第36話 天才魔導少女の発見と、魂を渡り歩く者
第36話 天才魔導少女の発見と、魂を渡り歩く者
王国暦八百二十一年、夏月十二日。
王立魔導学院の研究棟には、朝から独特の匂いが漂っていた。
焼けた魔石、古い羊皮紙、薬品を染み込ませた紙片。それらが混ざった匂いだ。
研究室の扉を開けると、紫色の長い髪を無造作に束ねた少女が、机に突っ伏していた。
「……リゼット?」
「あと五分……いえ、三分だけ……」
「寝ているところ悪いが、約束の時間だぞ」
その声に、リゼット・クローディアは跳ね起きた。
「レオンハルト様!?」
慌てて眼鏡を探し、机の上の羊皮紙を巻き込み、積んであった本を崩す。
俺は落ちてくる本を重力で受け止め、そっと机へ戻した。
「徹夜したのか?」
「二時間は寝ました」
「それは徹夜と大差ない」
「ですが、どうしても気になってしまって」
リゼットは目の下に薄い隈を作りながら、満足げに笑った。
「昨夜お預かりした地下神殿の残留魔力。あれ、普通の魂転移術式ではありませんでした」
俺は椅子を引いた。
「詳しく聞かせてくれ」
◇◆◇
夏月十日の深夜、王太子アドリアン殿下を利用した地下神殿の罠。
そこでベルナール・クロイツは、俺たちの目の前で身体を崩壊させた。
最後に残した言葉は、『この身体は仮初めの器』。
確かに、魂を別の場所へ逃がすような術式は存在していた。
だが、あの場で何が起こったのか、俺にも完全には把握できていない。
だからこそ、神殿の床に残った魔力痕を監察官ルドルフの立ち会いで採取し、学院へ分析を依頼したのだ。
リゼットが、薄い水晶板を机へ置いた。
「まず、これを見てください」
水晶板に魔力を流すと、青い光の線が浮かび上がる。
中央には人間の形をした輪郭。
そこから、何本もの細い線が外へ伸びていた。
「通常の魂転移は、魂の全体を一つの器から別の器へ移します。ですが、今回の術式は違います」
彼女が中央の線を指差す。
「魂の本体は移動していません。送り込まれていたのは、意思と記憶の一部だけです」
「……つまり、遠隔操作か」
「ええ。ただし、魔導人形を操るような単純なものではありません。受け手の身体にも、本人の魂が残っています」
俺は眉をひそめた。
「それは……」
「乗っ取りです」
リゼットは、はっきりと言った。
「本来の持ち主の意識を押し込め、その上から別人の人格を重ねている。ベルナールという人物の身体を、何者かが利用していた可能性があります」
研究室が静かになった。
俺は、地下神殿で見たベルナールの最期を思い出した。
身体が崩れたとき、黒い光の奥に、ほんの一瞬だけ別の反応があった。
あれは逃走する術者の魂ではなく、身体に残されていた本来の持ち主の魂だったのかもしれない。
「……ベルナール本人が共犯とは限らないわけか」
「はい。もちろん、本人が同意していた可能性もあります。ですが、今の段階では断定できません」
リゼットの言葉に、俺は頷いた。
彼女は興奮すると周囲が見えなくなるところがあるが、研究に関しては驚くほど慎重だ。
「もう一つ、気になることがあります」
彼女は別の水晶板を取り出した。
