第17話 紅蓮の女騎士と、暴君への挑戦状
王国暦八百二十一年、春月二十七日。
王都、王立騎士学院。
早朝の訓練場に、鋭い金属音が響いていた。
キィン!
ガキィン!
木剣が激しくぶつかり合う。
「……はあっ!」
赤い髪の少女が、鋭い踏み込みと共に剣を振り下ろした。
アリシア・ヴァレンシュタイン。
王国軍務卿グラディウス・ヴァレンシュタイン侯爵の娘。
十五歳。
騎士学院でも屈指の実力を持つ少女だった。
「……くっ!」
対戦相手の男子生徒が、必死に剣を受け止める。
だが。
次の瞬間。
アリシアの剣が、相手の木剣を弾き飛ばした。
「……そこまで!」
教官の声が響く。
「……勝者、アリシア・ヴァレンシュタイン!」
周囲の生徒たちが、歓声を上げた。
「……やっぱり強いな!」
「……あの剣速、見えなかったぞ……!」
「……さすが、軍務卿の娘だ……!」
だが。
アリシアは、満足していなかった。
……まだ。
まだ、足りない。
彼女は、静かに木剣を握りしめた。
脳裏に浮かぶのは、一人の少年。
黒髪。
深紅の瞳。
そして、冷たいほど整った顔立ち。
レオンハルト・ヴァルディス。
……あの男だけは。
絶対に、許せない。
◇◆◇
同じ頃。
ヴァルディス公爵家別邸。
「……レオンちゃん!」
朝食の席で、母エレオノーラが嬉しそうに声を上げた。
「……はい?」
「……今日は、何か予定があるの?」
俺は、パンを口へ運びながら答えた。
「……午前中は、王立騎士学院へ行く予定です」
その瞬間。
父アルフォンスの眉が動いた。
「……騎士学院?」
「……はい」
俺は、静かに頷いた。
「……先日の旧転移中継所の件で、王国軍の訓練体系について確認したいことがありまして」
父は、少しだけ考えた。
「……なるほど」
そして、ゆっくりと笑った。
「……なら、ガルディオを同行させよう」
「……ありがとうございます」
母は、少しだけ頬を膨らませた。
「……えー」
……嫌な予感がする。
「……お母様も、行きたいわ」
「……母上」
「……だって、レオンちゃんの剣術を見られるかもしれないでしょう?」
……なるほど。
そういうことか。
俺は、思わず苦笑した。
「……今日は、見学が中心ですよ」
「……そうなの?」
「……はい」
母は、少し残念そうな顔をした。
「……じゃあ、帰ってきたらお話を聞かせてね♡」
「……わかりました」
父が、豪快に笑った。
「ははは! エレオノーラ、息子離れはまだ先だな!」
「……あなたこそ、昨日レオンちゃんの剣術記録を三回も見返していたじゃない」
「……む」
……父上。
何やってるんですか。
俺は、深くため息をついた。
◇◆◇
午前十時。
王立騎士学院。
俺は、エレノアとガルディオと共に訓練場を訪れていた。
広大な敷地。
整備された訓練設備。
そして、真剣な表情で剣を振るう騎士候補生たち。
……なるほど。
王国軍の精鋭を育成する施設だけあって、設備は立派だ。
「……レオンハルト様」
ガルディオが、静かに声をかけた。
「……何だ?」
「……本日は、学院長との面談が予定されております」
「……わかっている」
俺は、静かに頷いた。
そのとき。
訓練場の奥から、鋭い声が響いた。
「……レオンハルト・ヴァルディス!」
……ん?
俺は、ゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、赤い髪の少女だった。
鋭い琥珀色の瞳。
騎士候補生の制服。
そして、腰には訓練用の剣。
……誰だ?
俺が首を傾げると、少女は怒ったように眉をひそめた。
「……私を、知らないの?」
「……すまない」
俺は、正直に答えた。
「……初対面だと思うんだが」
その瞬間。
少女の顔が、さらに険しくなった。
「……アリシア・ヴァレンシュタイン!」
……ヴァレンシュタイン?
俺は、少しだけ目を細めた。
……ああ。
軍務卿の娘か。
そして。
原作ゲームのヒロインの一人。
アリシア・ヴァレンシュタイン。
紅蓮の女騎士。
剣術と炎魔法を得意とする、誇り高い少女だ。
……なるほど。
ここで出会うのか。
「……よろしく、アリシア嬢」
俺は、穏やかに微笑んだ。
だが。
彼女は、鋭く俺を睨みつけた。
「……私は、あなたを許していないわ!」
……いきなりだな。
俺は、思わず苦笑した。
「……何か、したか?」
「……兄上のことよ!」
……兄?
