第157話 白銀の女帝――千の魔導砲を沈黙させる
グランフェル要塞の北方。
緩やかな丘陵が続くその地域には、小さな農村が点在していた。
春の収穫を控えた畑。
石造りの家々。
そして、村の中央に立つ古い鐘楼。
戦争とは無縁に見えるその風景へ、帝国軍の騎兵部隊が迫っていた。
「急げ! 王国軍が来る前に街道を押さえろ!」
帝国軍騎兵隊長が叫ぶ。
彼らの任務は、要塞北方の避難路を封鎖することだった。
正面では黒狼レオナードが圧倒的な戦闘力を見せつけている。
ならば、別の場所を狙う。
それが帝国軍総司令官の考えだった。
しかし、彼らはまだ知らなかった。
この国境には、黒狼に匹敵するもう一人の怪物がいることを。
* * *
丘陵の上。
銀色の髪を風になびかせ、一人の女性が立っていた。
イザベラ・シルヴェイン。
《白銀の女帝》。
彼女の周囲には、幾重もの銀色の魔法陣が静かに浮かんでいる。
「……予想どおりですわね」
イザベラは眼下の騎兵部隊を見つめた。
その進路の先には、避難を始めたばかりの村がある。
馬車には老人や子供たちが乗り、村人たちが慌ただしく荷物を運んでいた。
「民間人を狙うなど、愚かなことを」
彼女は静かに右手を上げた。
「――《白銀封鎖》」
瞬間。
丘陵一帯に巨大な銀色の魔法陣が展開された。
帝国軍の騎兵たちが驚いて顔を上げる。
「な、何だ!?」
「魔法陣だと!?」
次の瞬間、銀色の光の鎖が地面から伸びた。
馬の進路を封じ、騎兵の武器を絡め取る。
逃れようとした兵士たちは、次々と拘束された。
「う、動けない!」
「魔力が……! 魔法が発動しない!」
騎兵隊長は必死に剣を抜こうとしたが、鞘から引き抜くことすらできなかった。
イザベラは静かに歩み寄った。
「ここから先は、王国の村です」
その声は穏やかだった。
だが、逆らうことを許さない威厳があった。
「武器を捨て、降伏なさい」
「……貴様が、白銀の女帝か!」
騎兵隊長が叫ぶ。
イザベラは小さく微笑んだ。
「ええ。ご存じなら、話は早いですわね」
その瞬間、帝国兵たちの顔から血の気が引いた。
だが、騎兵隊長はなおも抵抗を選んだ。
「弓兵! あの女を射抜け!」
後方に残っていた弓兵たちが、一斉に矢を放つ。
しかし、イザベラは微動だにしなかった。
「……愚かな」
彼女の指先がわずかに動く。
銀色の光が弓兵隊を包み込んだ。
次の瞬間、鋭い魔力の刃が地面を走り、弓兵たちを薙ぎ払った。
悲鳴が上がる。
武器が砕け、兵士たちが倒れる。
その一撃で、弓兵隊は壊滅した。
イザベラは静かに告げる。
「私は降伏した者を殺しません。ですが、戦い続ける者にまで手加減するつもりはありませんわ」
その言葉を聞いた騎兵隊長は、ようやく剣から手を離した。
「……降伏する」
イザベラは小さく頷いた。
「賢明な判断です」
* * *
同じ頃。
帝国軍後方では、大規模な魔導砲部隊が展開していた。
「白銀の女帝が北方へ向かった!」
「今だ! 丘陵地帯ごと吹き飛ばせ!」
砲兵指揮官が叫ぶ。
数百門の魔導砲が、一斉に魔力を蓄え始めた。
砲身の先端に赤い光が集まる。
魔石が唸りを上げ、大気が震えた。
「第一斉射、準備完了!」
「撃て!」
轟音が響いた。
数百発の魔導光弾が空へ放たれ、丘陵地帯へ向かって飛翔する。
二度、三度と斉射が続き、放たれた光弾の総数は瞬く間に千を超えた。
空が赤い光に染まる。
王国軍の兵士たちが叫んだ。
「イザベラ様! 砲撃です!」
「村が巻き込まれます!」
しかし、イザベラは動じなかった。
彼女は空を見上げ、静かに息を吐いた。
「……数だけは立派ですこと」
右手を掲げる。
銀色の魔法陣が、彼女の背後に幾重にも重なった。
「――《白銀天幕・千重結界》」
瞬間。
丘陵地帯の上空に、巨大な銀色の光の膜が広がった。
薄い魔力の層を幾重にも重ねた、多重防御魔法。
千を超える魔導光弾が、その結界へ次々と激突する。
轟音。
爆炎。
