第45話【IF編・完結・】銀月の終焉――愛する息子を奪われた世界への復讐
第45話【IF編・完結・】銀月の終焉――愛する息子を奪われた世界への復讐
王国暦八百二十三年、秋月二十四日。
午後三時。
ルミナス王国、王都。
王城の中央塔が崩れ落ちたとき、王都中の人々は空を見上げた。
巨大な銀色の魔法陣。
空を覆う黒い闘気。
そして、瓦礫の上に立つ二人の人物。
黒獅子アルフォンス。
銀月の魔女エレオノーラ。
王国最強の夫婦が、ついに王国そのものへ牙を剥いた。
◇◆◇
王城の地下。
アルフォンスは、薄暗い廊下を歩いていた。
その後ろには、数人の護衛騎士が続いている。
だが、彼らは剣を抜いていなかった。
すでに戦う意思を失っていたのだ。
「……この先です」
一人の騎士が、震える声で言った。
「……討伐軍の作戦記録は、地下保管庫にあります」
アルフォンスは、静かに頷いた。
「案内しろ」
重い扉が開かれる。
そこには、無数の書類が並べられていた。
討伐軍の配置図。
封印兵器の使用記録。
そして、レオンハルトの戦闘経過報告。
アルフォンスは、一枚の記録を手に取った。
『対象は三日目午前八時十二分、封印槍により死亡』
その文字を見た瞬間、胸の奥が締めつけられた。
……八時十二分。
息子が死んだ時刻。
父である自分は、そのとき何をしていたのか。
北方の迎賓館で、外交官たちと朝食を取っていた。
妻と笑いながら、帰国後の予定を話していた。
その間に。
息子は、一人で死んでいた。
「…………っ」
アルフォンスは、書類を握りしめた。
そして、静かに目を閉じた。
……レオン。
……すまない。
何度謝っても、届かない。
◇◆◇
そのとき。
保管庫の奥から、一人の男が現れた。
討伐軍総司令官。
六万の軍勢を指揮した人物だった。
「……ヴァルディス公爵」
男は、静かに頭を下げた。
「……私は、あなたに殺されても仕方のないことをしました」
アルフォンスは、ゆっくりと彼を見た。
「……お前が、レオンを殺したのか」
総司令官は、首を横へ振った。
「……最後の封印槍を放ったのは、聖教会の術者です」
そして。
「……ですが、私が軍を動かしました」
アルフォンスは、黙っていた。
男は、震える声で続けた。
「……最初は、王国のためだと思っていました」
そして。
「……ですが、三日間戦い続けるあの少年を見て、私は間違っていたと気づきました」
アルフォンスの瞳が、鋭く光った。
「……ならば、なぜ止めなかった」
総司令官は、答えられなかった。
長い沈黙。
そして。
「……怖かったのです」
男は、俯いた。
「……命令に逆らうことが」
アルフォンスは、ゆっくりと剣を抜いた。
「……そうか」
その声は、冷たかった。
「……お前は、自分の命が惜しかったのだな」
総司令官は、静かに頷いた。
「……はい」
アルフォンスは、剣を構えた。
「……レオンも、生きたかったはずだ」
そして。
「……だが、あの子は逃げなかった」
剣が閃いた。
総司令官は、床へ崩れ落ちた。
アルフォンスは、その身体を見下ろした。
「……お前に、その覚悟があったなら」
その声が、わずかに震えた。
「……私の息子は、死なずに済んだかもしれん」
◇◆◇
午後五時。
王都、聖教会大聖堂。
巨大な鐘楼の上に、エレオノーラが立っていた。
眼下には、白い石造りの大聖堂。
レオンハルトを異端と断じ、討伐を正当化した場所だった。
彼女は、静かに右手を上げた。
「……《銀月・封魔結界》」
銀色の光が、大聖堂を包み込んだ。
内部にいた聖職者たちの魔法が、次々と封じられる。
そして、エレオノーラの声が響いた。
『討伐計画に関わった者は、前へ出なさい』
沈黙。
誰も動かない。
『逃げても無駄よ』
銀色の魔法陣が、床に浮かび上がる。
記憶を照合する術式。
討伐命令へ関与した者たちの魔力痕跡が、次々と浮かび上がった。
高位司祭。
封印術師。
兵器の管理責任者。
そして、魂縛りの術式を設計した魔導師。
