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『悪役公爵令息レオンハルト』  作者: 覇王が好き
第二章・王立学園編

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第65話 勇者の最初の罠――親友を侮辱された公爵令息

第65話 勇者の最初の罠――親友を侮辱された公爵令息


 王国暦八二一年、夏月二十四日。


 王立アストレア学園の朝は、いつも通り賑やかだった。


 だが、その日。


 学園の掲示板の前には、普段以上の人だかりができていた。


「……何だ、あれ?」


 俺が尋ねると、カイルが首を傾げた。


「さあな。何かの発表じゃねえか?」


 近づいてみる。


 掲示板には、一枚の紙が貼られていた。


『アッシュフォード辺境伯家による、不正な推薦枠の使用疑惑』


 ……は?


 思わず目を細めた。


 その下には、さらに悪意のある文章が続いていた。


『カイル・アッシュフォードは、家柄を利用して入学試験を有利に進めた可能性がある』


『実力測定でも、教官との癒着が疑われる』


『名門貴族の特権を許してはならない』


 俺は、ゆっくりと隣を見た。


 カイルは、しばらく黙って掲示板を見つめていた。


 そして。


「……くだらねえな」


 そう呟いた。


「カイル」


「気にすんな、レオン」


 彼は笑った。


「どうせ、誰かの悪戯だろ」


 だが、その笑顔は少しだけ硬かった。


 俺は知っている。


 カイルが、どれほど剣術に真剣なのか。


 昨日の訓練で、嫌というほど見せてもらった。


 あいつは、家柄に甘えるような男じゃない。


 むしろ、名門の次男という立場に満足せず、自分の力で認められようとしている。


 その努力を、こんな紙切れ一枚で否定するのか。


「……誰が貼ったんだ?」


 俺は静かに尋ねた。


 周囲の生徒たちは顔を見合わせる。


 誰も答えない。


 その時。


「おや、これは大変だね」


 聞き覚えのある声がした。


 振り向く。


 そこには、アルベルト・レイフォードが立っていた。


 その後ろには、ダリオとノエル。


「カイル君。大丈夫かい?」


 アルベルトは心配そうな表情を浮かべた。


「こんな噂が広まるなんて、ひどい話だ」


「……ああ、そうだな」


 カイルの声が低い。


「でも、噂ってのは怖いね」


 アルベルトは周囲へ聞こえる声で続けた。


「たとえ事実じゃなくても、名門貴族の家柄が関係していると、疑う人は出てくるものだから」


 俺はアルベルトを見た。


 ……なるほど。


 言葉だけ聞けば、カイルを心配しているように見える。


 だが、わざわざ人前で疑惑を繰り返す必要があるのか?


「アルベルト」


「何だい、レオンハルト君?」


「その話、もうやめないか」


 俺は穏やかに言った。


「カイルが困ってる」


 アルベルトの笑顔が、一瞬だけ止まった。


「……僕は心配しているだけだよ?」


「なら、本人が嫌がる話を広める必要はないだろ」


「……」


 沈黙。


 その時、ダリオが前へ出た。


「何だよ! また公爵家の権力で黙らせるつもりか!」


 俺は首を傾げた。


「……何でそうなる?」


「お前ら貴族は、都合が悪くなるとすぐそうやって――」


「ダリオ」


 カイルが低い声で遮った。


「俺のことなら、何言われても構わねえ」


「……は?」


「でも、レオンまで巻き込むな」


 カイルの瞳が鋭くなった。


「こいつは、俺を庇ってくれてるだけだ」


 ダリオが鼻で笑う。


「へえ。公爵家の犬になったってわけか」


 その瞬間。


 俺の中で、何かが静かに変わった。


 ……犬?


 今、こいつは何と言った?


