第2話 暴君と呼ばれる少年と、忠誠を誓う者たち
王国暦八百二十一年、春月十二日。
俺がレオンハルト・ヴァルディスとして目覚めてから、およそ一時間。
現在、俺は非常に困っていた。
「……エレノア」
「はい、レオンハルト様」
「これは、何人分の朝食なんだ?」
目の前には、豪華な料理がずらりと並んでいた。
焼きたてのパンに、香ばしい肉料理。色鮮やかな野菜の盛り合わせに、果物、スープ、そして見たこともない菓子まである。
どれも美味そうだ。
それは間違いない。
だが、量がおかしい。
「もちろん、レオンハルト様お一人分でございます」
「……一人分?」
「はい」
エレノアは当然のように頷いた。
いやいや。
俺の前世なら、家族四人で食べても余る量だぞ。
「普段からこんなに食べていたのか?」
「本日は少々控えめにしております。昨日はお身体の調子が優れなかったようですので」
「これで控えめなのか……」
思わず天を仰いだ。
だが、レオンハルトの記憶を探ると、確かにこれが普通だった。
極限まで鍛えられた肉体。
常人とは比較にならない魔力循環。
それらを維持するため、日々大量の食事を必要としていたらしい。
もっとも、今の俺には《無限神力》がある。
神力を生命活動に変換できるなら、食事の必要量も変わるかもしれない。
とはいえ、せっかく用意してもらった料理だ。
ありがたくいただこう。
「いただきます」
「……?」
エレノアが不思議そうに首を傾げた。
「何か?」
「いえ。今のは、どちらの国の言葉でしょうか?」
「ああ、食事を作ってくれた人や食材に感謝する言葉だよ」
「……素敵な習慣ですね」
彼女は柔らかく微笑んだ。
そして、俺がパンを口に運んだところで、扉が静かに開かれた。
「失礼いたします、若様」
入ってきたのは、背筋の伸びた老紳士だった。
灰色の髪を後ろに撫でつけ、片眼鏡をかけている。
黒い執事服には皺一つない。
セバスティアン・グレイヴ。
ヴァルディス公爵家の執事長にして、領内の内政と情報網を取り仕切る人物だ。
見た目は穏やかな老人だが、侮ってはいけない。
原作では、王国の諜報機関が三年かけても突き崩せなかった公爵家の情報網を、ほぼ一人で管理していた。
その実力は、間違いなく一流。
「おはよう、セバスティアン」
「……おや」
老人の眉が、わずかに動いた。
「本日は、ずいぶんとご機嫌がよろしいようですな」
「そう見えるか?」
「ええ。ここしばらく、若様がそのように穏やかなお顔をなさることはありませんでしたので」
「……そうか」
俺は苦笑した。
元婚約者ヴィオレッタに裏切られてから、レオンハルトはほとんど笑わなくなった。
人前では常に不機嫌そうに振る舞い、気に入らない貴族を威圧し、社交界では暴君と呼ばれるようになっていた。
だが、その一方で。
「昨日の西部街道の補修は、無事に終わったか?」
何気なく尋ねると、セバスティアンは満足そうに頷いた。
「はい。若様が手配された資材のおかげで、予定より二日早く完了いたしました」
「そうか。作業員に怪我人は?」
「軽傷者が二名おりますが、すでに治療を受けております」
「なら、二人には見舞金を。あと、予定より早く終わったなら、作業員全員に追加報酬を出してやってくれ」
「……承知いたしました」
セバスティアンが深々と頭を下げる。
その表情は、どこか嬉しそうだった。