「術式の基礎部分が、七星王家の古文書に記された魂修復術と一致しているんです」
「修復術?」
「ええ。傷ついた魂の記憶を一時的に別の媒体へ保存し、治療後に戻すための技術です」
リゼットは唇を噛んだ。
「本来、人を救うための術式だったはずです。それを、他人の身体を奪うために使っている」
俺は水晶板を見つめた。
七星王家の技術は、最初から邪悪だったわけではない。
聖女エリシアの力と同じだ。
何のために使うかで、意味が変わる。
「……術式の発信元は追えるか?」
「そこが難しいんです。操作する側の魔力を七つの中継点へ分散させていて、発信元を隠しています」
「七つ、か」
「ただし」
リゼットが、悪戯を思いついた子どものように笑った。
「完璧な隠蔽ではありませんでした」
◇◆◇
彼女が机の上に並べたのは、王都の古い地図と、七枚の魔力測定紙だった。
「発信元の魔力そのものは隠せても、中継点を通過した際の歪みまでは消せません。しかも今回は、レオンハルト様が地下神殿の崩壊を止めたせいで、術式が途中で切断されています」
「その歪みが残ったのか」
「はい。少なくとも二つの中継点を絞り込めました」
リゼットが地図へ指を置く。
一つは王都北部の廃修道院。
もう一つは、王城西側にある旧貴族街の地下水路。
どちらも以前の七星陣に関係する場所だ。
「偶然ではなさそうだな」
「それと、もう一つ」
彼女は小さな紙片を差し出した。
そこには、黒い蝋の欠片が封じられていた。
「神殿から回収された封蝋です。王国監察官の方から比較分析を依頼されました」
黒い封蝋。
これまで何度も現れた、例の組織の痕跡だ。
「成分が一致したのか?」
「完全には一致しません。でも、珍しい鉱物が含まれていました」
「どんな?」
「北方のグランヴェル地方でしか採れない、夜晶石の粉末です」
俺は、思わず顔を上げた。
グランヴェル。
原作で父と母が外交任務へ送られた場所。
そして、以前ベルナールが提案した不自然な外交計画の目的地でもある。
……繋がってきたな。
「リゼット、この結果はまだ公表しないでくれ。ルドルフ殿へ正式な鑑定書として提出してほしい」
「承知しました」
彼女は頷いた後、少しだけ不安そうに俺を見た。
「……レオンハルト様」
「どうした?」
「私、こういう研究を続けていていいのでしょうか」
意外な言葉だった。
「なぜ?」
「古代の魂術式は、人を救うこともできる。でも、悪用すれば誰かの人生を奪えてしまう。私が調べることで、また危険な知識を増やしてしまうんじゃないかって」
彼女の指先が、水晶板の縁をなぞった。
俺は少し考えてから答えた。
「危険だからこそ、仕組みを知らなければ止められない。だが、何を公開し、何を封印するかは慎重に決めるべきだろうな」
「……はい」
「それに、今回の分析がなければ、ベルナール本人が被害者かもしれないと気づけなかった」
リゼットは顔を上げた。
「君の研究は、誰かを救う手がかりになってるよ」
その瞬間、彼女の頬が赤く染まった。
「そ、そういうことを自然に言わないでください!」
「……事実を言っただけだが」
「だから困るんです!」
リゼットは両手で顔を覆った。
……何か変なことを言ったか?
