第158話 紅蓮の女将軍――黒狼への挑戦
ヴァルガルド帝国軍、中央本陣。
開戦から半日も経たないうちに、帝国軍の作戦は大きく狂い始めていた。
正面の第一軍団は壊滅的な損害を受け、北方へ進出した騎兵部隊は降伏。
さらに、後方に配置していた大規模魔導砲部隊までもが《白銀の女帝》によって撃破された。
八万という圧倒的な兵力を誇りながら、帝国軍は要塞の城壁にすら近づけていない。
「第一軍団の戦死者、推定千二百。負傷者は二千を超えます」
「北方騎兵隊のうち、約六百が捕虜となりました」
「魔導砲部隊は再建不能。砲兵の戦死者と負傷者については、現在も確認中です」
参謀たちの報告が続く。
総司令官は地図を睨みつけたまま、低く唸った。
「……たった二人のために、これほどの損害を出したというのか」
誰も答えなかった。
答えられる者など、いなかった。
その沈黙を破ったのは、深紅の髪を持つ若き女将軍だった。
「閣下。中央軍を前進させます」
ヴァレリア・ローゼンベルク。
十九歳にして帝国軍の将軍位を得た、剣と炎の使い手。
その実力は、決して家柄だけで得たものではなかった。
「……勝てるのか?」
総司令官の問いに、ヴァレリアは静かに答えた。
「勝利を保証することはできません。ですが、敵の実力を測らぬまま兵を送り続ければ、損害は増える一方です」
「つまり、お前が黒狼と戦うと?」
「はい」
周囲の将校たちがざわめいた。
「ヴァレリア将軍、危険です!」
「黒狼は第一軍団を単独で壊滅させた男です!」
だが、ヴァレリアは動じなかった。
「だからこそ、私が行くのです」
彼女は腰の剣に手を添えた。
「兵に死地へ進めと命じる以上、将である私が後方に隠れているわけにはいきません」
総司令官はしばらく彼女を見つめていた。
やがて、冷たく笑う。
「……よかろう。中央軍の精鋭三千を預ける」
「感謝いたします」
「ただし、無駄死には許さん。黒狼の足を止めるだけでも構わん」
その言葉に、ヴァレリアの眉がわずかに動いた。
足を止める。
その間に別の部隊を動かすつもりなのだろう。
しかし、彼女にはまだ、総司令官の本当の狙いまでは見えていなかった。
「……承知しました」
ヴァレリアは敬礼し、本陣を後にした。
* * *
グランフェル要塞前方。
黒い鎧の男が、戦場に立っていた。
レオナード・ヴァルディス。
《黒狼》の異名を持つ、王国屈指の剣士。
彼は帝国軍の動きを眺めながら、大剣を肩に担いでいた。
「……ん?」
遠方の帝国軍陣地から、一隊の騎兵が現れた。
その先頭に立つのは、深紅の鎧をまとった女将軍。
赤い髪が風になびき、金色の瞳が真っ直ぐこちらを見据えている。
「……ほう」
レオナードは口元を吊り上げた。
「今度は、少し骨のある奴が来たみてえだな」
女将軍は部隊を停止させると、一人で前へ進み出た。
「王国の黒狼、レオナード・ヴァルディス殿とお見受けする!」
よく通る声だった。
レオナードは笑う。
「そういうお前さんは?」
「ヴァルガルド帝国軍将軍、ヴァレリア・ローゼンベルク!」
彼女は剣を抜いた。
刃が赤い炎をまとい、周囲の空気が揺らめく。
「帝国軍の将として、貴殿に一騎討ちを申し込む!」
レオナードは一瞬だけ目を丸くした。
そして、豪快に笑った。
「はははっ! 八万も連れてきて、一騎討ちとは面白え!」
「……卑怯な手段で貴殿を討つつもりはない」
「いいねえ。その心意気は嫌いじゃねえぜ」
レオナードは大剣を構えた。
「来な。若いの」
ヴァレリアの瞳が鋭くなる。
「……参る!」
次の瞬間。
彼女の姿が消えた。
いや、消えたように見えるほどの速度で踏み込んだのだ。
《紅蓮閃》
炎をまとった剣が、一直線にレオナードの首筋へ迫る。
帝国軍の兵士たちが息を呑んだ。
だが。
――ガキィィン!