もっとも、これは転生した俺が突然善人になったからではない。
元のレオンハルトも、領地の管理には非常に熱心だった。
領民に無理な税を課すことを嫌い、道路や水路の整備にも積極的。
魔物の被害が出れば、自ら討伐に赴くことすらあった。
ただし、領地の外では話が違う。
敵対する貴族を容赦なく叩き潰し、王族に対しても平然と皮肉を浴びせる。
そのせいで、王都では恐ろしい噂ばかりが広まっていた。
――悪役公爵令息レオンハルト。
だが、実際に彼を知る家臣たちの評価は、まるで違う。
「若様」
「ん?」
「本日も騎士団の訓練をご覧になりますかな?」
「ああ。そのつもりだ」
「では、ガルディオ殿に伝えておきましょう」
「いや、せっかくだから俺も参加する」
「……ほう」
セバスティアンの目が細くなった。
「それは、騎士たちが喜びますな」
その言葉に、俺は少しだけ首を傾げた。
「喜ぶのか? 俺と訓練しても、一方的になるだけだろ?」
「それでも、若様の剣を間近で見られることは、彼らにとって何よりの勉強になります」
老人は静かに微笑んだ。
「何より、我らが次期当主の強さは、ヴァルディス家の誇りでございますから」
……なるほど。
どうやら俺は、思っていた以上に慕われているらしい。
◇◆◇
朝食を終えた俺は、エレノアを伴って屋敷の訓練場へ向かった。
ヴァルディス公爵家の本邸は、もはや城と呼んだ方が正しい規模を誇る。
広大な庭園。
何棟もの別館。
数百人が暮らす使用人区画。
そして、騎士団専用の訓練施設。
その規模は、王都の王宮にすら匹敵するという。
「……改めて見ると、とんでもない家だな」
「何かおっしゃいましたか?」
「いや。立派な屋敷だと思ってさ」
エレノアは少しだけ不思議そうな顔をした。
「レオンハルト様が幼い頃からお住まいのお屋敷ですよ?」
「たまには新鮮な気持ちで眺めるのもいいだろ?」
「……ふふっ。そうですね」
そんな会話を交わしながら歩いていると、庭園で働いていた使用人たちが次々と頭を下げた。
「おはようございます、レオンハルト様!」
「おはよう」
「本日も良いお天気ですね!」
「ああ。仕事をするにはちょうどいいな」
俺が返事をすると、若い庭師が驚いたように目を丸くした。
その隣にいた年配の庭師が、肘で彼の脇腹を小突く。
「ほら、ぼさっとするな」
「す、すみません!」
別に怒ってないんだけどな。
そう思いながら通り過ぎようとしたとき、一人の少女がこちらへ駆け寄ってきた。
「レオンハルトさま!」
「ん?」
年齢は七、八歳くらいだろうか。
茶色い髪を二つに結んだ、小さな女の子だった。
手には花束を持っている。
「これ、あげる!」
「……俺に?」
「うん!」
少女は満面の笑みで頷いた。
その後ろから、慌てた様子の女性が走ってくる。
「も、申し訳ございません! 娘が失礼を……!」
「いや、構わないよ」
俺は少女の目線に合わせてしゃがんだ。
「綺麗な花だな。ありがとう」
「えへへ!」
少女は嬉しそうに笑う。
「おにいちゃんが、パパをたすけてくれたから!」
「……お父さん?」
記憶を探る。
ああ、そうか。
去年、北部の鉱山で落盤事故が起きた。
そのとき、坑道に閉じ込められた作業員たちを、レオンハルト自身が救出していた。
この子の父親も、その中にいたのだろう。
「パパね、レオンハルトさまは、すっごくつよくて、やさしいって!」
少女は誇らしげに胸を張った。
