第40話【IF編・前編】黒き暴君の最期――六万の軍勢に抗った十七歳の天才
第40話【IF編・前編】黒き暴君の最期――六万の軍勢に抗った十七歳の天才
※本話は本編とは異なる時間軸の物語です。
もしも、異世界から転生した魂がレオンハルト・ヴァルディスの運命を変えなかったなら。
これは、ゲーム『エターナル・レガリア』において、黒き暴君と呼ばれた少年が迎えた、本来の結末。
そして、王国が取り返しのつかない過ちを犯した三日間の記録である。
◇◆◇
王国暦八百二十三年、秋月十八日。
午前六時。
ルミナス王国、王都北西部。
地平線を埋め尽くす軍旗が、朝焼けの下ではためいていた。
王国正規軍、三万。
聖教会直属の聖騎士団、一万。
王太子派を中心とする貴族連合軍、二万。
総勢六万。
その軍勢が包囲しているのは、ヴァルディス公爵家の王都別邸だった。
公爵家当主アルフォンスと、その妻エレオノーラは、現在北方グランヴェル地方への外交任務に出ている。
王都との魔法通信は途絶。
長距離転移の中継施設も、原因不明の故障によって停止していた。
そして屋敷に残されたのは、まだ十七歳の公爵令息だった。
レオンハルト・ヴァルディス。
黒髪に深紅の瞳。
王国随一の剣才と、七属性すべてに適性を持つ稀代の魔導師。
その力と冷徹な振る舞いから、人々は彼をこう呼んでいた。
――黒き暴君。
だが、王国が恐れたその少年は、今まさに自分の命を狙う六万の兵士を前にしても、剣を抜いていなかった。
「最後に確認する」
正門前に立つレオンハルトは、拡声魔法で軍勢へ呼びかけた。
「我が家に対する反逆の証拠を示せ。正式な裁判の場を設けるなら、俺は出頭する」
返答はなかった。
代わりに、討伐軍の陣地から一本の矢が放たれた。
矢は少年の足元へ突き刺さる。
続いて、軍使が宣告した。
『レオンハルト・ヴァルディス! 王国の秩序を脅かす危険人物として、貴様の討伐は決定された!』
「……罪状は?」
『その異常な魔力と、王国に従わぬ傲慢さだ!』
レオンハルトは、しばらく黙っていた。
そして、乾いた笑みを浮かべた。
「なるほど。証拠はないということか」
彼は背後の屋敷を振り返った。
そこには、怯える使用人たちがいた。
老執事セバスティアン。
護衛騎士たち。
そして、銀髪の侍女エレノア。
「セバスティアン。避難計画は?」
「地下通路の準備が整っております。ただし、全員が脱出するまで最低でも二日は必要です」
「わかった」
レオンハルトは、腰の剣へ手をかけた。
「二日、稼げばいいんだな」
「坊ちゃま!」
セバスティアンの声が震えた。
「どうか、お逃げください! 今ならまだ――」
「俺が逃げれば、連中は公爵家の人間を追う」
少年は静かに答えた。
「父上と母上が帰ってくるまで、俺が守る」
◇◆◇
午前七時。
討伐軍の第一陣、一万五千が進軍を開始した。
無数の盾が並び、長槍が突き出される。
後方では魔導師部隊が詠唱を始めていた。
『炎槍、斉射!』
数百の炎の槍が空を覆う。
その光景を前に、レオンハルトは右手を掲げた。
「――《氷晶城壁》」
地面から巨大な氷壁が立ち上がった。
炎の槍が次々と衝突し、蒸気が噴き上がる。
だが、氷壁は崩れない。
その直後。
「《雷帝連鎖》」
蒸気の向こうから、青白い雷光が走った。
雷は敵兵の鎧と武器を伝い、前衛部隊の動きを奪っていく。
兵士たちが次々と倒れた。
命を奪うためではない。
身体の自由を一時的に封じる、精密な魔力制御だった。
「な、何だ、あの魔法は!」
「氷と雷を同時に使ったぞ!」
兵士たちの悲鳴が上がる。
だが、レオンハルトは表情を変えなかった。
七属性魔法。
火、水、風、土、雷、氷、光。