彼らは、恐怖に顔を引きつらせた。
「……た、助けてくれ!」
「……我々は命令に従っただけだ!」
エレオノーラは、静かに微笑んだ。
「……そう」
そして。
「……レオンちゃんも、きっと助けてほしかったでしょうね」
銀色の鎖が、彼らを拘束した。
◇◆◇
その中に、一人の老魔導師がいた。
封印槍の設計者。
レオンハルトの魂を拘束する術式を作った人物だった。
エレオノーラは、彼の前へ歩み寄った。
「……あなたが、あの槍を作ったの?」
老魔導師は、震えながら頷いた。
「……は、はい……」
「……そう」
エレオノーラは、静かに尋ねた。
「……あの子は、苦しんだ?」
老魔導師は、何も答えられなかった。
「……教えて」
その声が、震えた。
「……レオンちゃんは、最後に苦しんだの?」
老魔導師は、俯いた。
「……魂縛りの術式は、対象の生命力を強制的に停止させます」
そして。
「……その過程で、激しい苦痛を伴うことがあります……」
エレオノーラの瞳から、涙が零れた。
「……そう」
彼女は、静かに微笑んだ。
「……教えてくれて、ありがとう」
次の瞬間。
銀色の光が、老魔導師を包み込んだ。
短い悲鳴。
そして、静寂。
光が消えたとき、彼は二度と動かなかった。
エレオノーラは、ゆっくりと目を閉じた。
「……レオンちゃん」
そして。
「……お母様、遅くなってごめんね」
◇◆◇
午後六時。
聖教会大聖堂は、崩壊した。
巨大な銀色の魔法陣が、建物の中心を貫いたのだ。
討伐計画に関与していない聖職者や一般の信徒たちは、事前に外へ避難させられていた。
だが、計画の中核を担った者たちは、誰一人として逃げられなかった。
王都の人々は、その光景を恐怖とともに見つめた。
王城。
評議会。
聖教会。
王国を支えてきた三つの権力が、一日のうちに崩壊した。
◇◆◇
王国暦八百二十三年、秋月二十五日。
王都の朝。
アルフォンスとエレオノーラは、再びヴァルディス公爵家へ戻っていた。
大広間には、レオンハルトの棺が置かれている。
エレオノーラは、静かに棺の傍らへ座った。
「……レオンちゃん」
その声は、優しかった。
「……お母様たち、帰ってきたわよ」
アルフォンスも、棺の前へ膝をついた。
「……レオン」
そして。
「……お前を殺した者たちは、もういない」
返事はなかった。
当然だった。
息子は、もう二度と目を覚まさない。
エレオノーラは、少年の頬へ触れた。
「……ねえ、あなた」
アルフォンスが、静かに顔を上げる。
「……何だ」
「……私、わかったことがあるの」
その声は、ひどく疲れていた。
「……何人殺しても、レオンちゃんは帰ってこないのね」
アルフォンスは、何も言えなかった。
エレオノーラは、静かに涙を流した。
「……当たり前なのにね」
そして。
「……私、どこかで期待していたのかもしれない」
彼女は、息子の手を握った。
「……あの子を殺した人たちがいなくなれば、少しは楽になるんじゃないかって」
だが。
何も変わらなかった。
胸の奥に空いた穴は、少しも埋まらなかった。
◇◆◇
その日の午後。
ヴァルディス公爵領へ向かう馬車の中で、アルフォンスは妻へ尋ねた。
「……これから、どうする」
エレオノーラは、窓の外を見つめていた。
「……レオンちゃんを、静かな場所に眠らせてあげたい」
アルフォンスは、静かに頷いた。
「……ああ」
そして。
「……私も、そう思う」
二人は、それ以上何も話さなかった。
◇◆◇
王国暦八百二十三年、冬月一日。
ルミナス王国は、事実上崩壊した。
国王と王太子は死亡。
評議会は消滅。
聖教会の中枢も失われた。
各地の貴族たちは、次々と独立を宣言した。
王国軍は統一された指揮系統を失い、地方領主たちが自領の防衛へ兵を引き上げた。
かつて大陸有数の強国だったルミナス王国は、わずか数週間で歴史の表舞台から姿を消した。
そして。
その崩壊を引き起こした黒獅子と銀月は、王国の再建に関わろうとはしなかった。
彼らにとって。
