第67話 偽善の勇者が仕掛けた罠――最強公爵令息の静かな怒り
第67話 偽善の勇者が仕掛けた罠――最強公爵令息の静かな怒り
王国暦八二一年、夏月二十六日。
王立アストレア学園の交流舞踏会まで、あと三日。
学園全体が、どこか浮き足立っていた。
廊下では礼装の話題。
教室ではパートナーの相談。
中庭では、ダンスの練習をする生徒たちの姿も見える。
……平和だな。
俺は窓の外を眺めながら、そう思っていた。
その時。
「レオン!」
教室の扉が勢いよく開いた。
飛び込んできたのは、カイルだった。
「どうした?」
「ちょっと来い!」
「……何かあったのか?」
「いいから!」
いつになく真剣な表情。
俺は椅子から立ち上がった。
◇
学園の中央広場。
そこには、大勢の生徒が集まっていた。
中心にいるのは、ダリオ・ベルクス。
その隣には、ノエル・クレイン。
そして少し離れた場所に、アルベルト・レイフォードが立っていた。
「……何だ、またあいつらか」
俺が呟くと、カイルが眉をひそめた。
「今度は、ちょっと厄介だぞ」
広場の中央。
そこには、一人の女子生徒が立っていた。
淡い栗色の髪。
小柄な身体。
胸元には、平民特待生の徽章。
少女は俯いたまま、両手を握り締めている。
「……誰だ?」
「ミア・フェルナー。平民出身の新入生だ」
カイルが答えた。
「魔法の成績が良くて、奨学金で入学したらしい」
なるほど。
だが、どうしてそんな子が囲まれているんだ?
俺が近づこうとした、その時。
「皆さん、聞いてください!」
ダリオが大声を上げた。
「この学園では、貴族による平民への差別が行われています!」
……は?
周囲がざわめく。
「そして、その中心にいるのが――」
ダリオの指が、俺を指した。
「レオンハルト・ヴァルディスだ!」
……。
……また俺か。
「何の話だ?」
俺が尋ねると、ダリオは勝ち誇ったように笑った。
「とぼけるなよ! お前、ミアに舞踏会の参加を辞退するよう圧力をかけただろ!」
「……は?」
完全に初耳だった。
俺は少女を見た。
「……ミア、だったかな?」
少女が、びくりと肩を震わせる。
「は、はい……」
「俺たち、話したことある?」
「……ありません」
周囲が静まり返った。
ダリオの顔が、一瞬だけ強張る。
「そ、それは関係ないだろ!」
「いや、関係あると思うけど」
俺は首を傾げた。
「話したこともない相手に、どうやって圧力をかけるんだ?」
周囲から、微かな笑いが漏れた。
ノエルがすぐに口を挟む。
「直接言わなくても、周囲の人間を使うことはできるだろう?」
「……なるほど」
俺は頷いた。
「じゃあ、誰が言ったんだ?」
沈黙。
「名前を教えてくれれば、確認できるだろ?」
ノエルの笑顔が、少しだけ引きつった。
すると、アルベルトが一歩前へ出た。
「まあまあ、レオンハルト君」
爽やかな笑顔。
「彼女も、怖い思いをしたんだ。あまり問い詰めるのはよくないよ」
「……問い詰めてるつもりはないけど」
「君は公爵家の人間だからね。何気ない言葉でも、相手には圧力になることがあるんだ」
……なるほど。
そういう方向に持っていきたいのか。
俺は少しだけ考えた。
そして、ミアへ視線を向けた。
「……ミア」
「は、はい!」
「俺が怖いなら、無理に答えなくていい」
少女が顔を上げた。
「ただ、一つだけ教えてほしい」
「……何でしょうか?」
「君は、本当は舞踏会に参加したいのか?」
ミアは、しばらく黙っていた。
そして。
「……はい」
小さな声だった。
「私、参加したいです……」
その目に、涙が浮かんでいた。
