第176話 七星の反撃――帝国軍の包囲網を砕け
グランフェル要塞に、朝日が差し込んでいた。
城壁の上では、王国軍の兵士たちが交代の準備を進めている。
王都から到着した援軍によって、連日の戦闘で疲弊していた守備兵たちは、ようやくまとまった休息を取れるようになっていた。
だが、戦争そのものが終わったわけではない。
西の平原には、なお数万の帝国軍が陣を構えている。
俺は作戦室の地図を見つめていた。
その周囲には、父上、母上、叔父上、そしてイザベラ伯母様が集まっている。
「帝国軍は、正面からの総攻撃を控えるようになりました」
王国軍の参謀が報告した。
「しかし、補給路への襲撃や避難民への妨害は続いております」
父上は静かに頷いた。
「正面から勝てないと判断し、我々の継戦能力を削るつもりか」
「そのようです」
叔父上が鼻を鳴らした。
「ったく。懲りねえ連中だな」
伯母様が地図の北東を指した。
「問題は、敵の部隊が森や丘陵地帯へ分散していることですわ。発見するたびに追い払っていては、こちらの兵士たちが休めません」
母上も頷いた。
「要塞の周囲を守るだけでは、いつまでも戦いが続いてしまいますね」
俺は地図を見つめた。
赤い駒が、各地に散らばっている。
帝国軍の別働隊。
補給拠点。
前進基地。
そして、それらをつなぐ連絡路。
……なるほど。
俺は顔を上げた。
「父上」
「何だ、レオン?」
「敵の小部隊を一つずつ追い払うのではなく、そもそも動けなくしてしまうのはどうでしょうか?」
父上の目が細くなる。
「……詳しく聞こう」
俺は地図の上に指を置いた。
「帝国軍が補給路を襲撃できるのは、前線の各拠点から兵を送り出せるからです」
「そうだな」
「ならば、拠点同士の連絡を断ち、武器と物資を押さえれば、襲撃を続けることは難しくなります」
参謀たちが顔を見合わせた。
「しかし、レオンハルト様。敵の拠点は広範囲に分散しています」
「分かっています」
俺は頷いた。
「だからこそ、俺が行きます」
作戦室が静まり返った。
父上が、俺をじっと見つめた。
「……レオン」
「はい」
「昨日のことを、もう整理できたのか?」
俺は少しだけ目を伏せた。
北東の村。
人質に取られた少女。
そして、俺が初めて自分の意思で命を奪った帝国兵。
忘れられるはずがない。
「……整理できたとは、言えません」
俺は正直に答えた。
「でも、何もしなければ、また誰かが傷つきます」
父上は黙って聞いていた。
「俺は、敵を殺すために戦いたいわけじゃありません」
俺は地図を見つめた。
「……戦争を終わらせるために、戦いたいんです」
しばらくの沈黙。
やがて、父上が頷いた。
「よし。お前の案を採用する」
叔父上が豪快に笑った。
「ははっ! 面白くなってきたじゃねえか!」
母上は、俺を優しく見つめていた。
「ただし、レオン」
「はい」
「あなた一人ですべてを抱え込まないこと」
俺は微笑んだ。
「分かっています、母上」
* * *
帝国軍、北東前進基地。
丘陵地帯の奥に築かれたその基地には、約三千の兵士が駐屯していた。
食料。
矢。
魔石。
攻城用の資材。
周辺の別働隊へ物資を供給する、重要な拠点だった。
基地の指揮官は、天幕の中で報告書を読んでいた。
「……補給物資は予定どおり届いたか?」
「はい。明朝には南方の別働隊へ発送できます」
「よし」
指揮官は満足げに頷いた。
「王国軍は要塞の防衛に手一杯だ。我々の拠点まで攻撃する余裕はあるまい」
その瞬間。
天幕の外から、兵士の叫び声が聞こえた。
「敵襲!」
「……何!?」
指揮官は立ち上がった。
「敵の数は!?」
伝令が飛び込んでくる。
「……ひ、一人です!」
指揮官は目を見開いた。
「……一人?」
* * *
俺は、帝国軍の基地を見下ろしていた。
周囲には木製の柵。
見張り塔。
そして、兵士たちが詰める天幕が並んでいる。
魔力探知で確認した人数は、約三千。
その中には、負傷兵や補給担当者も含まれている。
俺は静かに息を吐いた。
「……まずは、武器と補給物資を分離しよう」
右手を掲げる。
「――《大地封鎖》」
巨大な岩壁が、基地の外周に沿って出現した。
地面が震え、兵士たちが叫ぶ。
「何だ!?」
「地面が動いている!」
俺は続けて魔法を発動した。