 カイルは、俺の親友だ。


 家柄なんて関係なく、俺を一人の人間として見てくれた男。


 その友情を、侮辱したのか。


「……ダリオ」


 俺は、静かに名前を呼んだ。


「何だよ」


「今の言葉、取り消してくれないか」


「はっ! 図星だから怒ったのか?」


 俺は答えなかった。


 ただ、まっすぐ彼を見た。


 その瞬間。


 周囲の空気が、わずかに震えた。


 魔力を放ったわけではない。


 威圧するつもりもなかった。


 ただ、怒りを抑えながら相手を見つめただけだ。


 だが。


「……っ!?」


 ダリオの顔から血の気が引いた。


 足が、半歩後退する。


 周囲の生徒たちも、思わず息を呑んだ。


 カイルだけが、俺の肩に手を置いた。


「……レオン」


 俺は振り向いた。


「何だ?」


「ありがとな」


 カイルは、少し困ったように笑った。


「でも、俺のために怒ってくれたなら、それで十分だ」


 その言葉に、胸の奥の熱が静かに収まっていった。


「……そうか」


「ああ」


 カイルは掲示板の紙を見上げた。


「こんなもん、正式に調べてもらえばいいだけだ」


「……分かった」


 俺は頷いた。


 そして、アルベルトへ視線を向けた。


「アルベルト」


「……何だい?」


「君も、噂がひどいと思うなら、広めるんじゃなくて止める方に協力してくれ」


 アルベルトは数秒黙った。


 それから、いつもの笑顔を浮かべた。


「……もちろんさ」


 だが、その瞳の奥には、冷たい光が宿っていた。


     ◇


 騒動は、すぐに学園側へ伝わった。


 昼前。


 俺とカイルは、生徒会室へ呼ばれていた。


 フィオナが、机の上に例の紙を置く。


「……これは、看過できないわね」


 彼女の声は冷静だった。


 だが、その表情には明らかな怒りがあった。


「アッシュフォード辺境伯家への根拠のない告発。しかも、学園の正式な試験結果を否定している」


「俺は別に、気にしてませんけどね」


 カイルが肩をすくめた。


「あなたが気にするかどうかの問題ではないわ」


 フィオナは即答した。


「学園の信用にも関わるの」


 その言葉に、カイルも黙った。


「すでに教官たちへ確認を取ったわ。あなたの入学試験と実力測定に、不正の痕跡はない」


「……ありがとうございます」


「当然のことよ」


 フィオナは小さく微笑んだ。


 そして、俺へ視線を向けた。


「レオンハルト様」


「はい」


「あなたも、少し気をつけて」


「……何をですか?」


「自分が侮辱されることには鈍感なのに、大切な人を傷つけられると、急に雰囲気が変わるでしょう?」


 ……見抜かれていた。


「そんなに分かりやすいですか?」


「ええ。とても」


 フィオナは楽しそうに笑った。


「でも、嫌いではないわ」


 その瞬間。


「……会長?」


 背後から、少し低い声が響いた。


 振り向く。


 セレスが立っていた。


 ……何故ここに?


