第60話 第二章開幕――最強公爵令息、王立学園へ
第60話 第二章開幕――最強公爵令息、王立学園へ
王国暦八二一年、夏月二十日。
ヴァルディス公爵家の朝は、今日も騒がしかった。
「レオンちゃん! 制服、ちゃんと着られた!?」
「母上、もう十五歳ですよ。着替えくらいできます」
「だって、今日から学園でしょう!? お母さん、楽しみで昨日はあまり眠れなかったの!」
扉の向こうから聞こえてくる母上の声に、俺は思わず苦笑した。
姿見の前に立つ。
紺色を基調とした上着。銀糸で縁取られた襟。左胸には、王冠と七つの星を組み合わせた王立学園の紋章。
俺が今日から通うのは、ルミナス王国最高峰の教育機関――王立アストレア学園。
王族や貴族の子弟だけでなく、試験に合格した平民にも門戸を開く、王国随一の名門校だ。
そして、前世で遊んだゲーム『エターナル・レガリア』の主要な舞台でもある。
「……とうとう、ここまで来たか」
鏡に映るのは、整った顔立ちと漆黒の髪を持つ少年。
ゲームの中では、傲慢な悪役公爵令息として破滅するはずだったレオンハルト・ヴァルディス。
だが、俺はもう、その運命を受け入れるつもりはない。
ルシアンとの戦いを経て、俺の中には二つの魂が存在することを知った。
この身体の本来の持ち主だったレオンハルト。
そして、異世界から転生した俺。
あいつと交わした約束を、忘れることはない。
父上と母上を幸せにする。
大切な人たちを守る。
そして、自分自身も、この世界で生きていく。
「レオンハルト様」
背後から、澄んだ声がした。
振り向くと、エレノアが立っていた。
普段の侍女服ではない。
紺色の制服に身を包み、銀色の髪を綺麗にまとめている。
「……似合ってるな、エレノア」
「っ……!」
彼女の頬が、みるみる赤くなった。
「あ、ありがとうございます……」
「どうした?」
「い、いえ。レオンハルト様も、とても素敵です」
エレノアは視線を逸らしながら答えた。
彼女は公爵家の侍女であると同時に、俺の護衛兼従者として学園へ同行することになっている。
王立アストレア学園には、特別な資格を持つ従者が授業を受けられる制度が存在する。
六年前に助けた少女が、今では剣を握り、俺の隣に立っている。
人生とは、不思議なものだ。
「行こうか」
「はい、レオンハルト様」
◇
食堂へ降りると、父上が朝食を取っていた。
「おはよう、レオン」
「おはようございます、父上」
「学園では、あまり目立ちすぎるなよ」
俺は思わず足を止めた。
「……父上がそれを言いますか?」
「何か問題でもあるか?」
「黒獅子と呼ばれている人の台詞とは思えませんが」
父上は咳払いした。
「俺の若い頃の話は関係ない」
「学園の剣術大会で、上級生を全員倒したという話も?」
「……誰から聞いた」
「母上です」
「エレオノーラ……」
父上が額を押さえた。
その瞬間、当の母上が満面の笑みで現れる。
「レオンちゃん! 記念に一枚、魔導写真を撮りましょう!」
「母上!?」
「アルフォンス、あなたも並んで!」
「俺もか?」
「当然でしょう!」
結局、俺と父上と母上、そしてエレノアまで一緒になって写真を撮ることになった。
母上は何度も撮り直しを要求し、父上は途中から諦めたように微笑んでいた。
こんな何気ない朝が、俺は好きだ。
ゲームの中では、失われるはずだった時間。
だからこそ、一瞬たりとも無駄にはしたくない。
◇
王立アストレア学園は、王都の北東部に位置していた。
巨大な白亜の校舎。
広大な演習場。
魔法研究棟、図書館、騎士訓練場、そして貴族用の寄宿舎。
