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『悪役公爵令息レオンハルト』  作者: 覇王が好き
第一章 運命を覆す者

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第59話 王女の決意と七つの絆――新たな日常の始まり

第59話 王女の決意と七つの絆――新たな日常の始まり


 王城から屋敷へ戻った頃には、空が茜色に染まっていた。


 長い一日だった。


 朝は北方の廃修道院で亡霊騎士団と戦い、昼には王城地下で三百年前の王子と対峙した。


 そして今、俺は自室のベッドに腰掛けている。


「……なんというか、濃すぎる一日だな」


 独り言を漏らすと、扉が控えめに叩かれた。


「レオンハルト様。お入りしてもよろしいでしょうか」


「エレノア? もちろん」


 扉が開く。


 銀髪の少女は、湯気の立つカップを載せた盆を手にしていた。


「お疲れでしょうから、温かいお飲み物を」


「ありがとう」


 カップを受け取ると、優しい甘い香りが広がった。


 エレノアはいつものように一礼し、下がろうとする。


 だが、俺はその背中を呼び止めた。


「エレノア」


「はい?」


「今日は本当に助かった。ありがとう」


「……私は、当然のことをしたまでです」


 そう答える彼女の声は、少しだけ硬かった。


「でも、危険な目に遭わせた」


「レオンハルト様」


 エレノアが顔を上げた。


「私が剣を取ったのは、命令されたからではありません」


 青い瞳が、まっすぐ俺を見つめる。


「六年前、私を助けてくださったあの日から……私は、自分の意志であなたのお傍にいたいと思っています」


「エレノア……」


「だから、危険だからと遠ざけないでください」


 彼女は少しだけ頬を赤らめた。


「……置いていかれる方が、ずっと怖いのです」


 その言葉に、返す言葉が見つからなかった。


 俺は彼女を守りたいと思っていた。


 けれど、守るという名目で、彼女の覚悟を軽く扱っていたのかもしれない。


「分かった。次も、一緒に戦ってくれるか?」


「はい」


 エレノアは、花が咲くように微笑んだ。


「何度でも」


 ――その時。


「レオンちゃん!」


 扉が勢いよく開いた。


 母上だった。


 両手には、見覚えのない大きな皿。


「お母さん特製の、疲労回復お菓子を作ったの!」


「母上、さっき夕食を食べたばかりでは……」


「別腹よ!」


 満面の笑みで言い切られた。


 皿には、小さな焼き菓子が山のように積まれている。


 しかも、一つ一つに微量の回復魔法が込められていた。


「……これ、普通のお菓子じゃないですよね?」


「愛情も魔力もたっぷりよ!」


 恐る恐る一つ口に運ぶ。


 美味い。


 驚くほど美味い。


 だが、その直後に身体の奥から魔力が湧き上がってきた。


「母上、これ何個食べたらいいんですか?」


「全部!」


「全部!?」


 横でエレノアが小さく笑った。


 戦場では決して見られない、穏やかな時間。


 こういう時間を守るために、俺は強くなったのだ。


     ◇


 翌朝。


 屋敷の食堂に入った俺は、予想外の光景に足を止めた。


「おはよう、レオン」


 セレスティアがいた。


 王女殿下が、なぜか我が家の朝食の席に座っている。


「……セレス?」


「何よ、その顔」


「いや、どうしてここに?」


「お父様に許可をいただいたの」


 彼女は当然のように答えた。


「今日からしばらく、ヴァルディス家で過ごすことになったわ」


「……は?」


 俺が固まっていると、父上が新聞を畳んだ。


「王女殿下の護衛と、昨日の事件の調査を兼ねている」


「それに、セレスちゃんが来てくれると賑やかで嬉しいもの!」


 母上はすっかり上機嫌だ。


 セレスは少しだけ視線を逸らし、小声で付け加えた。


「……あなたの傍にいたいっていうのも、あるけど」


「え?」


「な、何でもない!」


 耳まで赤くなっている。


 俺が返事を考えていると、別の声が飛んできた。


「おい、レオン。王女様だけ特別扱いするつもりじゃないだろうな?」


 振り向く。


 そこには、赤髪の少女が腕を組んで立っていた。


「アリシア!?」


「父上から許可はもらった。昨日の戦闘で、まだお前に教わりたいことが山ほどある」


「……つまり?」


「しばらくここで剣の稽古をする」


 堂々とした宣言だった。


「ちなみに私もいるわよ」


 その後ろから、リゼットがひょいと顔を出す。


「王城地下の術式を調べるには、あなたの魔力を観測する必要があるの。研究場所はここが一番安全でしょう?」


「リゼットまで……」


「お邪魔します、レオンハルト様」


 さらに、エリシアが微笑みながら現れた。


「教会からも正式に許可をいただきました。ルシアンの魂を封じた結晶の管理と、皆様の体調を確認するために」


 俺はゆっくりと食堂を見回した。


 セレス。


 アリシア。


 リゼット。


 エリシア。


 そして、俺の後ろにはエレノア。


 全員、いる。


「……父上」


「何だ」


「これは、どういう状況でしょうか」


 父上は真顔で紅茶を飲んだ。


「お前が昨日、全員に心配をかけた結果だ」


「ぐっ……」


 反論できない。


 母上が楽しそうに手を叩いた。


「せっかくだから、みんなで朝ご飯にしましょう!」


 こうして、妙に賑やかな朝食が始まった。


     ◇


 食事が進むにつれ、会話は昨日の戦いへと移った。


「レオン、昨日の最後の力……あれは何だったんだ?」


 アリシアが尋ねる。


「黒い紋章が金色に変わって、魔力の感じまで違っていた」


