第77話 王国を震わせる公爵家の怒り――紙一枚の謝罪では済まされない
第77話 王国を震わせる公爵家の怒り――紙一枚の謝罪では済まされない
王国暦八二一年、秋月三日。
王立アストレア学園。
前日の出来事は、学園全体へ瞬く間に広まっていた。
『黒獅子が学園長室で激怒した』
『銀月の魔女が、部屋を凍らせた』
『王国教育評議会が調査に乗り出すらしい』
噂は、どれも事実だった。
そして。
その日の朝。
学園の中央掲示板に、新たな通知が貼り出された。
『レオンハルト・ヴァルディスおよびリゼット・クローディアに対する施設利用制限を解除する』
『両名の関与を示す証拠は確認されなかった』
『学園側の不十分な調査について謝罪する』
俺は、その紙を見つめていた。
「……ふうん」
隣にいたカイルが、眉をひそめる。
「……何だよ、これ」
「……謝罪文だな」
「いや、そういうことじゃねえよ!」
カイルは、紙を指差した。
「これだけか!?」
俺は、静かに頷いた。
「……みたいだな」
「ふざけんなよ!」
カイルの声が、少し大きくなった。
「お前ら、命懸けで学園を守ったんだぞ!」
周囲の生徒たちが、こちらを見る。
「それなのに、証拠もなく疑って、名前を晒して!」
カイルは、拳を握り締めた。
「……最後は、紙一枚かよ!」
俺は、何も言わなかった。
正直。
俺も、同じことを思っていた。
だが。
この紙が、最後の謝罪になることはなかった。
◇
その日の午前。
王立アストレア学園、大講堂。
修復工事が一時中断され、学園の全教職員が集められていた。
壇上には、学園長。
その隣には、王国教育評議会の監察官たち。
そして。
アルフォンス・ヴァルディス。
エレオノーラ・ヴァルディス。
二人が並んで立っていた。
学園長が、緊張した声で口を開いた。
「……今回の件につきまして、学園として深く反省し……」
「……待て」
アルフォンスが、静かに遮った。
学園長が、息を呑む。
「……閣下?」
「反省?」
アルフォンスは、ゆっくりと首を傾げた。
「何を反省したのだ?」
「……それは、調査が不十分だったことを……」
「それだけか?」
沈黙。
「証拠もなく生徒を疑ったこと」
アルフォンスが、一歩前へ出る。
「本人の説明を十分に確認しなかったこと」
さらに一歩。
「名誉を傷つける通知を、学園全体へ掲示したこと」
その声が、低くなる。
「そして、間違いが判明した後も、紙一枚で済ませようとしたこと」
学園長の顔色が、青ざめた。
「……閣下、我々は……」
「貴様らは、子どもの人生を何だと思っている!」
――ドォンッ!
アルフォンスの闘気が、壇上を揺らした。
壁に掛けられた旗が、激しくはためく。
教職員たちが、一斉に息を呑んだ。
「たった一枚の紙で、人の名誉が戻るとでも思ったか!」
学園長は、言葉を失った。
「貴様らが広めた疑惑は、すでに学園中へ広がっている!」
アルフォンスの声が、怒りに震えた。
「それを、どうやって取り消すつもりだ!」
沈黙。
誰も答えられなかった。
◇
「……あなた」
エレオノーラが、静かに口を開いた。
アルフォンスは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ああ」
そして、彼女へ場所を譲った。
エレオノーラは、優雅に微笑んだ。
「……皆さん」
その声は、驚くほど穏やかだった。
「私、昨日からずっと考えていたの」
彼女は、教職員たちを見渡した。
「……もし、レオンちゃんが公爵家の息子じゃなかったら、どうなっていたのかしら?」
誰も答えない。
「もし、あの子に強い力がなかったら?」
銀色の髪が、静かに揺れる。
「もし、私たちが助けに来られなかったら?」
沈黙。
「……きっと」
エレオノーラの声が、少しだけ震えた。
「……誰にも信じてもらえずに、泣いていたかもしれないわね」
その言葉に、何人かの教官が俯いた。
「……私、それが一番許せないの」
エレオノーラは、静かに微笑んだ。
「子どもたちを守るはずの学園が、子どもたちを傷つけた」
その瞬間。
大講堂の温度が、急激に下がった。
――パキン。
壇上の床に、白い霜が広がる。
「……っ!」
教職員たちが、思わず後退した。
「……だから」
エレオノーラの紫色の瞳が、冷たく輝く。
「……私は、謝罪文一枚で終わらせるつもりはありません」
◇
その後。
王国教育評議会の代表が、正式な対応方針を読み上げた。
第一に、今回の不当な処分について、学園長と担当監察官が当事者へ直接謝罪すること。
第二に、学園全体へ正式な説明を行い、誤った情報を訂正すること。
第三に、今回の調査に関与した教職員の判断過程を、外部監察官が検証すること。
第四に、同様の冤罪を防ぐため、学園の監察制度を見直すこと。
そして。
第五に、故意の捏造や隠蔽が確認された場合、関与者の責任を厳正に問うこと。
学園長は、深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
アルフォンスは、静かに頷いた。
「……当然だ」
そして、冷たく続けた。
「これは、特別な要求ではない」
彼は、教職員たちを見渡した。
「本来、学園が自ら行うべきことだ」
その言葉に、誰も反論できなかった。
◇
午後。
学園の講堂に、生徒たちが集められた。
壇上には、学園長。
そして、レオンハルトとリゼット。
俺は、正直少し居心地が悪かった。
……いや。
何で、こんな大事になってるんだ?
