第16話 黒き暴君討伐計画と、王宮に潜む裏切り者
王国暦八百二十一年、春月二十六日。
ヴァルディス公爵家、王都別邸。
早朝の執務室には、重苦しい空気が漂っていた。
机の上には、旧転移中継所から押収された研究資料の写しが並んでいる。
『黒獅子対策』
『黒き暴君討伐計画』
その二つの名称を、俺は何度も見返していた。
……偶然とは思えない。
原作ゲーム『エターナル・レガリア』。
そこでは、レオンハルト・ヴァルディスは十七歳で王国の敵として討伐される。
父と母は国外へ派遣され、通信を断たれ、帰国することもできなかった。
そして、六万の軍勢が公爵領へ押し寄せた。
……その準備が、すでに始まっている。
俺は、静かに拳を握った。
「……レオンハルト様」
エレノアが、温かい紅茶を差し出してきた。
「……少し、お休みになられてはいかがでしょうか?」
「……ありがとう」
俺は、カップを受け取った。
「……ただ、今は休んでいる場合じゃない」
エレノアは、少しだけ眉を下げた。
「……お気持ちは、わかります」
そして。
静かに続けた。
「ですが、あなたが倒れてしまっては意味がありません」
……まったく。
本当に、よく見ているな。
俺は、少しだけ笑った。
「……わかった。少し休むよ」
その言葉に、エレノアは嬉しそうに微笑んだ。
◇◆◇
午前九時。
王城、国王執務室。
俺は父アルフォンス、母エレオノーラと共に、国王アレクシス陛下へ報告していた。
机の上には、旧転移中継所から押収された研究資料。
そして、魔力吸収機構の調査報告書が置かれている。
「……黒き暴君討伐計画」
国王は、低い声で呟いた。
「……このような計画が、王国内で進められていたとは」
父が、静かに頷いた。
「……陛下」
「……何だ、アルフォンス」
「……この計画には、王国の上層部が関与している可能性がございます」
国王の瞳が、鋭く光った。
「……根拠は?」
父は、一枚の書類を差し出した。
「……旧転移中継所へ運ばれた魔力遮断結晶の輸送記録です」
国王は、書類を受け取った。
「……王国軍の輸送許可印があるな」
「……はい」
父は、静かに続けた。
「……民間の商会が、王国軍の許可なしにこの規模の魔導資材を運ぶことはできません」
国王は、しばらく黙っていた。
そして。
ゆっくりと息を吐いた。
「……つまり、軍内部にも協力者がいる可能性があると」
「……その通りです」
俺は、静かに口を開いた。
「……陛下」
「……何だ、レオンハルト」
「……一つ、気になることがございます」
国王は、俺へ視線を向けた。
「……申してみよ」
俺は、研究資料の一枚を指差した。
「……この計画書には、黒き暴君という名称が使われています」
「……それがどうした?」
「……この名称が広く使われ始めたのは、比較的最近です」
国王の目が、細くなる。
「……ほう?」
「……ですが、研究資料の一部には、それ以前の日付が記されております」
その瞬間。
父の表情が、変わった。
「……レオンハルト」
「……はい」
「……つまり?」
俺は、静かに答えた。
「……この計画は、私が黒き暴君と呼ばれる前から存在していた可能性があります」
国王は、ゆっくりと背もたれへ身体を預けた。
「……なるほど」
その声には、深い警戒が宿っていた。
「……ならば、最初からヴァルディス家を標的としていたのかもしれんな」
俺は、静かに頷いた。
「……はい」
ただし、古い研究資料に後から表題を付けた可能性もある。
その点は、魔導院の鑑定を待つ必要がある。
だが。
少なくとも、調べる価値は十分にある。
◇◆◇
そのとき。
扉が叩かれた。
「……陛下」
近衛騎士が、静かに入室した。
「……王国軍務卿、グラディウス・ヴァレンシュタイン侯爵閣下がお見えです」
父の瞳が、わずかに動いた。
「……グラディウスか」
国王は、静かに頷いた。
「……通せ」
扉が開く。
そこに現れたのは、五十歳前後の大柄な男だった。
短く刈り込まれた赤褐色の髪。
鋭い灰色の瞳。
そして、歴戦の軍人を思わせる威圧感。
グラディウス・ヴァレンシュタイン。
王国軍務卿。
軍の兵站と装備調達を統括する有力貴族だった。
「……陛下」
男は、深々と一礼した。
「……ご報告がございます」
「……申せ」
グラディウスは、静かに答えた。
「……旧転移中継所に関する輸送許可印について、軍内部で調査を開始いたしました」
国王の瞳が、鋭く光った。
「……何かわかったか?」
「……はい」
グラディウスは、一枚の書類を差し出した。
「……問題の許可印は、三年前に廃止された旧式のものです」
……旧式?
