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『悪役公爵令息レオンハルト』  作者: 覇王が好き
第四章 黒獅子の戦旗――七星の公爵令息と帝国戦争

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第170話 黒獅子の戦旗――七星、戦場に立つ

 グランフェル要塞、東方街道。


 夜明けの光が、長く続く街道を黄金色に染めていた。


 その道を、王国軍の騎士団が整然と進んでいる。


 先頭に掲げられたのは、漆黒の獅子を描いた大旗。


 ヴァルディス公爵家の戦旗だった。


 風を受けて大きく翻るその旗は、王国において特別な意味を持っている。


 王国最強の剣士。


 不敗の黒獅子。


 アルフォンス・ヴァルディスが、戦場へ現れた証だった。


 そして、その隣には銀色の髪をなびかせた美しい女性がいる。


《銀月の魔女》エレオノーラ・ヴァルディス。


 王国最高峰の魔導師にして、アルフォンスの妻。


 さらに、二人の少し後ろを進む一人の少年。


 黒髪に整った顔立ち。


 十五歳とは思えないほど落ち着いた眼差し。


 その左手首には、紫色の宝石が埋め込まれた銀の腕輪が輝いていた。


 レオンハルト・ヴァルディス。


 七属性すべてを操り、規格外の力を持つ公爵令息。


 その少年が、初めて本物の戦場へ足を踏み入れようとしていた。


 * * *


「……ここが、グランフェル要塞か」


 俺は馬上から、遠くに見える巨大な城壁を見つめていた。


 王都を出発してから、何度も戦況報告は受けている。


 帝国軍八万による大規模侵攻。


 王国軍一万二千による国境防衛。


 叔父上と伯母上の奮戦。


 そして、両軍に生じた甚大な損害。


 報告書に書かれた数字は、理解していたつもりだった。


 だが、実際に目にした光景は、想像していたものとはまるで違っていた。


 焼け焦げた大地。


 無数の馬蹄の跡。


 砕けた盾や折れた槍。


 街道の脇には、壊れた荷馬車が何台も残されている。


 遠方の平原には、帝国軍の野営地が広がっていた。


「……凄まじいな」


 思わず呟く。


 すると、隣を進んでいた父上が口を開いた。


「これでも、戦いが一段落した後だ」


「……これで、ですか?」


「ああ」


 父上は静かに頷いた。


「レオナードとイザベラが敵の主力を何度も撃退している。二人がいなければ、今頃この街道も帝国軍に占領されていただろう」


 俺は再び要塞を見つめた。


 叔父上と伯母上。


 二人の強さは、よく知っている。


 叔父上の剣技は、父上に匹敵するほど凄まじい。


 伯母上の魔法も、母上と並んで王国最高峰だ。


 そんな二人がいても、戦争は終わっていない。


 その事実が、胸に引っかかった。


「レオン」


 母上が優しく声をかけてきた。


「緊張していますか?」


「……少しだけ」


 俺は苦笑した。


「戦うこと自体は、怖くありません。ただ……」


「ただ?」


「……俺が何をすれば、みんなを守れるのか。それが、まだ分からないんです」


 母上はしばらく俺を見つめていた。


 そして、穏やかに微笑んだ。


「それを考えられることは、大切ですよ」


「母上……」


「ですが、一つだけ覚えておきなさい」


 母上の声が、少しだけ真剣になる。


「戦場では、迷っている間にも時間が流れます。あなたが何かを選ぶまで、敵も味方も待ってはくれません」


 俺は静かに頷いた。


「……はい」


 その言葉の意味を、俺はまだ十分に理解していなかった。


 * * *


 グランフェル要塞。


 城壁の上に立っていた王国兵が、東方街道に現れた軍勢を発見した。


「……あれは?」


 兵士は目を凝らした。


 黒い戦旗。


 銀色の紋章。


 そして、整然と進む王国軍の騎士団。


 次の瞬間。


「援軍だ!」


 兵士が叫んだ。


「王都からの援軍が来たぞ!」


 その声は、瞬く間に要塞全体へ広がっていった。


「黒獅子様だ!」


「アルフォンス公爵閣下が到着された!」


「銀月の魔女様もご一緒だ!」


 兵士たちの間から歓声が上がる。


 疲れ切っていた者たちが、顔を上げた。


 負傷兵を運んでいた騎士が、思わず足を止める。


