第1話 悪役公爵令息に転生したら、どうやら世界最強だった件
――人は死ぬ瞬間、走馬灯を見るという。
あれは嘘だ。
少なくとも、俺の場合は違った。
見えたのは、迫り来るトラックのヘッドライト。
耳に残ったのは、甲高いブレーキ音。
そして最後に思ったのは――。
(あ、これ死んだわ)
実に情けない感想だった。
もっとこう、人生への未練とか、家族への感謝とか、そういうものがあってもよかったと思う。
だが、実際にはそんな余裕などなかった。
仕事帰り、信号を無視して突っ込んできたトラック。
横断歩道を渡っていた俺は、それを避けることもできず――。
そこで意識が途切れた。
◇◆◇
「……ん?」
目を開けると、知らない天井があった。
いや、知らないという表現では足りない。
高すぎる。
天井まで軽く五メートルはありそうだ。
豪華なシャンデリアが吊るされ、壁には精巧な彫刻。寝ているベッドに至っては、俺が住んでいたワンルームの半分くらいの面積がありそうだった。
「……どこの高級ホテルだよ」
思わず呟く。
その声に違和感を覚えた。
若い。
明らかに、自分の声ではなかった。
ゆっくりと上半身を起こす。
視界に入った手は、驚くほど白く、細長い。
だが、決して華奢ではない。
指先から手首にかけて、無駄のない筋肉がついていた。
「……は?」
慌ててベッドから降り、部屋の隅にある大きな姿見へ向かう。
そこに映っていたのは、一人の少年だった。
艶のある漆黒の髪。
宝石のように深い紅の瞳。
整いすぎているほど端正な顔立ち。
身長は百七十センチ台後半といったところか。
まだ少年らしさを残しているものの、立っているだけで妙な威圧感があった。
「……誰だ、お前」
鏡の中の少年も、同じように口を動かす。
そして、その瞬間。
頭の奥で、何かが弾けた。
「ぐっ……!」
膨大な記憶が流れ込んでくる。
いや、違う。
流れ込んでくるのではない。
最初から自分の中にあったものが、次々と目を覚ましていく。
幼い頃に初めて剣を握った日のこと。
魔法の適性検査で、七属性すべてに適性があると判明した日のこと。
十歳で騎士団長から初めて一本を取ったこと。
十二歳で領地を襲った魔物の群れを討伐したこと。
家臣たちの笑顔。
父の厳しい眼差し。
母の温かな手。
そして――。
『あなたは確かに強いわ。でも、私が欲しいのは強い男じゃない。王妃という地位なの』
美しい少女の、冷たい声。
『あなたから貰った手紙? ああ、あれね。殿下と一緒に読ませてもらったわ。とても面白かったわよ』
胸の奥が、鋭く痛んだ。
怒り。
悲しみ。
屈辱。
信じていた人間に踏みにじられた、少年の純粋な恋心。
それらが、まるで昨日の出来事のように蘇る。
「……ヴィオレッタ」
知らないはずの名前が、自然と口から零れた。
ヴィオレッタ・ローゼンベルク。
かつての婚約者。
そして、目の前の少年の人生を変えてしまった女。
俺は鏡を見つめた。
「……まさか」
この顔。
この名前。
この記憶。
知っている。
いや、知りすぎている。
「レオンハルト……ヴァルディス?」
それは、俺が生前に何周もプレイしたRPG――『エターナル・レガリア』に登場する人物の名前だった。
ヴァルディス公爵家の嫡男。
王国最強と謳われる天才剣士にして、七属性すべてを操る大魔導士。
十五歳にして、王国の騎士団長や宮廷魔導師ですら正面から勝てないと恐れられる怪物。
そして何より――。
「……ラスボスじゃねえか!」
思わず叫んだ。
そう。
レオンハルト・ヴァルディス。
この少年こそ、ゲーム終盤で主人公たちの前に立ちはだかる、最強の敵だった。
◇◆◇
「……落ち着け。とりあえず整理しよう」
ベッドに腰掛け、深呼吸する。
まず、俺は死んだ。
おそらく間違いない。
そして今、ゲームの世界にいる。
しかも、よりによって悪役公爵令息レオンハルトとして。
「いや、転生するなら普通は勇者とかじゃないのか……?」
思わず頭を抱える。
もっとも、レオンハルトは決して弱いキャラクターではなかった。
むしろ、強すぎた。
ゲーム本編において、勇者アルベルトは最後までレオンハルトとの一騎打ちに勝てなかった。
剣術では圧倒され、魔法では相殺すらできず、身体能力でも大きく劣っていた。
では、どうやって倒したのか。
答えは単純だ。
数の暴力。
王国軍、教会騎士団、各地の諸侯軍。
その総数、実に六万。
さらに古代兵器、対魔法結界、魔力封鎖陣、そして味方を装った者たちによる裏切り。
ありとあらゆる手段を用いて、レオンハルトを追い詰めた。
それでも、彼は三日三晩戦い続けた。
数千の兵を退け、幾人もの将軍を討ち、勇者一行を何度も壊滅寸前まで追い込んだ。
最後は魔力を使い果たし、全身に無数の傷を負いながら、それでも剣を手放さなかった。
ゲームをプレイしていた当時、俺は思ったものだ。
――これ、勇者側の方が悪役じゃねえか?