まるで一つの街のような規模だ。
「……でかいな」
馬車から降りた俺は、思わず呟いた。
「レオン!」
聞き慣れた声が響く。
振り向くと、金髪を揺らしながらセレスティアが駆け寄ってきた。
王女である彼女も、今日は同じ制服を着ている。
「おはよう!」
「おはよう、セレス」
「ちゃんと来たのね」
「来るに決まってるだろ」
「だって、昨日まで大変だったんだもの」
セレスはそう言いながら、当然のように俺の隣へ並んだ。
その瞬間、周囲の生徒たちがざわめいた。
「おい、あれ……セレスティア王女殿下じゃないか?」
「隣の男は誰だ?」
「ヴァルディス公爵家のレオンハルト様だろ」
「黒獅子の息子か……」
「でも、王女殿下とあんなに親しそうに……」
視線が集まる。
まあ、仕方ない。
公爵家の嫡男と王女が一緒に歩いているのだから。
しかし、セレスは気にする様子もなく俺の腕に手を絡めた。
「……セレス?」
「何?」
「見られてるぞ」
「見せているのよ」
「……何を?」
「さあ?」
彼女は意味ありげに微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、周囲の男子生徒たちから悲鳴に近い声が上がった。
……これ、入学初日から面倒なことになるんじゃないか?
「おい、レオン!」
今度はアリシアがやって来た。
赤い髪を後ろで束ね、制服の上から剣帯を締めている。
「遅いぞ! 早く行かないと式が始まる!」
「まだ時間はあるだろ」
「余裕を持って行動しろと言っている!」
「お前、朝から元気だな」
「当然だ!」
そこへ、リゼットとエリシアも合流した。
「まったく、朝から騒がしいわね」
リゼットは紫色の髪を指で払う。
「私は早く研究棟を見たいのに」
「ふふ。皆さん、仲がよろしいですね」
エリシアは穏やかに微笑んだ。
その後ろには、控えめに歩くエレノア。
気づけば、俺の周囲には五人の少女が集まっていた。
……いや、待て。
これ、明らかに目立ちすぎじゃないか?
「おい……あいつ、王女殿下だけじゃなくて……」
「ヴァレンシュタイン家の令嬢までいるぞ」
「クローディア家の天才魔導師も……」
「聖女候補のエリシア様まで!?」
「何者なんだ、あの男……」
周囲の視線が、さらに強くなる。
俺は空を見上げた。
父上。
目立つなという忠告、どうやら初日から守れそうにありません。
◇
入学式が行われる大講堂には、数百人の新入生が集まっていた。
中央の壇上には、学園長が立っている。
白髪の老人。
しかし、その背筋は真っ直ぐで、瞳には鋭い光が宿っていた。
「諸君。王立アストレア学園へようこそ」
低く、よく通る声が講堂に響く。
「ここでは、家柄だけが価値を決めるわけではない。剣、魔法、学問、そして人としての在り方。すべてが諸君自身の評価となる」
いい理念だ。
もっとも、貴族社会の現実がそれほど単純でないことは、俺も知っている。
「そして今年は、特別な新入生が多い」
学園長の視線が、俺たちの座る一角へ向けられた。
「王女セレスティア殿下。ヴァレンシュタイン将軍家のアリシア嬢。クローディア家のリゼット嬢。フィオーレ教会からのエリシア嬢」
名前が呼ばれるたびに、周囲から小さな歓声が上がる。
そして。
「ヴァルディス公爵家嫡男、レオンハルト・ヴァルディス」
講堂が静まり返った。
「彼については、すでに多くの噂が流れているようだ」
学園長は、わずかに笑った。
「だが、噂だけで人を判断してはならない」
その言葉に、俺は少し安心した。
……が。
「ゆえに、明日の実力測定で確かめてもらおう」
……え?