 炊事場で働いていた兵士たちも、城門の方角へ目を向けた。


 彼らにとって、それは単なる援軍の到着ではなかった。


 戦争が始まって以来、初めて見えた明確な希望だった。


 * * *


 要塞の城門が開く。


 その向こうから、黒い鎧をまとった大柄な男が歩いてきた。


「おおおっ!」


 聞き慣れた豪快な声が響く。


「ようやく来やがったな、アルフォンス!」


 叔父上だ。


《黒狼》レオナード・ヴァルディス。


 父上の弟にして、王国屈指の剣士。


 その鎧には戦いの跡が残っていたが、本人はいつもと変わらず元気そうだった。


 父上は馬から降りると、叔父上へ歩み寄った。


「待たせたな、レオナード」


「まったくだぜ!」


 叔父上は笑いながら、父上の肩を叩いた。


「こっちは毎日、帝国軍の相手で大忙しだったんだからな!」


「報告は聞いている」


 父上は真剣な表情で答えた。


「よく守り抜いてくれた」


 その言葉に、叔父上は一瞬だけ目を細めた。


「……ああ」


 そして、いつもの笑みを浮かべる。


「当然だろ。俺たちの国なんだからよ」


 父上は小さく頷いた。


 二人の間に、それ以上の言葉は必要なかった。


 * * *


 そのとき。


「……エレオノーラ!」


 澄んだ声が響いた。


 城門の奥から、銀色の髪をなびかせた女性が歩いてくる。


 イザベラ・シルヴェイン。


《白銀の女帝》。


 母上の実の姉であり、俺にとっては母方の伯母にあたる人だ。


 その姿を見た瞬間、母上の表情が明るくなった。


「姉様!」


 母上は足早に歩み寄った。


「ご無事で何よりです!」


「ふふっ。心配をかけましたわね」


 伯母上は優しく微笑み、母上を抱き締めた。


「あなたこそ、無事に到着できて安心しました」


「姉様が最前線にいらっしゃるのですもの。心配しないはずがありません」


「あら。私のことを誰だと思っていますの?」


 伯母上は少し得意げに微笑んだ。


「白銀の女帝ですわよ?」


 母上は思わず笑った。


「もう……姉様ったら」


 そのやり取りは、まるで戦場ではなく、家族の屋敷で再会したときのようだった。


 だが、伯母上の瞳には深い疲労とは別の、静かな悲しみが宿っていた。


 母上もそれに気づいたのだろう。


 笑顔を収め、そっと姉の手を握った。


「……大変だったのですね」


「ええ」


 伯母上は小さく頷いた。


「私たちは無事です。でも、守れなかった命もあります」


 母上は何も言わず、その手を握り返した。


 * * *


「おーい、レオン!」


 叔父上が俺を見つけ、大きく手を振った。


「久しぶりじゃねえか!」


「叔父上!」


 俺は馬から降り、駆け寄った。


 叔父上は豪快に笑いながら、俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。


「ははっ! また少し大きくなったか?」


「そんなに変わってませんよ!」


「いやいや、男ってのは戦場に来るだけで顔つきが変わるもんだ!」


 相変わらずの叔父上だった。


 その明るさに、少しだけ緊張が和らぐ。


 すると、伯母上も近づいてきた。


「レオン」


「イザベラ伯母様!」


 伯母上は優しく微笑んだ。


「無事に来られて何よりですわ」


「伯母様も、ご無事でよかったです」


「ふふっ。心配してくれたのですね」


 伯母上は俺の頬にそっと手を添えた。


「でも、ここからはあなたにも頑張っていただくことになります」


 俺は真剣な表情で頷いた。


「はい。俺にできることなら、何でもします」


 その言葉に、伯母上は一瞬だけ目を細めた。


「……何でも、ですか」


「はい」


 伯母上は静かに微笑んだ。


「では、まずは見て、知ってください」


「……何をですか?」


「私たちが、この数日間で守ってきたものを。そして、守れなかったものを」


 その声は、とても優しかった。


 だからこそ、胸に深く響いた。


 * * *


 要塞の内部へ入った瞬間。


 俺は、言葉を失った。


 広場には、無数の天幕が張られていた。


 その中では、負傷した兵士たちが治療を受けている。


 腕を失った騎士。


 足に深い傷を負った兵士。


 顔に包帯を巻いた若者。


