第21話 暴走する魔導実験と、天才少女が見た奇跡
第21話 暴走する魔導実験と、天才少女が見た奇跡
王国暦八百二十一年、夏月一日。
王立魔導学院、第三研究棟。
朝の研究室には、紙をめくる音と魔導装置の低い駆動音が響いていた。
リゼット・クローディアは、一晩ほとんど眠らずに計算を続けていた。
机の上には、昨日レオンハルトから指摘された逆流防止機構の設計図が広がっている。
「……これなら」
彼女は小さく呟いた。
外部魔力の流入量を監視し、一定の値を超えた場合は循環回路を切り離す。
理論上は、それで暴走を防げるはずだった。
だが、どうしても気になることがある。
昨日見せられた古代の魔力吸収装置。
その回路は、彼女の研究と驚くほど似ていた。
……私の理論が、誰かの手で利用された。
その可能性を考えると、胸が苦しくなる。
研究とは、人々の暮らしを豊かにするためのものだ。
少なくとも、彼女はそう信じていた。
それなのに。
「……絶対に、確かめないと」
リゼットは立ち上がった。
今日、学院では魔力循環術式の小規模な公開実験が予定されている。
すでに学院長へ危険性を報告し、実験の延期を申請していた。
しかし、実験装置の点検を担当する外部技術者からは、問題なしとの回答が届いている。
……それでも、不安が消えない。
リゼットは、研究室の扉へ向かった。
◇◆◇
同じ頃。
ヴァルディス公爵家王都別邸。
「……今日の実験を中止するよう申請した?」
俺はセバスティアンの報告を聞き、眉をひそめた。
「はい。リゼット・クローディア嬢から学院長へ、正式な延期申請が提出されております」
「……理由は?」
「魔力循環装置の安全性について、追加検証が必要とのことです」
俺は頷いた。
……正しい判断だ。
昨日の段階で、逆流防止機構には問題が残っていた。
実験を急ぐ理由はない。
「学院長は?」
「延期を承認しております」
……なら、ひとまず安心か。
だが。
セバスティアンは、続けた。
「ただし、今朝になって奇妙な報告がございます」
「……何だ?」
「実験装置の一部が、昨夜のうちに別の研究室へ移されたようです」
俺の表情が変わった。
「……誰の指示で?」
「外部技術者による保守点検との記録ですが、学院側の正式な承認が確認できておりません」
……まずいな。
俺は立ち上がった。
「学院長へ連絡を。装置の電源と魔力供給を遮断してもらってくれ」
「承知いたしました」
「エレノア、行くぞ」
「はい!」
俺たちは、すぐに馬車へ向かった。
◇◆◇
午前十時。
王立魔導学院、第二実験棟。
リゼットは、廊下を走っていた。
学院長から、奇妙な連絡が入ったのだ。
『延期したはずの実験装置が、勝手に起動準備を始めている』
……そんな。
彼女は階段を駆け上がった。
実験室の前には、数人の研究員が集まっている。
「どうなっているんですか!?」
リゼットが尋ねると、一人の研究員が青ざめた顔で答えた。
「わかりません! 魔力供給を止めようとしても、制御装置が反応しないんです!」
リゼットは、扉の窓から内部を覗いた。
巨大な円形装置。
複数の魔力結晶。
そして、中央に浮かぶ青白い光球。
……おかしい。
昨日までの装置とは、明らかに構造が違う。
彼女はすぐに気づいた。
「……第三循環回路が、書き換えられている!」
「えっ!?」
「これ、私の設計じゃありません!」
その瞬間。
装置から、低い唸り声のような音が響いた。
ゴゴゴゴ……。
床が、わずかに震え始める。
「……まずい!」
