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『悪役公爵令息レオンハルト』  作者: 覇王が好き
第一章 運命を覆す者

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第4話 悪役公爵令息、勇者の筋書きを破壊する

王国暦八百二十一年、春月十五日。


 夜明け前。


 ヴァルディス公爵家の正門には、一台の馬車が停まっていた。


「若様。本当に護衛はお二人だけでよろしいのですかな?」


 見送りに来たガルディオが、何度目になるかわからない確認をしてくる。


「大丈夫だって。何かあっても俺がいる」


「それは承知しておりますが……」


 ガルディオは難しい顔をした。


「若に危険が及ぶことは心配しておりません。むしろ、街道が無事で済むかどうかが……」


「おい」


 俺は思わず突っ込んだ。


 どうやら、この男の中では俺が負ける可能性など最初から存在しないらしい。


「ご安心ください、団長」


 隣に立つエレノアが、涼しい顔で答える。


「レオンハルト様が本気を出される前に、私が敵を制圧いたしますので」


「うむ。それならば安心だな!」


「……いや、何で俺が一番危険な存在みたいになってるんだよ」


 二人は顔を見合わせ、何とも言えない笑みを浮かべた。


 ……否定しろよ。


「若様」


 今度はセバスティアンが一歩前に出た。


 その手には、封蝋の施された小さな封筒が握られている。


「昨夜、新たな情報が入りました」


「……ほう?」


「盗賊団の指揮を執る男の名が判明いたしました。グレッグ・バルザック。元傭兵隊長で、現在は王都南西部を拠点とする盗賊団の首領です」


 俺は封筒を受け取った。


 中には、男の特徴や経歴が記された報告書が入っている。


「さらに、昨日の夜、グレッグの一味に新たな指示が届いたことを確認しております」


「内容は?」


「王女殿下を生かしたまま、護衛を排除せよ、と」


 ……やっぱりな。


 俺は小さく息を吐いた。


「依頼人は?」


「まだ特定には至っておりません。ただし、仲介人の足取りは掴みつつあります」


「十分だ。ありがとう」


 セバスティアンは深く頭を下げた。


「若様。どうか、ご武運を」


「ああ。行ってくる」


 俺は馬車に乗り込んだ。


 続いてエレノアが乗り込み、静かに扉を閉める。


 やがて馬車が動き始めた。


 朝靄に包まれた公爵領を後にし、俺たちは王都へ続く街道を目指す。


 原作の運命を変えるために。


 ◇◆◇


 同日、午前。


 王都の南西門から、二台の馬車が出発した。


 先頭には王家の紋章が刻まれた豪華な馬車。


 その周囲を、十二名の護衛騎士が取り囲んでいる。


 馬車の中では、セレスティア・ルミナスが窓の外を眺めていた。


「……いいお天気ね」


「はい、殿下。絶好のお出かけ日和でございます」


 侍女が微笑む。


 だが、セレスティアの表情はどこか硬かった。


 昨夜見た夢。


 燃え上がる馬車。


 倒れていく騎士たち。


 そして、自分へ手を差し伸べる黒髪の少年。


 その光景が、頭から離れなかった。


「……ねえ」


「はい?」


「レオンハルト様は、今頃どうしているのかしら」


 侍女が驚いたように目を丸くする。


「ヴァルディス公爵家のレオンハルト様でございますか?」


「ええ」


「おそらく、領地でお過ごしではないでしょうか」


「……そうよね」


 セレスティアは小さく頷いた。


 なぜ、今になって彼のことを考えてしまうのだろう。


 昔のレオンハルトは優しかった。


 だが、今は違う。


 そう自分に言い聞かせてきたはずなのに。


「……変ね、私」


 彼女は小さく呟いた。


 そのときだった。


 馬車が、わずかに揺れた。


「……?」


 続いて、外から騎士の声が聞こえる。


「前方、異常なし!」


 セレスティアは窓の外へ目を向けた。


