第174話 優しさを狙う刃――北東の村の罠
グランフェル要塞の北東。
街道から少し外れた丘陵地帯に、リーベル村という小さな村があった。
既に住民の大半は避難していたが、今は周辺の集落から逃れてきた人々の一時集結地点となっている。
老人や子供を中心に、およそ四百名。
彼らを守る王国兵は、わずか六十名だった。
要塞からはそれほど遠くない。
だが、森と丘に囲まれた地形は、外部からの視界を遮っている。
そして今。
その村へ、帝国軍の別働隊が迫っていた。
* * *
帝国軍総司令部。
「……作戦は予定どおり進んでいるか?」
総司令官の問いに、参謀が頷いた。
「はい。北東方面へ、歩兵と騎兵を合わせて二千名を送り込みました」
「よし」
総司令官は地図を見つめた。
「黒獅子と黒狼は正面に引きつける。銀月の魔女と白銀の女帝には、別方面で魔導部隊を動かして警戒させろ」
「……しかし、閣下」
参謀はためらった。
「避難民のいる村を攻撃するとなれば、帝国軍の名誉にも関わります」
総司令官は冷たく笑った。
「勝者が歴史を書く」
「……」
「それに、村を焼き払えと言っているわけではない。人質として確保するだけだ」
彼は地図の上に指を置いた。
「七星の公爵令息は、敵兵すら殺さずに制圧しようとするそうだな」
「はい」
「ならば、避難民と我が兵が入り乱れる状況を作れ」
参謀の顔色が変わった。
「……まさか」
「奴が躊躇している間に、こちらは目的を達成する」
総司令官の口元が歪んだ。
「強大な魔力も、使えなければ意味がない」
* * *
同じ頃。
グランフェル要塞では、俺が父上から新たな任務を受けていた。
「レオン。北東のリーベル村へ向かってくれ」
「避難民の集結地点ですね」
「ああ」
父上は地図を指した。
「帝国軍の別働隊が動いている。狙いは、村にいる避難民の可能性が高い」
俺は眉をひそめた。
「……また、民間人を狙うんですか」
「残念ながらな」
父上の声は低かった。
「私とレオナードは、正面の帝国軍を牽制する。エレオノーラとイザベラは、要塞周辺の広域防御を維持する」
「……分かりました」
俺は頷いた。
「村の人たちは、必ず守ります」
父上は俺を見つめた。
「レオン」
「はい」
「昨日の話を覚えているな?」
俺は静かに頷いた。
「……はい」
殺さずに済むなら、殺さなくていい。
だが。
殺さなければ守れない命があるなら、迷ってはならない。
叔父上の言葉が、頭に浮かんだ。
「……分かっています」
父上は、俺の肩に手を置いた。
「お前の判断を信じている」
その言葉に、俺は力強く頷いた。
「はい!」
* * *
リーベル村。
俺が到着したとき、村は既に緊迫した空気に包まれていた。
避難民たちは、荷物を抱えて広場へ集まっている。
子供の泣き声。
老人の咳。
そして、必死に避難を誘導する王国兵たち。
「レオンハルト様!」
村の護衛隊長が駆け寄ってきた。
「お待ちしておりました!」
「状況は?」
「北方の森に敵兵の姿が確認されています。数は不明ですが、かなりの規模です」
俺は魔力探知を広げた。
……いる。
森の中に、およそ二千の反応。
しかも、複数の方向から村を包囲しようとしている。
「……二千人ほどですね」
護衛隊長が息を呑んだ。
「に、二千!?」
「大丈夫です」
俺は静かに答えた。
「俺が対処します」
そして、村の外へ歩き出した。
* * *
森の入口。
帝国軍の先頭部隊が姿を現した。
重装歩兵。
弓兵。
そして、騎兵。
その数は、数百。
後方には、さらに多くの兵士たちが控えている。
俺は右手を掲げた。
「……ここから先へは、進まないでください」
帝国軍の指揮官が馬上から俺を見下ろした。
「……お前が、七星の公爵令息か」
「そうです」
俺は静かに答えた。
「武器を捨てて、撤退してください」
指揮官は笑った。
「……なるほど。噂どおり、甘い少年だ」
俺は眉をひそめた。
「……何?」
「お前は、敵を殺さないそうだな」
その言葉に、胸がざわついた。
指揮官は剣を掲げた。
「ならば、試してやろう!」
次の瞬間。
帝国軍が一斉に動き出した。
だが。
俺は即座に魔法を発動した。
「――《七彩神星陣》!」
七色の魔法陣が、森の入口を覆う。
大地が盛り上がり、騎兵の進路を塞ぐ。
風が弓兵の矢を吹き飛ばす。
水の鎖が兵士たちの手足を拘束する。
雷が武器を弾き飛ばす。
わずか数秒。
帝国軍の先頭部隊は、完全に制圧された。
俺は静かに告げた。
「……これ以上、戦う必要はありません」
だが。
その瞬間だった。
村の方角から、悲鳴が聞こえた。
「きゃあああっ!」
俺は振り返った。
「……っ!?」
村の南側。
森の奥から、別の帝国軍部隊が現れていた。
俺が正面の敵を制圧している間に、別働隊が村へ侵入していたのだ。
* * *
村の広場。
帝国兵たちが、避難民を取り囲んでいた。
子供たちが泣き叫ぶ。
老人たちは震えながら身を寄せ合っている。
王国兵たちは必死に抵抗していたが、数で押されていた。
「……くそっ!」
護衛隊長が叫ぶ。
「避難民を守れ!」
その瞬間。
一人の帝国兵が、幼い少女の腕を掴んだ。
「……離して!」
少女が泣き叫ぶ。
母親が必死に駆け寄ろうとする。
だが、帝国兵は剣を少女の首元へ突きつけた。
「動くな!」
母親が、その場に崩れ落ちた。
「……お願いです! 娘だけは……!」
俺は、その光景を見た。
胸の奥が、冷たくなる。
「……やめろ」
声が漏れた。
俺は転移魔法を発動した。
次の瞬間。
少女の前に立っていた。
「……その子を、離してください」
帝国兵が驚いた顔をした。
「……なっ!?」
俺は静かに右手を掲げた。
「……今なら、まだ間に合います」
だが、帝国兵は笑った。
「……お前、殺せないんだろ?」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
帝国兵は剣をさらに少女の首へ近づけた。
「だったら、何もできねえよな!」
少女が泣き叫ぶ。
「……お母さん……!」
俺は拳を握りしめた。
……どうする。
魔法で拘束するか。
剣を弾き飛ばすか。
転移で少女を救い出すか。
俺には、いくつもの選択肢がある。
だが。
そのどれかを選ぶ一瞬の間に、帝国兵が剣を動かせば。
少女は、死ぬ。
俺は、初めて理解した。
圧倒的な力があっても。
相手が命を奪う決意をしているなら。
こちらが迷っている時間そのものが、危険になる。
帝国兵が笑った。
「……どうした、化け物?」
その瞬間。
少女の首元で、剣が動いた。
俺の瞳が、七色に輝いた。
そして。
俺は、初めて自分の意思で決断した。
「……その子には、触れさせない」
右手に、黒い魔力が集まる。
漆黒の刃が、静かに形を成した。
帝国兵の笑みが、消えた。
俺は、剣を振り抜いた。




