第47話 黒獅子と銀月を守れ――北方外交計画の裏に潜む罠
第47話 黒獅子と銀月を守れ――北方外交計画の裏に潜む罠
王国暦八百二十一年、夏月十五日。
午前七時。
ヴァルディス公爵家、王都別邸。
「父上、母上。少し、お時間をいただけますか」
朝食を終えた俺は、二人へ声をかけた。
父上は新聞から顔を上げ、母上は紅茶のカップを置いた。
「もちろんだ。どうした、レオン」
「大切なお話があります」
俺の表情を見て、父上の目つきが変わった。
「……執務室へ行こう」
母上も、静かに頷いた。
◇◆◇
執務室へ入ると、セバスティアンが扉を閉めた。
俺は昨日の地下水路で見た記録について、できる限り正確に説明した。
十七歳のレオンハルト。
六万の討伐軍。
北方へ向かわされた両親。
途絶した通信。
そして、帰還した二人が息子の死を知る結末。
話を聞き終えた父上は、長い間黙っていた。
母上も、普段の柔らかな笑顔を消している。
「……レオン」
父上が、ゆっくりと口を開いた。
「その記録は、確定した未来ではないのだな」
「はい。七星魂環術式による未来演算です。ただし、敵がその結末へ誘導している証拠も見つかりました」
「そうか」
父上は腕を組んだ。
「ならば、調べる価値はある」
母上は、俺をじっと見つめていた。
「レオンちゃん」
「はい」
「その世界で、あなたは一人で戦ったのね」
俺は頷いた。
「……はい」
母上は立ち上がり、俺の前へ来た。
そして、両手で俺の頬を包んだ。
「約束して」
その声は、いつになく真剣だった。
「どんなことがあっても、一人で全部背負わないで」
「母上……」
「あなたは強いわ。私もお父様も、それを知っている。でもね、強いからって、傷ついていいわけじゃないの」
母上の紫色の瞳が、わずかに潤んだ。
「お母様は、あなたが生きて帰ってきてくれることが、一番嬉しいの」
俺は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……わかりました」
父上も立ち上がり、俺の肩に手を置いた。
「私からも一つ約束しよう」
「何でしょうか」
「たとえ王命であろうと、お前を危険に晒すための任務には従わん」
黒獅子と呼ばれる将軍の瞳には、揺るぎない決意があった。
「国への忠義と、家族を守ることは別だ。私は、その順番を間違えない」
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます、父上」
◇◆◇
午前十時。
王国監察院。
ルドルフ・ヘインズ監察官の執務室には、昨日回収した地下水路の記録が並べられていた。
リゼットが魔力投影板を操作すると、七つの星を結ぶ線が空中へ浮かび上がった。
「解析できた履歴は、まだ一部です。ただ、非常に興味深いものが見つかりました」
彼女が指先を動かす。
すると、一つの古い命令記録が拡大された。
『北方通信中継施設――保守停止予定』
『グランヴェル外交使節――随行者指定』
『ヴァルディス公爵夫妻――対象』
父上の表情が険しくなる。
「……これは」
ルドルフが、書類を確認した。
「二年前の北方外交計画と似ています。ですが、その計画は陛下の判断で停止されたはずです」
「その通りです」
俺は頷いた。
以前にも、両親を北方へ向かわせようとする不審な計画があった。
通信設備の故障。
転移中継施設の停止。
対魔力結晶の大量調達。
あの時点では計画を止められたが、敵は諦めていなかったらしい。
リゼットが続けた。
「今回の記録は、以前の計画を修正したものです。しかも、変更日時は三日前」
「三日前?」
セレスが眉をひそめた。
「つまり、王太子殿下の事件が起きたあとに、計画が更新されているのね」
「はい」
リゼットは別の記録を示した。
『第一案――公爵夫妻の国外隔離』
『第二案――王都における黒星の器の孤立』
『第三案――対魔力封鎖網の展開』
部屋が静まり返った。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
……やはり。
敵は、あの悲劇を再現するつもりだ。
◇◆◇
「待って」
セレスが、投影板の一角を指差した。
「この随行者指定、王国外交局の正式な書式と違うわ」
ルドルフが顔を上げる。
「どの部分でしょう」
「外交使節の護衛責任者を任命する場合、必ず王宮警備局の承認番号が必要なの。でも、ここには軍務省の旧式番号しかない」
リゼットが記録を拡大した。
「確かに……」
「王家の命令に見せかけているけれど、正式な決裁を通っていない可能性が高いわ」
セレスは落ち着いた声で続けた。
「これなら、陛下へ正式な照会を出せる。王命を偽装した疑いとして」
父上が、感心したように頷いた。
「さすがは第一王女殿下だ」
セレスは少し照れたが、すぐに真剣な表情へ戻った。
「レオンを守るためですから」
その言葉に、俺は思わず彼女を見た。
セレスは、まっすぐ俺を見返した。
「昨日、言ったでしょう。一人で戦わせないって」
「……ああ」
俺は笑った。
「頼りにしてる」
彼女の頬が、ほんのり赤くなった。
◇◆◇
その頃。
王都北部、廃修道院。
薄暗い礼拝堂の地下では、黒衣の男が水晶板を見つめていた。
映し出されているのは、王国監察院の外観だった。
『……ヴァルディス公爵夫妻が動いたようです』
部下の声が響く。
男は、静かに頷いた。
