第20話 紫紺の天才魔導少女と、暴君に否定された研究
第20話 紫紺の天才魔導少女と、暴君に否定された研究
王国暦八百二十一年、春月三十日。
王都東区に広がる王立魔導学院は、ルミナス王国における魔法研究の中心地だった。
七つの尖塔を持つ白亜の本館。
空中を移動する魔導昇降機。
そして、校舎全体を覆う幾重もの防護結界。
初めて訪れる者なら、建物そのものが巨大な魔導具であることに驚くだろう。
もっとも、俺が気にしていたのは建築技術ではない。
「軍務省の指輪と、旧転移中継所の魔力吸収装置。両方に使われていた術式が、この学院の研究記録にも残っているらしい」
俺が言うと、隣を歩くエレノアが頷いた。
「王国監察官からの正式な照会ですね」
「ああ。原本を押収する必要があるかどうか、まずは調査官と確認する」
今日の訪問は、学院長の許可を得た正式なものだ。
俺たちには王国監察官のルドルフと、魔導院の鑑定官二名が同行している。
ただし、捜索対象は指定された研究記録に限られていた。
研究者の成果を、疑わしいというだけで取り上げるつもりはない。
「それにしても、魔導学院ですか」
エレノアが微笑んだ。
「奥様がご一緒になりたがったのでは?」
「朝から三回は言われたよ」
母エレオノーラは、この学院の名誉研究員でもある。
今朝も同行すると言い張っていたが、別件の魔導院会議に出席する予定があり、父に説得されていた。
『レオンちゃん、危ない実験があったら絶対にお母様を呼ぶのよ!』
最後までそう念を押された。
……呼んだら実験室ごと解体されそうで、少し怖いんだけどな。
俺は苦笑しながら学院の門をくぐった。
◇◆◇
学院長室での手続きは、問題なく終わった。
学院長のオスカー・レヴィンは、白髪の穏やかな老人だったが、研究記録に関する説明では一切の曖昧さを許さなかった。
「ヴァルディス公爵令息。調査への協力は惜しみません。しかし、学生の研究成果については慎重に扱っていただきたい」
「もちろんです。今回調べたいのは、術式の流用経路です。研究そのものを問題にしているわけではありません」
「それを聞いて安心しました」
学院長は一人の職員を呼んだ。
「第三研究棟へ案内しなさい。該当する研究記録の管理者が、すでに待っています」
その言葉を聞いた瞬間、俺は嫌な予感を覚えた。
第三研究棟。
原作ゲームで、あるヒロインが研究に没頭していた場所だ。
そして、その研究者は俺に対して強い反感を抱いていた。
……まさかな。
◇◆◇
「お断りします」
研究室へ入った直後、そんな声が飛んできた。
紫色の長い髪。
透き通るような白い肌。
知性を感じさせる紫紺の瞳。
机の上には無数の魔導式が描かれた紙が積まれ、壁一面を計算式が埋め尽くしている。
その中央に立つ少女こそ、リゼット・クローディア。
十五歳にして王立魔導学院の特別研究生となった天才魔導師だった。
「研究記録の閲覧には学院長の許可が必要です。それに、私の実験を妨げる理由もありません」
彼女はそう言ってから、俺に気づいた。
その表情が一瞬で凍る。
「……レオンハルト・ヴァルディス?」
「久しぶりだな、リゼット」
「なぜ、あなたがここにいるのですか」
声の温度が、一気に下がった。
……やっぱり覚えているか。
原作での彼女は、俺を嫌っていた。
理由は二年前の王都魔導研究発表会。
彼女が発表した新型の魔力循環術式に対し、当時のレオンハルトが重大な欠陥を指摘したことだった。
俺の記憶に残っている言葉は、確かに厳しい。
『このまま実用化すれば、術者が死ぬぞ』
発表会の場で、そんなことを言われれば傷つくのも当然だろう。
ただし、問題は指摘の仕方だけではなかった。
彼女は自分の研究が否定されたと思い込み、その後の検証を拒んでいたのだ。
「今日は正式な調査で来た。君の研究を取り上げに来たわけじゃない」
「……信用できません」
リゼットは腕を組んだ。
「あなたは以前、私の研究を危険だと決めつけました」
「危険な部分があったのは事実だ」
「また、それですか!」
彼女の声が強くなる。
「私は二年間、あの理論を改良してきたんです! もう当時とは違います!」
……なるほど。
研究を続けていたのか。
俺は机に広がる術式を見た。
複数の魔力循環回路。
外部供給を補助する制御式。
そして、緊急遮断機構。
確かに、以前より洗練されている。
「……見せてもらってもいいか?」
リゼットは警戒した表情のまま、しばらく黙っていた。
やがて、机の端に置かれた資料を差し出した。
「構いません。ただし、今度こそきちんと説明を聞いてください」
「ああ。約束する」
◇◆◇
研究内容は、予想以上に興味深かった。
リゼットが開発しているのは、術者の魔力を循環させることで魔法効率を高める新しい補助術式だった。
通常の魔法では、魔力の一部が熱や光として失われる。
彼女の理論では、その損失を回収して再利用する。
成功すれば、少ない魔力で大規模な魔法を維持できる。
……なるほど。
発想自体は悪くない。
むしろ、かなり優秀だ。
俺は資料を読み進めた。
だが、ある部分で手を止める。
「リゼット。この第三循環回路は?」
「外部からの魔力補充を制御する回路です」
「供給源は?」
「実験用の魔力結晶です」
「では、供給量が急増した場合は?」
「安全装置が作動します」
俺は図面を指差した。
「この遮断機構、供給側の圧力が逆転した場合には動かないんじゃないか?」
リゼットが眉をひそめた。
「……そんなはずは」
彼女は図面を見直した。
そして、顔色が変わった。
「……待ってください」
