第165話 黒狼と白銀の女帝――双璧の大反撃
グランフェル要塞東南部。
王国軍の補給路へ続く谷には、帝国軍の大部隊が集結していた。
南方部隊の残存兵。
東方から進軍してきた軽騎兵。
そして、後方から投入された新たな歩兵部隊。
その総数は、一万六千。
彼らの目的は、王国軍の補給路を完全に遮断することだった。
「急げ! 王国軍の援軍が来る前に谷を突破しろ!」
帝国軍の指揮官が叫ぶ。
狭い谷を抜ければ、東方の街道へ出られる。
そこを押さえれば、グランフェル要塞への食料と医薬品の輸送を断つことができる。
帝国軍にとって、戦局を覆す重要な作戦だった。
だが。
彼らはまだ知らなかった。
その谷こそが、黒狼と白銀の女帝によって選ばれた戦場であることを。
* * *
谷の上空。
銀色の魔法陣が、静かに展開されていた。
イザベラ・シルヴェイン。
《白銀の女帝》。
彼女は高台に立ち、眼下の帝国軍を見つめていた。
「……予定どおりですわね」
銀色の瞳が細くなる。
帝国軍の先頭部隊が、谷の中央へ進んだ。
その瞬間。
イザベラは右手を掲げた。
「――《白銀封鎖・天鎖陣》」
巨大な銀色の魔法陣が、谷全体を覆った。
次の瞬間、地面から無数の光の鎖が伸び、帝国軍の進軍経路を遮断する。
「な、何だ!?」
「魔法陣だ!」
「前へ進めない!」
兵士たちが混乱する。
さらに、谷の左右には巨大な銀色の壁が出現した。
帝国軍は、狭い通路へ押し込められる形となった。
「……これは、罠か!」
指揮官が叫ぶ。
だが、既に遅かった。
イザベラは静かに呟いた。
「……レオナード。準備は整いましたわ」
* * *
谷の入口。
黒い鎧をまとった男が、一人立っていた。
レオナード・ヴァルディス。
《黒狼》。
彼は大剣を肩に担ぎ、眼前の帝国軍を眺めていた。
「……おう。ずいぶん集まったじゃねえか」
帝国兵たちが顔を青ざめさせる。
「……黒狼!」
「何で、ここに……!」
レオナードは笑った。
「悪いが、ここから先は通行止めだ」
彼は大剣を構えた。
黒い魔力が刃へ集まる。
「……さあ、始めようぜ!」
《黒狼震天斬》
漆黒の斬撃が、大地を裂くように走った。
谷の中央へ向かって、巨大な衝撃波が突き進む。
最前列の帝国兵たちが、まとめて吹き飛ばされた。
盾が砕け、鎧が裂ける。
地面が抉れ、土煙が舞い上がる。
「うわあああっ!」
「前線が崩壊した!」
帝国軍の指揮官が叫ぶ。
「魔導兵! 反撃しろ!」
後方の魔導兵たちが、一斉に魔法を放つ。
炎。
雷。
氷。
無数の魔法がレオナードへ向かって飛翔する。
だが、その瞬間。
銀色の結界が彼の前方へ現れた。
《白銀天幕》
すべての魔法が、結界へ激突して消滅した。
「……ありがとよ、イザベラ!」
レオナードが笑う。
『当然ですわ。あなたは前だけ見ていなさい』
「おう!」
彼は再び大剣を振るった。
《黒狼烈破》
漆黒の衝撃波が、帝国軍の中央部隊を貫いた。
数百の兵士が倒れ、陣形が崩壊する。
帝国軍の指揮官は、呆然と立ち尽くした。
「……馬鹿な」
黒狼の攻撃力。
白銀の女帝の防御力。
その二つが組み合わさったとき、帝国軍の攻撃はほとんど意味をなさなかった。
* * *
イザベラは高台から戦場を見下ろしていた。
彼女の周囲には、無数の銀色の魔法陣が浮かんでいる。
「……次はこちらですわね」
右手を掲げる。
《白銀流星雨》
銀色の魔力弾が、空から降り注いだ。
狙いは、帝国軍の後方に配置された魔導兵部隊。
魔法陣が次々と破壊され、魔導兵たちが倒れていく。
「魔導兵部隊、壊滅!」
「後方からも攻撃が!」
帝国軍は、完全に混乱していた。
レオナードは前方から進撃し、イザベラは上空から攻撃する。