 街道の両側には、深い森が広がっている。


 木々が密集し、見通しはあまり良くない。


 何となく、胸騒ぎがした。


 そして――。


 その予感は、現実となった。


 ◇◆◇


 同じ頃。


 街道から少し離れた丘の上で、俺は森を見下ろしていた。


「……なるほど。ここか」


 眼下には、細い街道が伸びている。


 左右は深い森。


 道幅は馬車二台がすれ違える程度。


 襲撃するには、絶好の場所だ。


「レオンハルト様」


 隣に立つエレノアが、小さな声で告げる。


「森の中に、複数の気配があります」


「ああ。俺も確認してる」


 実際には、すでに全員の位置を把握していた。


 レオンハルト本来の魔力感知能力。


 その精度は、常人の想像を遥かに超えている。


 森の中には、およそ八十人。


 弓兵が二十。


 剣士が四十。


 魔法使いが十。


 残りは指揮官と予備兵力といったところか。


「……盗賊団にしては、ずいぶんと豪華な編成だな」


「通常の盗賊ではありませんね」


 エレノアの表情が険しくなる。


「明らかに、訓練を受けた者たちが混じっています」


「ああ」


 俺は頷いた。


 原作でも、この盗賊団はただの無法者ではなかった。


 元傭兵や脱走兵を中心に構成された、戦闘経験豊富な集団。


 しかも、王女の護衛の動きを事前に把握していた。


 ……内部に情報を流した奴がいるな。


「エレノア」


「はい」


「予定通り、まずは連中の動きを確認する。ただし、王女や護衛に危険が及ぶ前に止める」


「承知いたしました」


「それと、できる限り殺すな」


「……はい」


 エレノアは静かに頷いた。


「レオンハルト様が望まれるのであれば、全員生け捕りにいたします」


 ……頼もしいな。


 俺は小さく笑った。


 そして、眼下の街道へ視線を戻す。


 遠くから、王家の紋章を掲げた馬車が近づいてきた。


「……来たな」


 いよいよ、原作最初の大事件が始まる。


 だが、今回は少しだけ筋書きを変えさせてもらおう。


 ◇◆◇


 森の奥。


 盗賊団の首領グレッグ・バルザックは、木陰から街道を見つめていた。


「……来たか」


 口元に、下卑た笑みが浮かぶ。


 王女の馬車。


 護衛は十二名。


 予定通りだ。


「お頭、いつ仕掛けます?」


 部下の一人が尋ねる。


「焦るな。馬車が中央まで入ってからだ」


 グレッグは低い声で答えた。


「弓兵は馬を狙え。魔法使いは退路を塞げ。騎士どもは殺して構わん」


「王女は?」


「生かしておけ。依頼人からの命令だ」


 部下が不思議そうに眉をひそめた。


「……身代金でも取るんですかね?」


「知るか。俺たちは金さえ貰えりゃいいんだよ」


 グレッグは肩をすくめた。


 今回の依頼は、異常なほど報酬が高かった。


 しかも、王女を殺してはいけないという奇妙な条件付き。


 だが、そんなことはどうでもいい。


 仕事を終えれば、しばらく遊んで暮らせるだけの金が手に入る。


「……そろそろだな」


 グレッグは右手を上げた。


 弓兵たちが一斉に弓を引き絞る。


 馬車が、森の中央へ差しかかった。


「……撃て!」


 次の瞬間。


 無数の矢が、木々の間から放たれた。


 ――はずだった。


「……あ?」


 グレッグは、間抜けな声を漏らした。


 矢が、止まっていた。


 いや。


 正確には、空中に浮いていた。


 数十本もの矢が、馬車へ届く寸前でぴたりと静止している。


「……何だ、ありゃ?」


 部下たちも呆然としていた。


 そして次の瞬間。


 矢が、ゆっくりと地面へ落ちた。


 カラカラカラ……。


 乾いた音が、静かな森に響く。


「……魔法か!?」


 グレッグが叫ぶ。


 だが、周囲の魔法使いたちは首を振った。


「わ、わかりません! 魔力反応が……!」


「何だと!?」


 そのときだった。


 街道の中央に、一人の少年が現れた。


 漆黒の髪。


