第31話 銀髪の侍女と、二人きりの休日
第31話 銀髪の侍女と、二人きりの休日
王国暦八百二十一年、夏月八日。
ヴァルディス公爵家、王都別邸。
朝の食堂。
俺が朝食を終えた頃、エレノアが静かに近づいてきた。
「……レオンハルト様」
「ん?」
「……本日は、以前お約束いただいた……」
彼女は、少しだけ言葉を詰まらせた。
俺は、すぐに思い出した。
……ああ。
エレノアと街へ出かける約束だったな。
「もちろん、覚えてるぞ」
俺は微笑んだ。
「準備できたら出かけよう」
その瞬間。
エレノアの表情が、ぱっと明るくなった。
「……はい!」
普段は冷静な彼女が、珍しく嬉しそうに返事をした。
……そんなに楽しみにしてくれていたのか。
俺は、少しだけ驚いた。
◇◆◇
一時間後。
屋敷の玄関。
俺は、思わず目を瞬かせた。
そこに立っていたのは、普段の侍女服ではなく、淡い白色のワンピースを着たエレノアだった。
銀色の髪は、柔らかく肩へ流れている。
青い瞳。
そして、少し恥ずかしそうな表情。
「……お待たせいたしました」
彼女は、小さく頭を下げた。
「……どうでしょうか?」
俺は、素直に答えた。
「……綺麗だな」
その瞬間。
エレノアの顔が、一気に赤くなった。
「……っ!?」
「……似合ってるよ」
「……あ、ありがとうございます……!」
彼女は、慌てて視線を逸らした。
……普段と随分違うな。
俺は、思わず微笑んだ。
◇◆◇
王都中央商業区。
昨日と同じように、街は大勢の人々で賑わっていた。
エレノアは、少しだけ緊張した様子で俺の隣を歩いている。
「……エレノア」
「はい」
「今日は仕事じゃないんだから、そんなに緊張しなくていいぞ」
彼女は、少しだけ困ったように笑った。
「……ですが」
「ん?」
「……レオンハルト様と、二人きりで街を歩くのは初めてですので」
俺は、少しだけ考えた。
……確かに。
普段は護衛や侍女として一緒にいることが多い。
こうして、ただ遊びに出かけるのは初めてかもしれない。
「……なら、今日は楽しもう」
俺がそう言うと、エレノアは嬉しそうに頷いた。
「……はい!」
◇◆◇
最初に向かったのは、街の東側にある小さな喫茶店だった。
木製のテーブル。
柔らかな陽光。
そして、焼きたての菓子の香り。
エレノアは、興味深そうに店内を見回していた。
「……素敵なお店ですね」
「気に入ったか?」
「はい」
彼女は、柔らかく微笑んだ。
俺たちは、紅茶と焼き菓子を注文した。
しばらくして。
エレノアが、静かに口を開いた。
「……レオンハルト様」
「ん?」
「……六年前のことを、覚えていらっしゃいますか?」
俺は、少しだけ考えた。
……六年前。
北方の村。
盗賊の襲撃。
そして、崩れた家の中にいた銀髪の少女。
……ああ。
もちろん、覚えている。
「……覚えてるよ」
俺は、静かに答えた。
「……あのとき、君を助けたことだろ」
エレノアは、ゆっくりと頷いた。
「……はい」
その瞳には、懐かしさと少しの悲しみが宿っていた。
「……あの日、私はすべてを失いました」
俺は、黙って彼女の話を聞いた。
「……家族も、家も、帰る場所も」
彼女は、静かに続けた。
「……でも」
そして。
俺を見つめた。
「……レオンハルト様が、手を差し伸べてくださった」
その声は、少し震えていた。
「……だから、今の私がいるんです」
俺は、静かに息を吐いた。
……そうか。
彼女にとって、あの日はそれほど大きな出来事だったのか。
「……エレノア」
「はい」
「……助けられて、よかった」
俺は、穏やかに微笑んだ。
「……本当に」
その瞬間。
エレノアの瞳から、涙が零れた。
「……ありがとうございます……」
◇◆◇
午後。
俺たちは、王都の南側にある湖畔公園へ向かった。
穏やかな湖面。
涼しい風。
そして、木々の間から差し込む陽光。
エレノアは、嬉しそうに景色を眺めていた。
「……綺麗ですね」
「ああ」
俺は頷いた。
しばらく歩いた後、湖畔のベンチへ腰を下ろした。
すると。
エレノアが、少しだけ迷った様子で口を開いた。
「……レオンハルト様」
「ん?」
「……一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
俺が答えると、彼女は少しだけ頬を赤くした。