「だから、わたしもおれいするの!」
「……そうか」
俺は花束を受け取った。
小さな白い花が、丁寧に束ねられている。
「大切にするよ」
「ほんと!?」
「ああ。約束だ」
少女は嬉しそうに母親のもとへ駆け戻っていった。
その姿を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
……悪役、ね。
少なくとも、この領地の人間にとっては違うらしい。
「レオンハルト様」
隣でエレノアが微笑んでいた。
「何だ?」
「やはり、お優しいですね」
「……普通のことだろ」
「いいえ」
彼女は静かに首を振った。
「その普通のことを、身分の低い者にも自然になさる貴族は、決して多くありません」
俺は何も答えなかった。
ただ、手にした花束を少しだけ強く握った。
◇◆◇
訓練場に到着すると、すでに百人近い騎士たちが剣を振るっていた。
鋼のぶつかる音。
力強い掛け声。
整然とした隊列。
その練度は、一目見ただけでも相当なものだとわかる。
さすがは王国最強と名高いヴァルディス公爵家の騎士団。
そして、その中央に一人の大男が立っていた。
「腰が浮いている! 相手の剣ばかり見るな!」
低く響く怒声。
白髪交じりの短髪。
左頬には大きな傷跡。
全身を覆う筋肉は、年齢を感じさせないほど鍛え上げられている。
ガルディオ・ベルクハルト。
ヴァルディス公爵家騎士団長。
かつて王国最強の剣士と呼ばれた男であり、レオンハルトの剣術の師でもある。
「……む?」
こちらに気づいたガルディオが、ゆっくりと振り返った。
そして次の瞬間。
「全員、整列!」
雷鳴のような声が訓練場に響いた。
騎士たちが一斉に動く。
わずか数秒。
百人近い騎士が、見事な隊列を組んでいた。
「レオンハルト様に、敬礼!」
ザッ!
騎士たちが一斉に胸へ拳を当てる。
「「「レオンハルト様!」」」
……いや、すごいな。
思わず感心してしまった。
「おはよう、みんな」
俺が声をかけると、騎士たちの間に微かなざわめきが走った。
どうやら、いつものレオンハルトとは雰囲気が違うらしい。
だが、ガルディオだけは豪快に笑った。
「はっはっは! 本日はずいぶんとご機嫌ですな、若!」
「そう見えるか?」
「ええ! 昔の若を思い出しますぞ!」
この男は、昔からレオンハルトを「若」と呼ぶ。
正式な場では敬語を使うが、二人きりのときは師弟として接していた。
そして何より、元婚約者の事件以降も態度を変えなかった数少ない人物だ。
「ガルディオ」
「はっ!」
「少し身体を動かしたい。相手をしてくれないか?」
その瞬間。
訓練場が静まり返った。
騎士たちの視線が、一斉に俺へ集まる。
ガルディオは目を見開き――。
やがて、獰猛な笑みを浮かべた。
「……よろしいのですかな?」
「ああ。久しぶりに本気で剣を振りたい」
「くくっ……!」
ガルディオの肩が震える。
そして、突然大声で笑い始めた。
「がっはっはっは! 面白い! 実に面白い!」
騎士たちが顔を見合わせる。
「全員、訓練を中断しろ!」
ガルディオは腰の剣を抜いた。
「これより、若と手合わせを行う!」
その言葉に、騎士たちの表情が一変した。
「レオンハルト様が!?」
「団長と手合わせを!?」
「おい、急げ! 見逃すな!」
どうやら、相当な一大イベントらしい。
……いや、そんなに騒ぐことか?