そして今、そのレオンハルトになっている。
「……冗談じゃないぞ」
ゲームの記憶が正しければ、レオンハルトが死ぬのは十七歳。
現在は十五歳。
つまり、あと二年ほどで俺は六万の軍勢に殺される運命にある。
「二回も死んでたまるかよ……」
そう呟いた瞬間だった。
不意に、もう一つの記憶が浮かび上がる。
戦場。
炎。
血に染まった大地。
そして、自分の前に立ちはだかる銀髪の少女。
『レオンハルト様……どうか、お逃げください』
少女は泣いていた。
『私が、必ずお守りいたします』
その直後、無数の槍が彼女の身体を貫く。
「――っ!」
思わず胸を押さえた。
今のは、ゲームの映像ではない。
もっと生々しい。
まるで、自分自身が経験した記憶のようだった。
「……エレノア」
専属メイド兼護衛騎士。
エレノア・シルヴェイン。
レオンハルトが最後まで信頼し、そして最後まで彼を裏切らなかった少女。
原作では、彼女も命を落としていた。
しかも、レオンハルトを庇って。
「……そうか」
俺はゆっくりと目を閉じた。
ようやく理解した。
俺は、単にレオンハルトの身体を乗っ取ったわけではない。
彼の記憶も、経験も、感情も。
すべてが自分の中にある。
レオンハルトの人生が、今では俺自身の人生になっていた。
ただし、考え方の中心にあるのは、あくまで日本で生きてきた俺の感覚だ。
だからこそ、思う。
「……お前、よく一人で抱え込んだな」
誰に向けたわけでもない言葉。
だが、不思議と胸が軽くなった。
元婚約者への怒りは確かにある。
自分を陥れた連中への憎しみもある。
けれど、それだけに人生を費やすつもりはない。
俺には、俺のやりたいことがある。
美味いものを食べたい。
面白い場所に行きたい。
気の合う仲間と笑って過ごしたい。
そして、できることなら――。
「……今度は、誰も死なせたくないな」
少なくとも、俺を信じてくれる人間くらいは守りたい。
そのときだった。
――ピシッ。
何かが割れるような音が、頭の中に響いた。
◇◆◇
『魂魄融合を確認』
「……は?」
突然、無機質な声が聞こえた。
『異界の魂と現世の魂が完全融合しました』
『魂魄の再構築を開始します』
『既存能力との適合を確認』
『神級領域への到達を確認』
「ちょっと待て。何が始まった?」
当然、返事はない。
代わりに、目の前に半透明の文字が浮かび上がった。
ゲームで見慣れたステータス画面。
だが、表示されている内容は、俺の知るものとは明らかに違っていた。
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【ステータス】
名前:レオンハルト・ヴァルディス
年齢:15歳
種族:人族
身分:ヴァルディス公爵家嫡男
【既存能力】
剣術:極致
身体強化:極致
七属性魔法:全適性
魔力総量:規格外
戦術眼・魔力操作・武術:最高位
【新規覚醒能力】
神級スキル《無限神力》
神力を無限に生成・供給する権能。魔力変換、身体強化、再生、治癒などへの応用が可能。
神級スキル《万有引力》
引力および重力の方向・強度・作用範囲を自在に操作する権能。
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「…………」
しばらく無言で画面を見つめる。
もう一度読む。
さらにもう一度読む。
「……無限?」
無限神力。
神力というのは、この世界の神々が扱うとされる上位エネルギーだ。
ゲームでは、古代の神殿や神話級装備の説明文にしか登場しなかった。
人間が使えるようなものではない。
それが、無限。
「いやいやいや……」
試しに右手を持ち上げ、意識を集中させる。
すると、身体の奥から温かな力が湧き上がってきた。
途方もない力。
まるで身体の中に太陽があるかのようだった。
だが、不思議と苦しくはない。
むしろ、呼吸するより自然に扱える。
「……これが神力か」
指先に小さな光が灯る。
白銀色の輝き。
ほんの少し意識を強めるだけで、光は一瞬にして拳ほどの大きさになった。
「おっと」
慌てて力を抑える。
危ない。
これ、下手に使ったら屋敷ごと吹き飛ばすんじゃないか?