隣のリゼットも、少し緊張している。
「……レオン」
「何?」
「……すごいことになったわね」
「……そうだな」
俺たちは、小さく苦笑した。
その時。
学園長が、深く頭を下げた。
「……レオンハルト・ヴァルディス君」
「……はい」
「リゼット・クローディア君」
「……はい」
「今回、学園は不十分な調査によって、両名の名誉を著しく傷つけました」
会場が、静まり返る。
「……このことについて、学園を代表して深く謝罪いたします」
学園長は、さらに深く頭を下げた。
そして、監察官も続いた。
「……申し訳ありませんでした」
俺は、静かにその姿を見つめていた。
正直、複雑な気持ちだった。
怒りがないわけじゃない。
だが。
ここで、必要以上に相手を追い詰めたいとも思わなかった。
「……学園長先生」
俺は、静かに口を開いた。
「……はい」
「謝罪は受け取ります」
学園長が、顔を上げた。
「……ありがとうございます」
「でも」
俺は、ゆっくりと続けた。
「これで全部終わったとは、思っていません」
会場が、静まり返った。
「まだ、事件を起こした人間は見つかっていない」
俺は、学園長を見つめた。
「そして、リゼットの解析記録を改ざんした人間も」
学園長は、深く頷いた。
「……その通りです」
「だから、最後まで調べてください」
俺は、静かに言った。
「同じことが、他の誰かに起きないように」
その言葉に、学園長は、もう一度頭を下げた。
「……必ず」
◇
その日の夕方。
生徒会室。
フィオナは、リゼットと共に解析記録を確認していた。
「……やっぱり、ここね」
リゼットが、保存水晶を指差した。
「この記録、後から上書きされている」
フィオナが頷く。
「……誰が?」
「まだ、断定できない」
リゼットは、静かに答えた。
「でも、手掛かりはあるわ」
彼女は、魔法陣を展開した。
紫色の光が、空中に広がる。
そして。
保存水晶の内部に、ある数字が浮かび上がった。
「……これは?」
フィオナが尋ねる。
「解析室の入退室記録よ」
リゼットは、ゆっくりと目を細めた。
「……誰かが、私の退出後に入っている」
フィオナは、記録を確認した。
そして。
「……ノエル・クレイン」
その名を、静かに読み上げた。
リゼットが、眉をひそめる。
「……知ってるの?」
「ええ」
フィオナは、ゆっくりと頷いた。
「レオンハルト様に関する曖昧な目撃証言を持ち込んだ生徒よ」
沈黙。
そして。
「……なるほど」
リゼットは、静かに笑った。
「ようやく、尻尾が見えてきたわね」
◇
同じ頃。
旧校舎。
アルベルト・レイフォードは、窓の外を見つめていた。
「……面倒なことになった」
その声には、苛立ちが滲んでいた。
公爵夫妻の怒り。
王国教育評議会の介入。
そして、解析記録の再調査。
すべてが、彼の予想を超えていた。
「……アルベルト」
ノエルが、静かに口を開いた。
「……何だ?」
「……もう、やめよう」
アルベルトが、ゆっくりと振り向いた。
「……何を?」
「……レオンハルトを陥れるのは、もう無理だ」
沈黙。
アルベルトは、爽やかな笑顔を浮かべた。
「……何を言ってるんだい?」
「……僕たちは、やりすぎた」
ノエルの声が、震えていた。
「……これ以上は、本当に取り返しがつかなくなる」
アルベルトは、しばらく黙っていた。
そして。
「……そうか」
ゆっくりと頷いた。
「……なら、君はもう必要ないね」
ノエルの顔から、血の気が引いた。
「……え?」
アルベルトは、静かに微笑んだ。
「……今まで、ありがとう」
その瞳には、何の温かさもなかった。
ノエルは、初めて理解した。
この男にとって、自分は友人ではなかった。
ただの道具だったのだ。
そして。
その夜。
ノエル・クレインは、一通の封筒を手に、生徒会室へ向かうことになる。
その封筒には。
偽善の勇者の運命を変える、重大な証拠が入っていた。