そのすべてを高水準で扱える者は、王国でも数えるほどしかいない。
そして彼は、属性を組み合わせる戦術においても天才だった。
地面を水で濡らし、土で足場を崩す。
風で敵の矢を逸らし、氷で進軍路を封じる。
雷で金属製の兵器を無力化する。
そして、突破してきた敵には剣で応じた。
銀色の刃が閃く。
槍の穂先が折れ、剣が宙を舞い、鎧の留め具が正確に切断された。
どれほど数で押しても、少年の守る門を越えられない。
午前十時。
第一陣は、ほぼ戦闘不能となった。
レオンハルトの背後にある屋敷には、傷一つついていなかった。
◇◆◇
討伐軍、本陣。
「第一陣、壊滅!」
「負傷者多数! ただし死者は確認されておりません!」
報告を受けた総司令官は、遠眼鏡を握りしめた。
「……化け物め」
隣に立つ聖騎士団長が、冷たい声で答える。
「ご安心ください。想定内です」
「何?」
「彼は、極力人を殺しません。だからこそ、消耗させることができる」
団長は黒い金属板を取り出した。
そこには、七つの星を囲む紋章が刻まれていた。
「第二段階へ移行しましょう」
◇◆◇
その日の午後。
討伐軍は攻め方を変えた。
正面からの突撃を減らし、遠距離から絶え間なく魔法を撃ち込み始めたのだ。
昼も夜も関係ない。
火球。
氷槍。
雷撃。
そして、攻城魔導砲。
そのすべてが屋敷へ向けられた。
レオンハルトは、七属性の防御魔法を重ねて応戦した。
だが、いくら天才であっても魔力には限界がある。
魔力回復薬を飲み、短い瞑想で呼吸を整え、再び戦場へ出る。
それを何度も繰り返した。
夜半。
彼の右腕には、深い切り傷ができていた。
左肩の鎧も砕けている。
それでも、少年は門の前から動かなかった。
◇◆◇
秋月十九日。
二日目。
夜明け前、レオンハルトは屋敷の地下へ戻った。
セバスティアンが駆け寄る。
「坊ちゃま! お身体が……!」
「大した傷じゃない」
そう答えた少年の顔は、明らかに青白かった。
背後からエレノアが現れた。
彼女は傷だらけの主人を見た瞬間、唇を噛みしめた。
「……どうして、そこまでなさるのですか」
レオンハルトは答えなかった。
「私は、あなたの護衛です。なのに、何もさせてもらえないなんて……」
「エレノア」
「私だって戦えます! あなたの隣に立つために、ずっと剣を磨いてきたんです!」
彼女の声が震える。
少年はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「六年前、お前を助けた日のことを覚えているか」
「……忘れるはずがありません」
「俺は、あの日の選択を後悔したことがない」
レオンハルトは、彼女の目を見つめた。
「だから、今日も同じ選択をする」
「……っ」
「お前には、生きてほしい」
エレノアの目から涙が零れた。
「それなら……あなたも、生きてください……」
少年は、答えられなかった。
◇◆◇
同日、正午。
討伐軍は、王都北西部の地下へ十二本の黒い杭を打ち込んだ。
それは、王国軍の正式な装備記録には存在しない兵器だった。
――対魔力封鎖杭。
周囲の魔力循環を乱し、術者が大規模魔法を展開する際の負担を増幅させる古代兵器。
さらに、杭の内部には魂縛りの術式が組み込まれていた。
レオンハルトが最初に異変を感じたのは、氷の城壁を展開した瞬間だった。
「……っ!」
胸の奥に鋭い痛みが走った。
魔力が、うまく流れない。
詠唱は成功している。
なのに、普段なら数秒で構築できる術式に、倍以上の時間がかかった。
……対魔法兵器か。
レオンハルトは唇を噛んだ。
敵は、俺の戦い方を知っている。
そして、それに対抗する準備を整えてきた。
……誰が、情報を流した?
