第44話【IF編・終章①・】黒獅子の粛清――息子を殺した王国への報復
第44話【IF編・終章①・】黒獅子の粛清――息子を殺した王国への報復
王国暦八百二十三年、秋月二十四日。
午前十時四十二分。
ルミナス王国、王城大評議会議場。
銀色の鎖が、床を這っていた。
王太子アドリアン、評議会議長、聖教会大司教、そして討伐命令に署名した貴族たち。その全員が、エレオノーラの魔法によって拘束されている。
天井には《銀月封鎖》の魔法陣。
王城の転移術式も通信設備も、すでに沈黙していた。
議場の中央で、アルフォンス・ヴァルディスは一枚の書類を読み終えた。
息子レオンハルトに対する討伐命令書。
そこには、六万の兵を動かした者たちの署名が並んでいた。
「……これで、全員か」
アルフォンスが尋ねると、拘束された評議会議長が慌てて頷いた。
「そ、そうだ! だが、これは王国の正式な決議であり、私個人の判断では――」
「私は、全員かと聞いた」
「……は、はい」
「そうか」
アルフォンスは書類を畳み、懐へ収めた。
そして、腰の剣を抜いた。
誰かが息を呑んだ。
「ま、待て! 何をするつもりだ!」
議長の叫びに、アルフォンスは答えなかった。
代わりに、もう一枚の書類を取り出した。
それは、息子の遺体を検分した医師の報告書だった。
全身の裂傷。
骨折。
魔力枯渇による臓器への負担。
魂縛りの禁術による損傷。
そして、胸部を貫通した封印槍。
十七歳の少年が三日間受け続けた苦痛が、淡々とした医学用語で記されていた。
「レオンは、最後まで降伏しなかったそうだ」
アルフォンスの声は静かだった。
「降伏すれば、屋敷の者たちが殺されると考えたからだ」
議長は唇を震わせた。
「そ、それは……」
「私の息子は、敵兵を殺すことすら避けていた」
アルフォンスは一歩近づいた。
「なのに、お前たちはその優しさを利用した」
「わ、私は命令に署名しただけだ!」
アルフォンスは、そこで初めて笑った。
それは、戦場でさえ見せたことのない、冷たい笑みだった。
「署名しただけ、か」
剣が閃いた。
次の瞬間、議長の身体が崩れ落ちた。
床に赤い血が広がる。
議場から悲鳴が上がった。
アルフォンスは倒れた男を見下ろし、静かに告げた。
「ならば、その署名の責任を取れ」
◇◆◇
「ひっ……!」
貴族たちが後ずさろうとした。
だが、銀色の鎖は一歩も動くことを許さない。
「エレオノーラ! 止めてくれ!」
国王アレクシスが叫んだ。
銀月の魔女は、ゆっくりと顔を向けた。
「……どうして?」
「このままでは、取り返しがつかなくなる!」
エレオノーラは、しばらく国王を見つめていた。
そして、首を傾げた。
「取り返しがつかない?」
その声には、怒鳴り声よりも恐ろしい静けさがあった。
「陛下。私のレオンちゃんは、もう帰ってこないのよ」
国王は言葉を失った。
「十七歳だったの。まだ、これからだったのよ」
エレオノーラは、自分の両手を見下ろした。
「小さい頃はね、怖い夢を見たら私の寝室へ来たの。眠れないって言いながら、私の手を握ってくれたわ」
声が震えた。
「剣の稽古で負けた日は、悔しくて泣いていた。魔法が成功した日は、真っ先に私へ見せに来た」
彼女は、国王へ視線を戻した。
「その子が、三日間も一人で戦っていたの」
頬を涙が伝った。
「私たちが帰るのを、待ちながら」
銀色の魔力が、激しく揺れた。
「……取り返しがつかないことをしたのは、誰?」
国王は答えられなかった。
◇◆◇
アルフォンスは、次の男の前に立った。
聖教会大司教。
魂縛りの封印槍を認可した人物だった。
「お、お前たちは知らないのだ!」
大司教が叫ぶ。
「あの少年は黒き星! 神託によって滅ぼされるべき存在だった!」
「神託?」