鋭い金属音が響いた。
レオナードは大剣を片手で動かし、その一撃を受け止めていた。
「……悪くねえ」
彼は笑った。
「踏み込みも、剣筋も、かなりいい」
「……っ!」
ヴァレリアは即座に距離を取る。
そして、連続して剣を振るった。
《紅蓮連舞》
炎の斬撃が幾重にも重なり、黒狼へ襲いかかる。
しかし、レオナードは動じなかった。
大剣を軽く振るうだけで、すべての斬撃を弾き返していく。
炎が散る。
火花が舞う。
地面が抉れる。
それでも、黒狼の足はほとんど動かなかった。
「……そんな」
ヴァレリアの額に汗が浮かぶ。
自分の剣は、帝国でも屈指の速度を誇る。
これまで数多くの強敵を倒してきた。
だが、目の前の男には届かない。
まるで、剣の軌道を最初から知っているかのようだった。
「どうした?」
レオナードが笑う。
「まだ本気じゃねえだろ?」
その言葉に、ヴァレリアの瞳が燃え上がった。
「……ならば!」
彼女は剣を天へ掲げた。
炎の魔力が一気に膨れ上がる。
《紅蓮覇王斬》
巨大な炎の刃が形成され、レオナードへ振り下ろされた。
帝国軍の兵士たちが歓声を上げる。
「将軍の奥義だ!」
「これなら……!」
だが。
レオナードは大剣をゆっくりと持ち上げた。
「……なるほど」
黒い魔力が刃へ集まる。
「若いわりには、よく鍛えてやがる」
そして。
「――《黒狼閃》」
一閃。
漆黒の斬撃が、炎の巨刃を真正面から切り裂いた。
紅蓮の炎が左右へ弾け飛ぶ。
「なっ……!」
ヴァレリアの瞳が大きく見開かれた。
彼女の奥義が、たった一撃で破られたのだ。
さらに、黒い衝撃波が彼女の目前へ迫る。
「くっ!」
ヴァレリアは剣を盾にして受け止めた。
しかし、衝撃は凄まじかった。
地面を削りながら後方へ押し戻され、数十歩も後退する。
ようやく踏みとどまったとき、彼女の両腕は痺れていた。
「……これが」
ヴァレリアは荒い息を吐く。
「……黒狼の力……!」
レオナードは肩に大剣を戻した。
「悪くねえぞ、お嬢ちゃん」
その声には、明確な評価があった。
「だがな。戦場で剣を振るうってのは、技の強さだけじゃねえ」
彼の視線が、ヴァレリアの背後に控える帝国軍へ向く。
「お前が負けたら、後ろの連中はどうなる?」
「……!」
「将ってのは、自分の命だけ賭けりゃいいわけじゃねえんだ」
ヴァレリアは唇を噛んだ。
その言葉は、剣よりも深く胸に刺さった。
彼女の背後には三千の兵士がいる。
自分を信じて、この戦場へ来た者たちが。
だが、ここで退けば帝国軍はさらに不利になる。
進めば、彼らを死地へ送ることになる。
ヴァレリアは剣を握り直した。
「……私は」
その瞳には、まだ炎が宿っていた。
「私は、帝国の将軍です!」
再び紅蓮の魔力が燃え上がる。
レオナードは静かに笑った。
「……いい覚悟だ」
そして、大剣を構える。
「なら、その覚悟ごと受け止めてやる」
黒狼と紅蓮。
二人の剣士の戦いは、さらに激しさを増していく。