俺が首を傾げていると、研究室の扉が勢いよく開いた。
「レオンハルト!」
入ってきたのは、赤髪の少女。
アリシア・ヴァレンシュタインだった。
訓練用の剣を腰に下げ、額にはうっすら汗が浮かんでいる。
「学院にいるって聞いたから来たんだけど……」
彼女の視線が、顔を覆っているリゼットへ向かった。
「……何してるの?」
「な、何でもありません!」
リゼットが慌てて答える。
アリシアは俺を見た。
「……あなた、また何かした?」
「何もしてないぞ」
「その返事が一番信用できないのよね」
……理不尽だ。
◇◆◇
アリシアが持ってきたのは、軍務省の封印記録の写しだった。
「父から預かってきたの。例の地下神殿で使われていた鎧の刻印、軍務省の古い記録に似たものがあったらしいわ」
俺は書類を受け取った。
そこには、古代守護騎士の装甲に刻まれていたものと似た紋章が描かれている。
「これは……」
「二百年以上前に廃止された、王家直属の封印守備隊の紋章よ」
アリシアは腕を組んだ。
「ただし、今の軍務省に実物は残っていない。記録では、守備隊の装備はすべて王城の封印庫へ移されたことになってる」
「その封印庫から持ち出された可能性があるわけか」
「そう。だから父は、保管記録の調査を陛下に申し出たわ」
俺は頷いた。
ここでも王城内部の管理記録が問題になる。
そして、王太子の側近だったベルナール。
疑いは深まるが、まだ一つの結論へ飛びつくべきではない。
「ありがとう、アリシア。助かるよ」
「……別に」
彼女はそっぽを向いた。
「あなたに借りを作ったままなのが嫌なだけ」
「ロデリック殿の件なら、もう気にしてないぞ」
「私が気にするの!」
アリシアは顔を赤くして言い返した。
その様子を見ていたリゼットが、なぜか小さく咳払いをした。
「……アリシア様。レオンハルト様は今、重要な研究の相談中なのですが」
「あら、私の持ってきた資料も重要よ?」
「それは承知していますけれど」
「だったら問題ないでしょ?」
二人の間に、見えない火花が散った気がした。
……仲が悪いわけじゃないよな?
俺は、少しだけ不安になった。
◇◆◇
午後。
王都別邸へ戻ると、玄関でエレノアが待っていた。
「お帰りなさいませ、レオンハルト様」
「ただいま」
「本日は、学院で長くお過ごしだったようですね」
「ああ。リゼットが重要な発見をしてくれた」
「……そうですか」
エレノアは微笑んだ。
だが、なぜか声が少しだけ冷たい。
「アリシア様も、ご一緒だったとか」
「途中からな」
「……お二人とも、お元気そうで何よりです」
その笑顔が、妙に眩しい。
俺は話題を変えた。
「そういえば、母上は?」
「奥様は晩餐会の準備をなさっています」
「晩餐会?」
「はい。明日の夜、親しい方々をお招きするそうです」
……初耳なんだが。
「誰を?」
エレノアは、少しだけ間を置いた。
「第一王女セレスティア様、聖女エリシア様、リゼット様、アリシア様……」
そして。
「……ほかにも、数名の方を」
俺は、思わず天井を見上げた。
……母上。
何を企んでいるんですか。
◇◆◇
同じ頃。
王都の地下、場所不明の一室。
黒い外套をまとった男が、水晶板に映る魔力記録を見つめていた。
「……術式の残滓から、中継点を二つ割り出したか」
部下が、深々と頭を下げる。
「王立魔導学院の研究者が関与している模様です」
「リゼット・クローディア、か」
男は、ゆっくりと指を動かした。
水晶板に映っていた地図が消え、代わりに古い王国の紋章が現れる。
「頭の切れる娘だ。放置すれば、いずれ核心へ辿り着く」
「……排除いたしますか?」
男は、首を横へ振った。
「必要ない。むしろ調べさせろ」
部下が、怪訝そうに顔を上げる。
「よろしいのですか?」
「真実へ近づくほど、人は自分の見つけた答えを信じたくなる」
男は、静かに笑った。
「そこへ、一つだけ偽りを混ぜればいい」
そして、机の上に一通の封書を置いた。
宛名は、王国監察官ルドルフ・ヘインズ。
差出人の欄には、何も書かれていない。
「これを届けろ。王都西部の地下水路について、彼らが欲しがる情報を入れてある」
「……罠でございますか?」
「罠かどうかは、彼ら自身に判断させよう」
男は、封書の上へ黒い封蝋を落とした。
そこに浮かんだのは、七つの星を囲む円。
そして、古い王国文字で刻まれた一文だった。
『黒き星が十七の刻を迎えるとき、王国は選択を迫られる』
――真実を追う者たちの前に、敵は新たな道を示そうとしていた。
その道が救いへ続くのか、破滅へ続くのか。
まだ、誰にもわからなかった。