◇◆◇
訓練場の中央。
俺とガルディオは、十メートルほどの距離を置いて向かい合っていた。
手にしているのは、訓練用の模擬剣。
ただし、通常の木剣ではない。
魔力を流して強度を高めた、特殊な金属製の剣だ。
並の騎士が全力で振るっても、まず折れることはないらしい。
「若」
「ん?」
「本日は、どの程度までお力を出されますかな?」
「……そうだな」
俺は少し考えた。
正直に言えば、自分の実力を確認したい。
レオンハルトの記憶も経験もある。
剣を握れば、どう動けばいいのか自然にわかる。
だが、実際に身体を動かしてみなければ、感覚は掴めない。
それに、新しく手に入れた神級スキルも気になる。
もっとも、ここで使うわけにはいかない。
下手をすれば訓練場が消し飛ぶ。
「魔法なし。身体強化もなし。純粋な剣術だけでどうだ?」
俺がそう告げると、ガルディオの表情が引き締まった。
「……承知」
彼は剣を構えた。
その瞬間。
空気が変わった。
先ほどまで豪快に笑っていた男とは、まるで別人。
歴戦の騎士が持つ、研ぎ澄まされた殺気。
常人なら、それだけで足が竦むだろう。
だが――。
(……遅いな)
不思議な感覚だった。
まだガルディオは動いていない。
それなのに、どこから斬り込んでくるのかがわかる。
肩の角度。
重心の位置。
指先の力み。
呼吸の間隔。
すべてが、手に取るように理解できた。
これがレオンハルトの戦闘経験。
十五歳にして、王国最強と恐れられた天才の領域。
「……参ります!」
ガルディオが地面を蹴った。
速い。
少なくとも、普通の人間には目で追えない速度だ。
だが、俺にはゆっくりと見えた。
右上段からの斬撃。
それを半歩だけ身体をずらして避ける。
続く横薙ぎ。
剣を軽く当て、軌道を逸らす。
さらに突き。
手首を返し、剣先を外側へ流す。
――キィン!
金属音が響いた。
次の瞬間。
俺の剣先は、ガルディオの喉元に突きつけられていた。
「…………」
静寂。
誰も声を出さない。
ガルディオは目を見開いたまま、動きを止めていた。
「……そこまで、だな」
俺が剣を引くと、ようやく周囲から息を呑む音が聞こえた。
「……今、何が起きた?」
「見えなかった……」
「団長の連撃を、全部捌いたのか……?」
騎士たちが呆然としている。
いや、俺も少し驚いていた。
思っていた以上に、身体が自然に動く。
前世では運動神経が悪い方ではなかったが、これは次元が違う。
剣を振るというより、呼吸するような感覚だった。
「……見事」
ガルディオが、静かに呟いた。
「まさか、ここまでとは……」
「どうだった?」
「正直に申し上げましょう」
彼は剣を鞘へ戻した。
「私では、もはや若の剣に触れることすら叶いません」
その言葉に、騎士たちがどよめいた。
王国最強と呼ばれた剣士が、十五歳の少年に完敗を認めたのだ。
だが、ガルディオは悔しそうではなかった。
むしろ――。
「……素晴らしい」
その目には、隠しきれない喜びが浮かんでいた。
「私が剣を教えた少年が、これほどの高みに到達するとは……!」
彼は片膝をついた。
「若。どうか、我らに命じてくだされ」
「……何を?」
「いずれ王国が若に牙を剥くことがあろうとも、我らヴァルディス騎士団は、最後の一兵となるまでお守りいたします」
その言葉に、周囲の騎士たちも次々と膝をついた。
「「「我らの剣は、レオンハルト様と共に!」」」
訓練場に、力強い声が響き渡る。
俺は思わず言葉を失った。
……そうか。
これが、レオンハルトの家臣たちか。
原作で、最後まで彼を裏切らなかった者たち。
たとえ世界中を敵に回しても、主君と共に戦おうとした者たち。
その忠誠は、決して恐怖によるものではない。
彼らは、本気でレオンハルトを信じているのだ。
「……ガルディオ」
「はっ!」
「一つ、約束してくれ」
「何なりと」
「俺のために、無駄に死ぬな」
「……!」
ガルディオが顔を上げた。
