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『悪役公爵令息レオンハルト』  作者: 覇王が好き
第四章 黒獅子の戦旗――七星の公爵令息と帝国戦争

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第166話 帝国軍の誤算――敗北を認めぬ総司令官

 ヴァルガルド帝国軍、総司令部。


 夜の作戦天幕に、怒号が響き渡った。


「一万六千の部隊が壊滅しただと!?」


 総司令官が机を叩きつける。


 卓上の駒が跳ね、地図の上を転がった。


 参謀たちは顔を伏せたまま、誰も答えようとしない。


「答えろ! 何が起きた!」


 ようやく、一人の参謀が口を開いた。


「……東南方面軍は、黒狼と白銀の女帝の連携攻撃を受けました」


「そんなことは分かっている!」


「敵は谷の進路を魔法障壁で制限し、黒狼が先頭を突破。後方の魔導兵部隊も白銀の女帝によって撃破されました」


 参謀は震える手で報告書をめくった。


「現時点で確認できた戦死者は約千八百。負傷者約二千四百。捕虜となった者は八千を超えています。残る兵も散り散りとなり、部隊としての再編は困難です」


 天幕が静まり返った。


 一万六千の軍勢。


 帝国が長い年月をかけて鍛え上げた兵士たち。


 その大半が、たった二人によって戦場から消えたのだ。


「……化け物どもめ」


 総司令官は歯を食いしばった。


 帝国軍は開戦からわずか数日で、第一軍団、砲兵隊、南方部隊、東南方面軍に甚大な損害を受けていた。


 当初の八万という兵力は、もはやそのまま戦える数字ではない。


 戦死者。


 負傷者。


 捕虜。


 逃散した兵士。


 そして、武器と補給物資の損失。


 軍団の旗が残っていても、兵士がいなければ軍団は動かせない。


「閣下」


 年配の参謀が、慎重に口を開いた。


「一度、軍を後退させるべきです」


「……何?」


「このまま攻勢を続ければ、損害はさらに拡大します。敵の二人を正面から倒す手段は、現状ありません」


 総司令官の顔が歪んだ。


「帝国の威信を捨てて逃げろというのか!」


「違います。戦力を保存し、作戦を立て直すのです」


「黙れ!」


 怒声が天幕を震わせた。


 だが、参謀は退かなかった。


「兵を失えば、帝国の次の戦争すら戦えなくなります!」


 その言葉に、総司令官は一瞬だけ沈黙した。


 しかし、やがて冷たく笑った。


「……ならば、戦い方を変えればよい」


 彼は地図の上へ手を伸ばした。


「黒狼と白銀の女帝が強いことは分かった。だが、王国軍全体が強いわけではない」


 赤い駒が、要塞の周囲へ並べられる。


「補給を断ち、避難民を足止めし、王国兵を休ませなければいい」


 参謀たちの表情が強張った。


「……消耗戦、ですか」


「そうだ」


 総司令官は頷いた。


「我々には、まだ兵がいる。敵には一万二千しかいない。黒狼が千人討とうが、別の場所で王国兵を百人失わせれば、奴らの方が先に守備を維持できなくなる」


 その計算には、冷酷な合理性があった。


 王国軍の兵士は、戦死すれば補充が難しい。


 負傷者が増えれば、治療にも人手が必要になる。


 そして、避難民を守るためには、戦闘に参加できる兵士を護衛へ回さなければならない。


 総司令官は言った。


「奴らが守りたいものを、すべて守らせてやれ」


 * * *


 会議が終わったあと。


 ヴァレリア・ローゼンベルクは、天幕の外で立ち止まっていた。


 深紅の髪が、冷たい夜風に揺れる。


「……最悪だ」


 彼女は小さく呟いた。


 帝国軍は既に、多くの兵士を失っている。


 にもかかわらず、総司令官は撤退を考えない。


 勝利のためなら、さらに何千人もの兵を犠牲にするつもりなのだ。


「将軍」


 副官のディルクが近づいてきた。


「中央軍の再編が完了しました」


「……そうか」


「ですが、兵士たちの士気は低下しています」


