第72話 黒獅子と銀月の魔女、来校――最強公爵家の静かなる怒り
第72話 黒獅子と銀月の魔女、来校――最強公爵家の静かなる怒り
王国暦八二一年、夏月三十日。
王立アストレア学園。
昨夜の交流舞踏会で起きた事件から、一夜が明けた。
大講堂の一部は損壊し、授業は午前中のみ休講。
生徒たちの間では、古代の黒い巨人と、それを倒した二人の新入生の話題でもちきりだった。
「見たか、あの雷!」
「カイル・アッシュフォード様だろ?」
「でも、最後の一撃はレオンハルト様だった!」
「七つの星が光ったって、本当なのかな……」
そんな会話を聞きながら、俺は中庭のベンチに座っていた。
隣にはカイル。
そして、いつものようにセレスたちがいる。
「……で、レオン」
カイルが妙に真剣な顔で尋ねてきた。
「昨日のアレ、結局何だったんだ?」
「古代の封印に関係する守護兵器……だと思う」
「だと思うって、お前なあ」
「俺だって全部分かってるわけじゃないんだよ」
実際、あの巨人が現れた理由は分かっていない。
誰かが魔道具を起動させたこと。
その魔力が、王城地下の古代封印に干渉したこと。
そして、俺とカイルの絆が第二封印を解いたこと。
そこまでは推測できる。
だが、誰が何のために仕掛けたのか。
それは、まだ分からない。
「……でも、昨日は助かったよ」
俺が言うと、カイルはにやりと笑った。
「おう。次も任せろ!」
「次がない方がいいんだけどな」
「そりゃそうだ!」
俺たちは笑い合った。
その時だった。
学園の正門方面から、妙なざわめきが聞こえてきた。
「……何だ?」
アリシアが立ち上がる。
リゼットも首を傾げた。
「何かあったのかしら?」
次の瞬間。
学園の鐘が、三度鳴った。
通常の授業開始を知らせる鐘ではない。
王族、あるいはそれに準ずる重要人物の来訪を告げる特別な鐘。
「……まさか」
セレスが、小さく呟いた。
そして。
正門の向こうから、一台の黒い馬車が姿を現した。
扉に刻まれた紋章。
黒獅子と銀月。
ヴァルディス公爵家の家紋だった。
「……あ」
俺は、思わず立ち上がった。
……父上。
……母上。
来ちゃったのか。
◇
馬車が止まる。
護衛騎士たちが、左右へ整列した。
そして、扉が開く。
最初に降り立ったのは、一人の男だった。
黒い髪。
鋭い眼差し。
無駄のない体格。
その身に纏う威厳は、周囲の空気そのものを変えてしまうほどだった。
アルフォンス・ヴァルディス。
王国最強の剣士の一人。
通称――黒獅子。
「……っ!」
周囲の生徒たちが、一斉に息を呑んだ。
「……あれが、黒獅子……」
「本物のアルフォンス公爵……!」
だが、驚きはそれだけでは終わらなかった。
続いて馬車から降り立ったのは、銀色の髪を持つ美しい女性。
紫色の瞳。
優雅な微笑み。
そして、その身体から感じられる、底知れない魔力。
エレオノーラ・ヴァルディス。
銀月の魔女。
王国でも指折りの大魔導師。
母上だった。
「……まあ」
母上は、学園を見渡した。
「ここがレオンちゃんの通っている学園なのね」
その声は、とても穏やかだった。
だが。
近くにいた教官たちの表情が、明らかに強張っている。
……何だろう。
父上も母上も、別に怒鳴ってないのに。
何故か、空気が重い。
その時。
「……レオンちゃん!」
母上が、俺を見つけた。
次の瞬間。
さっきまでの冷たい雰囲気が、一瞬で消えた。
「レオンちゃあああん!」
「……母上!?」
母上が、全速力で駆け寄ってきた。
そして。
――ぎゅうっ!