「俺は、お前たちに死んでほしいわけじゃない」
俺は騎士たちを見渡した。
「家族がいる者もいるだろう。恋人がいる者も、帰りを待つ人間がいる者もいるはずだ」
誰も口を挟まない。
「だから、命を捨てる覚悟なんて必要ない」
剣をゆっくりと掲げる。
「俺が望むのは、お前たちが生きて勝つことだ」
静寂。
そして――。
「……御意」
ガルディオが深く頭を下げた。
「この命、若のために生かしてみせましょう」
その言葉に、俺は小さく笑った。
「ああ。頼りにしてる」
◇◆◇
訓練を終えた後、俺はガルディオとセバスティアンを執務室へ呼んだ。
もちろん、エレノアも同席している。
「さて、二人に頼みたいことがある」
俺がそう切り出すと、二人の表情が引き締まった。
「何なりとお申し付けください」
「三日後、王都へ向かう街道で事件が起こる可能性がある」
「……事件、ですか?」
セバスティアンの片眼鏡が光った。
「ああ。王族の馬車が襲撃されるかもしれない」
その瞬間、部屋の空気が変わった。
ガルディオが低い声で尋ねる。
「……どちらから、その情報を?」
「情報源は今は言えない。ただ、かなり確度が高い」
嘘は言っていない。
原作通りなら、ほぼ確実に起こる事件だ。
だが、未来のことを知っているなどと説明しても、簡単には信じてもらえないだろう。
「セバスティアン。王都周辺で活動している盗賊団について調べてほしい」
「承知いたしました」
「特に、最近になって急に資金が潤沢になった連中だ」
老人の目が鋭くなる。
「……なるほど。何者かが資金を提供している可能性がある、と」
「ああ」
「興味深いですな」
セバスティアンは口元に薄い笑みを浮かべた。
……怖い。
この人、絶対に敵に回しちゃいけないタイプだ。
「ガルディオ」
「はっ!」
「王都へ向かう街道の地形図を用意してくれ。特に、森に囲まれた狭い道を中心に」
「承知!」
「それと、騎士団は動かさなくていい。今回は俺とエレノアだけで行く」
ガルディオが眉をひそめた。
「しかし、若……」
「大丈夫だ。戦闘になっても問題ない」
「……それは、重々承知しておりますが」
彼は苦笑した。
「むしろ、襲撃者たちの命が心配ですな」
「……おい」
思わず突っ込んでしまった。
すると、エレノアが小さく笑う。
「ふふっ。確かに、レオンハルト様に襲いかかるなど、自殺行為ですから」
「お前まで言うか……」
まったく。
うちの家臣たちは、主君を何だと思っているんだ。
……いや、実際に世界最強クラスなんだけどさ。
「ただし、一つだけ条件がある」
俺が真剣な表情に戻ると、三人も姿勢を正した。
「今回の件は、可能な限り生け捕りにする」
「……生け捕り、ですか?」
「ああ。盗賊団の背後にいる人間を突き止めたい」
セバスティアンが、ゆっくりと頷く。
「証拠を確保する必要がある、ということですな」
「そういうことだ」
勇者アルベルト。
原作では、正義の象徴として描かれていた男。
だが、その実態は違う。
自分が英雄になるために事件を仕組み、他人の不幸を利用する。
王女の襲撃事件も、その一つだった。
俺は机の上に置かれた地図へ視線を落とした。
「……せっかくだから、尻尾を掴ませてもらおうか」
◇◆◇
同じ頃。
王都ルミナス。
王立学院にほど近い高級宿の一室で、一人の青年が窓の外を眺めていた。
金色の髪。
澄んだ青い瞳。
誰もが好青年と評する、整った顔立ち。
アルベルト・レイフォード。
後に勇者と呼ばれることになる青年である。
「……準備は?」
青年が尋ねると、背後に立っていた黒衣の男が頭を下げた。
「すべて整っております。春月十五日、予定通り王女殿下の馬車を襲撃いたします」
「護衛は?」
「指定された者だけを残し、ほかは排除する手筈です」
「そうか」
アルベルトは満足そうに微笑んだ。
「くれぐれも、王女を殺さないようにね」
「承知しております」