アルフォンスは眉一つ動かさなかった。
「その神託は、どこにある」
「三百年前の七星王家の記録に――」
「その記録は、最近書き換えられたものだ」
エレオノーラが口を挟んだ。
大司教の顔色が変わる。
「……なぜ、それを」
「あなたの記憶を見たからよ」
銀色の魔法陣が、大司教の頭上に浮かび上がった。
そこに映ったのは、黒衣の男との密談だった。
『公爵夫妻を北方へ誘導する』
『通信を断ち、少年を孤立させる』
『六万の兵で消耗させ、魂を封印する』
映像が消えた。
議場には、重苦しい沈黙が落ちた。
「……神の命令ではないな」
アルフォンスが言った。
「お前たちの都合だ」
「ま、待て! 私は命令されただけで――」
「レオンにも、命乞いをする機会を与えたのか?」
大司教は答えなかった。
アルフォンスは剣を振るった。
悲鳴は、短かった。
大司教の身体が床へ倒れる。
アルフォンスは、そのまま次の男へ歩き出した。
◇◆◇
そこから先は、裁判ではなかった。
アルフォンスは、討伐計画に関与した者たちを一人ずつ問い詰めた。
兵の動員を決めた貴族。
封印兵器を運び込ませた軍の協力者。
公爵家の使用人名簿を敵へ渡した役人。
父母への通信を妨害した責任者。
彼らは口々に弁解した。
王命だった。
教会の命令だった。
逆らえば自分の家が潰されると思った。
少年一人で六万を相手にするとは思わなかった。
アルフォンスは、すべて聞いた。
その上で、息子の死に直接責任を負う者へ剣を向けた。
命乞いをしても、泣いて謝っても、剣は止まらなかった。
やがて議場の床は赤く染まり、誰もが彼の足音に怯えるようになった。
だが、アルフォンスの表情は変わらなかった。
怒り狂っているようには見えない。
むしろ、あまりにも静かだった。
それが何より恐ろしかった。
◇◆◇
「……お父様」
不意に、震える声が響いた。
議場の入口に、第一王女セレスティアが立っていた。
銀色の封鎖結界を通るため、王家の血を鍵にして入ってきたのだろう。
彼女は床の惨状を見て、息を呑んだ。
「……アルフォンス様」
アルフォンスは、ゆっくりと振り返った。
「セレスティア殿下」
その声だけは、わずかに柔らかかった。
セレスティアは、震える足で一歩進んだ。
「レオンが……亡くなったと聞きました」
「……はい」
「本当なのですか」
アルフォンスは、答えるまでに時間がかかった。
「……本当です」
セレスティアの目から、涙が零れた。
「……そんな」
彼女は口元を押さえた。
「私、まだ……謝っていないのに」
アルフォンスの瞳が、わずかに揺れた。
この世界のセレスティアは、王家の一員としてレオンハルトを警戒し、父王や兄の判断に強く逆らえなかった。
彼を助けようと動いたときには、すでに討伐命令が下されていた。
「……殿下」
アルフォンスは静かに告げた。
「あなたに剣を向けるつもりはありません」
「でも……!」
「あなたは、討伐命令に署名していない」
そして、苦しげに続けた。
「レオンも、あなたを恨んではいないでしょう」
その言葉を聞いた瞬間、セレスティアは膝をついて泣き崩れた。
エレオノーラは彼女へ歩み寄り、そっと肩を抱いた。
「……泣いていいのよ、セレスちゃん」
優しい声だった。
だが、その直後。
王太子アドリアンが、拘束されたまま叫んだ。
「セレスティア! 何をしている! そいつらは反逆者だぞ!」
エレオノーラの手が止まった。
◇◆◇
「……反逆者?」
彼女は、ゆっくりとアドリアンを見た。
「兄上、もうやめて!」
セレスティアが叫ぶ。
だが、アドリアンは止まらなかった。
「レオンハルトは王国の脅威だった! あいつが死んだのは当然だ!」
その瞬間。
議場の温度が、急激に下がった。