 深紅の瞳。


 黒を基調とした上質な衣服。


 その背後には、銀髪の美しい少女が立っている。


 少年は、まるで散歩でもしているかのような気軽さで、こちらを見上げた。


「……よう」


 そして、笑った。


「ずいぶんと物騒なことしてるじゃないか」


 ◇◆◇


「……レオンハルト?」


 馬車の中で、セレスティアは目を見開いた。


 聞き覚えのある声。


 窓の外へ視線を向ける。


 そこに立っていたのは、間違いなくレオンハルト・ヴァルディスだった。


「……どうして、ここに……?」


 彼は、王都にいるはずがない。


 それなのに、なぜこんな場所に?


 しかも、今の状況は何なのだろう。


 無数の矢が空中で止まり、地面へ落ちた。


 護衛騎士たちも、何が起きたのかわからず呆然としている。


「……殿下、お下がりください!」


 騎士の一人が叫んだ。


 だが、セレスティアは窓から目を離せなかった。


 レオンハルトが、森へ向かって歩き始めたからだ。


「……おいおい」


 彼は呆れたように肩をすくめた。


「王女の馬車を襲うなら、もう少しまともな計画を立てろよ」


 その声は、驚くほど落ち着いていた。


 まるで、相手を脅威とすら認識していないかのように。


 森の中から、怒号が響く。


「何者だ、てめえ!」


「……名乗る必要があるか?」


 レオンハルトは小さく笑った。


「まあ、いいか」


 そして、ゆっくりと右手を上げる。


「レオンハルト・ヴァルディス」


 その名を聞いた瞬間。


 森の中に、動揺が走った。


「ヴァルディス……!?」


「ま、まさか、あの黒き暴君か!?」


「何でこんなところにいるんだよ!」


 盗賊たちの声が震える。


 だが、レオンハルトは気にも留めなかった。


「……さて」


 彼は軽く首を傾げた。


「全員、武器を捨てて出てこい」


 静かな声だった。


 だが、その場にいた全員が、なぜか背筋を凍らせた。


「今なら、命までは取らない」


 ◇◆◇


 ……まあ、素直に出てくるわけないよな。


 俺は森の中を見つめながら、心の中で苦笑した。


 案の定、盗賊たちは動揺しながらも武器を構え直している。


 中には、逃げようとしている奴もいた。


「……エレノア」


「はい」


「逃げ道を塞いでくれ。ただし、殺すなよ」


「承知いたしました」


 エレノアが一歩前へ出た。


 その瞬間。


 彼女の姿が消えた。


 いや、正確には高速で移動したのだ。


 次の瞬間には、森の入口にいた盗賊の一人が地面へ叩きつけられていた。


「ぐはっ!?」


 続いて二人目。


 三人目。


 四人目。


 エレノアの剣が閃くたびに、盗賊たちの武器が弾き飛ばされていく。


 ……うん。


 やっぱり強いな、この子。


 原作で最後までレオンハルトを守り抜いた護衛騎士。


 その実力は、並の騎士とは比較にならない。


 だが、盗賊たちも黙ってはいなかった。


「魔法使い! あのガキを殺せ!」


 森の奥から怒号が響く。


 次の瞬間。


 十人ほどの魔法使いが、一斉に魔法を発動した。


「《炎弾》!」


「《風刃》!」


「《雷撃》!」


 炎、風、雷。


 複数の属性魔法が、俺へ向かって飛んでくる。


 ……なるほど。


 盗賊団にしては、なかなか優秀だ。


 だが。


「……遅い」


 俺は右手を軽く振った。


 その瞬間。


 すべての魔法が、俺の周囲で軌道を変えた。


 炎弾は空へ。


 風刃は地面へ。


 雷撃は森の外へ。


 そして、すべてが誰もいない場所で消滅した。


「……は?」


 魔法使いたちが固まる。


「な、何をした……!?」


「魔法を……逸らした?」


「そんなこと、できるはずが……!」


 俺は小さく笑った。


「……できるんだな、これが」


 もっとも、説明するつもりはない。


 俺は右手を握りしめた。


 ――重力操作。


 次の瞬間。


 ズンッ!