「少しくらい怪我をしてもらった方が、僕の印象は良くなるだろうけど」
青年は楽しそうに笑った。
「命だけは残しておいてくれよ」
黒衣の男が再び頭を下げる。
「では、報酬の件は……」
「ああ。成功すれば約束通り支払う」
アルベルトは窓の外へ視線を戻した。
王都の中央にそびえる、白亜の王城。
その頂点に立つ日を思い浮かべる。
「第一王女セレスティア……」
王国でも屈指の美貌を誇る王女。
その血筋。
その地位。
そして、王位継承に関わる政治的価値。
どれを取っても、手に入れるだけの価値がある。
「王女を救った英雄、か……」
アルベルトは口元を吊り上げた。
「悪くない響きだ」
そして、ふと思い出したように呟く。
「そういえば、あの公爵家の坊ちゃんも学院に入るんだったね」
「レオンハルト・ヴァルディス様、でございますか?」
「ああ。あの傲慢な男だよ」
アルベルトの笑みが、わずかに歪んだ。
「剣術も魔法も優秀らしいけど、所詮は評判の悪い貴族だ。少し噂を広めれば、周囲は簡単に敵に回るだろう」
「……しかし、ヴァルディス公爵家は王国有数の軍事力を有しております」
「だからこそ、正面から戦う必要はないんだよ」
青年は肩をすくめた。
「強いだけの人間なんて、周囲から孤立させればいい」
そして、楽しそうに笑った。
「いずれ、あいつにも教えてあげよう」
――本当に強いのは、誰なのかを。
だが、アルベルトはまだ知らなかった。
自分が見下している少年が、すでにすべてを知っていることを。
そして、その少年が手に入れた力が、もはや人間の領域を遥かに超えていることを。
◇◆◇
夜。
自室へ戻った俺は、窓辺に立っていた。
眼下には、ヴァルディス領の街明かりが広がっている。
穏やかな夜だった。
今日一日で、いろいろなことがわかった。
元のレオンハルトは、確かに傲慢だった。
だが、決して家臣や領民を虐げる暴君ではなかった。
むしろ、彼らを守るためなら、自分の命すら惜しまない男だったのだ。
「……お前、悪役に向いてないだろ」
思わず苦笑する。
ゲームでは、冷酷で傲慢な悪役として描かれていた少年。
だが、その内側には、誰よりも不器用な優しさがあった。
だからこそ、俺は思う。
こんな結末で終わらせていいはずがない。
「……さて」
俺は右手を持ち上げた。
指先に、小さな白銀の光が灯る。
《無限神力》。
続いて、窓辺に置かれた小石がゆっくりと浮かび上がった。
《万有引力》。
二つの神級スキル。
まだ完全に使いこなせているわけではない。
だが、確信はあった。
この力があれば、原作の運命を変えられる。
いや。
変えてみせる。
「……まずは三日後だな」
第一王女セレスティア。
原作では、勇者アルベルトに救われるはずだった少女。
だが、今回は違う。
俺が先に助ける。
そして、できることなら――。
「……あの腹黒勇者の悪事、全部暴いてやるか」
口元に笑みが浮かぶ。
そのとき。
コンコン。
「レオンハルト様」
扉の向こうから、エレノアの声が聞こえた。
「どうした?」
「お休み前のお茶をお持ちいたしました」
「ああ、入ってくれ」
扉が開き、銀髪の少女が姿を現す。
手にした盆には、温かな紅茶と小さな焼き菓子。
彼女はいつものように微笑んだ。
「本日も、お疲れさまでございました」
「ありがとう、エレノア」
「……ふふっ」
「ん?」
「いえ。何でもございません」
エレノアは嬉しそうに笑う。
俺はそんな彼女を見ながら、心の中で改めて誓った。
この笑顔を、二度と失わせない。
たとえ相手が勇者だろうと、王国だろうと、教会だろうと。
誰であろうと関係ない。
俺の大切なものに手を出すなら――。
そのときは、世界そのものを敵に回してでも守り抜いてやる。
――こうして、運命が変わる最初の日が終わった。
王女襲撃事件まで、あと三日。
そして、勇者アルベルトが初めて自分の計画の崩壊を知る日も、刻一刻と近づいていた。