続いて、もう一つの能力を試してみる。
「万有引力……か」
部屋の隅に置かれた銀の燭台を見つめる。
こちらに来い。
そう念じた瞬間。
――ヒュンッ!
「うおっ!?」
燭台が猛烈な勢いで飛んできた。
反射的に右手を上げる。
すると、燭台は俺の手前でぴたりと停止した。
空中に浮いたまま、微動だにしない。
「……マジか」
今度はゆっくりと動かしてみる。
右。
左。
上。
下。
思った通りに動く。
さらに重力の向きを変えると、燭台は天井に向かって落ち始めた。
「……落ちる方向まで変えられるのかよ」
思わず笑ってしまった。
これは強い。
いや、強いなんてものじゃない。
原作のレオンハルトは、魔力切れによって敗北した。
だが、無限神力があれば、少なくともエネルギー切れは起こらない。
そして万有引力。
これがあれば、数万の軍勢を相手にしても、そもそも近づかせずに戦える。
もちろん、今すぐすべてを完璧に扱えるとは限らない。
どれほどの範囲に、どれほどの力を同時に作用させられるのか。
そこは試してみなければわからない。
それでも――。
「……これ、原作より遥かに強くなってないか?」
口元が緩む。
だが、その瞬間。
コンコン。
扉を叩く音がした。
「レオンハルト様。お目覚めでいらっしゃいますか?」
澄んだ少女の声。
聞き覚えがあった。
いや、今の俺にとっては、何年も聞き続けてきた声だ。
「……エレノア?」
「はい。お加減はいかがでしょうか?」
その声を聞いた途端、先ほどの光景が脳裏をよぎった。
血に染まった戦場。
俺を庇って倒れる少女。
最後まで微笑もうとしていた、あの顔。
「……入ってくれ」
「失礼いたします」
静かに扉が開く。
現れたのは、銀色の長い髪を後ろでまとめた少女だった。
年齢は十七歳。
透き通るような青い瞳。
整った顔立ちと、凛とした佇まい。
黒と白を基調としたメイド服を身にまとい、腰には細身の剣を佩いている。
エレノア・シルヴェイン。
レオンハルトの専属メイドにして護衛騎士。
そして――。
原作で、最後まで彼を裏切らなかった女性。
「レオンハルト様?」
エレノアが不思議そうに首を傾げる。
「どうかなさいましたか?」
「……いや」
俺は彼女を見つめた。
生きている。
当たり前だ。
まだ原作の事件は起きていないのだから。
それでも、胸の奥から安堵が込み上げてきた。
「エレノア」
「はい」
「いつもありがとうな」
「…………え?」
彼女が固まった。
見事なまでに固まった。
「……エレノア?」
「あ、いえ、その……」
珍しく狼狽している。
頬がほんのりと赤く染まり、青い瞳が揺れていた。
「突然、どうなさったのですか?」
「別に。いつも世話になってるから、礼を言っただけだよ」
「……そう、ですか」
エレノアは俯いた。
その肩が、微かに震えている。
「……懐かしいです」
「ん?」
「昔のレオンハルト様は、よくそうして笑ってくださいました」
彼女は顔を上げた。
その目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。
「……また、そのお顔を拝見できるなんて」
胸が締めつけられる。
元のレオンハルトの記憶が、静かに蘇った。
ヴィオレッタに裏切られた夜。
誰にも会いたくなくて、部屋に閉じこもった自分。
そんな自分の扉の前で、一晩中待っていた少女。
食事を運び、声をかけ、返事がなくても決して離れなかった。
何度冷たく突き放しても、彼女だけは変わらなかった。
――そうか。
この子は、ずっと待っていたんだな。
「……悪かったな、エレノア」
「え?」
「今まで、ずいぶん心配かけただろ」
「そ、そのようなことは……!」
エレノアは慌てて首を振る。
「私は、レオンハルト様にお仕えできるだけで幸せですから」
「それでもだよ」
俺は小さく笑った。
「これからは、もう少し気楽にやろうと思う」
「……気楽に、ですか?」
「ああ。せっかく生きてるんだ。楽しまなきゃ損だろ?」
彼女は目を丸くした。
そして、しばらくしてから――。
「……ふふっ」
小さく笑った。