「想定より早いな」
『西部地下水路の記録が回収されたためかと』
「それだけではない」
男は、黒い水晶へ指を滑らせた。
水晶には、十五歳のレオンハルトの姿が映っている。
「……あの少年は、見たのだろう」
『何を、でございますか』
「我々が用意した結末を」
男は、薄く笑った。
「恐怖に沈むかと思ったが、むしろ周囲との結びつきを強めたか」
そして、卓上の地図へ視線を落とした。
「ならば、予定を変える」
『北方外交計画を中止するのですか』
「いや」
男は首を振った。
「外交計画は囮にする」
部下が息を呑む。
「公爵夫妻が北方を警戒するなら、その間に別の場所を狙えばいい」
男の指が、王都北部の一点で止まった。
廃修道院。
そこには、七つの中継点の一つが存在していた。
「彼らが何を守ろうとするか、見せてもらおう」
◇◆◇
午後一時。
王国監察院。
アリシアが、軍務省から持ち出した新しい資料を机へ置いた。
「お待たせ。父に頼んで、封印守備隊の旧記録を確認してもらったわ」
彼女は地図を広げる。
「二百年以上前に解散したはずの王家直属封印守備隊。その装備が、最近になって移送された記録があるの」
俺は地図を覗き込んだ。
「移送先は?」
「王都北部の廃修道院」
リゼットが、思わず顔を上げた。
「……そこは、私が特定した中継点の一つです!」
アリシアは頷いた。
「しかも、運搬を担当した部隊の責任者欄が空白なのよ」
ルドルフが資料を手に取った。
「正式な軍務省の記録としては不自然ですね」
「父も同じことを言っていたわ。だから、監察院へ正式に提出する許可をもらってきた」
俺は、アリシアを見た。
「助かった」
彼女は少しだけ顔を赤くした。
「べ、別に。私だって、あんな連中を放っておきたくないだけよ」
その隣でエレノアが、小さく微笑んだ。
「アリシア様らしいですね」
「何よ、その顔!」
緊張した部屋に、わずかな笑いが生まれた。
だが、俺はすぐに表情を引き締めた。
廃修道院。
魂の中継点。
旧封印守備隊の装備。
そして、北方外交計画。
点と点が、少しずつつながっていく。
◇◆◇
「エリシア」
俺は、彼女へ声をかけた。
「廃修道院の中継点に、魂が囚われている可能性はあるか?」
エリシアは、胸元の七星のペンダントへ手を添えた。
「あります。昨日の祭壇と同じ術式なら、誰かの魂を中継装置として使っているかもしれません」
「なら、破壊するだけでは危険だな」
「はい」
彼女は真剣な表情で頷いた。
「でも、救う方法はあるはずです。ルナリア様の封印を解いたときのように」
俺は、少しだけ考えた。
強大な力で敵をねじ伏せることはできる。
だが、囚われた魂を巻き込んでしまえば、敵の思うつぼだ。
だからこそ、俺一人では足りない。
リゼットの解析。
エリシアの聖光。
アリシアの剣。
エレノアの護衛。
セレスの政治的な支援。
そして、父上と母上の力。
……これだけ揃っている。
あの世界とは、違う。
「明日、廃修道院を調査する」
俺は皆を見渡した。
「ただし、敵は俺たちが来ることを予想しているはずだ。正面から踏み込むのは避けよう」
セレスが頷く。
「私が王宮警備局と調整して、周辺の民間人を避難させるわ」
「私は中継術式の遠隔遮断装置を作ります」とリゼット。
「父の部隊に、退路の確保を頼んでおく」とアリシア。
エリシアも胸元のペンダントを握った。
「私は、囚われた魂を救います」
エレノアは、静かに剣へ手を添えた。
「レオンハルト様の背中は、私がお守りします」
俺は頷いた。
「ありがとう」
そして、父上へ視線を向けた。
「父上。今回だけは、俺からお願いがあります」
「何だ?」
「危険な場所へ行く前に、必ず俺たちへ相談してください」
父上は一瞬驚き、それから大きく笑った。
「ははは! それは、私の台詞ではないか」
「……そうかもしれません」
「だが、いいだろう。約束する」
母上が、嬉しそうに俺の腕へ抱きついた。
「もちろん、お母様もよ。レオンちゃんを置いて、勝手にどこかへ行ったりしないわ」
「母上、皆が見ています」
「あら、いいじゃない♡」
セレスが微笑み、エリシアも笑った。
アリシアは呆れたように肩をすくめ、リゼットは小さく吹き出した。
俺も、つられて笑った。
……この時間を守りたい。
心から、そう思った。
◇◆◇
その日の夜。
王都北部、廃修道院。
黒衣の男は、地下祭壇の前へ立っていた。
祭壇には、七つの黒い結晶が並んでいる。
そのうち一つが、赤く脈打っていた。
「……黒き星よ」
男は、静かに呟いた。
「お前が未来を変えようとするなら、こちらも手を変えるまでだ」
そして、祭壇の中央へ手を伸ばした。
黒い結晶の奥で、一人の男の声が微かに響く。
『……たす、けて……』
その声を聞いても、黒衣の男は表情を変えなかった。
「まだ意識が残っていたか、ベルナール」
結晶の中で、赤い光が揺れる。
王太子の側近として暗躍し、地下遺跡で身体を失ったはずの男。
ベルナール・クロイツ。
その本来の意識が、まだどこかに囚われていた。
「心配するな」
黒衣の男は、冷たく微笑んだ。
「お前には、最後の仕事が残っている」
祭壇に、黒い魔法陣が浮かび上がる。
そして、廃修道院の地下深くで。
何か巨大なものが、ゆっくりと目を覚ました。
――十七歳の悲劇を繰り返させないための戦い。
その最初の大きな試練が、すぐそこまで迫っていた。




