顛末が掲載されていた。
『黒星の継承者と蒼雷の若獅子、学園を救う』
『ヴァルディス公爵令息、無実が正式に確認』
『勇者候補アルベルト・レイフォード、一週間の停学』
その見出しを見るたびに、胸の奥が焼けつくようだった。
「……どうしてだ」
アルベルトは、拳を握り締めた。
「どうして、いつもレオンハルトなんだ……!」
自分こそが、勇者。
平民から選ばれた希望。
貴族の傲慢を打ち砕き、人々に称賛される存在。
そうなるはずだった。
なのに。
レオンハルトは、強い。
剣でも。
魔法でも。
人望でも。
そして、何より。
彼には、自分がどれほど欲しても手に入らなかったものがある。
心から信頼し合える仲間。
何があっても味方でいる家族。
さらに、王女まで。
「……全部、持っているくせに」
アルベルトの声が、歪んだ。
「……どうして、僕の居場所まで奪うんだ」
誰もいない部屋で、彼は笑った。
乾いた、冷たい笑いだった。
ノエルは退学した。
ダリオも退学した。
使える駒は、ほとんど残っていない。
それでも。
「……終わらせるものか」
アルベルトは、机の引き出しを開けた。
中には、一枚の招待状が入っていた。
差出人の名前はない。
ただ、黒い封蝋に刻まれた紋章。
銀色の鷹。
『停学期間中、退屈しているだろう』
『君の理想について、話がしたい』
『秋月十一日。王都北区、白鷹館にて』
アルベルトは、ゆっくりと目を細めた。
「……上級生、か」
その口元に、笑みが戻った。
「……面白そうじゃないか」
◇
午後。
王立アストレア学園、剣術訓練場。
俺は、カイルと向かい合っていた。
「……いくぞ、レオン!」
「いつでも」
カイルが、地面を蹴った。
――バチィッ!
青い雷光が、その身体を包む。
「《雷燕》!」
速い。
以前よりも、明らかに速くなっている。
舞踏会で第二の封印を解放して以来、カイルの魔力はさらに洗練されていた。
俺は、木剣を構える。
――キィン!
鋭い一撃。
続く二撃。
そして三撃目。
カイルの身体が、青い残光を残して横へ滑った。
「……そこだ!」
――ガキィン!
俺は、木剣で受け止めた。
……なるほど。
ただ速くなっただけじゃない。
動きに、迷いがなくなっている。
「……いい動きだな」
「だろ!」
カイルが、嬉しそうに笑う。
「お前と一緒に、あの化け物を倒したからな!」
俺も、自然と笑っていた。
「……ああ」
その瞬間。
胸の奥に、微かな熱が宿った。
黒い星の紋章。
そして。
カイルの胸に刻まれた、青い星。
二つの光が、わずかに共鳴する。
……やっぱり。
七つの絆。
その二つ目は、友情。
俺たちが共に戦い、互いを信じたことで解放された力。
だが。
残りは五つ。
そして、期限は二年。
俺は、木剣を握り直した。
「……カイル」
「何だ?」
「これからも、よろしくな」
カイルは、一瞬だけ驚いた顔をした。
そして。
「……何だよ、急に!」
満面の笑みを浮かべる。
「当たり前だろ!」
――ガキィン!
再び、木剣がぶつかり合った。
◇
夕方。
学園の庭園。
俺は、セレスと二人で歩いていた。
秋の風が、木々の葉を揺らしている。
「……レオン」
「何だ?」
「今回の件、本当に怖かったわ」
セレスは、静かに言った。
「あなたが疑われたことも、学園があなたを守らなかったことも」
「……心配かけたな」
「ええ」
彼女は、足を止めた。
「でも、一番怖かったのは……」
俺を見つめる。
「あなたが、何でも一人で背負おうとすることよ」
……。
俺は、少しだけ目を見開いた。
セレスは、続けた。
「あなたは強い。誰よりも」
その声は、優しかった。
「でも、強いからって、全部一人で解決しなくていいの」
俺は、静かに頷いた。
「……分かってる」
「本当に?」
「……努力する」
セレスは、小さく笑った。
「それなら、よろしい」
そして。
そっと、俺の手を握った。
「……私も、あなたの味方だから」
その温もりが、胸に染みた。
「……ありがとう、セレス」
彼女は、少しだけ頬を赤くした。
「……それと」
「……ん?」
「前に伝えた返事、急がなくていいわ」
セレスは、真っ直ぐ俺を見つめた。
「でも、忘れないでね」
……告白のことか。
俺は、静かに頷いた。
「……忘れてないよ」
その瞬間。
セレスの表情が、ぱっと明るくなった。
「……そう」
彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
……反則だろ、その笑顔。
◇
その夜。
ヴァルディス公爵家。
夕食後、俺は父上の執務室を訪ねた。
「……父上」
「レオンか。入れ」
父上は、机の上の書類を閉じた。
「……どうした?」
「今回の事件について、少し聞きたいことがあります」
父上は、静かに頷いた。
「……話してみろ」
「アルベルトの処分です」
その名を聞いた瞬間、父上の表情がわずかに険しくなった。
「……一週間の停学だったな」
「はい」
「……納得できないか?」
俺は、少し考えた。
「……処分そのものより、判断の理由が気になります」
父上は、静かに俺を見つめた。
「……続けろ」
「証拠が足りないなら、重い処分を下せないのは分かります」
俺は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「でも、勇者候補だから軽くするというのは、違うと思うんです」
父上は、しばらく黙っていた。
そして。
「……その通りだ」
静かに頷いた。
「勇者候補であろうと、公爵家の嫡男であろうと、法と規則の前では公平でなければならん」
「……はい」
「だからこそ、私は今回の裁定について、正式な審査記録の開示を求めている」
俺は、目を見開いた。
「……そこまで?」
「当然だ」
父上は、静かに答えた。
「処分が下されたから終わりではない。学園の判断が正しかったのか、確認する必要がある」
その言葉に、俺は深く頷いた。
……やっぱり、父上はすごい。
怒りに任せて力を振るうのではなく、責任を追及する。
俺も、こういう人間になりたい。
その時。
「……レオンちゃーん!」
扉の向こうから、母上の声がした。
「……お母さんとお茶しましょー!」
……あ。
父上が、小さく笑った。
「……行ってやれ」
「……はい」
俺は、思わず苦笑した。
こうして。
ようやく、少しだけ平穏な日常が戻り始めた。
だが。
その裏側で。
停学中の勇者候補は、すでに次の協力者へ手を伸ばそうとしていた。
今度の相手は、一年生ではない。
王立アストレア学園の上級生。
そして。
貴族社会の暗部を知り尽くした、一人の青年だった。