リゼットは叫んだ。
「全員、避難してください!」
だが。
次の瞬間。
実験室の扉が、内側から閉ざされた。
そして、廊下全体を覆う防護結界が起動した。
「……閉じ込められた!?」
研究員たちが悲鳴を上げる。
リゼットは、必死に術式を解析した。
……これは、防護結界じゃない。
魔力を外へ逃がさないための封鎖結界だ。
つまり。
このまま装置が暴走すれば、内部にいる人間は逃げられない。
……誰が、こんなことを。
彼女の背筋を、冷たいものが走った。
◇◆◇
その頃。
学院の正門。
俺とエレノアは、馬車から飛び降りた。
遠くに見える第二実験棟から、異様な魔力が立ち上っている。
「……レオンハルト様!」
エレノアが叫んだ。
「……わかってる!」
俺は右手を上げた。
《万有引力》。
身体へ作用する重力を調整し、一気に地面を蹴る。
次の瞬間。
俺たちの身体が、屋根の高さまで跳び上がった。
「……っ!」
エレノアが、俺の腕を掴む。
俺は彼女を支えながら、屋根の上へ着地した。
「……大丈夫か?」
「はい!」
彼女は真剣な表情で頷いた。
「レオンハルト様、あちらです!」
俺たちは、屋根伝いに第二実験棟へ向かった。
……間に合え。
胸の奥で、嫌な予感が膨らんでいた。
◇◆◇
第二実験棟、三階。
リゼットは、必死に結界を解析していた。
だが、装置の出力は上がり続けている。
魔力循環回路が、外部から供給される魔力を次々と吸収していた。
しかも、供給源は学院の中央魔力炉。
……こんなもの。
止められるはずがない。
彼女は、震える手を握りしめた。
……私の研究が。
誰かを傷つけるために使われている。
その事実が、何よりも辛かった。
「……ごめんなさい」
思わず、そんな言葉が漏れた。
だが。
「謝るのは、まだ早いだろ」
突然、背後から声が響いた。
リゼットが振り返る。
そこには。
黒髪と深紅の瞳を持つ少年が立っていた。
「……レオンハルト!?」
彼は、いつものように穏やかに微笑んだ。
「助けに来た」
その一言に、リゼットの瞳が大きく揺れた。
◇◆◇
「……どうやって、ここに?」
リゼットが尋ねる。
「窓からだ」
「……窓?」
俺は、割れた窓枠を指差した。
正確には、重力操作で結界の薄い部分を押し広げ、外側から侵入した。
エレノアには、廊下に取り残された研究員の避難を任せている。
「……そんな無茶な」
「今は説明している時間がない」
俺は装置へ視線を向けた。
……なるほど。
第三循環回路が書き換えられている。
しかも、旧転移中継所で見た魔力吸収機構と同じ構造だ。
……やっぱり、繋がっているな。
「リゼット。装置を止める方法は?」
彼女は、すぐに答えた。
「中央魔力炉からの供給を遮断し、循環回路を三段階で切り離します」
「……できるか?」
「……理論上は」
その声には、不安が滲んでいた。
「ですが、すでに魔力圧が高すぎます。遮断に失敗すれば、装置が爆発します」
俺は、静かに頷いた。
「なら、俺が魔力圧を抑える」
「……え?」
「君は制御を頼む」
リゼットは、驚いたように俺を見た。
「……私に、任せるんですか?」
「ああ」
俺は微笑んだ。
「この装置のことを、一番理解しているのは君だろ」
その瞬間。
彼女の表情が変わった。
驚き。
戸惑い。
そして、わずかな喜び。
「……わかりました」
リゼットは、ゆっくりと頷いた。
「必ず、止めてみせます」
◇◆◇
装置の出力は、限界へ近づいていた。
青白い光が、実験室全体を照らす。
俺は右手を上げた。
《万有引力》。