もう、王国などどうでもよかった。
◇◆◇
冬月七日。
ヴァルディス公爵領、北方の丘。
静かな雪が、降っていた。
その丘の上には、一つの墓が建てられている。
白い石碑。
そして、そこに刻まれた名前。
『レオンハルト・ヴァルディス』
『王国暦八百六年生』
『王国暦八百二十三年没』
『最愛の息子へ』
エレオノーラは、墓石の前へ花を供えた。
「……レオンちゃん」
彼女は、静かに微笑んだ。
「……今日はね、あなたの好きだったお菓子を持ってきたの」
そして。
「……お母様、ちゃんと覚えていたのよ」
その声は、優しかった。
だが。
返事はなかった。
アルフォンスは、墓石の前へ膝をついた。
「……レオン」
その声には、深い悲しみが宿っていた。
「……父は、すべてを終わらせた」
そして。
「……だが」
アルフォンスは、静かに目を閉じた。
「……お前がいない世界では、何の意味もないな」
エレオノーラの瞳から、涙が零れた。
「……本当に、そうね……」
◇◆◇
そのとき。
銀髪の侍女が、静かに近づいてきた。
エレノア・シルヴェイン。
彼女は、レオンハルトから贈られた小さな護符を胸元に下げていた。
「……旦那様、奥様」
そして、深々と頭を下げた。
「……私も、ここにいてよろしいでしょうか」
エレオノーラは、静かに微笑んだ。
「……もちろんよ」
そして。
「……あなたも、レオンちゃんの家族だもの」
エレノアの瞳から、涙が零れた。
「……ありがとうございます……」
彼女は、墓石の前へ膝をついた。
「……レオンハルト様」
そして。
「……私は、これからもあなたを忘れません」
その声は、震えていた。
「……ずっと、ずっと……」
◇◆◇
少し離れた場所には、数人の少女たちが立っていた。
第一王女セレスティア。
聖女エリシア。
魔導研究者リゼット。
剣士アリシア。
そして、ヴィオレッタ。
彼女たちは、それぞれ違う形でレオンハルトと関わっていた。
だが。
共通していたことが、一つだけあった。
誰もが、少年の死を悲しんでいた。
セレスティアは、静かに涙を流した。
「……レオン……」
エリシアは、胸元の七星のペンダントを握りしめた。
「……あなたを、救えなかった……」
リゼットは、俯いたまま拳を握った。
「……もっと早く、術式を解明できていれば……」
アリシアは、涙を拭いながら空を見上げた。
「……馬鹿……」
そして。
「……一人で、全部背負わないでよ……」
ヴィオレッタは、何も言えなかった。
ただ、静かに頭を下げていた。
◇◆◇
その夜。
アルフォンスとエレオノーラは、息子の墓の前に座っていた。
夜空には、無数の星が輝いている。
「……あなた」
エレオノーラが、静かに声をかけた。
「……何だ」
「……もし、もう一度やり直せるなら」
その声が、震えた。
「……私は、絶対にあの子を一人にしないわ」
アルフォンスは、静かに頷いた。
「……ああ」
そして。
「……私もだ」
二人は、夜空を見上げた。
だが。
どれほど願っても。
時間は、戻らなかった。
◇◆◇
――そして。
世界のどこか。
誰も知らない、暗い空間。
一人の男が、静かに古い羊皮紙を見つめていた。
『黒き暴君――十七歳にて死亡』
男は、ゆっくりと笑った。
「……これで、第一段階は完了した」
その手には、黒い水晶が握られていた。
水晶の内部には、かすかな赤い光が揺れている。
「……黒き星の魂は、まだ完全には消えていない」
そして。
「……次こそ、器として完成させる」
男は、静かに水晶を掲げた。
――王国は崩壊した。
黒獅子と銀月は、最愛の息子を失った。
多くの人々が、取り返しのつかない悲しみを背負った。
だが。
この世界の悲劇は、まだ終わっていなかった。
なぜなら。
すべての元凶は、今も闇の中で笑っていたからだ。
◇◆◇
――IFルート、完。
これは、誰にも救われなかった世界の物語。
そして。
運命を変える者が現れなかった場合に訪れた、もう一つの結末だった。