 森の一角にいた盗賊たちが、一斉に地面へ膝をついた。


「ぐっ!?」


「か、身体が……!」


「重い……! 何だ、これは!?」


 地面へ押しつけられる盗賊たち。


 だが、骨が折れるほどの力は加えていない。


 動けなくするだけだ。


「……安心しろ」


 俺は静かに告げた。


「殺すつもりはない」


 そして、さらに右手を動かす。


 今度は、盗賊たちの武器だけが一斉に浮かび上がった。


 剣。


 槍。


 弓。


 短剣。


 数十もの武器が、空中へ吸い寄せられていく。


「なっ……!?」


「俺の剣が!?」


「何なんだ、こいつは!」


 俺は集めた武器を一か所へまとめ、地面へ落とした。


 ガシャァン!


 大きな金属音が響く。


「……これで終わりか?」


 静かに問いかける。


 だが、そのとき。


 森の奥から、一人の大男が飛び出してきた。


「ふざけるなぁぁぁ!」


 グレッグ・バルザック。


 盗賊団の首領だ。


 巨大な戦斧を振り上げ、俺へ向かって突進してくる。


 ……ああ、こいつか。


 俺はゆっくりと剣を抜いた。


 グレッグの戦斧が、頭上から振り下ろされる。


 その一撃は、確かに強力だった。


 並の騎士なら、盾ごと叩き割られるだろう。


 だが――。


 キィンッ!


 俺は片手で剣を振り、戦斧を弾き飛ばした。


「……なっ!?」


 グレッグが目を見開く。


 次の瞬間。


 俺の剣先が、彼の喉元に突きつけられていた。


「……終わりだ」


 静かな声。


 グレッグの額から、冷たい汗が流れ落ちる。


「ば、馬鹿な……」


「何が?」


「俺は……元傭兵隊長だぞ……!?」


「……そうか」


 俺は肩をすくめた。


「なら、もう少し強くてもよかったな」


 その言葉に、グレッグの顔が引きつった。


 ……いや、別に煽るつもりはなかったんだけど。


 まあ、結果的に煽ってるな。


「さて」


 俺は剣先をわずかに下げた。


「聞きたいことがある」


 グレッグは唾を飲み込んだ。


「……な、何だ」


「誰に雇われた?」


 その瞬間。


 男の表情が変わった。


「……知らねえ」


「……そうか」


 俺は小さく息を吐いた。


「なら、知ってる奴に聞くしかないな」


 そして、背後へ声をかける。


「エレノア!」


「はい!」


 銀髪の少女が、森の奥から姿を現した。


 その後ろには、縄で拘束された盗賊たちがずらりと並んでいる。


 ……仕事が早いな。


「首領を含めて、全員拘束してくれ」


「承知いたしました」


 エレノアはにっこりと微笑んだ。


 その笑顔を見たグレッグが、なぜか青ざめる。


「……な、何だ、その女は……」


 俺は苦笑した。


「俺の大切な護衛騎士だよ」


 その言葉に、エレノアの頬がほんのりと赤く染まった。


「……レオンハルト様」


「ん?」


「いえ……何でもございません」


 ……何だ?


 まあ、いいか。


 ◇◆◇


 すべてが終わった後。


 セレスティアは、馬車の外へ出ていた。


 目の前には、信じられない光景が広がっている。


 八十人近い盗賊たち。


 その全員が、ほとんど傷を負うことなく拘束されていた。


 しかも、王女の護衛騎士たちは、一人も負傷していない。


 あれほど大規模な襲撃だったにもかかわらず、だ。


「……信じられない」


 思わず呟く。


 そして、視線を向ける。


 黒髪の少年。


 レオンハルト・ヴァルディス。


 彼は今、盗賊団の首領を拘束したエレノアと何かを話していた。


 その表情は、驚くほど穏やかだった。


 ……あれが、レオンハルト?