魔力循環装置の周囲に、重力場を形成する。
物理的な振動を抑え、魔力結晶の位置を固定する。
そして。
《無限神力》。
必要最小限の神力を魔力へ変換し、装置の暴走を抑える。
……よし。
これなら、しばらく持つ。
「リゼット!」
「はい!」
彼女は制御盤へ駆け寄った。
魔導文字が、次々と書き換えられていく。
「第一循環回路、切断!」
装置の光が、わずかに弱まる。
「第二循環回路、切断!」
低い振動音が、少しずつ静まっていく。
だが。
「……っ!」
リゼットの表情が変わった。
「第三循環回路が、反応しません!」
……やっぱりか。
俺は目を細めた。
第三回路だけ、外部から別の術式で固定されている。
……つまり。
誰かが、簡単には止められないようにしている。
「リゼット。第三回路の制御式を見せてくれ」
「……はい!」
彼女は、魔導文字を空中へ展開した。
俺は、それを一瞬で読み取った。
……なるほど。
固定術式を壊すだけなら簡単だ。
だが、それでは装置が不安定になる。
なら。
「……逆に、固定術式を利用しよう」
「……え?」
「第三回路の出口を、第一回路の空き経路へ繋ぎ直す」
リゼットの瞳が大きく見開かれた。
「……そんなことをしたら、魔力が逆流します!」
「そうだ」
俺は微笑んだ。
「だから、逆流防止機構を使う」
彼女は、はっとしたように息を呑んだ。
昨日、俺たちが話し合っていた改良案。
その理論を、今ここで使う。
「……できます」
リゼットは、強く頷いた。
「私なら、できます!」
彼女の指が、素早く動いた。
新たな魔導式が、次々と組み上がる。
……凄いな。
俺は、素直に感心した。
彼女は本当に、天才だ。
そして。
「……完成!」
リゼットが叫んだ。
「レオンハルト! 今です!」
「了解!」
俺は、魔力の流れを調整した。
第三回路から流れ出した魔力が、新しい制御式へ導かれる。
そして。
シュウウウ……。
巨大な装置の光が、ゆっくりと消えていった。
……止まった。
俺は、静かに息を吐いた。
◇◆◇
実験室に、静寂が戻った。
リゼットは、制御盤の前で呆然と立ち尽くしていた。
「……止まった」
その声は、震えていた。
「……本当に、止められた」
俺は、彼女へ歩み寄った。
「……お疲れ様」
リゼットは、ゆっくりと振り返った。
「……レオンハルト」
「ん?」
「……どうして」
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「……どうして、私を信じてくれたんですか?」
俺は、少しだけ考えた。
「君が、最後まで研究を諦めなかったからだよ」
「……っ!」
「昨日も、問題点を指摘したらすぐに検証していただろ」
俺は穏やかに続けた。
「自分の間違いを認めて、より良いものを作ろうとする。それは研究者として大切なことだと思う」
リゼットの頬を、一筋の涙が伝った。
「……私は」
彼女は、震える声で呟いた。
「……ずっと、あなたに否定されたと思っていました」
「……そうか」
「……でも、違ったんですね」
俺は小さく笑った。
「言い方が悪かったのは、俺の方にもある」
彼女は目を見開いた。
「……え?」
「二年前、君の研究を危険だと指摘した。それ自体は間違っていないと思う。でも、もっと伝え方があったはずだ」
俺は、静かに頭を下げた。
「……すまなかった」
リゼットは、しばらく何も言わなかった。
そして。
突然、俺の胸へ飛び込んできた。
「……っ!?」
……おい。
どうして、そうなる!?