大気を震わせる衝撃。
だが、銀色の結界は揺らぐことすらなかった。
すべての砲撃が、空中で無力化されたのだ。
「……嘘だろ」
帝国軍の砲兵が呟いた。
「千発以上、撃ったんだぞ……?」
砲兵指揮官は顔を青ざめさせた。
「ば、馬鹿な……! 魔導砲部隊の一斉射撃を、たった一人で……!」
イザベラは遠くの砲兵陣地へ視線を向けた。
「……では、こちらからもお返しを」
彼女の周囲に、無数の銀色の光球が浮かび上がった。
「――《白銀流星雨》」
銀色の光が空を駆け抜ける。
流星のような魔力弾が、帝国軍の砲兵陣地へ降り注いだ。
今度の攻撃は、兵器だけを狙ったものではなかった。
砲台。
魔力供給装置。
そして、それらを操作する砲兵部隊。
戦闘を続ける敵軍の陣地全体が、白銀の光に包まれた。
轟音が連続して響く。
砲台が砕け、魔石炉が爆発し、砲兵たちが次々と倒れていく。
「うわあああっ!」
「砲台が! 全部……!」
「撤退しろ! これ以上は――!」
砲兵指揮官の命令は、最後まで届かなかった。
わずか数十秒。
帝国軍の大規模魔導砲部隊は、甚大な死傷者を出して壊滅した。
数百門の魔導砲は、もはや一門たりとも戦闘に使用できない。
イザベラは静かに手を下ろした。
「……これで、しばらくは静かになるでしょう」
その表情には、疲労の色すらなかった。
* * *
グランフェル要塞の城壁。
王国軍の兵士たちは、北方の空に広がる銀色の光を見上げていた。
「……あれが、白銀の女帝」
「黒狼だけでも十分恐ろしいのに……」
「二人とも、桁が違う……!」
兵士たちの声には、驚愕と尊敬が入り混じっていた。
そのとき、レオナードが城壁へ戻ってきた。
「おう。北はどうなった?」
将校が慌てて報告する。
「イザベラ様が敵の騎兵部隊を制圧し、魔導砲部隊を壊滅させました!」
「……ははっ!」
レオナードは豪快に笑った。
「相変わらず派手だな、あいつ!」
その直後、銀色の通信魔法が現れる。
『聞こえていますわよ、レオナード』
「おっと」
『あなたの方こそ、敵の先鋒軍を一人で壊滅させたそうですわね』
「俺は普通に戦ってただけだ!」
『それを普通とは申しません』
通信越しに、イザベラの呆れた声が響く。
周囲の兵士たちは思わず笑ってしまった。
戦場の緊張が、ほんの少しだけ和らぐ。
* * *
しかし、帝国軍本陣では笑う者などいなかった。
「北方騎兵部隊、降伏!」
「魔導砲部隊、壊滅! 戦死者・負傷者多数!」
「要塞正面の先鋒軍も再編が必要です!」
次々と届く報告に、総司令官は拳を握りしめた。
「……ふざけるな」
彼は地図を睨みつけた。
「八万の軍勢が、たった二人に止められているだと……!」
参謀たちは誰も答えられなかった。
そのとき、一人の将校が静かに進み出た。
「閣下。正面からの突破は不可能です」
「分かっている!」
「ならば、戦場そのものを変えるべきです」
将校は地図の上へ、いくつもの駒を置いた。
北方の村。
南側の街道。
東へ続く補給路。
そして、要塞の背後にある避難拠点。
「黒狼と白銀の女帝は、確かに強大です。しかし、彼らが守るべき場所は一つではありません」
総司令官の目が細くなる。
「……続けろ」
「こちらは軍を分散させ、複数の地点へ同時に圧力をかけます。彼らが一方を守れば、別の場所へ進む」
将校は冷たく笑った。
「どれほど強くとも、二人の身体は二つしかありません」
総司令官はゆっくりと頷いた。
「……よし」
その声には、冷酷な響きがあった。
「次の作戦では、要塞を直接攻める必要はない」
地図の上に、赤い駒が次々と置かれていく。
「奴らが守ろうとするものを、すべて戦場に引きずり出せ」
こうして帝国軍は、戦術を大きく変更した。
黒狼と白銀の女帝を倒すためではない。
彼らが守るべき人々を利用し、戦場全体を揺さぶるために。
そして、その非情な作戦こそが、長い国境防衛戦の本当の始まりとなるのだった。




