第41話【IF編・中編】黒獅子と銀月の帰還――息子を失った両親の絶望
第41話【IF編・中編】黒獅子と銀月の帰還――息子を失った両親の絶望
王国暦八百二十三年、秋月二十二日。
ルミナス王国、王都。
その日、王都の空は厚い雲に覆われていた。
街には、奇妙な静けさが漂っている。
市場の商人たちは声を潜め、通りを行く人々も、どこか怯えた表情を浮かべていた。
そして。
王都の南門へ、一台の豪華な馬車が近づいていた。
ヴァルディス公爵家の紋章。
黒い獅子と銀色の月。
その馬車に乗っていたのは。
アルフォンス・ヴァルディス。
そして、妻エレオノーラ・ヴァルディス。
北方グランヴェル地方への外交任務から、ようやく帰還した二人だった。
◇◆◇
「……やっと帰ってこられたな」
アルフォンスが、静かに息を吐いた。
隣のエレオノーラが、微笑んだ。
「……そうね」
そして。
「……レオンちゃん、元気にしているかしら♡」
アルフォンスは、穏やかに頷いた。
「……ああ」
その表情には、父親としての優しさが宿っていた。
「……きっと、また剣の腕を上げているだろう」
エレオノーラは、楽しそうに笑った。
「……ふふ♡」
そして。
「……帰ったら、いっぱい抱きしめてあげなくちゃ」
アルフォンスは、苦笑した。
「……もう十七歳だぞ」
「……何歳になっても、私のレオンちゃんよ♡」
二人は、穏やかに笑い合った。
だが。
その笑顔は、間もなく消えることになる。
◇◆◇
王都南門。
馬車が門へ近づくと、衛兵たちが慌てて整列した。
「……ヴァルディス公爵閣下!」
アルフォンスが、窓から顔を出した。
「……何かあったのか?」
衛兵たちは、顔を見合わせた。
そして。
誰も、すぐには答えられなかった。
……妙だな。
アルフォンスは、静かに眉をひそめた。
「……どうした?」
衛兵の一人が、震える声で口を開いた。
「……閣下」
そして。
「……その……」
言葉が続かない。
エレオノーラも、不思議そうに顔を覗かせた。
「……何かあったの?」
衛兵は、俯いた。
そして。
「……申し訳ございません……」
その瞬間。
アルフォンスの表情が、変わった。
「……何を謝っている?」
低い声。
衛兵は、震えながら答えた。
「……レオンハルト様が……」
その名前を聞いた瞬間。
エレオノーラの笑顔が、消えた。
「……レオンちゃん?」
衛兵は、涙を浮かべた。
「……討伐軍との戦いで……」
そして。
「……お亡くなりに、なられました……」
――時間が、止まった。
◇◆◇
「…………何?」
エレオノーラの声は、かすれていた。
衛兵は、何も答えられなかった。
「……今、何て言ったの?」
彼女は、ゆっくりと尋ねた。
だが。
その瞳には、恐ろしいほどの動揺が宿っていた。
「……レオンちゃんが……?」
アルフォンスは、静かに馬車から降りた。
そして。
衛兵の胸倉を掴んだ。
「……もう一度、言ってみろ」
その声は、低く、冷たかった。
衛兵は、震えながら答えた。
「……レオンハルト様は……」
そして。
「……三日前、討伐軍との戦いで……」
アルフォンスの手が、止まった。
「…………」
何も言わない。
だが。
その周囲の空気が、急激に重くなった。
……嘘だ。
アルフォンスは、心の中で呟いた。
……あの子が。
……レオンが。
……死ぬはずがない。
◇◆◇
「……屋敷へ行く」
アルフォンスが、静かに言った。
その声には、感情がなかった。
エレオノーラも、ゆっくりと頷いた。
「……ええ」
そして。
「……レオンちゃんに、会わなくちゃ」
その笑顔は、壊れかけていた。
◇◆◇
ヴァルディス公爵家、王都別邸。
屋敷の正門は、半壊していた。
石畳には、巨大な亀裂。
庭園は、焼け焦げている。
そして。
かつて美しく整えられていた屋敷は、見る影もなかった。
アルフォンスは、静かに立ち尽くした。
……何だ、これは。
エレオノーラは、震える足取りで門をくぐった。
