第180話 黒獅子と七星――北西の村を守る親子
グランフェル要塞、北西街道。
朝靄の残る丘陵地帯を、二騎の馬が駆け抜けていた。
一人は漆黒の外套をまとった壮年の騎士。
ヴァルディス公爵家当主、アルフォンス・ヴァルディス。
《黒獅子》の異名を持つ、王国最強の剣士の一人。
そして、もう一人。
黒髪に七色の魔力を宿す少年。
レオンハルト・ヴァルディス。
俺は馬上から、遠方の森を見つめていた。
「……父上。敵の反応が増えています」
「数は?」
「およそ千二百。三つの部隊に分かれて移動しています」
父上は静かに頷いた。
「……やはり、集落を包囲するつもりか」
俺は魔力探知をさらに広げた。
森の向こうには、小さな村がある。
村の周囲には、まだ避難しきれていない住民たちが集まっていた。
数は、百五十名ほど。
老人や子供も多い。
「……急ぎましょう」
「ああ」
父上は手綱を引いた。
黒獅子の外套が、朝風に大きく翻る。
「レオン。今日は、お前と私で村を守る」
「はい!」
俺は力強く頷いた。
* * *
北西の村、ハルディア。
村の広場には、避難を待つ住民たちが集まっていた。
王国軍の護衛兵は、わずか四十名。
彼らは必死に馬車を準備し、老人や子供たちを乗せている。
「急げ!」
護衛隊長が叫ぶ。
「帝国軍が近づいている!」
そのとき。
森の奥から、無数の足音が響いた。
帝国軍の歩兵部隊が、村の入口へ姿を現す。
その数、約四百。
指揮官は馬上から村を見下ろした。
「……ここか」
男は冷たく笑った。
「食料と家畜を確保しろ。抵抗する者は斬り捨てろ」
兵士たちが、一斉に動き出した。
王国軍の護衛兵たちが、剣を抜く。
「……ここから先へは通さん!」
護衛隊長が叫んだ。
だが、帝国軍の指揮官は笑った。
「四十名で、我々を止めるつもりか?」
その瞬間。
空気が震えた。
森の奥から、低く重い声が響く。
「――そこまでだ」
帝国軍の兵士たちが振り返った。
丘の上に、一人の男が立っていた。
漆黒の外套。
鋭い眼差し。
そして、腰に下げた巨大な剣。
アルフォンス・ヴァルディス。
黒獅子が、戦場へ現れた。
* * *
「……なっ!?」
帝国軍の指揮官が、顔を青ざめさせた。
「……黒獅子!?」
父上は、静かに剣を抜いた。
「王国の民へ手を出すことは、許さん」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
だが。
周囲の空気が、明らかに変わった。
圧倒的な威圧感。
まるで巨大な獅子が、獲物を見据えているかのようだった。
帝国兵たちが、思わず後退する。
「……レオン」
父上が静かに言った。
「村の住民を守れ」
「はい!」
俺は右手を掲げた。
「――《七彩神星陣》!」
七色の魔法陣が、村全体を覆った。
光の結界が住民たちを包み込み、外部からの攻撃を遮断する。
同時に、大地が盛り上がり、村へ続く道を塞いだ。
「……何だ、これは!?」
帝国兵たちが叫ぶ。
俺は静かに答えた。
「……これ以上、村へは入れません」
* * *
帝国軍の指揮官は、歯を食いしばった。
「……構うな!」
剣を掲げる。
「全軍、突撃!」
帝国兵たちが、一斉に動き出した。
だが。
父上は、静かに一歩踏み出した。
「……愚かな」
漆黒の魔力が、剣へ集まる。
「――《黒獅子烈破》!」
次の瞬間。
巨大な黒い斬撃が、地面を駆け抜けた。
帝国軍の先頭部隊が、まとめて吹き飛ばされる。
大地が裂け、衝撃波が森の入口を薙ぎ払った。
「ぐあああっ!」
帝国兵たちが、次々と倒れる。
父上は、さらに踏み込んだ。
その動きは、速すぎて目で追えない。
一閃。
二閃。
三閃。
帝国兵たちの武器が砕け、鎧が裂ける。
なおも斬りかかる兵士たちは、黒獅子の剣によって次々と倒された。
