第152話 黒翼が遺した最後の予言
神託院特別研究局の封鎖から十日が過ぎた。
王都では春の祭礼の準備が始まり、広場には色鮮やかな布飾りが掛けられていた。市場では商人たちの威勢のよい声が飛び交い、子供たちは祭礼で売られる菓子の話に夢中になっている。
平穏が戻ったように見える街の地下で、王国の監察官たちは昼夜を問わず押収資料の解析を続けていた。
その日、レオンハルトは父アルフォンスに呼ばれ、王宮の特別調査室を訪れていた。
付き添うのはエレノア。彼女の銀髪には、レオンから贈られた青い宝石の髪飾りが揺れている。
「レオン、こちらへ」
アルフォンスの前には、黒い封印箱が置かれていた。
隣には国王アレクシスと、神託院最高評議会議長オルディス・レインハルトがいる。
「父上。何か新しいことが分かったのですか?」
「ああ。セルディオの研究記録から、不可解な文書が見つかった」
アルフォンスが封印箱を開く。
中には、古びた羊皮紙と黒翼の紋章が刻まれた薄い金属板が収められていた。
「これは……」
レオンは羊皮紙に目を落とした。
そこに記されていたのは、以前カインに吹き込まれたという予言と同じ文言だった。
『七つの星を従える者、運命の輪を乱す』
『選ばれし剣の継承者、奪われた道を取り戻さん』
だが、今回はその下に続きがあった。
『黒き翼が国境を越える時、偽りの王冠は血に沈む』
『星を奪う者、世界の門を開かん』
「……ずいぶん物騒な文章ですね」
エレノアが眉をひそめた。
オルディスが重い口を開く。
「神託院の正規の神託記録には、この予言は存在しません。少なくとも、現在確認できる古文書の中には」
「つまり、セルディオが作った偽物という可能性もあるわけですね」
「そのとおりです」
レオンは金属板を手に取らず、少し離れた位置から魔力を探った。
黒翼の紋章に宿る魔力は微弱だったが、これまでの呪印とは明らかに異なる特徴を持っていた。
魔族の魔力に似ている。
しかし、完全には一致しない。
むしろ、何かを模倣しようとして失敗した痕跡に近かった。
「父上。この金属板は、どこで見つかったのですか?」
「セルディオの研究室の床下だ。通常の探知魔法では見つからないよう、幾重にも隠蔽されていた」
「なるほど……」
レオンは右手をかざした。
「少し調べても?」
国王が頷く。
「頼む。ただし、安全を最優先にしてくれ」
「承知しました」
七属性のうち、まず水と光の魔力を細く伸ばす。
金属板の表面に刻まれた紋様が、わずかに浮かび上がった。
その奥には、肉眼では見えない微細な魔法文字が隠されていた。
レオンは土属性で金属板の構造を固定し、闇属性で呪術の干渉を遮断する。
そして雷属性の極めて小さな刺激を与えると、封じられていた文字が空中へ投影された。
「……これは、通信記録?」
エレノアが身を乗り出す。
空中に浮かんだのは、短い文章だった。
『第七観測対象、確認』
『共鳴実験、第一段階完了』
『西方計画へ移行』
その最後には、黒翼の紋章が刻まれていた。
アルフォンスの表情が険しくなる。
「西方計画……。帝国か」
「可能性はあります。ただ、この記録だけで帝国政府が関与しているとは断定できません」
レオンは慎重に答えた。
「送信先が西方にあることと、帝国そのものが黒幕であることは別です」
国王は静かに頷いた。
「よく分かっているな。疑惑だけで国を動かせば、それこそ敵の思う壺になる」
その言葉に、レオンはもう一度金属板を見つめた。
予言。
七つの星。
世界の門。
どれも大げさな言葉ばかりだ。
だが、その背後には一つの明確な目的があった。
自分の七属性の魔力を観測し、何かに利用しようとしている。
「陛下。セルディオ本人からは、何か供述がありましたか?」
「核心については黙秘を続けている。自分は『大いなる計画の一部にすぎない』と繰り返すばかりだ」
「……そうですか」
レオンは目を伏せた。
セルディオの言葉が真実か、最後の虚勢かはまだ分からない。
しかし、研究室に残された設備や資金の規模を考えれば、協力者がいた可能性は高い。
「この金属板は、俺が解析した内容を記録したうえで、王宮の封印庫へ戻してください」
「お前は持っていかないのか?」
父の問いに、レオンは首を振った。
「これは王国の証拠品です。俺一人で抱えるより、正式な調査に使ってもらった方がいい」
アルフォンスは満足そうに頷いた。
「それでこそ、私の息子だ」
* * *
調査室を出ると、王宮の回廊には午後の日差しが差し込んでいた。
レオンとエレノアは、しばらく無言で歩いた。
やがてエレノアが口を開く。
「レオン様。少し、よろしいでしょうか」
「どうした?」
「今回の事件で、私は改めて思い知らされました。レオン様がどれほど遠い場所まで手を伸ばせる方なのかを」
レオンは足を止めた。
「……遠い場所?」
「王都全域を救い、黒翼の術式を見抜き、主犯を追い詰めた。私には、とても同じことはできません」
エレノアは自分の手を見つめる。
「護衛騎士でありながら、あなたに守られてばかりいるような気がして……」
「エレノア」
レオンは彼女の言葉を遮った。
「君がいなかったら、学園の避難はあんなに円滑には進まなかった」
「ですが……」
「俺は魔法を止められる。でも、混乱している人たちを一人ずつ安心させることは、君たちの方がずっと上手い」
エレノアが顔を上げる。
「守る方法は、一つじゃないだろう?」
レオンは穏やかに笑った。
「俺は、君が隣にいてくれるから安心して戦えるんだ」
エレノアの頬が赤く染まった。
「……レオン様は、時々ずるいことをおっしゃいます」
「え?」
「いいえ。何でもありません」
彼女は小さく微笑んだ。
そして、少しだけ勇気を出して続ける。
「次に何が起きても、私はあなたの隣に立ちます。護衛騎士としてだけではなく……私自身の意思で」
レオンはその言葉を真っ直ぐに受け止めた。
「ああ。これからも頼りにしている」
エレノアは静かに頷いた。
* * *
その夜。
王都から遠く離れた西方の街で、一人の男が暗い部屋に座っていた。
机の上には、黒翼の紋章が刻まれた封筒。
男は封筒を開き、短い報告書を読み進める。
『セルディオ・クロイツ、拘束』
『王都共鳴実験、失敗』
『第七観測対象の詳細解析、未達成』
男は小さく息を吐いた。
「……やはり、あの少年は想定以上か」
窓の外では、帝国の軍旗が風に揺れていた。
男は報告書を蝋燭の炎へ近づける。
紙が黒く焦げ、灰になって崩れ落ちた。
「ならば、次は別の方法を試すだけだ」
その声に、感情はほとんどなかった。
机の端には、もう一枚の文書が置かれている。
そこには、ルミナス王国西部の国境要塞と、その周辺に点在する村々の地図が描かれていた。
男は地図の一点に指を置いた。
「黒狼と白銀の女帝……。まずは、あの二人の動きを見せてもらおう」
黒翼の紋章が、蝋燭の明かりに鈍く浮かび上がった。