「……レオンちゃん?」
その声が、静かな庭園へ響いた。
「……レオンちゃん、どこ?」
返事はない。
彼女は、さらに歩いた。
「……お母様、帰ってきたわよ?」
その声は、少しだけ震えていた。
「……もう、外交任務なんて行かないから」
そして。
「……だから、出てきて……?」
だが。
返事は、なかった。
◇◆◇
屋敷の玄関。
そこには、セバスティアンが立っていた。
普段は完璧な姿勢を崩さない老執事。
だが。
今は、深く頭を下げたまま、肩を震わせていた。
「……旦那様」
その声は、かすれていた。
「……奥様」
アルフォンスが、静かに尋ねた。
「……セバスティアン」
「……はい」
「……レオンは、どこだ」
老執事は、何も答えられなかった。
ただ。
涙を流しながら、頭を下げ続けていた。
その姿を見た瞬間。
アルフォンスは、すべてを理解した。
◇◆◇
屋敷の奥。
かつて、家族で食事を楽しんだ大広間。
その中央には、一つの棺が置かれていた。
黒い木製の棺。
銀色の装飾。
そして。
棺の上には、一振りの剣が置かれていた。
レオンハルトの剣。
アルフォンスは、ゆっくりと近づいた。
エレオノーラも、その後を追った。
「……レオンちゃん?」
彼女は、棺へ手を伸ばした。
そして。
蓋を、ゆっくりと開いた。
そこには。
静かに眠る少年の姿があった。
黒髪。
深紅の瞳は、閉じられている。
そして。
穏やかな表情。
まるで、眠っているだけのようだった。
「…………」
エレオノーラは、しばらく動かなかった。
そして。
小さく微笑んだ。
「……レオンちゃん」
その声は、優しかった。
「……お母様、帰ってきたわよ」
彼女は、少年の頬へ手を伸ばした。
だが。
その肌は、冷たかった。
「…………っ」
エレオノーラの指が、震えた。
「……どうして……?」
そして。
「……どうして、こんなに冷たいの……?」
次の瞬間。
彼女の表情が、崩れた。
「……嫌……」
涙が、頬を伝った。
「……嫌よ……」
そして。
「……レオンちゃん……!」
彼女は、少年の身体を抱きしめた。
「……起きて……!」
声が、震える。
「……お願い……!」
そして。
「……お母様、帰ってきたのよ……!!」
その叫びが、大広間へ響いた。
◇◆◇
アルフォンスは、棺の前に立っていた。
何も言わない。
ただ。
息子の顔を見つめていた。
……レオン。
心の中で、名前を呼ぶ。
……父は。
……お前を守れなかった。
その瞬間。
彼の拳が、強く握られた。
ギリッ……。
骨が軋む音がした。
そして。
一滴の涙が、頬を伝った。
……すまない。
……本当に。
……すまない。
◇◆◇
しばらくして。
エレオノーラは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳から、涙は止まっていなかった。
「……あなた」
アルフォンスが、静かに振り返る。
「……何だ」
エレオノーラは、震える声で尋ねた。
「……誰が」
そして。
「……誰が、レオンちゃんを殺したの?」
その瞬間。
大広間の空気が、凍りついた。
アルフォンスは、静かに答えた。
「……調べる」
その声には、底知れぬ怒りが宿っていた。
「……必ず」
そして。
「……すべてを、明らかにする」
◇◆◇
その夜。
王都の空に、異変が起きた。
ヴァルディス公爵家の屋敷を中心に、巨大な魔力が渦巻き始めたのだ。
銀色の光。
そして。
黒い闘気。
王都中の魔導師たちが、その異常を感じ取った。
「……何だ、この魔力は!?」
「……王都が、震えている……!」
だが。
その中心にいる二人は、ただ静かに息子の棺を見つめていた。
黒獅子アルフォンス。
銀月の魔女エレオノーラ。
王国最強と呼ばれた夫婦。
その二人が。
最も大切なものを、失った。
そして。
その夜を境に。
ルミナス王国の運命は、大きく変わり始めた。