 セレスティアの知る彼は、もっと冷たく、傲慢な少年だった。


 気に入らない相手を見下し、他人を寄せつけない。


 そんな印象しか残っていなかった。


 だが、今の彼は違う。


 護衛騎士たちに怪我がないか確認し、盗賊たちの命すら奪わなかった。


 そして、何より。


 あの圧倒的な力。


 セレスティアは、王国でも屈指の魔法教育を受けている。


 だからこそ、わかる。


 先ほどレオンハルトが見せた力は、通常の魔法では説明できない。


 矢を止める。


 魔法を逸らす。


 武器を奪う。


 そして、数十人を一瞬で地面へ押さえつける。


 あんなことができる魔法使いなど、聞いたことがない。


「……レオンハルト」


 思わず名前を呼ぶ。


 すると、少年がこちらを振り返った。


「……ん?」


 深紅の瞳が、セレスティアを捉える。


 その瞬間。


 彼女の胸が、わずかに高鳴った。


 なぜだろう。


 昔のレオンハルトを思い出してしまう。


「……久しぶりだな、セレス」


 少年は、穏やかに笑った。


 その笑顔を見た瞬間。


 セレスティアは、息を呑んだ。


 ――ああ。


 この顔だ。


 幼い頃、転んだ自分に手を差し伸べてくれた少年。


 あのときと、同じ笑顔。


「……レオン……?」


 思わず、昔の呼び名が口から零れた。


 レオンハルトは少しだけ目を丸くした。


 そして、嬉しそうに笑った。


「……懐かしいな。その呼び方」


 その言葉に、セレスティアの胸が締めつけられる。


 どうして。


 どうして、今になって。


 そんな顔をするの?


