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『悪役公爵令息レオンハルト』  作者: 覇王が好き
第四章 黒獅子の戦旗――七星の公爵令息と帝国戦争

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第161話 八万の侵攻――守るべき命は一つではない

 翌朝。


 グランフェル要塞の鐘が、夜明けと同時に鳴り響いた。


 それは、敵襲を告げる鐘だった。


「北方街道に帝国軍!」


「南側の森林地帯にも敵影!」


「東方の補給路へ、騎兵部隊が進軍しています!」


 次々と届く報告に、要塞の作戦室が慌ただしくなる。


 中央の大きな地図には、帝国軍の進軍経路が赤い線で書き込まれていた。


 北方に一万五千。


 南方に一万。


 東方に五千。


 そして、要塞正面には二万を超える軍勢。


 その他の部隊も、後方で予備兵力として待機している。


 開戦初日の損害を受けてもなお、帝国軍は王国軍を遥かに上回る兵力を保持していた。


「……なるほどな」


 レオナードは地図を見つめ、低く呟いた。


「正面で勝てねえと分かった途端、全方向から来やがったか」


 その隣で、イザベラが静かに頷く。


「予想どおりですわね。ですが、思ったより動きが早い」


 王国軍の指揮官が険しい表情を浮かべた。


「北方には三つの村が残っています。避難が完了していない住民が、少なくとも二千人」


「南方街道には?」


「昨日から避難民の馬車が続いております。現在、護衛の王国兵が約八百」


「東方の補給路は?」


「食料と治癒薬を積んだ輸送隊が、今朝到着する予定です」


 レオナードは腕を組んだ。


「……全部守らなきゃならねえってわけか」


 イザベラは静かに答えた。


「ええ。ですが、私たちが二人とも要塞を離れれば、正面が突破されます」


 その言葉に、作戦室が静まり返った。


 黒狼と白銀の女帝。


 二人の戦闘能力は、帝国軍の将軍たちを遥かに凌駕している。


 しかし、どれほど強くても、同時にすべての場所へ存在することはできない。


 これこそが、帝国軍の狙いだった。


 * * *


「まず、正面は俺が抑える」


 レオナードが地図の中央を指した。


「イザベラ、お前は北方へ向かってくれ」


「南方と東方はどうなさいます?」


「南方には要塞の精鋭部隊を回す。東方は補給隊に伝令を飛ばして、到着時刻をずらさせろ」


 王国軍の指揮官が頷く。


「承知しました!」


 イザベラは地図を見つめた。


「北方の村人たちには、すぐに避難を始めさせます」


「ああ。敵が来る前に逃がしてやれ」


 レオナードは大剣を肩に担いだ。


「俺が正面を叩いて、連中の注意を引きつける」


 イザベラは小さく微笑んだ。


「……無茶をなさらないでくださいね」


「お前こそな」


 二人は短く視線を交わした。


 言葉は、それ以上必要なかった。


 長年、数え切れない戦場を共にしてきた二人には、互いの考えが分かっていた。


 * * *


 要塞正面。


 帝国軍の中央部隊が、再び進軍を開始した。


 重装歩兵。


 槍兵。


 魔導兵。


 そして、その後方には騎兵部隊が控えている。


 しかし、前日とは違い、兵士たちの表情には明らかな緊張があった。


「……黒狼が来るぞ」


「昨日、第一軍団がやられたんだろ……?」


「本当に、俺たちで止められるのか……」


 不安が広がる。


 そのとき、帝国軍の前方に黒い影が現れた。


 レオナード・ヴァルディス。


 大剣を肩に担ぎ、堂々と歩いてくる。


「……おう」


 彼は帝国軍を見渡した。


「昨日あれだけやられて、まだ来るとはな」


 その声に、兵士たちが身を固くした。


 レオナードは静かに大剣を構える。


「悪いが、今日は忙しいんだ」


 黒い魔力が刃へ集まった。


「さっさと終わらせてもらうぜ!」


《黒狼烈破》


 漆黒の衝撃波が、帝国軍の前線へ襲いかかった。


 轟音。


 土煙。


 そして、兵士たちの悲鳴。


 重装歩兵の盾陣が砕け、隊列が崩壊する。


 数百の兵士が倒れ、前線の一角が一瞬で壊滅した。


「うわあああっ!」


「後退! 後退しろ!」


 だが、帝国軍は退かなかった。


 後方から新たな部隊が次々と投入される。


 前線の指揮官が叫んだ。


「黒狼を引きつけろ! 決して要塞へ戻すな!」


 その命令に、レオナードの目が細くなる。


「……なるほど」


 彼は低く呟いた。