「レオンを呼び出したと聞いたので、様子を見に来ました」


「あら、セレスティア殿下」


 フィオナは優雅に微笑んだ。


「ちょうど彼の素敵なところについて、お話ししていたのよ」


「……素敵なところ?」


「ええ。友人思いで、とても誠実な方だわ」


 セレスの笑顔が、少しだけ固まった。


「……それは、私もよく知っています」


「そうでしょうね」


 フィオナは意味ありげに微笑んだ。


 俺は二人を交互に見た。


 ……何だろう。


 妙に空気が重い。


 隣では、カイルが必死に笑いを堪えていた。


「……おい、レオン」


「何だ?」


「お前、ほんと大変だな」


「何が?」


「……いや、何でもねえ」


 こいつ、絶対何か分かってるだろ。


     ◇


 その日の放課後。


 カイルは、俺を学園の裏庭へ連れ出した。


「……レオン」


「どうした?」


「朝のこと、ありがとな」


「もういいって」


「いや、ちゃんと言っときたくてさ」


 カイルは少しだけ真面目な顔になった。


「俺は、家柄で評価されるのが嫌だった」


「……ああ」


「辺境伯家の次男だから強いんだろ、とか。いい教師がいたからだろ、とか」


 彼は拳を握った。


「全部、間違いじゃねえ。恵まれてるのは事実だ」


 俺は黙って聞いていた。


「でも、それだけじゃねえんだよ。毎日剣を振って、何度も負けて、悔しい思いして……ようやくここまで来た」


 カイルは笑った。


「だから、あの紙見た時は、正直ちょっと腹立った」


「……だろうな」


「でも、お前が怒ってくれたの見て、何か楽になった」


 彼は俺の肩を叩いた。


「俺の努力を、ちゃんと見てくれてる奴がいるんだなって」


 俺は笑った。


「当たり前だろ。親友なんだから」


「……ははっ!」


 カイルが大声で笑った。


「お前から親友って言われると、何か嬉しいな!」


「お前が勝手に決めたんだろ」


「そうだったな!」


 俺たちは笑い合った。


 その時。


「……レオンハルト様!」


 エレノアが駆け寄ってきた。


 少し息を切らしている。


「どうした?」


「王都の公爵家から、使いの方が……」


「父上から?」


「はい」


 エレノアは小さく頷いた。


「本日の件について、アルフォンス様が詳細な報告を求めておられます」


 ……あ。


 俺は思わず空を見上げた。


 父上。


 まさか、もう知っているんですか?


     ◇


 同じ頃。


 ヴァルディス公爵家の執務室。


 アルフォンスは、二通の報告書を机に並べていた。


 一通は、レオンハルトへの不正疑惑。


 もう一通は、カイル・アッシュフォードへの中傷。


「……なるほど」


 低い声が響く。


 隣には、エレオノーラが立っていた。


「あなた」


「ああ」


「レオンちゃんだけじゃなく、お友達まで巻き込まれているのね」


 その声は、驚くほど穏やかだった。


 だが、室内の魔力が微かに揺れていた。


「……まだ、証拠はない」


 アルフォンスが言った。


「だからこそ、正式に調べる」


「ええ」


 エレオノーラは微笑んだ。


「もちろん、私も賛成よ」


 彼女は机の上の報告書へ目を落とした。


「ただ……」


 銀色の瞳が、冷たく輝く。


「もし、うちのレオンちゃんを陥れるために、お友達まで利用しているのだとしたら……」


 言葉が途切れた。


 アルフォンスは静かに頷いた。


「その時は、相応の責任を取ってもらう」


 そして、執事セバスティアンへ命じた。


「学園側へ正式な照会を出せ。アッシュフォード辺境伯家にも、今回の件を伝えておくように」


「かしこまりました」


 セバスティアンが一礼する。


 アルフォンスは窓の外を見た。


「……レオン」


 その声には、父親としての深い愛情があった。


「お前が気にしなくても、俺たちは気にするんだ」


 黒獅子と銀月の魔女。


 二人は、まだ動かない。


 だが、その静かな怒りは、確実に積み重なっていた。


     ◇


 一方、学園の旧校舎。


 アルベルトは、ノエルから報告を受けていた。


「……掲示板の紙は、生徒会に回収されたよ」


「そうか」


「カイルへの疑惑も、学園側が否定する見込みだ」


 アルベルトは、少しも動揺しなかった。


「それでいい」


「……いいのかい?」


「ああ」


 彼は微笑んだ。


「今回は、レオンハルトがどこまで友人を守ろうとするのかを確かめたかっただけだからね」


 ノエルが目を細める。


「……なるほど」


「そして、よく分かったよ」


 アルベルトは窓の外を見つめた。


「彼は、自分への侮辱には無関心だ。でも、仲間を傷つけられると冷静ではいられない」


 その口元が、ゆっくりと歪んだ。


「……なら、次はそこを利用すればいい」


 ノエルが小さく笑った。


「次の手は?」


「焦る必要はないさ」


 アルベルトは机の上に、一枚の名簿を置いた。


 そこには、王立アストレア学園の次期交流舞踏会の参加予定者が記されていた。


 王族。


 公爵家。


 侯爵家。


 そして、特待生たち。


 その中には、レオンハルトとセレスティアの名前もあった。


「……人前で失敗させるのが、一番効果的だろう?」


 アルベルトは爽やかに微笑んだ。


「次は、もっと大勢の前で踊ってもらおうじゃないか」


 その瞳には、冷たい悪意が宿っていた。


 だが、彼はまだ知らなかった。


 自分が敵に回そうとしている公爵家が、どれほど危険な存在なのかを。


 そして。


 レオンハルト・ヴァルディスが、本当に怒った時。


 その力が、どれほど恐ろしいものになるのかを。

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