「――《風王結界》」
強烈な風が基地の上空を覆い、外部との伝令魔法を妨害する。
さらに、闇属性の魔法を展開する。
「――《魔力封印陣》」
魔導兵たちの杖が、次々と光を失った。
「……魔法が使えない!?」
基地全体が混乱に包まれる。
俺は、その中心へ転移した。
「帝国軍の皆さん!」
魔力を乗せた声が、基地全体へ響く。
「これ以上の戦闘は、無意味です。武器を捨ててください」
指揮官が怒鳴った。
「ふざけるな! たった一人に降伏できるか!」
兵士たちが剣を抜いた。
俺は静かに右手を掲げた。
「……では、動けなくなってもらいます」
七色の魔法陣が、足元へ広がる。
「――《七彩神星陣》!」
水の鎖が兵士たちの手足を拘束する。
雷が武器を弾き飛ばす。
大地が盛り上がり、騎兵の進路を塞ぐ。
風が矢を吹き飛ばす。
数百の兵士が、一瞬で動きを封じられた。
指揮官は、顔を青ざめさせた。
「……化け物め……!」
俺は静かに答えた。
「……これ以上、戦う必要はありません」
そのとき。
後方から、一人の帝国兵が槍を構えて突撃してきた。
「うおおおっ!」
俺は、振り返った。
槍の穂先が、目前へ迫る。
だが。
俺は迷わず、魔法を発動した。
「――《雷鎖封縛》」
雷の鎖が帝国兵を拘束し、槍を弾き飛ばした。
兵士は地面へ倒れた。
俺は、その姿を見つめた。
……殺さずに済むなら、それでいい。
だが。
もし、あの槍が俺ではなく、無防備な王国兵へ向けられていたなら。
俺は、必要な判断を下さなければならない。
その覚悟を、もう忘れるつもりはなかった。
* * *
一時間後。
帝国軍北東前進基地は、完全に制圧されていた。
武器はすべて回収され、魔導兵の杖も封印されている。
補給物資は王国軍の管理下に置かれた。
そして、三千名の帝国兵は、武装解除されたうえで捕虜となった。
今回は、前回のような失敗を繰り返さない。
俺は事前に王国軍の収容部隊と連携し、捕虜の移送経路まで確保していた。
さらに、魔法による拘束は、収容が完了するまで維持する。
「……これで、よし」
俺は静かに息を吐いた。
護衛隊長が驚いた顔で俺を見つめていた。
「……レオンハルト様」
「はい?」
「三千名を、一人で制圧するとは……」
俺は苦笑した。
「……少し、やりすぎましたかね?」
護衛隊長は首を横に振った。
「とんでもありません!」
そして、深く頭を下げた。
「これで、東方補給路への襲撃は大きく減るでしょう!」
俺は静かに頷いた。
……よかった。
少なくとも、今日は誰も死なずに済んだ。
だが。
これで戦争が終わるわけではない。
俺は、遠方の帝国軍本陣を見つめた。
* * *
夕刻。
グランフェル要塞。
俺の報告を聞いた叔父上は、豪快に笑った。
「はははっ! 三千を一人で制圧か!」
父上も満足げに頷いた。
「よくやった、レオン」
母上は優しく微笑んだ。
「今回は、捕虜の移送まできちんと考えたのですね」
「はい」
俺は頷いた。
「同じ失敗は、繰り返したくありませんから」
伯母様も静かに微笑んだ。
「立派ですわ」
だが、父上は続けた。
「……レオン」
「はい」
「これで、帝国軍は大きく動くだろう」
俺は顔を上げた。
「……どういうことですか?」
「補給拠点を失えば、敵は前線の維持が難しくなる」
父上は地図を見つめた。
「そして、追い詰められた軍ほど、予想外の行動を取ることがある」
俺は静かに頷いた。
「……分かりました」
その夜。
帝国軍総司令部では、北東前進基地の陥落が報告されていた。
総司令官は、怒りに顔を歪めた。
「……三千が、たった一人に!?」
参謀は震える声で答えた。
「はい。しかも、ほぼ全員が捕虜となった模様です」
「……馬鹿な……!」
総司令官は机を叩いた。
「……七星の公爵令息め!」
その名が、帝国軍全体へ広がり始めていた。
黒狼でもない。
黒獅子でもない。
白銀の女帝でも、銀月の魔女でもない。
新たな怪物が、戦場に現れたのだ。
そして。
その報告を、深紅の鎧をまとった一人の少女も聞いていた。
ヴァレリア・ローゼンベルク。
帝国軍の若き女将軍。
彼女は静かに呟いた。
「……レオンハルト・ヴァルディス」
その瞳に、強い興味が宿る。
「……やはり、一度会ってみたいものだな」