計算用の紙を引き寄せ、素早く式を書き始める。
数分後。
彼女の手が止まった。
「……逆流時の遮断条件が、設定されていない」
「そうだな」
リゼットは、唇を噛んだ。
「……ですが、通常の魔力結晶なら逆流は起こりません」
「通常なら、な」
俺は別の資料を取り出した。
旧転移中継所で押収された、魔力吸収装置の解析図だ。
「こいつは外部から魔力を奪い、循環経路へ送り込む。君の研究と似た部分がある」
リゼットの瞳が大きく見開かれた。
「……これは」
彼女は図面へ身を乗り出した。
「古代式の魔力転換回路……? どうして、こんなものが」
「王国の旧施設から見つかった。違法な実験に利用されていた疑いがある」
彼女は真剣な表情で図面を見つめた。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「……私の研究を、誰かが利用した可能性があるのですか?」
「まだわからない。だから調べに来たんだ」
◇◆◇
その日の午後。
俺たちは研究室の資料を一つずつ確認していた。
リゼットも協力を申し出た。
彼女自身、研究成果が危険な装置へ転用された可能性を放置できなかったのだろう。
「……おかしいです」
突然、リゼットが呟いた。
「どうした?」
「昨年の共同研究記録が、一部抜けています」
彼女は書類棚を開いた。
「この研究は、学院の外部協力者と共同で進めていました」
「外部協力者?」
「はい。研究費を提供する代わりに、基礎理論の一部を共有する契約でした」
……なるほど。
産学共同研究みたいなものか。
「契約先は?」
リゼットは、記録を確認した。
「……レイフォード商会です」
俺は目を細めた。
レイフォード。
以前、セバスティアンが不審な資金の流れを調べていた商会だ。
そして、勇者アルベルトと同じ姓。
だが、現時点で両者の関係は確認されていない。
「契約書は残っているか?」
「はい。ただ、担当者の署名が……」
リゼットの指が止まった。
「……どうした?」
「……この署名、見覚えがあります」
彼女は机の引き出しから別の書類を取り出した。
二枚を並べる。
そこに記された署名は、同じものだった。
『ベルナール・クロイツ』
……また、お前か。
俺は静かに息を吐いた。
外交任務。
軍務省の指輪。
そして、魔導学院の共同研究。
すべてにベルナールの名前が現れる。
偶然の可能性は、だんだん小さくなってきた。
「この契約、いつ結ばれた?」
「一年前です」
「ベルナール本人と会ったことは?」
「……ありません。書類のやり取りだけです」
……なら、署名が本物かどうかも確認する必要があるな。
俺はルドルフ監察官へ視線を向けた。
「この書類も、正式に保全していただけますか?」
「もちろんです」
監察官は頷いた。
「原本を封印し、写しを作成します」
リゼットは、しばらく黙っていた。
そして、静かに口を開いた。
「……レオンハルト」
「何だ?」
「私の研究が、本当に悪用されていたとしたら……」
その声は、わずかに震えていた。
「……私は、どうすればいいのでしょう」
俺は彼女を見た。
「まず、事実を確かめることだ」
「……ですが」
「研究そのものに罪があるわけじゃない。使い方を決めるのは人間だ」
リゼットの瞳が揺れた。
「君が責任を感じるなら、悪用を防ぐ方法を一緒に考えてくれ」
彼女は、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……わかりました」
小さく、しかしはっきりと頷いた。
◇◆◇
夕方。
学院の中庭。
俺はエレノアと共に、帰りの馬車を待っていた。
「……レオンハルト様」
「ん?」
「リゼット様とは、以前からお知り合いだったのですね」
「ああ。二年前に一度だけ」
エレノアは微笑んだ。
「随分と印象に残っていたご様子でした」
「悪い意味でな」
「ですが、今日は少し変わったように見えました」
俺は研究棟を振り返った。
窓の向こうには、まだ明かりが灯っている。
リゼットは今も、研究を続けているのだろう。
「……あいつは、優秀だよ」
「はい」
「ただ、自分の研究に誇りがある分、他人の意見を受け入れるのが苦手なんだろうな」
エレノアは小さく笑った。
「レオンハルト様も、少し似ていらっしゃいます」
「……俺が?」
「はい。大切なものを守るためなら、誰の言葉にも簡単には従われませんから」
……それは、褒められているのか?
俺が首を傾げると、彼女は楽しそうに微笑んだ。
◇◆◇
その夜。
王都の地下。
黒衣の男は、魔導学院から届いた報告を読んでいた。
「……リゼット・クローディアが、レオンハルトに協力?」
「はい。共同研究記録の調査にも加わったようです」
男は舌打ちした。
「……余計なことを」
机の上には、魔力循環術式の複製図面が置かれていた。
その一部には、リゼットが考案した回路が使われている。
「……なら、計画を早める」
男は部下へ命じた。
「明日の実験は、予定通り実行しろ」
「ですが、学院には監察官が……」
「だからこそだ」
男は冷たく笑った。
「事故が起きれば、疑いは研究責任者へ向く」
部下が息を呑んだ。
「……リゼット・クローディアを、犯人に?」
「必要ならな」
男は図面を閉じた。
「そして、レオンハルト・ヴァルディスが助けに来るなら、それも好都合だ」
その目には、不気味な期待が宿っていた。
「……今度こそ、あの少年の力を測ってやる」
――天才少女が人生を捧げた研究は、知らぬ間に恐ろしい陰謀の道具へ変えられようとしていた。