答えは出なかった。
◇◆◇
二日目の夕方。
ついに討伐軍の一部が外壁を突破した。
「公爵家を制圧しろ!」
兵士たちが庭へ雪崩れ込む。
だが、次の瞬間。
黒い影が、彼らの前へ立ちはだかった。
「――ここから先は通さん」
レオンハルトだった。
その手には、父アルフォンスから贈られた長剣が握られている。
魔力を節約するため、彼は剣だけで戦い始めていた。
鋭い踏み込み。
無駄のない斬撃。
相手の呼吸と重心を読み、最小限の動きで武器を弾く。
剣を交えた騎士たちは、理解した。
この少年の恐ろしさは、魔法だけではない。
剣士としても、すでに王国最高峰の領域に足を踏み入れている。
だが、その剣を振るう右腕は、少しずつ重くなっていた。
◇◆◇
秋月二十日。
三日目。
午前五時。
避難民の最後の一団が、地下通路へ入った。
セバスティアンは、崩れた屋敷の廊下で主人を待っていた。
「坊ちゃま。避難は、完了いたしました」
レオンハルトは、壁へ背を預けていた。
肩で息をしている。
顔には血が流れ、外套は焼け焦げていた。
「……そうか」
少年は、小さく笑った。
「よかった」
「さあ、坊ちゃまも!」
セバスティアンが手を伸ばした。
だが、レオンハルトは首を振った。
「もう少しだけ、時間が必要だ」
「なぜです!」
「敵が、地下通路の存在に気づいている」
セバスティアンの顔が強張った。
「俺がここを離れた瞬間、追撃部隊が動く。そうなれば、皆が逃げ切れない」
「しかし……!」
「セバスティアン」
レオンハルトは、老執事の肩へ手を置いた。
「父上と母上に、伝えてくれ」
声が、少しだけ掠れた。
「……約束を守れなくて、ごめんなさい、と」
セバスティアンの瞳から、涙が溢れた。
「そんなお言葉……私には、伝えられません……!」
「頼む」
少年は、深く頭を下げた。
老執事は、それ以上何も言えなかった。
◇◆◇
午前七時。
討伐軍の本陣で、最終作戦が開始された。
十二本の封鎖杭が、一斉に黒く輝く。
その中心へ、聖教会の魔導師たちが魔力を注ぎ込んだ。
『黒星封滅陣、起動!』
巨大な黒い魔法陣が、公爵家の上空に現れた。
レオンハルトは、それを見上げた。
……そういうことか。
今までの攻撃は、すべて時間稼ぎだった。
俺をこの場所に縛りつけ、魔力を消耗させるための。
そして、最後に魂ごと封印する。
……随分と、手の込んだことをする。
少年は、血のついた口元を拭った。
「だが、まだ終わっていない」
彼は、剣を地面へ突き立てた。
残された魔力を集める。
火。
水。
風。
土。
雷。
氷。
光。
七つの属性が、少年の周囲で渦を巻いた。
――七属性複合魔法。
王国の魔導師たちが理論上の存在として語ってきた、極めて高度な術式。
「《七耀天輪》」
七色の光が、空へ駆け上がった。
巨大な封滅陣へ衝突する。
轟音。
閃光。
大地を揺るがす衝撃。
封滅陣の一角が砕け、十二本の杭のうち八本が粉々になった。
討伐軍の魔導師たちが、次々と倒れる。
「ば、馬鹿な……!」
「封滅陣が、破られる!?」
総司令官が絶叫した。
だが。
残る四本の杭が、再び輝いた。
少年の足元に、黒い鎖が浮かび上がる。
……しまった。
魂縛り。
魔力防御をすり抜け、魂そのものへ絡みつく禁術。
レオンハルトは咄嗟に光魔法を展開した。
だが、消耗しきった身体では完全に打ち消せない。
膝が折れる。
剣を握る指から、力が抜けていく。