「俺をここに釘付けにするつもりか」


 そして、再び大剣を振り上げた。


「だったら、まとめて相手してやるよ!」


 * * *


 北方の村落群。


 イザベラは銀色の魔法陣を展開し、上空から村々を見渡していた。


 眼下では、村人たちが慌ただしく避難を進めている。


 馬車に乗せられた老人。


 母親に手を引かれる子供。


 荷物を抱えて走る人々。


 その姿を見つめながら、イザベラは静かに息を吐いた。


「……間に合ってください」


 遠方には、帝国軍の大部隊が迫っていた。


 一万五千。


 その数は、北方の村を守る王国兵を遥かに上回る。


 イザベラは右手を掲げた。


「――《白銀天幕》」


 巨大な銀色の結界が、村の上空に広がった。


 帝国軍の魔導兵が放った砲撃が、結界へ激突する。


 轟音。


 爆炎。


 しかし、結界は微動だにしなかった。


「……通しませんわ」


 イザベラは静かに告げた。


「この先には、守るべき人々がいます」


 その瞳には、冷たい決意が宿っていた。


 * * *


 南方街道。


 避難民の馬車が、長い列を作って進んでいた。


 その数、数百台。


 護衛の王国兵たちは、周囲を警戒しながら進んでいる。


「急げ! 帝国軍が近づいている!」


「子供と老人を先に!」


 将校が叫ぶ。


 しかし、馬車の進みは遅かった。


 荷物を積んだ車輪がぬかるみに沈み、立ち往生する車両が出始めていた。


 そのとき。


 森の奥から、金属音が響いた。


「……何だ?」


 護衛兵が顔を上げる。


 次の瞬間、木々の間から無数の帝国兵が現れた。


「敵襲!」


「南方の別働隊だ!」


 帝国軍の兵士たちが、一斉に突撃してくる。


 王国軍の護衛兵たちは、すぐさま盾を構えた。


「民を守れ!」


「ここを突破させるな!」


 剣と槍が激しくぶつかり合う。


 悲鳴が響く。


 避難民たちは恐怖に震えながら、馬車の陰へ身を隠した。


 王国軍の兵士たちは必死に戦った。


 しかし、数が違いすぎた。


 次々と兵士たちが倒れ、護衛の防衛線が押し込まれていく。


「……くそっ!」


 若い騎士が血の滲む腕で剣を握りしめた。


「ここを抜かれたら、民が……!」


 その背後では、小さな女の子が母親に抱きついて泣いていた。


「お母さん……怖いよ……」


 母親は震える声で答えた。


「大丈夫……きっと、大丈夫だから……」


 だが、帝国軍の兵士たちは確実に近づいていた。


 * * *


 グランフェル要塞。


 伝令が作戦室へ飛び込んできた。


「緊急報告!」


 王国軍の指揮官が振り返る。


「どうした!」


「南方街道の護衛部隊が、帝国軍の大部隊と交戦中!」


「……何だと!?」


「敵兵力、推定一万! 護衛部隊は八百! このままでは突破されます!」


 作戦室が騒然となった。


 北方ではイザベラが一万五千の敵を相手にしている。


 正面ではレオナードが二万を超える軍勢を抑えている。


 そして、南方では八百の王国兵が一万の帝国軍に包囲されつつあった。


「……援軍を!」


「しかし、要塞の守備兵をこれ以上減らせば……!」


 将校たちが声を荒らげる。


 そのとき、通信魔法が光った。


『こちらレオナード。南方の状況は聞いた』


 王国軍の指揮官が顔を上げる。


「レオナード様!」


『……イザベラは北方を離れられねえ。俺も正面を放り出せば、要塞が危ねえ』


 短い沈黙。


 そして、黒狼の声が響いた。


『……だが、民を見捨てるわけにはいかねえ』


 王国軍の指揮官は唇を噛んだ。


「……では、どうすれば……」


 レオナードは低く答えた。


『要塞の予備兵力を動かせ。俺が正面をさらに押し込んで、敵の中央軍を一時的に後退させる』


「しかし、それではレオナード様が……!」


『心配すんな』


 黒狼は笑った。


『俺があの程度の軍勢に負けると思ってんのか?』


 その声には、絶対的な自信があった。


 だが、続く言葉は真剣だった。


『……ただし、急げ。南方の連中が耐えられる時間には限りがある』


 通信が切れる。


 作戦室に、重い沈黙が落ちた。


 黒狼も白銀の女帝も、敵には負けていない。


 むしろ、圧倒している。


 それなのに。


 守るべき命は、戦場のあまりにも多くの場所に存在していた。


 そして今、その一つが失われようとしていた。



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