 そして、眠るように横たわったまま動かない者たち。


 俺は思わず立ち止まった。


「……これは……」


 叔父上が隣に立った。


「……戦争だ」


 その声には、普段の豪快さがなかった。


「俺たちがどれだけ敵を倒しても、味方が傷つかないわけじゃねえ」


 俺は周囲を見渡した。


 そこにいたのは、ただの兵士ではない。


 一人一人が、誰かの息子であり、父親であり、兄弟だった。


 故郷で帰りを待つ人がいる。


 その人たちの人生が、ここで変わってしまったのだ。


「……治癒魔法を使います」


 俺は反射的に言った。


「俺なら、重傷者も治せるはずです!」


 母上が静かに頷いた。


「ええ。できる限り助けましょう」


 俺はすぐに治療用の天幕へ向かった。


 * * *


 治療天幕。


 俺は両手を掲げた。


「――《神聖治癒》」


 七属性のうち、光の魔力が柔らかな輝きとなって広がる。


 負傷兵たちの身体が、次々と光に包まれた。


 深い傷が塞がり、折れた骨が元の位置へ戻っていく。


 失われかけていた生命力が、少しずつ回復していった。


「……おおっ!」


「傷が……!」


「痛みが消えた!」


 兵士たちが驚きの声を上げる。


 俺は魔力をさらに広げた。


 俺の魔力は、尽きることがない。


 だから、目の前にいる負傷者を治すこと自体は難しくなかった。


 だが。


「……レオン様」


 一人の老兵が、俺に声をかけてきた。


「ありがとうございます」


「いえ。まだ治療が必要な方は――」


「ですが……」


 老兵は、隣の空いた寝台を見つめた。


「……あいつにも、間に合ってほしかった」


 俺は言葉を失った。


「昨日まで、ここで一緒に笑っていたんです」


 老兵は震える声で続けた。


「故郷に帰ったら、娘の結婚式に出るんだって……」


 俺は何も言えなかった。


 治癒魔法は、傷を癒やすことができる。


 だが、既に失われた命を、何事もなかったように取り戻すことはできない。


 どれだけ魔力があっても。


 どれだけ強くても。


 間に合わなければ、救えない命がある。


 その事実が、胸を締めつけた。


 * * *


 夕刻。


 作戦室には、父上、母上、叔父上、伯母上、そして俺が集まっていた。


 王国軍の将校たちが、現在の戦況を報告している。


「帝国軍は開戦時の八万から大きく戦力を減らしました。しかし、なお数万の兵が戦列に残っています」


「王国軍も損害が大きく、守備兵の休息と再編が必要です」


「避難民の保護と補給路の確保が、引き続き最優先となります」


 父上は静かに頷いた。


「分かった。まずは守備兵を交代させる」


 そして、援軍の指揮官へ視線を向ける。


「新たに到着した騎士団は、城壁の防衛を引き継げ。ここまで戦った者たちには、十分な休息を与える」


「はっ!」


 母上が続けた。


「私は医療班と協力し、負傷者の治療を進めます」


 伯母上も頷いた。


「では、私は避難民の保護と結界の再配置を担当しますわ」


 叔父上は大剣を肩に担いだ。


「俺は引き続き、正面を抑えるぜ」


 父上は静かに答えた。


「いや。今度は私も出よう」


 その瞬間、叔父上の目が輝いた。


「……おお!」


 黒狼と黒獅子。


 兄弟であり、王国最強クラスの剣士二人。


 その二人が、同じ戦場に立つ。


 将校たちは息を呑んだ。


 だが、父上は続けた。


「ただし、無闇に敵を追撃するつもりはない。敵の主力を牽制し、補給路と避難路を確保する」


 叔父上は頷いた。


「分かってるって」


 そして、父上が俺へ視線を向けた。


「……レオン」


「はい、父上」


「お前には、まず戦場全体を見てもらいたい」


「……戦場全体、ですか?」


「ああ」


 父上は地図を指した。


「敵を倒すことだけが、戦争ではない」


 その指先が、補給路へ移る。


「食料を届ける者がいる」


 次に、避難民の集結地点。


「民を守る者がいる」


 そして、要塞の城壁。


「命を懸けて時間を稼ぐ者がいる」


 父上は静かに続けた。


「そのすべてが、戦いだ」


 俺は地図を見つめた。


 赤い駒。


 青い駒。


 これまでは、ただの戦力を示すものだと思っていた。


 だが、今は違う。