「俺にも、まだ全部は分からない」


 嘘ではない。


 もう一人のレオンハルトと手を重ねた瞬間、確かに何かが変わった。


 けれど、その力をどう扱えばいいのか、まだ理解できていない。


「調べる価値はあるわね」


 リゼットがすぐに反応した。


「でも、昨日のような無茶な実験はしないわよ。まずは魔力の流れを測定するところから」


「珍しく慎重だな」


「失礼ね。あなたが倒れたら研究対象がいなくなるじゃない」


「そこかよ」


「……それだけじゃないけど」


 最後の一言は、ほとんど聞き取れなかった。


 エリシアが静かに口を開く。


「私は、昨日の封印の際に気になるものを感じました」


「何を?」


「レオンハルト様の魂に触れた時、一つの魂の中に、異なる祈りが重なっているような……そんな感覚です」


 心臓が跳ねた。


 俺は思わずエリシアを見る。


 彼女は穏やかな表情のまま続けた。


「ですが、恐ろしいものではありませんでした。どちらも、とても温かかった」


 俺はカップを置いた。


 この身体の本来の持ち主。


 もう一人のレオンハルト。


 彼は今も、俺の中にいる。


 昨日、俺たちは互いの存在を認め合った。


 その事実を、いつか皆にも話さなければならないのだろう。


 ただ、それは今ではない。


 もう少し、自分の中で整理してからにしたかった。


「……ありがとう、エリシア」


「はい」


 彼女はそれ以上、踏み込まなかった。


 その優しさがありがたかった。


     ◇


 朝食後。


 俺とセレスは、屋敷の庭を歩いていた。


 柔らかな朝日が、芝生の上に降り注いでいる。


 しばらく無言で歩いた後、セレスが口を開いた。


「昨日、お父様から聞いたわ」


「何を?」


「王城の地下にある、封じられた扉のこと」


 俺は足を止めた。


「……ああ」


「王家の記録には残されていない。でも、歴代の国王は存在を知っていた」


 セレスは自分の手を見つめた。


 昨日、彼女の血に眠っていた《王血解放》が目覚めた。


 黄金の光で、俺たちを縛る鎖を断ち切った力。


「私ね、昨日までずっと、王女である自分に何ができるのか分からなかった」


「セレス?」


「あなたは昔から、何でもできた。剣も魔法も、誰かを助けることも」


 彼女は小さく笑った。


「だから、私が隣にいても、足手まといになるんじゃないかって思ってた」


「そんなこと――」


「最後まで聞いて」


 セレスが俺の手を取った。


「でも、昨日は違った」


 青い瞳が、真っ直ぐ俺を見つめる。


「私にも、あなたを守れることが分かった」


「……ああ」


「だから、これからは遠慮しない」


 彼女は一歩近づいた。


「レオン。あなたがどんな運命と戦うことになっても、私は隣にいるわ」


 握る手に、力がこもる。


「王女だからじゃない」


 風が吹いた。


 金色の髪が、朝日にきらめく。


「……あなたが好きだから」


 時間が止まったように感じた。


 セレスは逃げなかった。


 顔を真っ赤にしながら、それでも俺の目を見ていた。


「返事は、今じゃなくてもいい」


 彼女は小さく息を吸う。


「でも、なかったことにはしないで」


 俺は握られた手を、そっと握り返した。


「……しないよ」


 それだけは、迷わず言えた。


「ちゃんと考えて、俺の言葉で答える」


「……うん」


 セレスは嬉しそうに微笑んだ。


 その時だった。


「おーい! レオン!」


 庭の向こうから、アリシアの声が響く。


「朝の稽古、始めるぞ!」


「ちょっと待ちなさい! 先に魔力測定よ!」


 リゼットの声も続いた。


「お二人とも、無理は禁物ですよ!」


 エリシアまでいる。


 さらに、エレノアが練習用の剣を持って現れた。


「レオンハルト様。ご準備が整いました」


 俺とセレスは顔を見合わせた。


 そして、同時に笑った。


「……しばらく賑やかになりそうだな」


「そうね」


 セレスは俺の手を離さないまま言った。


「でも、私は負けないから」


「何に?」


「……色々と、よ」


 その意味を理解するまで、少し時間がかかった。


     ◇


 同じ日の午後。


 王城地下の封鎖区域では、奇妙な現象が起きていた。


 王国の魔導技師たちが調査していた壁面に、昨日までは存在しなかった文字が浮かび上がったのだ。


 文字は七つ。


 それぞれが、異なる色の光を放っている。


 その中央には、古代語で一つの文章が刻まれていた。


『七つの絆が結ばれる時、継承者は真実を知る』


 報告を受けた国王アレクシスは、長い間その文面を見つめていた。


「……七つの絆」


 陛下は低く呟く。


「王家の古い伝承にも、その言葉があった」


 傍らの近衛騎士が尋ねる。


「陛下。ヴァルディス公爵家へ報告を?」


「無論だ。ただし、まだ地下の扉には近づけさせるな」


「はっ」


 騎士が去った後、陛下は机の奥から古い箱を取り出した。


 歴代国王だけが受け継いできた、七星王朝の遺物。


 その中には、銀色の小さな鍵が納められていた。


 鍵には、星が一つだけ刻まれている。


 陛下が手に取った瞬間。


 鍵は、黄金に輝き始めた。


「……まさか」


 陛下の顔から血の気が引く。


「扉が、王家の許しを待たずに目覚めようとしているのか……?」


 誰も答えない。


 ただ、遠い地下から。


 鐘のような音が、一度だけ響いた。


 そして王城の地下深くでは、七つの星のうち二つ目が、淡い光を宿し始めていた。


 ――新たな物語は、もう動き出していた。

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