第171話 七星の初陣――殺さずに勝つという選択
グランフェル要塞に援軍が到着した翌朝。
西の平原には、薄い霧が漂っていた。
城壁の上に立つ俺の隣では、父上が帝国軍の陣地を見つめている。
アルフォンス・ヴァルディス。
《黒獅子》の異名を持つ、王国最強の剣士の一人。
その父上が、今朝はいつも以上に厳しい表情をしていた。
「レオン。今日からお前にも、実際の戦闘に参加してもらう」
「はい」
俺は頷いた。
昨日、要塞に到着してから、負傷者の治療を続けていた。
俺の光魔法によって、多くの兵士が回復した。
だが、治せなかった者もいる。
既に命を落としていた者たちだ。
その事実が、今も胸の奥に残っている。
「ただし、最初から敵の本陣へ突っ込むことは許さん」
父上が続けた。
「お前には、東方補給路の護衛を任せる」
「補給路、ですか?」
「ああ。昨日までの戦いで、帝国軍は我が軍の補給を断とうとしている」
父上は地図を広げた。
東方街道。
要塞へ食料と医薬品を運ぶ重要な輸送路だ。
「今日も輸送隊が到着する予定だ。だが、帝国軍の残存騎兵が周辺に潜んでいる」
「……なるほど」
「お前には、輸送隊を無事に要塞へ送り届けてもらう」
俺は頷いた。
「分かりました」
すると、父上が俺の肩に手を置いた。
「レオン」
「はい」
「敵を倒すことより、何を守るために戦うのかを忘れるな」
俺は真剣に答えた。
「はい、父上」
* * *
東方街道。
俺は王国軍の騎士二百名とともに、輸送隊の護衛に当たっていた。
馬車は全部で八十台。
食料。
医薬品。
武器。
そして、負傷兵を後方へ運ぶための空の荷馬車。
どれも、要塞を守るためには欠かせないものだった。
「レオンハルト様」
護衛隊長の騎士が声をかけてきた。
「前方の森に、敵の気配があります」
「……分かっています」
俺は静かに頷いた。
魔力探知を広げる。
森の中に、複数の反応。
数は、およそ五百。
帝国軍の騎兵と歩兵が混在している。
「……五百人ほどですね」
護衛隊長が驚いた顔をした。
「そこまで分かるのですか?」
「はい」
俺は微笑んだ。
「大丈夫です。俺が対処します」
そして、馬から降りた。
* * *
森の奥。
帝国軍の指揮官は、王国軍の輸送隊を見つめていた。
「……馬車八十台か」
男は笑った。
「これだけ奪えば、要塞の補給は大きく遅れる」
周囲の兵士たちが頷く。
「しかし、護衛が二百名ほどおります」
「問題ない。我々は五百だ」
指揮官は剣を抜いた。
「一気に襲撃するぞ!」
その瞬間。
森の入口から、一人の少年が歩いてきた。
黒髪の少年。
年齢は十五歳ほど。
その姿を見た帝国兵たちは、顔を見合わせた。
「……何だ、あの子供は?」
少年は静かに口を開いた。
「帝国軍の皆さん」
その声は、驚くほど穏やかだった。
「ここから先へは、進まないでください」
指揮官が眉をひそめる。
「……何?」
「武器を捨てて、撤退してください。そうすれば、こちらから攻撃するつもりはありません」
帝国兵たちは、一瞬だけ呆然とした。
そして、次の瞬間。
「ははははっ!」
笑い声が広がった。
「子供が何を言っている!」
「王国軍は、ついに子供まで戦場へ出してきたのか!」
指揮官は剣を掲げた。
「構うな! 突撃しろ!」
五百の兵士たちが、一斉に動き出した。
だが。
少年――レオンハルトは、静かに右手を掲げた。
「……仕方ありませんね」
その瞳に、七色の光が宿る。
「――《七彩神星陣》」
瞬間。
巨大な魔法陣が、森全体を覆った。
七つの属性が、同時に発動する。
風が騎兵たちの足を止める。
大地が盛り上がり、進路を塞ぐ。
水の鎖が兵士たちの手足を拘束する。
雷が武器だけを弾き飛ばす。
炎が退路の外側へ壁を作る。
光が負傷者の傷を癒やし。
闇が兵士たちの魔力を封じた。
わずか数秒。
帝国軍五百名は、完全に動きを封じられていた。
「……なっ!?」
指揮官が目を見開く。
「何だ、この魔法は!?」
レオンハルトは静かに歩み寄った。
「……もう、戦う必要はありません」
その声には、怒りも憎しみもなかった。
「武器を捨ててください」
帝国兵たちは、震える手で剣を落とした。
* * *
王国軍の護衛隊長は、呆然と立ち尽くしていた。
「……五百名を、たった一人で……」
しかも。
帝国兵のほとんどが、命を落としていない。
武器は奪われ、魔力は封じられ、身体は拘束されている。
だが、致命傷を負った者はいなかった。
「……これが、七星の公爵令息……」
護衛隊長は、思わず呟いた。
レオンハルトは微笑んだ。
「これで、輸送隊は安全に進めますね」
「は、はい!」
護衛隊長は慌てて敬礼した。
「ありがとうございます!」
俺は小さく頷いた。
……よかった。
誰も殺さずに済んだ。
帝国兵たちも、王国兵たちも。
どちらも生きている。
これなら、誰も悲しまなくて済む。
そう思った。
* * *
夕刻。
グランフェル要塞へ、輸送隊が無事に到着した。
食料と医薬品が運び込まれ、兵士たちから歓声が上がる。
「レオンハルト様が、帝国軍五百名を無傷で制圧されたそうです!」
「一人も殺さずに!?」
「さすがは公爵令息様だ!」
俺は少し照れくさくなった。
すると、叔父上が豪快に笑いながら近づいてきた。
「ははっ! やるじゃねえか、レオン!」
「ありがとうございます、叔父上」
「五百を一人で制圧か。しかも全員生かしたんだって?」
「はい」
俺は頷いた。
「できることなら、誰も殺したくありませんから」
叔父上は少しだけ目を細めた。
「……そうか」
その表情は、どこか複雑だった。
「……レオン」
「はい?」
「捕まえた連中は、どうした?」
「魔力を封じて、森に拘束しています。王国軍の後続部隊が来れば、捕虜として連行できるはずです」
叔父上は静かに頷いた。
「……なるほどな」
そして、父上へ視線を向けた。
父上も、何かを考えるように黙っていた。
俺は不思議に思った。
「……何か問題がありましたか?」
叔父上は首を横に振った。
「いや。今日の判断が間違ってたとは言わねえ」
そして、静かに続けた。
「ただな、レオン」
「……はい」
「戦場じゃ、敵を倒したあとも戦いは続くんだ」
俺は、その言葉の意味をまだ理解できなかった。
その夜。
東方の森では、帝国軍の残存部隊が静かに動き始めていた。
そして、レオンハルトの優しさが試される最初の事件が、近づいていた。