「本当に、今日は不思議なことばかりおっしゃいますね」
「そうか?」
「はい。でも……」
エレノアは胸元に手を添え、柔らかく微笑んだ。
「私は、今のレオンハルト様も大好きです」
「……っ」
今度は俺が固まる番だった。
いや、待て。
大好きって。
そんな真正面から言われると、さすがに照れるんだが。
ゲームの中では冷静沈着な悪役だったはずなのに。
中身が日本人になっただけで、この有様である。
「……そ、そうか。ありがとう」
「はい!」
エレノアは嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見て、俺は心の中で決めた。
――今度は絶対に死なせない。
彼女だけじゃない。
俺を信じてくれる家臣たちも。
この領地で暮らす人々も。
守れるものは、すべて守ってみせる。
そして、俺を殺そうとする連中には――。
相応の報いを受けてもらおう。
◇◆◇
「ところで、レオンハルト様」
「ん?」
「本日のご予定ですが、王立学院より招待状が届いております」
「……王立学院?」
「はい。来月の入学に先立ち、王都にて新入生の顔合わせが行われるそうです」
その言葉に、俺はぴたりと動きを止めた。
王立学院。
ゲーム『エターナル・レガリア』の物語が本格的に始まる場所。
勇者アルベルト。
第一王女セレスティア。
女騎士アリシア。
聖女エリシア。
そして、数多くの攻略対象ヒロインたち。
彼らが出会い、運命を交錯させる舞台。
「……そうか。もうそんな時期か」
思わず呟く。
記憶が正しければ、学院入学前に一つの事件が起こる。
第一王女セレスティア・ルミナスの馬車襲撃事件。
原作では、王都へ向かう彼女の馬車が盗賊団に襲われる。
護衛騎士たちは倒され、王女自身も重傷を負う。
そこへ偶然通りかかった勇者アルベルトが現れ、彼女を救う。
それが二人の出会い。
そして、原作メインヒロインの恋愛ルートが始まるきっかけだった。
だが――。
「……あれ?」
ふと、違和感を覚える。
ゲームの終盤で明かされた、ある情報。
王女を襲った盗賊団。
その背後にいた人物。
確か、あれは――。
「……アルベルト自身が仕組んだ事件だったな」
「レオンハルト様?」
「ああ、いや。何でもない」
エレノアに笑いかけながら、頭の中で日付を確認する。
今日は王国暦八百二十一年、春月の十二日。
王女襲撃事件が起こるのは、春月の十五日。
つまり――。
「……三日後か」
俺は窓の外を見た。
澄み渡る青空。
遠くに広がるヴァルディス領の街並み。
その向こうには、王都へと続く街道がある。
原作では、レオンハルトはこの事件に関与しなかった。
その結果、セレスティアは勇者に救われ、やがてレオンハルトを敵視するようになる。
だが、今は違う。
俺は事件が起こることを知っている。
犯人も知っている。
そして、それを阻止するだけの力がある。
「……だったら、答えは一つだよな」
思わず笑みが零れた。
エレノアが首を傾げる。
「レオンハルト様?」
「エレノア。三日後の予定を空けておいてくれ」
「三日後、でございますか?」
「ああ。少し出かけたい場所がある」
「かしこまりました。護衛の手配をいたします」
「いや、護衛は必要ない」
「……ですが」
「お前が一緒に来てくれれば十分だよ」
その言葉に、エレノアは一瞬だけ目を見開いた。
そして、嬉しそうに微笑む。
「……はい。どこまでも、お供いたします」
俺は再び窓の外へ視線を向けた。
原作では、悪役レオンハルトはすべてを失って死んだ。
だが、そんな未来を受け入れるつもりはない。
勇者が正義?
悪役は必ず滅びる?
そんなもの、知ったことか。
この世界はもう、画面の向こうにあるゲームじゃない。
俺たちが生きている、現実なのだから。
「……さて」
口元を吊り上げる。
「まずは、勇者様の初仕事を台無しにしてやるか」
こうして――。
本来ならば世界中から憎まれ、数万の軍勢によって討たれるはずだった悪役公爵令息。
レオンハルト・ヴァルディスの、二度目の人生が始まった。
そしてこの日を境に、世界の運命は大きく狂い始める。