 ヴァレリアは頷いた。


「当然だ。目の前で味方の軍団が壊滅している」


 ディルクは声を落とした。


「兵の間では、黒狼と白銀の女帝は人間ではないという噂まで広がっています」


「……人間だ」


 ヴァレリアは即座に答えた。


「彼らは人間だ。だからこそ、あれほど恐ろしい」


 ディルクが驚いた顔をする。


 ヴァレリアは続けた。


「剣を交えれば分かる。黒狼は力だけで戦っているのではない。兵の動きも、退路も、守るべき場所も、すべて見ていた」


 彼女は拳を握りしめた。


「……私たちは、敵の強さを見誤った」


「将軍……」


「そして、今も見誤り続けている」


 ヴァレリアは帝国軍の野営地を見渡した。


 負傷兵の呻き声が、夜の静寂に混じっている。


 その光景に、胸が痛んだ。


「ディルク」


「はっ」


「中央軍の兵には、休息を取らせろ。無理に行軍させるな」


「ですが、総司令官の命令が……」


「責任は私が取る」


 ヴァレリアは静かに告げた。


「兵士は、使い捨ての駒ではない」


 * * *


 同じ夜。


 グランフェル要塞。


 王国軍の作戦室では、帝国軍の損害をまとめた報告が行われていた。


「東南方面の敵部隊は、事実上消滅しました」


 将校の声には、安堵が混じっていた。


「捕虜の収容も進んでおります。敵の補給物資の一部も確保しました」


 レオナードは頷いた。


「よし。負傷者の治療は?」


「王国兵を優先しつつ、帝国軍の捕虜にも治療を施しています」


「それでいい」


 イザベラも静かに頷く。


「降伏した者は、もう敵ではありません。適切に扱いなさい」


「はっ!」


 だが、続く報告で作戦室の空気が変わった。


「……問題は、こちらの損害です」


 将校が別の報告書を開いた。


「南方護衛隊の損害に加え、北方の防衛戦でも負傷者が増えています。要塞守備隊の疲労も深刻です」


「食料は?」


「当面の分は確保しています。しかし、避難民の受け入れが増えれば消費は早まります」


「治癒薬は?」


「東方からの輸送が到着しましたが、重傷者への使用が優先され、余裕はありません」


 レオナードは腕を組んだ。


「……敵を何万倒しても、こっちの兵が増えるわけじゃねえからな」


 イザベラが静かに答える。


「ええ。しかも、私たちは民を守るために兵を分けなければなりません」


 将校が地図を指した。


「帝国軍は、既に小部隊を各地へ分散させています。こちらの警戒兵を休ませない狙いでしょう」


 レオナードの目が細くなった。


「……ようやく、連中も頭を使い始めたか」


 イザベラは小さく息を吐いた。


「厄介ですわね」


「だが、負けるつもりはねえ」


 レオナードは大剣を肩に担いだ。


「俺たちがいる限り、要塞は落とさせねえよ」


 イザベラは微笑んだ。


「もちろんですわ」


 しかし、二人とも理解していた。


 自分たちが負けないことと、王国軍が無傷でいられることは違う。


 そして、その差こそが、帝国軍の狙いだった。


 * * *


 深夜。


 帝国軍の野営地では、新たな命令が各部隊へ伝えられていた。


『正面での決戦を避けよ』


『王国軍の補給と休息を妨害せよ』


『黒狼と白銀の女帝を各地へ誘導し、守備兵力を分散させよ』


 その命令の中には、さらに一つの密命が含まれていた。


『避難民の移動経路を把握し、必要に応じて進軍を妨害せよ』


 それは、戦場にいる兵士たちだけでなく、武器を持たない人々まで戦略の道具にする命令だった。


 ヴァレリアは、その密命を知った瞬間、静かに目を閉じた。


「……どこまで、堕ちるつもりなのですか」


 彼女の声は、夜風に消えた。


 帝国軍は敗北を認めない。


 王国軍も退くことはできない。


 そして戦争は、より陰湿で、より過酷な段階へと進もうとしていた。



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