「……今日は」
そして。
「……エレノア、と呼んでいただけませんか?」
俺は、思わず首を傾げた。
「……いつもそう呼んでるだろ?」
その瞬間。
エレノアは、慌てて首を振った。
「……そ、そうではなくて!」
「……ん?」
「……もっと、親しい感じで……」
俺は、少しだけ考えた。
……なるほど。
そういうことか。
「……エレノア」
俺は、少しだけ声を柔らかくした。
「今日は、一緒に来てくれてありがとう」
その瞬間。
彼女の顔が、真っ赤になった。
「……っ!」
そして。
小さく呟いた。
「……こちらこそ、ありがとうございます……」
◇◆◇
しばらくして。
湖畔を歩いていると、小さな子どもが転びそうになった。
「……危ない!」
エレノアが、咄嗟に動いた。
次の瞬間。
彼女は、子どもの身体を支えていた。
「……大丈夫ですか?」
子どもは、驚いたように彼女を見た。
そして。
「……ありがとう、お姉ちゃん!」
元気よく笑った。
エレノアも、優しく微笑んだ。
「……どういたしまして」
俺は、その様子を見ていた。
……やっぱり。
彼女は、優しいな。
俺が近づくと、エレノアは少しだけ照れたように笑った。
「……つい、身体が動いてしまいました」
「……いいことだろ」
俺は、穏やかに微笑んだ。
「……君らしいよ」
その言葉に、彼女は嬉しそうに頷いた。
◇◆◇
夕暮れ。
王都の大通り。
俺たちは、屋敷へ戻る途中だった。
エレノアは、少しだけ名残惜しそうに歩いていた。
「……レオンハルト様」
「ん?」
「……今日は、本当に楽しかったです」
「俺もだよ」
俺が答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
そして。
少しだけ迷った後、俺の袖を掴んだ。
「……あの」
「……どうした?」
彼女は、顔を赤くしていた。
「……手を、繋いでもよろしいでしょうか?」
俺は、少しだけ驚いた。
だが。
すぐに微笑んだ。
「……もちろん」
俺は、そっと手を差し出した。
エレノアは、恐る恐るその手を握った。
柔らかな手。
そして、少しだけ震える指先。
……緊張してるのか。
俺は、静かに握り返した。
その瞬間。
エレノアの表情が、花が咲いたように明るくなった。
「……ありがとうございます」
その声は、幸せそうだった。
◇◆◇
夜。
ヴァルディス公爵家王都別邸。
屋敷へ戻ると、母エレオノーラが玄関で待っていた。
「あらあら♡」
母は、俺たちを見て微笑んだ。
「……二人とも、楽しそうね」
エレノアの顔が、一気に赤くなった。
「……お、奥様!?」
母は、楽しそうに笑った。
「……エレノアちゃん」
「……は、はい!」
「……レオンちゃんとのデート、楽しかった?」
その瞬間。
エレノアは、完全に固まった。
「……デ、デート……!?」
俺は、思わず苦笑した。
「……母上」
「……ふふ♡」
母は、嬉しそうに微笑んだ。
「……いいじゃない。若いって素敵ね」
エレノアは、顔を真っ赤にしたまま俯いていた。
だが。
その口元には、小さな笑みが浮かんでいた。
◇◆◇
その夜。
王城、王太子執務室。
アドリアン・ルミナスは、一通の密書を読んでいた。
差出人は、王宮内務局の匿名の協力者。
そこには、奇妙な情報が記されていた。
『ヴァルディス公爵家は、王都地下の古代施設を独自に調査している』
『その目的は、王家の封印された力を手に入れることにある可能性が高い』
アドリアンは、静かに眉をひそめた。
「……やはり、そうか」
そして。
机を強く叩いた。
「……レオンハルトめ」
その声には、嫉妬と焦りが混じっていた。
「……王家の力まで奪うつもりか」
側近が、静かに口を開いた。
「……殿下」
「……何だ?」
「……今こそ、先手を打つべきかと」
アドリアンは、ゆっくりと顔を上げた。
「……どうする?」
側近は、薄く微笑んだ。
「……王国評議会へ、正式な調査要求を提出するのです」
アドリアンの瞳が、鋭く光った。
「……なるほど」
そして。
「……よし」
静かに頷いた。
「……明日、評議会を招集させろ」
側近は、深々と頭を下げた。
「承知いたしました」
――二つの穏やかな休日の裏で、王宮を舞台とする新たな争いが始まろうとしていた。