「せっかく、この学園に入れたから……」
俺は頷いた。
「なら、参加すればいい」
「……え?」
「舞踏会は、みんなのための行事なんだろ?」
俺は笑った。
「家柄なんて関係ない。楽しみたいなら、堂々と参加すればいいよ」
ミアの目が、大きく見開かれた。
その瞬間。
「……綺麗事を言うな!」
ダリオが叫んだ。
「お前みたいな公爵家の人間に、平民の気持ちなんか分かるか!」
俺は静かに答えた。
「全部は分からないと思う」
「ほら見ろ!」
「だから、本人の話を聞いてるんだよ」
「……っ!」
ダリオが言葉を詰まらせた。
その時。
「そこまでだ」
低い声が響いた。
カイルだった。
彼は俺の隣へ立つと、ダリオたちを睨んだ。
「お前ら、いい加減にしろよ」
「……何だよ、また公爵家の犬か?」
ダリオが吐き捨てた。
カイルの表情が、わずかに変わった。
だが、俺の方が先に口を開いていた。
「……ダリオ」
静かな声だった。
「前にも言ったよな」
俺は一歩前へ出た。
「俺のことは、好きに言えばいい」
周囲の空気が、ゆっくりと変わる。
「でも、俺の友達を侮辱するのはやめてくれ」
ダリオが鼻で笑った。
「はっ! 何だよ、脅すつもりか?」
「違う」
俺は首を横に振った。
「お願いしてるんだ」
ただ、それだけだった。
だが。
俺の視線を受けたダリオは、何故か一歩後退した。
「……っ!?」
その瞬間。
アルベルトが、わずかに目を細めた。
――今だ。
彼はそう思った。
レオンハルトが怒っている。
このまま挑発すれば、きっと力を使う。
そうなれば、公爵家の横暴として広められる。
アルベルトは、穏やかな声で言った。
「レオンハルト君。落ち着いてくれ」
「……?」
「君が強いのは分かっている。でも、力で黙らせるのはよくないよ」
周囲がざわめいた。
俺はアルベルトを見た。
「……力?」
「そうだ。君は圧倒的な魔力を持っている。だからこそ、弱い立場の人間を怖がらせてはいけない」
……なるほど。
ようやく、少し分かってきた。
俺が怒るのを待っているのか。
なら。
「……分かった」
俺は、ゆっくりと両手を上げた。
「俺は何もしないよ」
アルベルトの笑顔が、一瞬だけ固まった。
「……え?」
「疑惑があるなら、学園側に調べてもらおう」
俺は周囲の生徒たちへ視線を向けた。
「それが一番公平だろ?」
沈黙。
そして。
「……その通りです」
凛とした声が響いた。
振り向く。
そこには、生徒会長フィオナ・エルグランデが立っていた。
その後ろには、セレスティアたちの姿もある。
「この件は、生徒会と学園側で正式に調査します」
フィオナは、静かに宣言した。
「根拠のない告発も、身分を利用した圧力も、どちらも許しません」
その言葉に、周囲の生徒たちが頷いた。
アルベルトは、爽やかな笑顔を浮かべた。
「……もちろん、僕も協力しますよ」
だが、その瞳の奥には、冷たい苛立ちが宿っていた。
◇
騒動の後。
俺は学園の中庭で、ミアと向き合っていた。
「……あの」
ミアが、小さな声で言った。
「レオンハルト様……」
「レオンでいいよ」
「そ、そんな!」
「同級生だろ?」
ミアは困ったように笑った。
そして、ゆっくりと頭を下げた。
「……ありがとうございました」
「俺は何もしてないよ」
「いいえ」
彼女は首を横に振った。
「私の話を、ちゃんと聞いてくれました」
その声は、少し震えていた。
「私、貴族の方と話すのが怖かったんです」
「……そうか」
「でも、レオンハルト様は……」
ミアは小さく微笑んだ。
「……全然、怖くありませんでした」
俺も笑った。
