第151話 帝国の皇女と紅蓮の女将軍
ヴァルガルド帝国。
ルミナス王国の西方に広大な領土を持つこの国は、長い歴史の中で幾度も周辺諸国との戦争を繰り返してきた。
豊かな鉱山資源。
強大な常備軍。
そして、皇帝を頂点とする厳格な軍事制度。
帝国の力は、長年にわたって周辺諸国から恐れられていた。
その帝都の中心に、巨大な皇城がそびえ立っている。
今日、その皇城では緊急の軍議が開かれていた。
* * *
「国境軍の増強は予定どおり進んでおります」
帝国軍参謀長の報告に、皇帝は静かに頷いた。
「王国側の動きは?」
「現時点で大規模な動員は確認されておりません。ただし、ヴァルディス公爵家の軍勢が動けば、戦力評価は大きく変わります」
皇帝の指が玉座の肘掛けを叩いた。
「黒獅子アルフォンス……。あの男がいる限り、王国への侵攻は容易ではない」
その言葉に、軍議室の空気が重くなる。
ヴァルディス家。
帝国の将軍たちにとって、その名は特別な意味を持っていた。
黒獅子アルフォンス。
銀月の魔女エレオノーラ。
黒狼レオナード。
白銀の女帝イザベラ。
彼ら四人は、いずれも一人で戦局を左右するほどの実力者と評されている。
そして最近、その一族に新たな名が加わった。
「レオンハルト・ヴァルディス、十五歳」
参謀長が報告書を読み上げる。
「王立学園序列第一位。七属性の魔法を操り、王都の魔力暴走を鎮圧したとされています」
軍議室にざわめきが広がった。
「十五歳の少年が?」
「七属性など、伝説の類ではないのか?」
「情報が誇張されている可能性は?」
将軍たちが次々と意見を述べる。
その中で、一人だけ黙って報告書を見つめている女性がいた。
深紅の長髪。
金色の瞳。
黒と銀を基調とした軍装を身にまとい、腰には美しい長剣を佩いている。
帝国軍若手将軍、ヴァレリア・ローゼンベルク。
十九歳という若さで将軍の地位へ上り詰めた、帝国屈指の剣士だった。
「……七属性の魔法使い、か」
ヴァレリアは小さく呟いた。
彼女自身、炎魔法と剣術を組み合わせた戦闘を得意としている。
だからこそ、七属性を同時に扱うという話がどれほど常識外れなのか理解できた。
「陛下。発言をお許しください」
「申せ、ヴァレリア」
「この少年の実力が報告どおりなら、正面からの侵攻は危険です。まずは情報を集めるべきかと」
その言葉に、年配の将軍が鼻を鳴らした。
「若いな、ヴァレリア。たかが十五歳の少年を恐れるのか?」
「恐れているのではありません。未知の戦力を軽視することが愚かだと申し上げているのです」
ヴァレリアの金色の瞳が鋭く光った。
「敵の実力も知らずに兵を進めるのは、勇気ではなく無謀です」
軍議室が静まり返る。
皇帝はしばらく彼女を見つめ、やがて頷いた。
「よかろう。引き続き情報を集めよ。ただし、国境軍の増強は止めぬ」
「……御意」
ヴァレリアは頭を下げた。
しかし、その胸中には小さな疑問が残っていた。
これほど危険な戦力が存在すると知りながら、なぜ皇帝は軍を動かし続けるのか。
* * *
軍議が終わった後。
ヴァレリアは皇城の回廊を歩いていた。
その前方に、一人の少女が立っている。
白金色の長い髪。
紫水晶のような瞳。
上品な白いドレスを身にまとった美しい少女。
帝国第一皇女、アナスタシア・ヴァルガルドだった。
「ヴァレリア将軍」
「アナスタシア殿下」
ヴァレリアは片膝をついた。
「どうかお立ちになって。今日は、あなたに聞きたいことがあるの」
「何でしょうか」
アナスタシアは周囲に人がいないことを確認すると、静かに尋ねた。
「……本当に、王国との戦争が始まるのですか?」
ヴァレリアはすぐには答えなかった。
皇女は続ける。
「国境には、既に多くの兵士が集められていると聞きました。王国側も警戒を強めているのでしょう?」
「はい」
「それなら、なぜ外交交渉を進めないのですか?」
ヴァレリアは少しだけ目を伏せた。
「……殿下。私は軍人です。戦争を始めるかどうかを決める立場にはありません」
「でも、あなたは無意味な戦いを望む人ではないでしょう?」
その言葉に、ヴァレリアは顔を上げた。
アナスタシアは真剣な眼差しを向けていた。
「兵士にも家族がいます。王国の人々にも、大切な生活があるはずです」
「……おっしゃるとおりです」
「私は、戦争を止めたい」
皇女ははっきりと告げた。
「そのために、王国との対話の道を探したいのです」
ヴァレリアはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「殿下は、相変わらずお優しい」
「優しさだけでは国を守れないことくらい、分かっています」
アナスタシアは首を振った。
「だからこそ、知恵を使いたいのです」
その言葉に、ヴァレリアは静かに頷いた。
「……私にできることがあれば、お力になります」
「ありがとう、ヴァレリア」
アナスタシアは安堵したように微笑んだ。
* * *
皇女の私室。
アナスタシアは机に広げられた報告書を読んでいた。
そこには、ルミナス王国で起きた黒翼事件の概要が記されている。
王都全域の魔力暴走。
神託院の禁術研究。
そして、それを食い止めた公爵令息。
「……レオンハルト・ヴァルディス」
皇女は、その名を小さく口にした。
報告書によれば、少年は王都の防衛網を修復する際、敵対者を含めて可能な限り犠牲を出さない方法を選んだという。
強大な力を持ちながら、それを誇示しない。
人々を守るために力を使う。
アナスタシアは、そんな少年がどのような人物なのか気になっていた。
「……一度、お会いしてみたいわ」
その呟きは、誰にも聞かれることなく部屋の中へ消えた。
* * *
同じ頃。
帝国西部の軍事都市では、巨大な兵站基地が稼働を始めていた。
武器。
食糧。
魔石。
攻城兵器。
数万の兵士を動かすための物資が、次々と運び込まれていく。
その中心に立つ帝国軍総司令官が、部下へ命じた。
「第一軍団、第二軍団は予定どおり国境へ進め。第三軍団は補給路の確保を優先せよ」
「はっ!」
「王国側が動く前に、要衝を押さえる」
将軍は地図の一点を指差した。
ルミナス王国西部。
ヴァルディス家の親族が守る国境要塞。
「……まずは、ここだ」
その要塞を守るのが《黒狼》レオナードと《白銀の女帝》イザベラであることを、将軍は知っていた。
個の力では勝てない。
ならば、数で押し切る。
敵が要塞を守るなら、周辺の村を狙う。
避難民を守ろうとすれば、別の場所を攻める。
その非情な作戦が、密かに準備され始めていた。
そして数日後。
帝国国境軍の兵力は、八万に達する。
対する王国側の守備兵力は、わずか一万二千。
数の上では、圧倒的な差があった。
だが、帝国軍の将軍たちはまだ知らなかった。
その要塞を守る二人が、どれほど恐ろしい存在なのか。
そして、彼らの背後には――。
黒獅子と銀月の魔女。
さらには、七つの星を従える少年が控えていることを。
戦雲は、確実に近づいていた。