俺は、記憶を辿った。
確か、ヴァレンシュタイン侯爵家の長男とは、以前剣術試合で対戦したことがある。
相手は、試合中に禁止された魔法を使用した。
俺は、それを防いで勝利しただけだ。
……なるほど。
その件か。
「……あの試合のことか」
「……そうよ!」
アリシアは、拳を握った。
「……兄上は、あなたに一方的に叩きのめされた!」
俺は、静かに首を振った。
「……試合だったからな」
「……それだけじゃない!」
彼女の声が、震えた。
「……兄上は、あれ以来、剣を握らなくなったのよ!」
……そうだったのか。
俺は、少しだけ目を細めた。
勝負に負けたことが、そこまで影響していたとは。
だが。
俺が手を抜けばよかったという話でもない。
「……アリシア嬢」
「……何よ!」
「……俺は、あの試合で不正をした覚えはない」
彼女の瞳が、鋭く光った。
「……言い訳するつもり!?」
「……いや」
俺は、静かに答えた。
「……事実を確認したいだけだ」
その瞬間。
アリシアは、腰の木剣を抜いた。
「……なら!」
そして。
俺へ剣先を向けた。
「……私と勝負しなさい!」
◇◆◇
訓練場が、ざわめいた。
「……アリシアが、ヴァルディス公爵令息に挑戦!?」
「……本気かよ……!」
「……あの黒き暴君に……?」
俺は、静かにため息をついた。
……面倒くさいな。
だが。
彼女の瞳には、真剣な決意が宿っていた。
……なるほど。
単なる八つ当たりではないらしい。
「……ガルディオ」
「……はい」
「……どう思う?」
ガルディオは、少しだけ考えた。
「……学院の規則に従うのであれば、模擬試合は可能でしょう」
……なるほど。
俺は、静かに頷いた。
「……わかった」
アリシアの瞳が、大きく見開かれた。
「……受けるの?」
「ああ」
俺は、穏やかに微笑んだ。
「……ただし、正式な模擬試合としてだ」
彼女は、少しだけ驚いた。
「……どういうこと?」
「……審判をつけて、規則に従って戦う」
俺は、静かに続けた。
「……それなら、受けよう」
アリシアは、しばらく黙っていた。
そして。
ゆっくりと頷いた。
「……いいわ」
その瞳には、闘志が宿っていた。
「……絶対に、負けないから」
◇◆◇
午後一時。
王立騎士学院、第一訓練場。
俺とアリシアは、向かい合って立っていた。
周囲には、学院の教官たち。
そして、多くの騎士候補生。
……随分と人が集まったな。
俺は、少しだけ苦笑した。
アリシアは、木剣を構えている。
その姿勢は、非常に美しかった。
……なるほど。
剣術の基礎が、しっかりしている。
俺は、静かに目を細めた。
原作ゲームでも、彼女は高い剣術能力を持っていた。
だが。
実際に見ると、それ以上かもしれない。
「……レオンハルト」
アリシアが、静かに声をかけた。
「……何だ?」
「……手加減したら、許さないわよ」
俺は、少しだけ笑った。
「……わかった」
そして。
木剣を構えた。
その瞬間。
周囲の空気が、変わった。
アリシアの瞳が、鋭く光る。
……来る。
「……始め!」
教官の声が響いた。
次の瞬間。
アリシアが、地面を蹴った。
「……はああっ!」
鋭い踏み込み。
そして、上段からの斬撃。
……速い。
俺は、静かに目を細めた。
だが。
次の瞬間。
俺は、わずかに身体をずらした。
ヒュン!
木剣が、空を切る。
「……っ!?」
アリシアの瞳が、大きく見開かれた。
俺は、静かに微笑んだ。
「……いい踏み込みだ」
その瞬間。
彼女の顔が、怒りに染まった。
「……馬鹿にしないで!」
そして。
再び、剣が振るわれた。
◇◆◇
キィン!
ガキィン!