逃げ道は銀色の結界によって制限され、指揮系統は次々と崩壊していく。
もはや、組織的な反撃など不可能だった。
「……これが」
帝国軍の指揮官は、震える声で呟いた。
「……黒狼と、白銀の女帝……!」
* * *
戦闘開始から、わずか一時間。
帝国軍一万六千のうち、数千が戦死・負傷し、残る兵士たちも統制を失っていた。
指揮官は、震える手で剣を握りしめる。
「……撤退だ!」
しかし、後方には銀色の壁が立ちはだかっていた。
「退路がありません!」
「くそっ……!」
そのとき、レオナードの声が響いた。
「……おい」
帝国軍の兵士たちが顔を上げる。
「まだ戦う気があるなら相手してやる。だが、武器を捨てるなら命までは取らねえ」
静かな声だった。
だが、その言葉には絶対的な威圧感があった。
指揮官は周囲を見渡した。
倒れた兵士たち。
砕けた武器。
そして、悠然と立つ黒狼。
勝ち目など、どこにもなかった。
「……降伏する」
指揮官が剣を地面へ落とした。
それを合図に、兵士たちが次々と武器を捨て始める。
イザベラは銀色の結界を変化させ、降伏した兵士たちを一か所へ誘導した。
「降伏した者は、こちらへ。負傷者には治療を施します」
レオナードは大剣を肩に担いだ。
「……よし。終わりだ」
帝国軍東南部隊は、事実上壊滅した。
* * *
グランフェル要塞。
王国軍の作戦室に、勝利の報告が届いた。
「東南部の帝国軍、一万六千を撃破!」
「敵の戦死・負傷者多数! 残存部隊の多くが降伏しました!」
「補給路の安全を確保しました!」
将校たちが歓声を上げた。
「やったぞ!」
「これで、食料と医薬品が届く!」
しかし、王国軍の指揮官はすぐに表情を引き締めた。
「……まだ終わっていない」
地図には、帝国軍の大部隊が残っていた。
正面。
北方。
そして、後方の予備兵力。
帝国軍は大きな損害を受けた。
だが、なお王国軍を上回る戦力を保持している。
さらに、王国軍自身も連日の戦闘で疲弊していた。
補給路を守れても、食料が無限にあるわけではない。
負傷者を治療できても、失われた兵士が戻るわけではない。
* * *
夕暮れ。
レオナードとイザベラは、要塞の城壁に並んで立っていた。
遠方には、帝国軍の野営地が広がっている。
「……派手にやったな」
レオナードが笑う。
イザベラは静かに微笑んだ。
「ええ。ですが、必要な戦いでしたわ」
「ああ」
レオナードは頷いた。
「これで、しばらくは補給路が使える」
イザベラは、要塞の内側を見下ろした。
そこでは、負傷兵たちが治療を受けている。
「……レオナード」
「ん?」
「もし、レオンがこの戦場にいたら、どうしたでしょうね」
レオナードは少し考えた。
そして、苦笑した。
「……あいつなら、全員殺さずに何とかしようとするだろうな」
「ええ」
イザベラは頷いた。
「優しい子ですもの」
レオナードは遠くを見つめた。
「……だが、戦場じゃそれが命取りになることもある」
その声には、経験からくる重みがあった。
「敵を生かした結果、味方が死ぬことだってある。俺たちは、それを何度も見てきた」
イザベラは静かに答えた。
「だからこそ、あの子には学んでほしいのです」
「……何を?」
「優しさを捨てるのではなく、守るために必要な覚悟を持つことを」
レオナードは小さく笑った。
「……ああ」
彼は夜空を見上げた。
「レオンなら、きっと分かるさ」
遠く、王都の方角。
そこには、まだ戦場を知らない少年がいる。
レオンハルト・ヴァルディス。
圧倒的な力と、誰よりも優しい心を持つ少年。
彼がこの戦場へ立つとき。
その優しさは、初めて本当の意味で試されることになるのだった。