だが、武器を捨てた者には、それ以上攻撃しなかった。
俺は、その姿を見つめていた。
……これが、父上の戦い方。
迷いがない。
だが、無闇に命を奪っているわけでもない。
必要な相手だけを、確実に止めている。
その姿が、俺には強く印象に残った。
* * *
そのとき。
森の反対側から、帝国軍の別働隊が現れた。
数は、約五百。
村の裏手へ回り込み、避難路を塞ごうとしている。
「……レオン!」
父上が叫ぶ。
「裏手を頼む!」
「はい!」
俺は転移魔法を発動した。
次の瞬間。
村の裏手へ移動していた。
帝国軍の騎兵たちが、馬車へ迫っている。
「……止まれ!」
俺は右手を掲げた。
「――《大地封鎖》!」
巨大な岩壁が、騎兵の進路を塞いだ。
馬たちが驚き、足を止める。
俺は続けて魔法を発動した。
「――《雷鎖封縛》!」
雷の鎖が騎兵たちの武器を弾き飛ばし、身体を拘束する。
だが。
一人の帝国兵が、馬車へ向かって弓を引いた。
その先には、幼い子供が座っている。
俺の瞳が、鋭く光った。
「……やめろ」
帝国兵は、矢を放った。
俺は即座に風魔法を発動し、矢を吹き飛ばす。
そして、次の瞬間。
雷の槍が、帝国兵の肩を貫いた。
「ぐあっ!」
兵士は地面へ倒れた。
俺は、その姿を見つめた。
……殺さずに済んだ。
だが、もし間に合わなかったなら。
俺は、迷わず致命の一撃を放っていただろう。
その覚悟は、既に胸の中にあった。
* * *
戦闘開始から、わずか三十分。
帝国軍の先頭部隊と別働隊は、完全に制圧されていた。
残る帝国軍も、王国軍の増援が到着したことで撤退を始めている。
村の住民百五十名は、全員無事だった。
俺は、安堵の息を吐いた。
「……よかった」
父上が隣へ歩いてきた。
「よくやった、レオン」
「ありがとうございます」
俺は微笑んだ。
父上は、村の住民たちを見つめた。
「……これが、守るということだ」
俺は頷いた。
「……はい」
そのとき。
遠方の丘の上に、深紅の鎧をまとった少女が現れた。
長い赤髪。
黄金の瞳。
そして、腰に下げた美しい剣。
ヴァレリア・ローゼンベルク。
帝国軍の若き女将軍だった。
彼女は、村の惨状を見つめていた。
そして。
静かに呟いた。
「……間に合わなかったか」
その声には、深い悔しさが滲んでいた。
* * *
ヴァレリアは、馬から降りた。
そして、ゆっくりと俺たちへ歩み寄ってきた。
王国軍の騎士たちが、剣を構える。
「……帝国軍の将軍だ!」
だが、俺は右手を掲げた。
「……待ってください」
騎士たちが、動きを止める。
俺は、ヴァレリアを見つめた。
「……ヴァレリアさん」
彼女は、静かに頷いた。
「……レオンハルト」
そして、父上へ視線を向けた。
「……黒獅子、アルフォンス・ヴァルディス殿」
父上は静かに頷いた。
「……ローゼンベルク将軍か」
ヴァレリアは、深く頭を下げた。
「……今回の作戦について、帝国軍の将軍として謝罪する」
王国軍の騎士たちが、驚いた顔をした。
俺も、少しだけ目を見開いた。
ヴァレリアは続けた。
「民間人を狙う命令が下されたと知り、止めようとした。だが、間に合わなかった」
父上は、しばらく彼女を見つめていた。
そして、静かに口を開いた。
「……謝罪だけでは、失われた命は戻らん」
ヴァレリアは頷いた。
「……分かっている」
父上は続けた。
「だが、今回の村では民間人に死者は出ていない」
ヴァレリアの瞳が、わずかに揺れた。
「……そうか」
俺は静かに頷いた。
「……はい。全員、無事です」
ヴァレリアは、深く息を吐いた。
「……よかった」
その言葉は、心からのものに聞こえた。
だが。
戦争は、まだ終わっていない。
そして。
この出会いが、帝国軍の内部に大きな波紋を広げることになる。