「……っ!?」
思いきり抱き締められた。
「よかった……! 本当によかった……!」
母上の声が、少し震えている。
「昨日、学園で大変なことがあったって聞いて……お母さん、心配で……!」
「……母上」
俺は、そっと背中へ手を回した。
「大丈夫ですよ。怪我もしてません」
「……本当に?」
「はい」
母上は、俺の顔を両手で包んだ。
そして、何度も確認するように見つめてくる。
「……痛いところは?」
「ありません」
「……魔力の乱れは?」
「ありません」
「……怖くなかった?」
「……それは、少しだけ」
嘘はつかなかった。
大勢の生徒が巻き込まれた時は、確かに怖かった。
誰かを守れないかもしれない。
その可能性が、何より恐ろしかった。
母上の表情が、少しだけ変わった。
「……そう」
そして、もう一度抱き締めてくれた。
「……頑張ったわね、レオンちゃん」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。
◇
「……レオン」
今度は、父上が近づいてきた。
「父上」
「無事で何よりだ」
父上は、俺の肩へ手を置いた。
大きく、温かい手だった。
「よく皆を守ったな」
「……ありがとうございます」
「だが、無茶はするな」
その声は、静かだった。
「お前がどれほど強くても、父親として心配する気持ちは変わらん」
俺は、素直に頷いた。
「……はい」
その時。
「……アルフォンス公爵閣下!」
学園長が、慌てた様子で駆け寄ってきた。
白髪の老学者。
王立アストレア学園を長年率いてきた人物だ。
「このたびは、ご子息を危険に晒してしまい……」
「学園長」
父上が、静かに口を開いた。
たった一言。
それだけで、学園長の言葉が止まった。
「まずは、事実を確認したい」
「……は、はい」
「昨夜の事件は、自然発生したものなのか?」
学園長は、答えに詰まった。
「……現在、調査中でございます」
「そうか」
父上は、ゆっくりと頷いた。
「では、調査結果を聞かせてもらおう」
その声に、怒鳴るような迫力はない。
だが、逆にそれが恐ろしかった。
母上も、静かに微笑んでいる。
「ええ。私も、ぜひ知りたいわ」
銀色の髪が、風に揺れた。
「うちのレオンちゃんが通う学園で、どうしてあんな危険な事件が起きたのか」
学園長の額に、汗が浮かぶ。
「……ご案内いたします」
こうして。
黒獅子と銀月の魔女は、学園長室へ向かった。
◇
その光景を、少し離れた場所から見ていた者がいた。
アルベルト・レイフォード。
彼は、唇を噛み締めていた。
「……まさか、本人たちが来るなんて」
隣のノエルが、低い声で呟く。
「……まずいよ、アルベルト」
「……何が?」
「ヴァルディス公爵家が、本格的に調査へ関わる」
アルベルトは、表情を変えなかった。
だが、背中には冷たい汗が流れていた。
……落ち着け。
証拠は残していない。
魔道具は壊れた。
自分が直接、術式を起動したところを見た者はいない。
そう考えた、その時。
「……アルベルト君」
背後から、声がした。
振り向く。
そこには、フィオナ・エルグランデが立っていた。
「……生徒会長?」
「少し、お話があるの」
その微笑みは、いつも通り優雅だった。
だが、瞳は笑っていなかった。
「昨夜の事件について、いくつか確認したいことがあるわ」
アルベルトの喉が、小さく鳴った。
「……もちろんです」
彼は、爽やかな笑顔を浮かべた。
「僕に分かることなら、何でも」
フィオナは、静かに頷いた。
「ありがとう」
そして。
「では、まず一つ」
彼女は、一枚の紙を取り出した。
「あなたは昨夜、会場東側の警備配置が変更されていたことを知っていたかしら?」
アルベルトの笑顔が、ほんの一瞬だけ固まった。
……何故、それを。
彼は、ゆっくりと息を吸った。
「……いいえ。初めて聞きました」
フィオナは、その答えを静かに記録した。
「そう。分かったわ」
だが。
彼女の目には、確かな疑念が宿っていた。
◇
同じ頃。
学園長室。
父上は、机の上に置かれた報告書を読んでいた。
母上は、その隣に立っている。
学園長は、緊張した様子で説明を続けていた。
「……現在、事件に使われた魔道具の残骸を解析しております」
「……魔道具?」
父上の声が、低くなった。
「はい。自然発生ではなく、何者かが術式を起動した可能性が高いと……」
沈黙。
そして。
「……なるほど」
父上は、静かに報告書を閉じた。
母上が、微笑んだ。
「……つまり」
その声は、とても優しかった。
「誰かが、わざと事件を起こしたかもしれないのね?」
「……は、はい」
「……そう」
母上は、窓の外を見た。
そして、静かに呟いた。
「……うちのレオンちゃんが、あそこにいたのに?」
室内の温度が、わずかに下がった。
窓ガラスに、薄い霜が降りる。
父上は、母上の肩へ手を置いた。
「……エレオノーラ」
「……分かっているわ」
母上は、ゆっくりと微笑んだ。
「まだ、何もしないわよ」
そして、学園長へ視線を戻した。
「……だから」
紫色の瞳が、冷たく輝いた。
「必ず、真実を明らかにしてくださいね?」
学園長は、深く頭を下げた。
「……全力を尽くします」
こうして。
王立アストレア学園の調査は、ただの学内問題ではなくなった。
黒獅子と銀月の魔女。
二人が見守る中。
偽善の勇者を追い詰める、静かな調査が始まった。