「本年度の新入生実力測定は、例年とは異なる特別形式で行う」
講堂にざわめきが広がる。
「上位成績者には、上級生との模擬戦を許可する」
俺は嫌な予感がした。
そして、その予感は見事に的中する。
「さらに、希望者は学園の特別推薦生に挑戦することもできる」
学園長の視線が、再び俺へ向けられた。
「レオンハルト君。君の実力を楽しみにしているよ」
……完全に狙われてるじゃないか。
◇
式が終わり、講堂を出た直後だった。
「レオンハルト・ヴァルディス!」
鋭い声が響いた。
振り向くと、一人の少年が立っていた。
金色の髪。
端正な顔立ち。
胸元には、王国有力貴族の家紋。
その後ろには、数人の男子生徒が控えている。
「……俺に用か?」
「当然だ」
少年は堂々と胸を張った。
「僕はエドワード・グランフェルト。グランフェルト侯爵家の嫡男だ」
グランフェルト。
聞き覚えのある名前だった。
王国でも有数の軍事貴族。
そして、ゲーム『エターナル・レガリア』に登場した、学園編の主要人物の一人。
確か、主人公と幾度も競い合う剣術の天才だったはずだ。
「レオンハルト。君には一つ、忠告しておく」
「忠告?」
「セレスティア殿下に、あまり馴れ馴れしくしないことだ」
周囲の空気が変わった。
セレスが一歩前へ出る。
「エドワード。それはどういう意味?」
「殿下。あなたほど高貴な方が、いくら幼馴染とはいえ――」
「私が誰と親しくするかは、私が決めるわ」
ぴしゃりと言い切った。
エドワードの表情が僅かに歪む。
「……殿下は、彼の噂をご存じないのです」
「噂?」
「レオンハルトは、常識外れの力を持つと聞きます。だが、力があるだけで王女殿下の隣に立つ資格があるとは思えない」
なるほど。
俺の実力を疑っているのか。
別に構わない。
むしろ、普通の学生として過ごせるなら、その方がありがたい。
「そうか。忠告は受け取っておくよ」
俺が答えると、エドワードは目を細めた。
「……逃げるつもりか?」
「何から?」
「明日の実力測定だ」
少年は腰の剣に手を添えた。
「僕は君に勝つ」
周囲がどよめいた。
セレスが何か言おうとしたので、俺は軽く手で制した。
「いいよ」
「……何?」
「明日、正々堂々やろう」
俺は笑った。
「同じ学園の生徒なんだからな」
エドワードは一瞬、言葉を失った。
それから、不機嫌そうに踵を返す。
「……その余裕、後悔するなよ」
去っていく背中を見送りながら、アリシアが呆れた声を上げた。
「お前、本当に目立つな」
「俺のせいじゃないだろ」
「まあ、そうだな」
リゼットが肩をすくめる。
「でも、明日は大変そうね」
セレスは俺の隣に戻り、そっと囁いた。
「……無茶しないでね」
「分かってる」
俺は頷いた。
ただし、一つだけ問題がある。
俺の力を、どこまで抑えればいいのか。
それが、まったく分からないのだ。
◇
その日の夕方。
王立アストレア学園の学園長室。
白髪の学園長は、一枚の古い羊皮紙を眺めていた。
そこには、三百年前の七星王朝で使われていた紋章が描かれている。
黒い星。
そして、その周囲に浮かぶ七つの光。
「……レオンハルト・ヴァルディス」
学園長は静かに呟いた。
「まさか、この時代に現れるとはな」
机の上には、王城から届いた極秘の報告書。
地下封印の異常。
黄金に変化した黒星の紋章。
そして、二つの魂。
学園長はゆっくりと目を閉じた。
「どうか、あの子たちに平穏な学園生活を送らせてやりたいものだが……」
窓の外では、夕日が校舎を赤く染めていた。
「運命というものは、いつも残酷だ」
そう呟いた老人の手元で、古い羊皮紙の七つの星が、一瞬だけ輝いた。
――王立アストレア学園。
ここから、レオンハルトの新たな物語が始まる。