そのとき。
討伐軍の後方から、一人の黒衣の術者が現れた。
顔を覆う仮面。
胸元には、七つの星の紋章。
『よく戦った、黒き星よ』
その声は、奇妙なほど楽しげだった。
『だが、ここまでだ』
レオンハルトは、血の混じった息を吐いた。
「……貴様が、仕組んだのか」
『すべては、王国の未来のため』
「……くだらん」
少年は、残った力で剣を持ち上げた。
「俺の家族を巻き込む理由にはならない」
黒衣の術者が、片手を掲げた。
最後の封印槍が、空中に形作られる。
それは、単なる魔力の槍ではなかった。
魂を固定し、生命力の循環を断つために造られた禁忌の兵器。
レオンハルトは剣を振り抜いた。
槍の先端が砕ける。
だが、刃は途中で止まった。
そして。
黒い光が、少年の胸を貫いた。
◇◆◇
午前八時十二分。
戦場が静まり返った。
レオンハルトは、ゆっくりと膝をついた。
胸元から、赤い血が流れ落ちる。
呼吸が、浅くなっていく。
……終わり、か。
遠くで、討伐軍の勝利を告げる声が聞こえた。
だが、少年にはもう届かなかった。
彼が見つめていたのは、崩れかけた屋敷の窓だった。
幼い頃、母が抱きしめてくれた場所。
父が初めて剣を教えてくれた庭。
エレノアが、初めて笑ってくれた廊下。
セバスティアンが、毎朝紅茶を運んできた食堂。
そのすべてが、脳裏をよぎった。
……父上。
……母上。
……ごめんなさい。
俺は、二人が帰ってくるまで守ると約束したのに。
……でも。
皆は、逃げられた。
それだけが、救いだった。
少年は、最後に空を見上げた。
雲の切れ間から、淡い光が差し込んでいる。
「……帰って、きてほしかったな……」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
剣が、手から滑り落ちる。
石畳に、乾いた音が響いた。
そして。
レオンハルト・ヴァルディスは、静かに目を閉じた。
◇◆◇
討伐軍、本陣。
総司令官は、目の前の報告を信じられずにいた。
「……死者が、ほとんどいない?」
「はい。三日間で戦闘不能者は数万に達しましたが、敵による致命傷は極めて少数です」
「……あの少年が、手加減していたというのか」
報告官は、震える声で答えた。
「……そのようです」
総司令官は、遠くの屋敷を見つめた。
六万の軍勢。
三日間の総攻撃。
そして、十七歳の少年が一人。
その少年は、最後まで人を殺すことを避けていた。
「……我々は」
総司令官の声が震えた。
「……本当に、正しいことをしたのか……?」
誰も答えられなかった。
◇◆◇
同じ頃。
北方グランヴェル地方。
外交任務を終えたアルフォンスとエレオノーラは、ようやく王都への帰路についていた。
「レオンは、元気にしているだろうか」
アルフォンスが、穏やかに笑う。
エレオノーラも、嬉しそうに頷いた。
「もちろんよ。帰ったら、たくさん褒めてあげなくちゃ」
そして、少し照れたように続けた。
「……早く、あの子に会いたいわ」
二人は、まだ知らなかった。
最愛の息子が、三日間戦い続けたことも。
六万の軍勢を相手に、最後まで屋敷を守ったことも。
そして。
もう二度と、その笑顔を見ることができないことも。
――黒き暴君、レオンハルト・ヴァルディス。
享年、十七歳。
王国が恐れた天才は、誰よりも家族を愛した少年だった。
その死が、やがて王国そのものを滅亡の淵へ追い込むことになる。