「それならよかった」
その時。
「……レオン」
背後から、セレスの声がした。
振り向く。
彼女は、少しだけ複雑そうな顔をしていた。
「……また女の子を助けたのね」
「……え?」
「本当に、あなたって人は……」
セレスはため息をついた。
その隣では、カイルがにやにや笑っている。
「おい、レオン」
「何だよ」
「お前、また一人増やしたんじゃねえか?」
「何を!?」
「はははっ!」
……こいつ。
本当に、いつか仕返ししてやる。
◇
その日の夕方。
学園の生徒会室。
フィオナは、調査報告書を読みながら眉をひそめていた。
「……妙ね」
机の上には、複数の証言記録。
その中には、ミアが舞踏会を辞退するよう圧力を受けたという話もあった。
だが。
「レオンハルト様の関与を示す証拠は、何一つない……」
むしろ、別の名前が浮かび上がっていた。
ノエル・クレイン。
そして、ダリオ・ベルクス。
さらに、その二人と頻繁に接触している人物。
アルベルト・レイフォード。
「……なるほど」
フィオナは、ゆっくりと目を細めた。
「少し、調べる必要がありそうね」
彼女は机の引き出しから、もう一枚の書類を取り出した。
そこには、ヴァルディス公爵家からの正式な照会文書があった。
『当家嫡男レオンハルト・ヴァルディスに関する、根拠のない中傷および不正疑惑について、事実関係の確認を求める』
署名。
――アルフォンス・ヴァルディス。
フィオナは、小さく息を吐いた。
「……これは、思った以上に大きな問題になるかもしれないわね」
◇
同じ頃。
ヴァルディス公爵家。
エレオノーラは、学園から届いた報告書を読んでいた。
そこには、今日の騒動が詳細に記されていた。
平民特待生への圧力疑惑。
レオンハルトへの虚偽の告発。
そして、親友カイルへの侮辱。
エレオノーラは、静かに書類を置いた。
「……あなた」
アルフォンスが顔を上げる。
「どうした?」
「私、少し学園へ行ってこようかしら」
「……まだ早い」
「そう?」
「ああ。正式な調査が終わるまでは、待とう」
エレオノーラは、しばらく黙っていた。
そして。
「……分かったわ」
優しく微笑んだ。
「でも、もしレオンちゃんが傷つけられたら……」
その瞬間。
部屋の窓に、薄い霜が降りた。
アルフォンスは、静かに頷いた。
「……その時は、俺も行く」
黒獅子と銀月の魔女。
二人の怒りは、まだ静かに燃えていた。
だが、限界は確実に近づいていた。
◇
夜。
王立アストレア学園の旧校舎。
アルベルトは、ノエルから報告を受けていた。
「……失敗したよ」
ノエルが言った。
「レオンハルトは、最後まで力を使わなかった」
「……そうか」
アルベルトは、静かに笑った。
「やっぱり、あいつは厄介だね」
「どうする?」
「……次は、もっと確実な方法を使う」
彼は机の上に、一枚の紙を置いた。
そこには、交流舞踏会の会場配置図が描かれていた。
「……舞踏会当日」
アルベルトは、ゆっくりと指を滑らせた。
「大勢の貴族と、平民の特待生が集まる」
そして、微笑んだ。
「そこで、取り返しのつかない事件が起きれば……」
ノエルが息を呑んだ。
「……まさか」
「安心して。僕は、何もしていないことになる」
アルベルトは、爽やかな笑顔を浮かべた。
「英雄は、いつだって正しい側に立つものだからね」
その言葉は、夜の闇へ静かに溶けていった。
だが。
彼はまだ知らない。
自分が踏み込もうとしている場所が、どれほど危険なのかを。
そして。
レオンハルト・ヴァルディスが、どれほど大切な人たちを守ろうとしているのかを。