銀色の魔力が、エレオノーラの周囲へ集まる。
「……もう一度、言って」
アドリアンの顔が青ざめた。
「な、何だと……」
「レオンちゃんが死んで当然だと、そう言ったの?」
「……そ、それは……」
エレオノーラは、静かに微笑んだ。
「そう」
彼女は右手を上げた。
アドリアンの身体が、銀色の鎖によって宙へ持ち上げられる。
「エレオノーラ! やめろ!」
国王が叫ぶ。
だが、彼女は振り返らなかった。
「あなたの息子は、生きているのね」
その言葉に、国王は凍りついた。
「私の息子は、もういないのに」
アドリアンが悲鳴を上げた。
「た、助けてくれ! 父上!」
エレオノーラは、涙を流しながら言った。
「レオンちゃんも、きっとそう呼びたかったでしょうね」
銀色の光が、アドリアンを包み込んだ。
次の瞬間、光が収束した。
王太子の身体は床へ落ち、二度と動かなかった。
セレスティアの悲鳴が響く。
国王は、その場に崩れ落ちた。
エレオノーラは、静かに目を閉じた。
涙が、一筋だけ頬を伝った。
◇◆◇
午後零時。
王城の鐘が、鳴り響いた。
王国評議会は、事実上消滅していた。
討伐計画の中核を担った者たちは、ほぼ全員が死亡。
生き残った役人や騎士たちは、武器を捨てて降伏した。
アルフォンスは、議場の中央へ戻った。
そこには、国王アレクシスが座り込んでいた。
「……アルフォンス」
国王の声は、かすれていた。
「私の息子まで……」
アルフォンスは、しばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「……陛下」
「……何だ」
「私は、あなたの悲しみを理解できます」
国王が顔を上げた。
「……だからこそ」
アルフォンスの声が、冷たく響く。
「私の息子を殺す命令を、なぜ止めなかったのですか」
国王は、何も言えなかった。
「あなたには、止める権限があった」
アルフォンスは剣を持ち上げた。
「私は、戦場であなたを何度も守った。王国のために剣を振るい、命を懸けてきた」
その声が、初めて震えた。
「その私が、あなたに求めたことは何だった?」
国王の瞳から、涙が零れた。
「……アルフォンス……」
「私の家族を、守ってほしかっただけだ」
アルフォンスは、一歩近づいた。
「……それだけだったのだ」
国王は、ゆっくりと目を閉じた。
「……すまなかった」
アルフォンスは、しばらく剣を構えたまま動かなかった。
そして。
「……遅すぎます」
銀色の刃が、静かに振り下ろされた。
◇◆◇
午後一時。
ルミナス王国は、国王と王太子を同じ日に失った。
王城の外では、兵士たちが混乱していた。
だが、アルフォンスは民衆へ向けて剣を振るわなかった。
彼は王城の最上階へ上がり、王国軍全体へ向けて宣告した。
『王国軍に告ぐ』
黒獅子の声が、王都全体へ響いた。
『武器を捨てよ。これ以上、無意味な命を失う必要はない』
そして。
『我が息子の討伐を命じた者たちは、すでに裁かれた』
短い沈黙。
『だが、この国が犯した罪は、それだけでは終わらん』
王都の空に、巨大な銀色の魔法陣が広がった。
エレオノーラが、王城の塔の上に立っていた。
銀髪が風に揺れる。
その瞳には、もう迷いがなかった。
「……レオンちゃん」
彼女は、小さく呟いた。
「お母様ね、もう元には戻れないみたい」
そして、空へ手を伸ばした。
「でも、あなたを殺した王国を、そのまま残すことだけはできないの」
銀色の光が、王城を包み込む。
巨大な中央塔が、音を立てて崩れ始めた。
王国の象徴が、崩壊していく。
それを見上げる人々は、まだ知らなかった。
この日が、ルミナス王国最後の一日の始まりになることを。
――黒獅子の粛清は終わった。
だが、銀月の復讐は、まだ終わっていなかった。




