第46話 帰るべき場所――滅びた未来と、母の温もり
第46話 帰るべき場所――滅びた未来と、母の温もり
王国暦八百二十一年、夏月十四日。
午後二時三十七分。
王都西部、旧地下水路最深部。
白い祭壇の上で、ルナリア・セレスティスが静かに両手を組んだ。
その小さな指先から、七つの光が浮かび上がる。
「レオンハルト様。あなたに、見ていただきたいものがあります」
最後の七星王家の姫を名乗った少女は、金色の瞳を伏せた。
「これは未来を決める予言ではありません。七星魂環術式が保存していた、幾つもの可能性の一つです」
「可能性?」
「はい。誰も運命を変えなかった場合に、何が起こり得るのか。それを示す記録です」
リゼットが、祭壇の外周に刻まれた文字を調べながら口を挟んだ。
「正確には、過去の出来事と人間の行動傾向をもとに組み立てた未来演算のようです。三百年前の術式にしては、信じられないほど精巧ですが」
「なら、絶対に起こるとは限らないわけだな」
「ええ。ただし、演算に使われた情報の一部は、現在進行形で更新されています」
彼女は眉をひそめた。
「誰かが、意図的に特定の結末へ誘導している可能性があります」
その言葉に、背筋が冷たくなった。
俺が転生する前に知っていたゲーム『エターナル・レガリア』。
十七歳で討伐される悪役公爵令息。
北方へ追いやられる両親。
六万の軍勢。
これまで調べてきた陰謀は、どれも原作の筋書きに近づいていた。
「……見せてくれ」
俺が言うと、ルナリアは悲しげに首を傾けた。
「苦しい記録です。それでも?」
「ああ。知らないまま、同じ失敗をする方が怖い」
隣にいたエリシアが、俺の袖をそっと掴んだ。
「もし苦しくなったら、途中でやめてくださいね」
「ありがとう」
俺は小さく笑った。
その瞬間、祭壇の光が広がった。
◇◆◇
最初に見えたのは、燃える屋敷だった。
空を埋める矢。
地面を揺らす軍靴。
そして、屋敷の門前に立つ一人の少年。
黒髪に赤い瞳。
俺と同じ顔をした、十七歳のレオンハルト。
だが、その少年は俺ではなかった。
彼には《万有引力》も《無限神力》もない。
異世界から来た魂も、ゲームの知識も持っていない。
それでも、彼は強かった。
七属性魔法を巧みに組み合わせ、迫る軍勢を食い止める。魔力が尽きかければ剣を抜き、傷を負っても門の前から退かない。
俺は、その姿から目を離せなかった。
原作で悪役として描かれていた少年。
傲慢で、冷酷で、最後には討伐されるべき存在だと、かつての俺は思っていた。
だが、今見えている彼は違う。
避難する使用人を守るために戦い、倒した兵士にはとどめを刺さない。
彼の背後では、エレノアが泣いていた。
『私だって、あなたを守りたいんです!』
『……なら、生きてくれ』
十七歳のレオンハルトは、そう答えた。
俺は無意識に拳を握った。
……馬鹿野郎。
そんな顔で、そんなことを言うなよ。
それじゃ、まるで。
今の俺と、同じじゃないか。
◇◆◇
映像は進んだ。
三日目。
黒い封印槍が、少年の胸を貫いた。
膝をつくレオンハルト。
血に染まった石畳。
彼の口元が、わずかに動く。
『……帰って、きてほしかったな……』
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が締めつけられた。
俺は知っている。
父上が、どれほど俺との剣の稽古を楽しみにしているか。
母上が、どれほど俺の帰宅を喜んでくれるか。
そんな二人を待ちながら、一人で死んでいく。
それがどれほど残酷なことなのか。
映像が切り替わった。
王都の南門へ入る馬車。
中では父上と母上が笑っていた。
『帰ったら、レオンちゃんをいっぱい抱きしめなくちゃ』
母上の明るい声が聞こえる。
俺は思わず目を閉じた。
……やめろ。
この先を、見たくない。
けれど光景は止まらなかった。
衛兵から死を告げられる父上。
壊れた屋敷を歩き、俺の名を呼ぶ母上。
そして、棺の中の息子を抱きしめて泣き崩れる姿。
『お母様、帰ってきたのよ……!』
あの母上が。
いつも笑って、俺をからかって、少し過保護なくらい愛情を注いでくれる母上が。
声が枯れるまで泣いていた。
父上は、その傍らで黙って立っていた。
けれど、握りしめた拳から血が流れていた。
……父上。
……母上。
ごめんなさい。
思わず、心の中で謝っていた。
◇◆◇
「レオン!」
突然、セレスの声が聞こえた。
視界が揺れる。
俺は、現実へ引き戻された。
気づけば、膝をついていた。
セレスが右手を握り、エリシアが背中へ手を添えている。
「大丈夫? 顔色が真っ青よ」
「……ああ」
答えたつもりだったが、声が掠れた。
アリシアが、俺の前へしゃがみ込む。
「無理して強がらないで。あんなものを見せられたら、誰だって平気じゃいられないわ」
リゼットも、測定器を閉じた。
「映像に精神干渉の痕跡はありません。ただ、内容があまりに……」
彼女は言葉を止めた。
エレノアは、何も言わなかった。
ただ俺の傍らへ膝をつき、震える手で俺の袖を握っていた。
彼女も見たのだ。
もう一つの世界で、俺が死ぬところを。
「……エレノア」