「……ありがとうございました」
彼女は、俺の服を握りしめた。
「……本当に、ありがとうございました」
俺は、困ったように笑った。
「……ああ」
そして、そっと彼女の肩へ手を置いた。
「……無事でよかった」
◇◆◇
実験棟の廊下。
エレノアは、避難した研究員たちの安全確認を終えていた。
そして、実験室の扉を開ける。
「……レオンハルト様!」
その瞬間。
彼女の動きが止まった。
レオンハルトの胸へ抱きつくリゼット。
そして、困ったように笑うレオンハルト。
「…………」
エレノアは、静かに微笑んだ。
「……ご無事で、何よりでございます」
その声は、いつも通り丁寧だった。
だが。
ほんの少しだけ、冷たかった。
「……エレノア?」
「……はい?」
「……何か、怒ってる?」
「……いいえ」
彼女は、にっこりと微笑んだ。
「……まったく、怒っておりません」
……絶対、怒ってる。
俺は、思わず額に手を当てた。
その様子を見たリゼットが、ようやく自分の行動に気づいた。
「……っ!?」
彼女は、慌てて俺から離れた。
「……ち、違います!」
顔を真っ赤にして、必死に弁解する。
「……これは、その、感謝の気持ちで……!」
エレノアは、静かに頷いた。
「……存じております」
……怖い。
何だか、母上とは別の意味で怖い。
◇◆◇
その日の夕方。
王立魔導学院。
学院長室では、正式な調査が始まっていた。
暴走した装置は停止し、研究員たちに重傷者は出なかった。
だが、装置の制御式が何者かによって書き換えられていたことは明らかだった。
王国監察官ルドルフは、険しい表情で報告書を確認していた。
「……外部技術者の身元が確認できない?」
「はい」
学院長オスカーが答えた。
「提出された身分証は偽造されたものでした」
俺は、静かに目を細めた。
……やっぱりな。
「……さらに」
ルドルフが、別の書類を差し出した。
「装置の改造に使われた魔導部品の一部に、旧転移中継所で発見されたものと同じ製造刻印がございました」
俺は、それを受け取った。
黒い封蝋の紋章。
……また、これか。
王女襲撃事件。
聖女監禁事件。
旧転移中継所。
軍務省の証拠隠滅。
そして、今回の魔導実験。
すべてが、一つの影へ繋がり始めている。
俺は、静かに拳を握った。
……黒幕は、何を企んでいる?
その答えは、まだ見えない。
だが。
確実に、近づいている。
◇◆◇
その夜。
ヴァルディス公爵家王都別邸。
俺は、父と母へ今日の出来事を報告していた。
「……レオンちゃん!」
母エレオノーラが、突然抱きついてきた。
「……母上!?」
「……危ないことをしたんでしょう!?」
「……いえ、ちゃんと対処しましたから」
「……それでも!」
母は、俺を強く抱きしめた。
「……お母様、心配したんだから!」
その声は、少しだけ震えていた。
……ああ。
本当に、心配させたんだな。
俺は、そっと母の背中へ手を回した。
「……すみませんでした」
母は、しばらく黙っていた。
そして。
小さく微笑んだ。
「……無事でよかった」
父アルフォンスも、静かに頷いた。
「……よくやった、レオンハルト」
「……ありがとうございます」
「だが、次からはもっと早く応援を呼べ」
「……はい」
俺は、素直に頷いた。
……家族がいる。
仲間がいる。
そして。
俺を信じてくれる人たちが、少しずつ増えている。
原作とは、確実に違う未来が始まっていた。
◇◆◇
同じ頃。
王都の地下。
黒衣の男は、報告書を読んでいた。
「……魔導実験、失敗」
部下が、震える声で答えた。
「……はい」
「……レオンハルトが、装置を停止させたのか」
「……その通りです」
男は、しばらく黙っていた。
そして。
ゆっくりと笑った。
「……なるほど」
その声には、奇妙な満足感が宿っていた。
「……やはり、通常の魔力吸収では通用しないか」
部下が、恐る恐る尋ねる。
「……次は、どうなさいますか?」
男は、机の引き出しから一枚の古い羊皮紙を取り出した。
そこには、奇妙な紋章が描かれていた。
黒い円。
その中心に刻まれた、七つの星。
「……古代の記録には、こう記されている」
男は、静かに呟いた。
『神に等しき力を持つ者には、魔力ではなく魂へ干渉せよ』
部下の顔色が変わった。
「……まさか」
男は、冷たく微笑んだ。
「……次の段階へ進む」
そして。
低い声で告げた。
「……《魂縛りの儀式》を準備しろ」
――魔力すら奪えぬ少年を討つため、黒幕はついに禁忌の領域へ踏み込もうとしていた。