木剣が、激しくぶつかり合う。
アリシアの剣は、鋭かった。
速さ。
力。
そして、正確さ。
どれも高い水準にある。
……なるほど。
これは、かなり強いな。
だが。
彼女には、一つ弱点があった。
……感情が、剣に出すぎる。
俺は、静かに目を細めた。
アリシアが、再び踏み込んでくる。
「……はあっ!」
横薙ぎの斬撃。
俺は、木剣で受け流した。
そして。
彼女の足元へ、わずかに踏み込む。
「……っ!?」
アリシアの身体が、わずかに崩れた。
俺は、その隙を逃さなかった。
トン。
木剣の先端が、彼女の肩へ触れた。
「……そこまで!」
教官の声が響く。
「……勝者、レオンハルト・ヴァルディス!」
訓練場が、静まり返った。
アリシアは、呆然と立ち尽くしていた。
「……嘘……」
その声は、震えていた。
「……こんな、簡単に……?」
俺は、静かに木剣を下ろした。
「……アリシア嬢」
彼女は、俺を睨みつけた。
「……何よ……!」
俺は、穏やかに答えた。
「……お前は、強い」
その瞬間。
彼女の瞳が、大きく見開かれた。
「……でも」
俺は、静かに続けた。
「……怒りだけで剣を振るうと、動きが読まれやすくなる」
アリシアは、唇を噛んだ。
「……そんなこと……」
「……わかっているなら、直せばいい」
俺は、静かに微笑んだ。
「……お前なら、もっと強くなれる」
その言葉に、アリシアは完全に言葉を失った。
◇◆◇
試合終了後。
俺は、訓練場の端で水を飲んでいた。
エレノアが、静かにタオルを差し出してくる。
「……レオンハルト様」
「……ありがとう」
「……お見事でございました」
俺は、少しだけ苦笑した。
「……まあ、相性がよかっただけだ」
そのとき。
「……レオンハルト」
アリシアが、こちらへ歩いてきた。
「……ん?」
彼女は、少しだけ顔を赤くしていた。
「……さっきの試合」
「……ああ」
「……あなた、本気じゃなかったでしょう?」
……鋭いな。
俺は、少しだけ笑った。
「……どうだろうな」
アリシアは、むっとした顔をした。
「……誤魔化さないで!」
「……悪い」
俺は、静かに答えた。
「……ただ、全力を出せばいいというものでもないだろ」
その言葉に、彼女は少しだけ黙った。
そして。
ゆっくりと口を開いた。
「……もう一度、勝負して」
……またか。
俺は、思わず苦笑した。
「……いつか、な」
アリシアは、少しだけ頬を赤らめた。
「……約束よ」
「ああ」
俺は、静かに頷いた。
そのとき。
エレノアが、静かに微笑んだ。
「……レオンハルト様」
「……ん?」
「……また、お知り合いが増えましたね」
……その言い方。
何か、含みがあるな。
俺は、思わず首を傾げた。
◇◆◇
その日の夕方。
ヴァルディス公爵家別邸。
俺は、父と母へ今日の出来事を報告していた。
「……ヴァレンシュタイン家の娘と、模擬試合を?」
父が、少しだけ眉を動かした。
「……はい」
「……勝ったのか?」
「……一応」
その瞬間。
父が、豪快に笑った。
「ははは! さすが我が息子だ!」
母も、嬉しそうに微笑んだ。
「レオンちゃん、凄いわ♡」
……また始まった。
俺は、思わず苦笑した。
だが。
父は、少しだけ真剣な表情になった。
「……レオンハルト」
「……はい」
「……ヴァレンシュタイン家には、少し注意しておけ」
俺は、静かに目を細めた。
「……何か、あるのですか?」
父は、ゆっくりと頷いた。
「……グラディウスは、王国軍務卿だ」
「……はい」
「……つまり、王国軍の装備調達に深く関わっている」
……なるほど。
旧転移中継所の輸送許可印。
そして、古代対魔法兵器。
どちらも、軍の調達部門と無関係ではない。
俺は、静かに頷いた。
「……わかりました」
父は、少しだけ笑った。
「……ただし、娘に罪があるとは限らん」
「……もちろんです」
俺は、静かに答えた。
「……人は、人ですから」
父は、満足そうに頷いた。
「……それでこそ、我が息子だ」
◇◆◇
同じ頃。
王都の地下。
黒い外套の男が、報告を受けていた。
「……レオンハルトが、騎士学院へ?」
「……はい」
「……ヴァレンシュタイン家の娘と、模擬試合を行ったようです」
男は、静かに笑った。
「……なるほど」
そして。
机の上に置かれた資料へ視線を向けた。
そこには、アリシア・ヴァレンシュタインの名前が記されていた。
「……利用できるかもしれんな」
部下が、恐る恐る尋ねた。
「……どうなさいますか?」
男は、冷たく微笑んだ。
「……あの娘は、兄を傷つけたと思っている」
そして。
静かに続けた。
「……なら、その感情を利用すればいい」
――黒き暴君を巡る陰謀は、新たな少女の運命さえも巻き込もうとしていた。




