第169話 黒狼は退かず、白銀は折れず
グランフェル要塞正面。
黒い斬撃が、帝国軍の前線を切り裂いた。
《黒狼烈破》
轟音とともに、重装歩兵の盾陣が崩壊する。
レオナード・ヴァルディスは、たった一人で帝国軍の大部隊を押し返していた。
その剣が振るわれるたび、敵兵が倒れる。
それでも、帝国軍の攻撃は止まらない。
「第三波、前進!」
「黒狼を包囲しろ!」
後方から新たな兵士たちが投入される。
だが、レオナードは動じなかった。
「……何度来ても同じだぜ」
大剣を構え直す。
「俺を倒したきゃ、もう少しまともな策を持ってきな!」
黒い魔力が爆発した。
《黒狼震天斬》
巨大な斬撃が、帝国軍の中央部隊へ叩き込まれる。
大地が裂け、兵士たちが次々と倒れた。
帝国軍の前線は、再び後退を余儀なくされた。
* * *
帝国軍総司令部。
総司令官は、次々と届く報告に顔を歪めていた。
「第一波、戦闘不能!」
「第二波も大損害!」
「第三波、進軍停止!」
「……何故だ!」
総司令官が怒鳴る。
「奴は一人だぞ!」
参謀が震える声で答えた。
「……閣下。あれは、通常の戦力計算が通用する相手ではありません」
「黙れ!」
総司令官は机を叩いた。
「攻撃を続けろ!」
だが、その命令に従う将校たちの顔には、もはや戦意よりも恐怖が浮かんでいた。
彼らは理解し始めていた。
黒狼を倒すために兵を送り込むことは、兵を失うことと同じなのだと。
* * *
北方避難民集結地点。
イザベラは、迫り来る帝国軍の小部隊を見下ろしていた。
眼下には、避難民の馬車が並んでいる。
子供たちの泣き声。
負傷者の呻き声。
そして、彼らを守ろうとする王国兵の怒号。
イザベラは静かに右手を掲げた。
「――《白銀天幕》」
銀色の結界が、避難民の上空へ広がった。
帝国軍の魔法攻撃が、次々と結界へ激突する。
しかし、結界は微動だにしない。
「……この先へは、通しませんわ」
イザベラは静かに告げた。
帝国軍の指揮官が叫ぶ。
「魔導兵! 結界を破れ!」
炎と雷の魔法が、一斉に放たれる。
だが、すべて銀色の光に阻まれた。
イザベラの瞳が冷たくなる。
「……忠告は、もう十分でしょう」
左手を掲げる。
《白銀流星雨》
無数の銀色の光弾が、帝国軍の前線へ降り注いだ。
武器を構えて攻撃を続ける兵士たちが、次々と倒れていく。
指揮官は恐怖に顔を歪めた。
「……ば、化け物だ……!」
イザベラは静かに答えた。
「いいえ。私は、ただ守るべきものを守っているだけです」
そして、再び魔法陣を展開した。
* * *
午後。
グランフェル要塞の作戦室では、緊急の会議が開かれていた。
「レオナード様が正面を抑えてくださっています!」
「イザベラ様も北方を防衛中!」
将校たちは報告を続ける。
だが、その表情は明るくなかった。
「……問題は、こちらの兵士たちです」
王国軍の指揮官が口を開いた。
「連日の戦闘で、疲労が限界に近づいています」
「治癒薬も不足しています」
「負傷者を後方へ送る馬車も足りません」
作戦室が静まり返った。
敵を倒す力はある。
要塞を守る力もある。
だが、戦争はそれだけでは終わらない。
兵士たちは眠らなければならない。
食事を取らなければならない。
負傷すれば、治療が必要になる。
そして、守るべき民間人たちもまた、食料と安全な場所を必要としている。
そのすべてが、王国軍の負担となっていた。
* * *
夕刻。
レオナードは、帝国軍の前線を押し返しながら、要塞へ向かって歩いていた。
黒い鎧には、敵兵の血と土埃が付着している。
だが、その足取りは力強かった。
「……ようやく、少し静かになったな」
彼は大剣を肩に担ぎ直した。
そのとき、銀色の光が隣へ降り立つ。
イザベラだった。
「お疲れ様ですわ」
「おう。そっちも片付いたか?」
「ええ。北方の避難民は無事です」
「そいつはよかった」
二人は並んで要塞へ向かった。
その背後では、帝国軍の兵士たちが戦死者と負傷者を収容している。
帝国軍は、またしても大きな損害を受けた。
だが、王国軍も無傷ではなかった。
要塞の城壁には、負傷兵たちが座り込んでいる。
その姿を見たレオナードは、静かに息を吐いた。
「……よく耐えてくれたな」
イザベラも頷いた。
「ええ。本当に」
* * *
夜。
グランフェル要塞の作戦室へ、一通の伝令が届いた。
王家の紋章が押された、正式な軍令だった。
レオナードは封を切り、中身を読んだ。
その瞬間。
彼の口元に、笑みが浮かんだ。
「……ははっ」
イザベラが顔を上げる。
「どうなさいました?」
「……来るぞ」
「……?」
レオナードは書簡を掲げた。
「アルフォンスたちだ!」
作戦室が静まり返った。
次の瞬間、将校たちが一斉に立ち上がる。
「……黒獅子様が!?」
「銀月の魔女様も!?」
レオナードは頷いた。
「ああ。それに……」
彼は口元を吊り上げた。
「……レオンも一緒らしい」
その名前に、イザベラの表情が柔らかくなった。
「……あの子が」
レオナードは豪快に笑った。
「こいつは、帝国軍にとっちゃ最悪の知らせだな!」
だが、イザベラは静かに目を伏せた。
「……レオンには、辛いものを見せることになりますわね」
レオナードの笑みが、わずかに消えた。
「ああ」
彼は要塞の外を見つめた。
「……だが、あいつもいつかは知るべきことだ」
イザベラは頷いた。
「ええ。優しいままで、強くなるために」
その夜。
王国軍の兵士たちは、久しぶりに希望を口にした。
黒獅子が来る。
銀月の魔女が来る。
そして、七星の公爵令息が来る。
それは、王国軍にとって最大の援軍だった。
* * *
翌朝。
東の空が、ゆっくりと白み始めた。
要塞の見張り兵が、遠方の街道に目を凝らす。
そこに、何かが見えた。
黒い旗。
銀色の紋章。
そして、整然と進む王国軍の騎士たち。
「……あれは……!」
見張り兵が息を呑む。
次の瞬間、彼は声の限り叫んだ。
「援軍だああああっ!」
要塞中に、歓声が広がった。
レオナードとイザベラは、城壁の上からその光景を見つめていた。
「……ようやく来やがったか」
レオナードが笑う。
イザベラも、静かに微笑んだ。
「ええ。待ちわびましたわ」
東の街道。
その先頭には、三つの人影があった。
黒獅子。
銀月の魔女。
そして、七星の公爵令息。
王国の運命を変える者たちが、ついに戦場へ到着したのだった。