 その一つ一つの向こうに、人間の命がある。


 俺はゆっくりと頷いた。


「……分かりました」


 * * *


 会議が終わったあと。


 俺は一人、要塞の中庭を歩いていた。


 そこには、戦死した王国兵たちの名前が記された板が並んでいた。


 名前。


 年齢。


 所属部隊。


 そして、戦死した場所。


 俺は、一枚の板の前で足を止めた。


『エドガー・リンドル。十八歳。南方護衛隊』


 その下には、小さな文字で記されていた。


『避難民を守り、戦死』


 十八歳。


 俺と、たった三歳しか違わない。


 その若さで、誰かを守るために命を落とした。


 俺は拳を握りしめた。


「……俺が、もっと早く来ていれば」


 思わず呟く。


 そのとき、背後から声がした。


「……レオン」


 振り返ると、父上が立っていた。


「父上……」


 父上は俺の隣に立ち、名簿を見つめた。


「お前が早く来ていれば、救えた命もあったかもしれん」


 俺は唇を噛んだ。


「……はい」


「だが、お前が王都を離れれば、今度は王都で何が起きたか分からん」


 父上は静かに続けた。


「王都には、まだ黒翼の残党が潜んでいる可能性がある。王国軍の動員にも時間が必要だった」


 俺は顔を上げた。


「……だから、今まで動けなかったのですね」


「ああ」


 父上は頷いた。


「王国を守るというのは、一つの戦場だけを見ることではない」


 その言葉に、俺は静かに頷いた。


 * * *


 夜。


 要塞の城壁に立つと、遠方には帝国軍の野営地が見えた。


 数え切れないほどの篝火。


 その一つ一つの下に、兵士たちがいる。


 俺は静かに呟いた。


「……できるだけ、誰も殺したくない」


 その言葉に、隣に立つ叔父上が笑った。


「……お前らしいな」


 俺は叔父上を見た。


「……甘いでしょうか」


 叔父上は少し考えた。


 そして、静かに答えた。


「……甘いかどうかは、これから分かる」


 俺は目を見開いた。


「……これから?」


「ああ」


 叔父上は大剣を肩に担いだ。


「お前は強い。俺なんかより、ずっとな」


 その言葉に、俺は首を横に振ろうとした。


 だが、叔父上は続けた。


「だがな。強いからって、何でも思いどおりになるわけじゃねえ」


 彼は遠方の帝国軍を見つめた。


「敵を生かしたせいで、味方が死ぬこともある。敵を殺したせいで、救えなくなるものもある」


 俺は何も言えなかった。


「……大事なのは、何を守るために剣を振るうかだ」


 その言葉が、胸に深く残った。


 俺はゆっくりと頷いた。


「……はい」


 そして、帝国軍の野営地を見つめた。


 俺には力がある。


 七つの属性。


 無限の魔力。


 そして、これまで積み重ねてきた剣と魔法。


 だが。


 その力を、どう使うべきなのか。


 俺はまだ、本当の意味では理解していないのかもしれない。


 * * *


 同じ夜。


 帝国軍総司令部へ、一通の報告が届いた。


「……閣下」


 伝令の声が震えていた。


「王国軍に、援軍が到着しました」


 総司令官は顔を上げる。


「……何?」


「黒獅子アルフォンス・ヴァルディス」


 参謀たちが息を呑む。


「銀月の魔女エレオノーラ・ヴァルディス」


 天幕の空気が凍りついた。


「……そして」


 伝令は唾を飲み込んだ。


「……公爵令息レオンハルト・ヴァルディスも、同行しています」


 沈黙。


 総司令官の顔から、血の気が引いた。


「……馬鹿な」


 彼は震える声で呟いた。


「……あの家の怪物どもが、全員揃ったというのか……!」


 その頃。


 グランフェル要塞の城壁では、黒い戦旗が夜風になびいていた。


 黒狼。


 白銀の女帝。


 黒獅子。


 銀月の魔女。


 そして、七星の公爵令息。


 王国最強の者たちが、ついに同じ戦場へ集結した。


 だが、レオンハルトはまだ知らない。


 この戦争が、自分の優しさを根底から揺さぶることになるということを。


 そして。


 誰かを守るために、自らの手で命を奪う決断を迫られる日が、すぐそこまで近づいていることを。


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