「……あなた」


 声が震えた。


「……どうして、ここにいるの?」


 レオンハルトは、少しだけ考えるような仕草をした。


 そして、あっさりと答えた。


「たまたま、近くを通りかかったんだよ」


「……嘘」


「……え?」


 思わず、レオンハルトが固まる。


 セレスティアは真っ直ぐに彼を見つめた。


「あなたが、そんな偶然でここにいるはずがないわ」


 その言葉に、少年は小さく苦笑した。


「……鋭いな」


 セレスティアは一歩近づいた。


「答えて、レオン」


 そして、静かに問いかけた。


「……どうして、私を助けてくれたの?」


 レオンハルトは、しばらく黙っていた。


 やがて、肩をすくめる。


「……理由が必要か?」


「……え?」


「目の前で誰かが襲われてたら、助けるだろ。普通」


 その言葉に、セレスティアは言葉を失った。


 普通。


 彼は、今そう言った。


 あれほどの力を使い、命の危険がある場所へ飛び込んでおきながら。


 ただ、普通のことをしただけだと。


「……あなたは」


 セレスティアの声が震える。


「……本当に、レオンハルトなの?」


 少年は、少しだけ困ったように笑った。


「……何だよ、それ」


 そして、彼女を見つめる。


「俺は俺だよ。レオンハルト・ヴァルディス」


 その言葉に、セレスティアは胸元へ手を当てた。


 ……わからない。


 今の彼が、何を考えているのか。


 昔の優しいレオンハルトに戻ったのか。


 それとも、何か別の目的があるのか。


 だが、一つだけ確かなことがあった。


 ――この人は、私が思っていたような人ではないのかもしれない。


 ◇◆◇


 同じ頃。


 王都の高級宿。


 アルベルト・レイフォードは、苛立たしげに机を指で叩いていた。


「……遅いな」


 予定では、すでに襲撃が終わっている頃だ。


 盗賊団が王女の護衛を排除し、自分が颯爽と現れて救出する。


 そのための準備は、すべて整えていた。


 だが、現場からの連絡が来ない。


「……何をしているんだ、あいつらは」


 アルベルトは小さく舌打ちした。


 そのとき。


 コンコン。


 扉を叩く音がした。


「……入れ」


 黒衣の男が、慌てた様子で入ってくる。


「アルベルト様!」


「……何だ。騒々しい」


「た、大変です!」


「……何があった?」


 男は、青ざめた顔で告げた。


「盗賊団が……!」


「……盗賊団が?」


「全滅しました!」


「…………は?」


 アルベルトの動きが止まった。


「……何を言っている?」


「全員、生け捕りにされたそうです!」


「……馬鹿な!」


 アルベルトは勢いよく立ち上がった。


「八十人だぞ!? 元傭兵まで混ぜた精鋭だ!」


「そ、それが……!」


 男は震える声で続けた。


「たった二人に、制圧されたと……!」


「……二人?」


 アルベルトの眉が、ぴくりと動く。


「……誰だ?」


 黒衣の男は、唾を飲み込んだ。


 そして――。


「レオンハルト・ヴァルディス……」


 その名を口にした。


「……っ!?」


 アルベルトの表情が、凍りついた。


「……何だと?」


「ヴァルディス公爵家の嫡男、レオンハルト様が現れ、盗賊団を壊滅させたそうです!」


 静寂。


 アルベルトは、しばらく動かなかった。


 やがて、ゆっくりと椅子へ腰を下ろす。


「……あり得ない」


 低い声だった。


「……あいつが、なぜそこにいる?」


 誰も答えない。


 アルベルトは拳を握りしめた。


 王女を救う英雄。


 その役割は、自分のものだったはずだ。


 それを。


 よりによって、あの悪役公爵令息が奪ったというのか。


「……ふざけるな」


 机の上のグラスが、音を立てて割れた。


「……レオンハルト・ヴァルディス」


 青年の青い瞳に、初めて明確な憎悪が宿る。


「……僕の邪魔をするつもりか」


 だが、アルベルトはまだ知らない。


 自分の計画が失敗しただけでは済まないことを。


 盗賊団が全員生け捕りにされたという事実。


 それが、どれほど危険な意味を持つのかを。


 そして。


 レオンハルトが、すでに次の一手を考えていることを。


 ◇◆◇


 王都南西部の街道。


 俺は、拘束されたグレッグを見下ろしていた。


「……さて」


 静かに声をかける。


「もう一度聞くぞ」


 グレッグは、怯えたように顔を上げた。


「……な、何だよ」


「お前たちに、王女を襲わせたのは誰だ?」


「……知らねえって言ってるだろ!」


 俺は小さく息を吐いた。


 ……まあ、そう簡単には吐かないか。


 だが、問題ない。


 すでにセバスティアンが、資金の流れを調べている。


 そして、盗賊団の持ち物からも、いくつか興味深いものが見つかっていた。


 俺は懐から、一枚の紙を取り出した。


 そこには、ある紋章が描かれている。


 教会関係者が使用する、特殊な封印印章。


「……これ、見覚えあるか?」


 その瞬間。


 グレッグの顔色が変わった。


 ……ビンゴ。


 俺は口元を吊り上げた。


「……なるほどな」


 グレッグは、慌てて顔を背ける。


 だが、もう遅い。


 少なくとも、この男は何かを知っている。


「安心しろ。今すぐ全部話せとは言わない」


 俺は静かに笑った。


「ただし、覚えておけ」


 グレッグの耳元へ、ゆっくりと顔を近づける。


「……お前を雇った連中は、失敗したお前を生かしておくと思うか?」


「……っ!」


 男の身体が、びくりと震えた。


 俺はそれ以上、何も言わなかった。


 ただ、立ち上がる。


 背後では、エレノアが静かに微笑んでいた。


「レオンハルト様」


「ん?」


「次は、どうなさいますか?」


 俺は空を見上げた。


 雲一つない、青い空。


 そして、王都の方角へ視線を向ける。


「……決まってるだろ」


 口元に笑みが浮かぶ。


「今度は、勇者様の方から動いてもらうさ」


 ――こうして、原作最初の大事件は幕を閉じた。


 第一王女セレスティアは、無傷で救出された。


 盗賊団は、全員捕縛。


 そして、勇者アルベルトの計画は、完全に失敗した。


 だが。


 本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。


 なぜなら、この事件によって――。


 王国の運命を左右する二人の男が、初めて互いを明確に意識することになったのだから。

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