「はい」
「俺は、ここにいる」
そう告げると、彼女は唇を噛んだ。
「……存じております」
それでも、袖を握る手は離れなかった。
俺はその手を、そっと握り返した。
◇◆◇
「ルナリア」
俺は顔を上げた。
「あの記録は、どこまで信用できる?」
少女は、静かに答えた。
「起こり得る結末の一つです。ただし、記録のすべてが真実とは限りません」
「どういうことだ?」
「演算の基礎となる歴史記録へ、外部から手が加えられています。特に『黒き暴君は十七歳で討伐されるべき存在』という判断は、後世に書き込まれたものです」
リゼットが頷いた。
「封王書庫で見つけた、年代の合わないインクと一致しますね」
ルナリアは胸元の紋章に触れた。
「そして、あの未来には不自然な部分があります。六万の軍勢を動かすだけの政治工作、北方外交任務、通信施設の停止、対魔力兵器の配置。それらが、都合よく同時に起きている」
「誰かが、起こるように仕組んだ」
「はい」
セレスの表情が厳しくなった。
「それなら、これは予言じゃない。実行予定の計画書に近いわ」
俺は彼女を見た。
その通りだ。
運命という言葉で片づけてはいけない。
誰かが準備し、誰かが命令し、誰かが実行する。
ならば、止める方法もある。
「……ありがとう、ルナリア」
俺は立ち上がった。
「俺は、あの結末を選ばない」
少女の金色の瞳が、少しだけ見開かれた。
「たとえ十七歳になっても、父上と母上のところへ帰る。皆と笑って食事をする。そういう未来にする」
セレスが、俺の手を強く握った。
「一人で決めないで」
「え?」
「その未来を守るのは、レオンだけの仕事じゃないわ」
エリシアが微笑む。
「私も、お手伝いします」
「研究で負けるつもりはありませんから」とリゼット。
「剣が必要なら、私を呼びなさい」とアリシア。
エレノアは、ようやく袖から手を離した。
「今度こそ、私にも守らせてください」
俺は皆を見渡した。
不思議だった。
さっきまで胸を塞いでいた冷たいものが、少しずつ溶けていく。
「……わかった」
俺は笑った。
「全員で、未来を変えよう」
◇◆◇
その直後だった。
リゼットの測定器が、甲高い警告音を鳴らした。
「待ってください。祭壇の奥に、別の術式があります!」
床の一部が透き通り、黒い結晶が姿を現した。
結晶の内部には、微かな光が七つ。
そのうち二つが、王都北部と西部を示していた。
「七つの中継点……」
リゼットが呟く。
「でも、おかしい。この地下水路の中継点は、すでに切断されているはずなのに」
ルナリアが、結晶を見つめた。
「それは中継点そのものではありません。七つの中継点へ命令を送る、管理記録です」
「つまり、ここから命令の履歴を追える?」
「一部だけなら」
リゼットの目が輝いた。
「それなら、黒幕の計画を逆算できます!」
俺は、周囲を見回した。
罠として用意された場所。
偽りの未来を見せるための祭壇。
だが、敵は一つだけ見落としていた。
俺たちは、映像を見て怯えるだけの人間ではない。
「記録を保全しよう。ルドルフ監察官の立ち会いで、正式な証拠にする」
セレスが頷く。
「王家の封印記録として、私から保全命令を出すわ」
アリシアが剣を抜いた。
「その間、周囲は任せて」
エリシアはルナリアの傍らに立ち、魂への干渉を防ぐ聖光を展開した。
皆が、それぞれの役割を果たしていく。
俺はその光景を見ながら、心の中で呟いた。
……もう一つの俺。
お前が守ろうとしたものは、きっと俺も同じように大切に思っている。
だから。
お前の結末を、俺の未来にはしない。
◇◆◇
午後六時。
ヴァルディス公爵家、王都別邸。
調査を終えて帰宅した俺を、母上が玄関で出迎えた。
「レオンちゃーん!」
いつも通りの明るい声。
次の瞬間、柔らかな腕が俺を抱きしめた。
「お帰りなさい! 今日は随分遅かったわね。お怪我はない?」
「大丈夫です、母上」
「本当に? ちょっと顔色が悪いような……」
俺は、母上の肩越しに父上の姿を見つけた。
父上は穏やかに笑っている。
「お帰り、レオン。夕食はまだだぞ」
その何気ない言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が、熱くなった。
……帰ってきた。
俺は今、ちゃんと帰ってきたんだ。
「……母上」
「なあに?」
俺は、少しだけ腕に力を込めた。
「ただいま帰りました」
母上は一瞬驚いたように目を丸くし、それから嬉しそうに微笑んだ。
「ええ。お帰りなさい、レオンちゃん」
父上が、静かに俺の肩を叩く。
「何かあったなら、食事のあとで聞こう」
「……はい」
俺は頷いた。
もう一つの世界では、二度と叶わなかった帰宅。
父の声。
母の温もり。
夕食の香り。
そのすべてが、今はどうしようもなく愛おしかった。
――運命を変える。
その決意は、もう恐怖から生まれたものではなかった。
俺には、帰るべき場所がある。
だからこそ、必ず守ってみせる。
その夜、レオンハルト・ヴァルディスは、家族と共に温かな食卓を囲んだ。
滅びた可能性の記録とは違う、確かな現在を噛みしめながら。