俺は、少しだけ目を細めた。
「……つまり、偽造の可能性が?」
グラディウスは、俺を見た。
「……その通りだ」
その声には、わずかな棘があった。
「……ただし、まだ断定はできん」
父が、静かに口を開いた。
「……グラディウス」
「……何だ、アルフォンス」
「……偽造だとして、誰が旧式の印章を入手できた?」
グラディウスの表情が、わずかに険しくなった。
「……それを、これから調べる」
父は、静かに頷いた。
「……頼む」
だが。
俺は、二人の間に漂う微妙な緊張を感じ取っていた。
……なるほど。
この二人、あまり仲が良くないらしい。
◇◆◇
王城を出た後。
俺は父へ尋ねた。
「……父上」
「……何だ?」
「……ヴァレンシュタイン侯爵とは、以前からお知り合いなのですか?」
父は、少しだけ苦笑した。
「……ああ」
そして、静かに続けた。
「……若い頃、同じ戦場で戦ったことがある」
「……そうだったんですね」
「……だが、考え方は違う」
父は、ゆっくりと空を見上げた。
「……あの男は、王国軍の秩序を何より重視する」
「……秩序、ですか」
「……ああ」
父は、静かに頷いた。
「……私は、守るべき者のためなら命令に異議を唱えることもある」
なるほど。
軍人としての価値観が違うわけか。
父は、少しだけ笑った。
「……もっとも、敵ではない」
「……そうですか」
「……ただし」
父の瞳が、鋭く光った。
「……今回の件では、誰であろうと疑う必要がある」
俺は、静かに頷いた。
……その通りだ。
◇◆◇
同じ頃。
王国軍務省。
グラディウス・ヴァレンシュタインは、執務室で書類を確認していた。
その表情は、険しかった。
「……旧式の許可印……」
彼は、低い声で呟いた。
「……誰が、こんなものを……」
そのとき。
扉が叩かれた。
「……父上」
若い女性の声だった。
「……入れ」
扉が開く。
そこに現れたのは、赤い髪を後ろで束ねた少女。
鋭い琥珀色の瞳。
そして、騎士候補生の制服。
アリシア・ヴァレンシュタイン。
グラディウスの娘だった。
「……父上」
「……どうした、アリシア」
彼女は、少しだけ表情を曇らせた。
「……レオンハルト・ヴァルディスが、また何か騒ぎを起こしたと聞きました」
グラディウスは、深く息を吐いた。
「……また、その話か」
「……ですが!」
アリシアは、拳を握った。
「……兄上は、あの男に傷つけられました!」
グラディウスの表情が、わずかに険しくなる。
「……アリシア」
「……あの男は、兄上を侮辱し、剣術試合で叩きのめしたのです!」
グラディウスは、静かに首を振った。
「……それは、兄の方にも問題があった」
「……父上!」
「……聞け」
その声には、軍務卿としての威厳が宿っていた。
「……お前の兄は、試合中に規則を破った」
アリシアの瞳が、大きく見開かれた。
「……そんな……」
「……レオンハルトは、それを止めたにすぎん」
だが。
アリシアは、納得できなかった。
……兄上が、そんなことをするはずがない。
彼女は、静かに拳を握った。
……いつか。
必ず、あの男の本性を暴いてみせる。
◇◆◇
その日の夕方。
ヴァルディス公爵家別邸。
俺は、セバスティアンから新たな報告を受けていた。
「……レオンハルト様」
「……何だ?」
「……旧転移中継所の研究資料について、魔導院の鑑定結果が出ました」
俺は、静かに目を細めた。
「……どうだった?」
「……一部の研究記録は、確かに十年以上前のものです」
「……やっぱりか」
「……ですが」
セバスティアンは、静かに続けた。
「……黒き暴君討伐計画という名称は、後から追加された可能性が高いとのことです」
俺は、ゆっくりと頷いた。
……なるほど。
つまり。
古代兵器の研究自体は昔から存在していた。
だが、それを俺の討伐へ転用しようとしたのは、最近ということか。
「……セバスティアン」
「……はい」
「……追加された時期は?」
「……およそ半年前と推定されます」
……半年前。
俺は、静かに拳を握った。
原作ゲームの悲劇まで、まだ二年ある。
だが。
敵は、すでに準備を始めている。
……なら。
こちらも、急がなければならない。
そのとき。
セバスティアンが、もう一枚の書類を差し出した。
「……そして、もう一つ」
「……何だ?」
「……研究資料の一部に、同じ紋章が使われておりました」
俺は、書類を受け取った。
そこには、黒い封蝋の紋章が描かれていた。
……これは。
俺は、静かに目を細めた。
以前、王女襲撃事件に関わった者たちが使用していたものと似ている。
ただし、完全に一致しているかは、まだ不明だ。
……それでも。
繋がっている可能性は高い。
「……セバスティアン」
「……はい」
「……この紋章の出所を、徹底的に調べてくれ」
老執事は、静かに頭を下げた。
「……承知いたしました」
俺は、窓の外へ視線を向けた。
……王国の中枢。
軍。
教会。
そして、王太子府。
複数の組織に、同じ影が伸びている。
……黒幕は、誰だ?
その答えは、まだ見えない。
だが。
確実に、近づいている。
――黒き暴君を巡る陰謀は、王国の心臓部へと繋がり始めていた。




